我が家の浜木綿忌
広島原爆記念日の8月6日は、我が岡本家のルーツ、祖父岡本丸夫の
命日だった。はや丸2年になる。
石走る垂水の実家には、私が大学生の時に植えたらしい…浜木綿の球根が
成長し、祖父が亡くなるまでの3年間ほど、介護のお手伝いをするのに、
垂水の実家へ通ったが、なんと30年以上、たった1株の浜木綿は毎年咲いていた
のだろう。そして、私が再会した時、葉は百重なし、木綿花が噴水のように
芸術的に咲いている様子に、とても感激した。
そして、私が楽しみにしていた翌年の浜木綿の夏に祖父は逝った。
祖父の入居していた介護ホームの玄関前の路肩にも浜木綿が咲いていた。
祖父の亡きあと、家の建て替えで、浜木綿の庭が更地となったらしく、
垂水の浜木綿は祖父とともに姿を消した。ショック!さびしい…。
私はなぜか浜木綿に心惹かれる。きっともっとも暑い盛りにエネルギッシュに
咲く力強さと、可憐で清純な白い木綿花の美しさへの憧れがあるのかもしれない。
今夏は浜北万葉公園で、浜木綿の花のやさしい淡い香りも体験した。
自分の浜木綿へのこだわりが、祖父の思い出と重なっている。
祖父の美田?ご褒美?で、今年6枚目のCDを作らせてもらっている。
生涯、先見性があり、時代の挑戦者であり、現役を貫いた祖父が、私の進学を
もっとも喜んでくれたと思う…。
しかし家庭人としては失格、その祖父の悪口を言って、犬養先生にたしなめられた
思い出(笑)。そんな祖父に思いを馳せながら…。
来年の浜木綿と私を思う。
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