tsubaichiカルチャー「西国街道の猪名野」

今年は連続記録更新の乾燥注意報が出ていたにもかかわらず、21日は、私たちの行事には
めずらしい雨交じり、曇りマークの天気予報でした。
下見が好天で、視界や光景の感動が大きかったので、せっかくの機会なのに…とちょっと
不満な思いがありましたが、いえいえ、定員を超える参加者を得て、本当にうれしいこと
でした。
下見のおかげで、コースについて変更や調整もでき、スムーズに行程をこなすことができました。
HPのトップでご紹介したようにJR尼崎を出発し、伊丹市の産業道路沿いに北上し、まずは
東リ株式会社の会社の敷地内に残る、紫式部の娘の大貮三位の歌にも表現された
「猪名の笹原」と黄金塚の遺蹟を見学させて頂きました。
               
おかも.jpg
講師の中西久幸さんも、大勢の参加に張り切ってご案内、説明をしてくださいました。
TSUBAICHI使用の資料の冊子を作ってくださったり、下見も再確認に足を運ばれたり、
細やかな準備に本当に頭が下がりました。
しかし、中西さんの薀蓄はいつも素晴らしいです。
               中西さん.jpg
曇っていたのが、徐々に空も泣き出しそうになり、みなさんにはもっとのどかで晴れやかな
「猪名野」を体験して頂きたかったですが、それでも猪名川と大阪空港周辺の広大な
「土地」の広がりに、あらためて万葉人の「目」「視野」に思いをはせました。
しょっちゅう飛び立つ飛行機の爆音で、中西講師の説明が聞こえなくなりました。
「足」代わりのバス移動でしたが、今も住宅地に残る「西国街道」の名残だけは歩くことにし、
家並みや、表札や、石柱や、あたりを見回しながらゆっくりと散策しました。
傘をさしたのは残念でしたが、蝋梅の花が咲いているのをみつけたり…やはり「歩く」ことで
発見があったり、ゆっくり確認ができることは、大事だと思いました。
               西国街道.jpg
そして、171号線を越えて西の天神社で大江匡房の歌碑を見て、昆陽寺までウオーク…。
私が車で走る時に、いつも通過していた昆陽寺を初めて拝観しました。
朱塗りの門が美しく、僧、行基の建立と聞き、行基のさまざまな事業の中に昆陽寺もあった
ことにちょっと感激。
そして、境内には高田好胤さんの揮毫の有名な行基の詠歌
「山鳥の ほろほろとなく 声聞けば 父かとぞ思ふ 母かとぞ思ふ」の歌碑がありました!!!               
この歌は、私が書道を習っていた時に、色紙に書き、展覧会に出したなつかしい歌。
そして、垂水の祖父母が亡くなるまで、垂水の実家の和室に掛けられていました。
昨年4月、姫路の真光寺を訪れた時に、偶然入口にこの歌が書かれていたことに驚きました。
祖父母を思い出し、菩提寺でこの歌に再会した機縁をしみじみ感じました。
昆陽寺のこの歌碑が高田好胤さんによって書かれたのは、好胤さんが、親を大切に…と祈る
父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)をよく唱えておられたからに違いないと思います。
いろんな「えにし」を思う歌碑が、ここにありました。
               行基.jpg
また、朝日新聞社OBの政井さんが、小学生の時にならった…と「ほろほろと…」で始まる
この歌を歌ってくださいました。どこからともなく参加者から歌声が重なり合って、歌碑の
前で「大合唱」となりました。
私や山寺さんはまったく初めて聞いた歌です。
行基の歌に成田為三が作曲をした歌だそうで、「ほろほろと」という女声合唱曲のようでした。
TSUBAICHIサロンで「なつかしの歌」カルチャーをやっていますが、きょうのように本当に
自然に口をついて出てくるなつかしい歌、記憶が呼びさまされた歌を聞いていて、それぞれの
人生の厚みや見えない多くの体験が「歌」によって垣間見えたことに、すごい感動がありました。
私もこの「ゆかり」ある歌をぜひ覚えてみたいと思います。
最後に「ほろほろと」で盛り上がった旅もあとはドライブしながら、伊丹廃寺の前を通り、
JR尼崎駅へと帰着しました。
みなさま、お疲れ様でした。地元の旅でありながら、何だかいろんな気づきを受けた旅でした。
中西さん、お世話様になりました。TSUBAICHIのクオリテイは高いです!


0 返信

返信を残す

Want to join the discussion?
Feel free to contribute!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA