いざ、消防署!

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2月11日のこと。かわいそうな指輪。母からもらったルビーの指輪。ごめんなさい。
先週は、外出が連日続き、夜半の帰宅に、「はずしにくい」と感じていた指輪を、
そのまま連日はめていたことが、二進も三進もいかなくなりました。
石鹸水を試みたり、指輪と指の関節の角度をかえながら、涙を流しながらはずそうとした
のですが、どうしてもダメ。
土曜日、意を決して、甲子園の消防署へ。
「指輪が外れなくなったら、消防署で切ってもらう」と言うのは、知識としてありましたが、
実際にお世話になるなんて…でした。
受付で、要件を申し出て、2階の事務所へ。まず念書を交わしました。
住所・氏名・指輪の素材・切断の同意・署名の記入をしました。
そして、切断へ。私は消防署と言う大それた場所でもあるので、電動のこででも切るのかな
と思っていましたが(ドキドキ)、何と洋裁用のローラーのような小さな歯車で、丹念に
切る作業でした。初めての体験ですが、目前の光景は「なるほど!」と言う、感動もあり、
本当はお忙しい消防署員にこんなことで手間をかける申し訳なさで、いっぱいでもありましたが、
「やっと、指輪の束縛からも解放される」と言う喜びもあり、複雑な私。
指輪はパキンと割れるのかと思いきや、ローラーでようやくかすかに切れたと思われた後、
そこにタコ糸を通し、消防署員の方が二人がかりで割れ目を開くのです。「そっか!」
いやはや、興奮の10分間でした。
礼儀正しい、イケメンの甲子園の消防署の皆様、おさわがせ致しました。
また、お世話様になりまして、本当にありがとうございました。
当分この指輪は、このまま保管です。これを見るたび、感動のあのひとときを思い出すことでしょう。

みやたん

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西宮まちあるき博のプレイベントがほぼ終了しました。
一段落ついたところで総括して、来年に向けての関係者、協力者に報告と懇親の
機会が持たれました。2月13日のきょうは、
雨の一日でしたが、キャラクター「みやたん」になごまされながら、ひととき
交流の機会を持つことができ、私もちゃっかりTSUBAICHIの営業も…(笑)。
しかし、私もあらためて自分のお膝元である「西宮」について思い返すに、過去5年間
続けて自主コンサートをしましたが、市民にあまりアピールすることはできませんでした。
この機会を通じて、違った角度で「万葉」をアピールできないかな・・・と考えさせられ
ています。犬養先生の歌碑のある西田公園もあり…。
最後出席者の記念撮影では、みやたんの隣でしっかり手を繋いで写して頂きました。
この写真も…。

松下幸之助と明日香村と万葉集

交野市は、織姫の里「かたの」として行政もともに七夕浪漫でふるさと作りをしておられますが、
また、地元近くに本社のある松下電器産業に従事された方々も多く住んでおられます。
縁は異なもの、逢合橋の七夕まつりや歌碑建立の時の関係者の中にも、パナソニックの関係者
がたくさんおられ、年に一度、年初の交野市在住の「松愛会」というOBの新年会に私に何か
話をしてほしいということで、ご依頼を受けました。
「松下」さんは、3代目の正幸さんの奥様が、ブログでも書いたように、3年前に逝去され
ましたが、甲南女子校で、中・高・大と10年間の友人でしたし、幸之助さんは明日香村の
名誉村民ですよ!と申し上げたことから、「ぜひ、松下幸之助に関わることでお話を…」と
テーマも「松下幸之助と万葉集」に決まりました。
松下さんは、明日香村の古都保存財団を起ち上げられて、初代の理事長でもあり、
私自身が今まで聞いて知っていることと、今回の機会を得て、あいまいなことは確認して
おこうと思い、先日の「雪の日の明日香村行」になったわけです。
1月29日、風は冷たくても、青空の広がる素晴らしい朝、
交野市ゆうゆうホールで、10時半から30分間でしたが、170余名の参加者が熱心に聞いて
くださいました。今回は「万葉」を語るのではなく、また男性がほとんどで反応は如何に…と
心配でしたが、あとの懇親会では、次々と「創業者のお話を久しぶりになつかしく聞きました。」
とか、「あの時、私は本社から財団の事務局に配備されて仕事をしていました。」とか、
「若いOBによく松下さんのことを話してくれた…。」とか、様々な感想を頂きました。
私のほうが、みなさんの思い出話を通して、反対にあらためて幸之助さんのお人柄を知り、
松下さんの晩年のご様子と、それに対応された社員のご様子などをお聞きして、晩年の
犬養先生に対する私たちと同じ、敬愛と純粋な奉仕の精神を強く共感しました。
また私の話をきっかけに話が盛り上がり、4月5日には、松愛会のバス旅行に私も参加し、
和歌山県にある、松下さんの生家を見学したり、お墓参りのツアーに参加させて頂くことに
なりました(笑)。
その他、枚方には幸之助さんが住んでおられた家屋が西宮から移築されて保存されている
そうで、(松下一族は、西宮市名次町に住んでおられます。)それも見学させて頂けそうです。
縁あって「松下電器産業グループ」に就職された方々が、こぞって幸之助さんを尊敬し、
誇りに思い、いまだに語り継がれるご様子に、まさに松愛会の名の通り、会社を愛し、
幸之助さんのDNAがしっかり社員に受け継がれた素晴らしい「会」でした。
おりしもNHKでは昨秋放映された「神様の女房」が再放送されています。
私も講話の機会を得たことで、松下幸之助さんの偉大さをあらためて学びました。
今もなお、PHP出版、松下政経塾など、いろんな形で人を育て、人を作り、世の中に送り
出され、日本の人材発見、人材教育、社会貢献に大きな影響を与えている松下イズムに
喝采の1日でした。(平野大臣は、HPトップに載せた通りです。)
私こそ、参加させて頂きましたことを心より御礼申し上げます。

雪の明日香村へ

ホームページには、即日に写真を公開しましたが、1月24日(火)に明日香村にこの冬
初めての雪が降りました。
私は古都飛鳥保存財団へ伺う約束をしていたのですが、折からの天気予報で、奈良方面は
「雪模様」と聞き、車で行くはずでしたが、急遽近鉄電車で飛鳥へ向かいました。
1月29日に交野市のパナソニック松愛会という、「松下」に勤めておられたOBの方々の
新年懇親会があり、私がそこでお話をさせていただくことにな理ました。
私が、松下さんは明日香村とも縁の深い方ですし…とつい申し上げたばかりに、演題は、
「松下幸之助と万葉集」にすぐに決定! 
私もエピソードはいくつか存じていますが、犬養先生のそばで見聞きした立場でしたので、
松下さんが初代理事長となられた古都飛鳥保存財団で、一度きちんとお話を伺っておくべき
と、財団事務局へかつての貴重な思い出の話を確かめに出かけました。
今年最初の雪の日に出会うなんて…と、ちょっとロマンチックな気分で、また「良いことの
しるしだ!」なんて思いながら…の明日香行でした。
駅前にある財団事務局の事務局長は、現在明日香村の前々村長の杉平さんのご子息でした。
こちらのほうから次々と質問させて頂きましたが、杉平さんも「久しぶりに財団の初期の頃や
松下さんや犬養先生のことを思い出させてもらいました。」と、なつかしげに貴重なお話を
してくださいました。
私が断片的に知っていたことが、確認できて、一つの線になりました。
犬養先生が、昭和天皇を甘樫丘に案内されておられる写真が残っていますが、私も何か
松下さんのことが記念に残されているものはありますか…と尋ねたところ、やはり昭和天皇を
松下さんが高松塚へご案しておられる写真を見せてくださいました。私はお願いをして、
ちゃっかりお借りしてきました。時が時ならば松下さん揮毫の歌碑の一つも建っていたかも
しれません。
私自身も再び古都飛鳥記念財団の歴史や、目的意識などを確認でき、納得がありましたが、
「明日香村」に魅力があり、大事な古代のふるさとであること以前に、特別に愛された、
恵まれた地域・村であることをつくづく感じました。
松下さんら財界人、犬養先生ら学者サイドから…、また明日香村を守る議員連盟など、
いろんな立場・分野の人たちから支えられてきたことで古代のロマンがいまだに紡がれて
いることの幸運をうれしく思いました。
そして、本日伺ったことの興奮をそのまま皆さんにお伝えしたいと思いました。
雪の1日でしたが、せっかく来たので、明日香村の野菜を買い込んで帰りました。
甘いいちご、あすかルビーも、焼き芋も。

ショック!

昨夜、1月22日の龍短歌会の新年会のことを思い出しながら、ブログを書いていた最中に
メールが届き、小見山先生の奥様が急逝されたことを知った。
「うっそ~!」
あの日、樽酒を飲みながら、小見山先生が偉大である以上に、奥様の神信子さん(歌人)が
すごいのだという話をお嬢さんから聞いたばかりだったので、「すごい人」という表現に
とても神秘的な魅力を感じて、「どんな方なのだろう。お会いしてみたいな…。」と思いながら
昨日ブログを書いていた矢先だったので、本当に驚いたし残念だった。
小見山先生も80歳を過ぎておられる。夫婦としていよいよ精神的に寄り添っていたい時期に
伴侶を失われた寂しさはいかばかりであろう。
今日、この冬でもっとも寒い日に、岡山県笠岡市でご葬儀が営まれている。
奥様、どうぞ天国から小宮山先生をお見守りください。ご冥福をお祈り致します…。