母のDNA

3年ぶりに「昼下がり通信」を出した。思えば、「万葉うたがたり」って何? オカモは忙しそうだけど、何をしているの?と私の「多忙」の謎と、活動を発信していくことの使命を自覚してから、「昼下がり通信」を発行し始めた。第1号は平成9年(1997年)の9月1日発行であるので、今回の令和2年(2020年)5月15日発行の27号まで、約24年間続けてきたことになる。新たに受け取られた方はプライベートな紙面に戸惑われる方もおられるが、当初からのコンセプトは変わらず、➀1年に1度は発行する。➁今日までの私、家族、娘を支えてきてくださったコミュニティへの近況報告(教会であったり、友人であったり、家族であったり…)➂万葉うたがたり活動を通して、万葉歌、故地、行事の紹介など、柱は変わっていない。それで改めて私の一面を知って頂ければ幸いである。ただ、「昼下がり通信」に限らず、年々時間的な余裕と、体力・気力の衰えもあって、用事を先送りしてしまうことが多くなり、気になりながらも今回の通信は3年ぶりとなった。この時期の3年のブランクは残酷で、投函した便りの中に戻ってきたものもあり、亡くなられたことを知ったり、知らずに転居されていて音信が途切れたり、自らの不沙汰を後悔している。
そもそも私は「文章を書くこと」はそんなに嫌いではない。小学生の頃から作文をたびたび先生に披露して頂いたり、文集にも載せて頂いたり、思い返せば「書くこと」の経験は長い。我が家は、父はあまり文学的ではないが、母は読書家で高齢となった今も「読書」が最大の趣味である。お抱えの本屋さんから「新刊書」が出ると電話案内が届く御贔屓さんだ。母は書くことも達者で、私、弟(なかなか文章がうまい)、娘(機会があればきちんと自分の言葉で表現できる)が文章を「書く」ことの抵抗が少ないのは、母のDNAなのだろうと思っている。ほぼ娘の子育てをしてくれた母の「孫、つかさ」に対する文章をまとめた最初の冊子は、今から31年前に作った。娘が生まれた時刻が8月のお昼であったことから「真夏の昼下がり」というタイトルとなった。私の「昼下がり通信」のネーミングもそれから拝借した。
その後も60歳から10年間続けた兵庫県の市民オンブズマン活動をまとめた「夕映えの時」、そして趣味の短歌をまとめた「思い出のアルバム」。そして母がこれが最後と私に手渡した原稿は、3年前「結婚66周年を迎えて~老いの徒然に」という自分史だった。私にパソコンの打ち込みと冊子の制作を頼まれていたが、忙しさに紛れてまさに先送りしていた。ところが昨年の2月に盲腸癌になり手術をした。高齢でもあるので、それを機に私のギアが入り、結局少し時間はかかってしまったが昨年ようやく完成した。母に手渡した時はタイトルは66周年から68周年に変わっていた。(笑) 父も黙って読んでいた。この自分史の巻頭に掲げた母のポエム「待ち合わせ」がいつも切ない。幸い今は両親ともに元気でいてくれているが、日々の「老い」を止めることができないことが悔しい。この写真は3年前西宮の名次神社の前で撮ったが、今は母は車椅子、父は押し車がないと歩けない。

それぞれに別れの日を覚悟しながら一緒にいる両親の今を大事にしないといけないと思いつつ、悶々とする私がいる。昨年写真に使ったマンションのカサブランカが今、満開である。母が大好きなカサブランカを今年も見ることができた。再び冊子を手にしながら、両親の純愛を見届けていきたい・・・。

新たに前へ!

 

「遊劇体」という劇団員としての活動や、他の演劇に参加させていただく客演や、年齢と経験と共に女優としていろんな機会に恵まれてきた娘。

それなりに喜び以上にいろんな思いや、悩みもしながら過ごしてきたことだろう。
同じ劇団で仲良くもあり、長年、切磋琢磨過ごしてきたこやまあいさんが、出産・東京転勤ということで劇団を離れてから5年? その間二人の間で漠然と芽生えていた夢が実現した。
私もチラシができて、それでも二人の現実的距離感にピンときていなかった。あいちゃんが、6月に大阪へ移動、連日本格的に練習を開始したと聞き、「二人芝居」「新ユニット活動」「デビュー」であることを理解した。
あとは、いつもながら芝居を観る私のスケジュール調整と、告知協力で、本番当日までを楽しみに過ごした。
孫の動静が気になる私の両親と相談して、出発の門出に「お花」を送ることにした。また、音楽サロンTSUBAICHIの時から引き続き仕事面で公私にわたりお世話になっているあいちゃんには、犬養万葉記念館から・・・ということで祝福の「お花」をプレゼントした。二人とも喜んでくれて何より。今回がスタート、そして今後も頑張れのエールだ!

また、今回の二人のために遊劇体の主宰者キタモトマサヤさんが、「ほたる」というオリジナル作品を書いてくださった。私は最終日の観劇となったが、オープニングの

キタモトマサヤ氏自身が今回の作品についての試みを話されたが、とても興味深い内容だった。ずっと娘を通して私はキタモト氏の演劇を見てきたわけだが、泉南の地元を背景に

書き下ろしてこられた「ツダシリーズ」や、また泉鏡花の全戯曲の舞台化を目指して続けられている芝居など、内容は深刻で深く、しかし舞台上はシンプルでむだがなく、

役者の立ち居振る舞いは姿勢よく美しい足運びで、遊劇体の芝居の形、カラーというものはキタモト演劇の目指されるところなのだと思っている。

加えて今回「そもそも演劇とは何か」という原点に回帰し、特別な「説明」的要素のない、役者だけで成立する芝居に挑戦されたことを聞いた。

もちろんこのたびの二人の事情もあったのだと思うが、近年、キタモトさんは、泉鏡花芝居に示されるように「原作」をそのまま演じることの「時代の共通性」や、

「朗読会」「リーデディング」などの機会を作り、朗読が「演劇」として一人であっても表現できることの確認をしておられたように思う。そして今回、会場・照明・音響その他、通常の準備から解放された役者だけの舞台での芝居を試みられたのだ。古代ローマのコロッセウムで始まった芝居の原点に立ち戻ることの挑戦。前回は、舞台上には役者がおらず、2階での会話として声だけで展開された芝居もあった。(のたりのたり)非常に思い切った演出であると思うけれど、観客の私たちは演出者の思惑通り、舞台上に人がいなくても、音響や舞台セットがなくてもその世界にひきずりこまれていくキタモトマジックは、本当に素晴らしいと思う。

そして今回は特に、そんな演出者の試みに応じて使える役者に娘も成長したのかなと思うと、親として芝居を続ける娘の姿に、継続の力と真摯に臨んできたことに感心するし、

今後も活動を容認せざるを得ないようだ。
あいちゃんと息のあった二人。新ユニット誕生とデビュー!。キタモトさんはじめ遊劇体のメンバーの方々の大いなる協力!は感謝せずにはいられない。

そしてまた是非このような機会が訪れることを楽しみにしたいと思った。

みんな「新たに前へ!」

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ブログが追いつきませんので・・・。

毎月の定期講座に加えて、「文化の秋」「イベントシーズン」ということで、新たに講座の機会などを頂きます。12日(土)には、明日香村の祝戸荘で「あすか塾」の講師として、準備をしております。月1回のこの講座も何と、私が268回目ということですから、長く続けられた貴重な機会なのだとわかりました。講師の方々も考古学をはじめ、塾の名にふさわしい「明日香」をテーマに専門的なお話をなさっていますので、私の登場は躊躇するものでありますが、今は犬養万葉記念館館長として、明日香村の施設で頑張っていますので、明日香村に従事する一員ということで顔見世興行ということでしょうか。笑。「万葉うたがたり」では明日香の歌をまとめたCDも制作していますので、それらの歌などを聴いていただきながらお話ししようと思います。
この講座の特徴は「ランチ」を挟んで前後講義があること。そのランチも祝戸荘名物「古代食ランチ」ですので、受講の皆さんと親睦をしながらお食事もするなんて、初めての経験です。
そして、翌日13日は、奈良県三郷町で万葉歌碑の除幕式があり、うたがたり会も出演をさせて頂きます。鞆の浦に引き続き、「歌碑」の歌を新曲としてご披露します。機会があって「曲作りをする」ことは、継続的で自発的な創作活動ではないので本意ではありませんが、雑用に追われてなかなか落ち着いて本来のライフワークに取り組めていない私にとっては、グッドタイミングなのでしょう。
出来栄えはわかりませんが、うたがたり会で楽しく練習しました。「桜」3部作となったことに私は気に入っております。
14日は三輪恵比須の講座の日。実は明日はコープカルチャーの定期講座日で、4日続けての「万葉世界」。資料を作るのは時間もいりますが、楽しくもあり・・・。頑張りま~す!

久しぶりに更新しました!

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フェイスブックは手軽なので、日記代わりにアリバイ記事を載せていますが(笑)、肝心のホームページがおざなりになっているとずっとご注意を受けており、久しぶりに、写真、スケジュールいろいろ手直しをしました。作業しながら、余計に面倒くさくなってきた次第です。汗。
大阪・福島のTSUBAICHIサロンで、10月末の閉館前に最後のバースデーパーティをしてもらってから早1年です。1年後のサロンは、カフェレストランとなって新たなオーナーさんが開業してくださっています。長らくかかった隣のマンション工事も、2年がかりでようやく完成しました。入居はまだのようです。そして、道を挟んだすぐ隣の一画には、病院とタワーマンションの計画が進んでおり、1年のことで大阪の北ヤードがますます変化しつつあることに驚きです。もはやサロンでの思い出も過去になりつつあり、名残惜しいようでもあり、夢の出来事のようでもありました。サロンの幕を閉じる前のセレモニーとして、最後に甲南女子校での同級生が、10月15日、16日に十五夜、十六夜文化祭を開催してくれて、久しぶりにみんなが集まり、趣味や特技の披露の大同窓会となりました。私ごときに友情の深さに心から感謝しました。当日は来れなかったけれど、いまや時の人となった小池百合子さんも仲間の一人です。
もうすぐまた一つ年を重ねますが、元気で穏やかに過ごしたい・・・としみじみ思います。私も自重しているつもりですが、まだ走り続けているところもあり、年齢を自覚して過ごしたいと思うこの頃です。

奈良新聞「談話室」に私のことを掲載して頂きました。

奈良新聞社の一般投稿のページ「談話室」があります。私も「明日香」にご縁ができたので、昨年から奈良新聞を取り始めました。「談話室」をはじめ、明日香小学校の先生の投稿や、明日香小学校の3年生の俳句投稿などを楽しく拝見していました。ある日の「談話室」では思いがけず、母が大好きなフォレストという合唱団のことを書かれた方があり、母に報告しながら筆者を見れば、なんと私の万葉講座の受講生だったり・・・。なかなか身近な心の窓です。
そして、縁あって、「談話室」会員総会で万葉講演を・・・とご依頼を受けましたので5月末にお話をさせて頂きました。
その時の様子を書いてくださった、会員の厚意あふれる文章がこの22日に掲載されました。お客様が本当にじっくり聞いてくださり、文章にまとめあげてくださったことに心から感謝申し上げます。
私は単純に「うれしかった!」です。そしてまた記事を書いて頂き、今後『万葉集』普及につながれば・・・と期待しています。

枚方の歴史を学ぶ会

私は万葉講座の機会を頂くようになって、定期的に伺うところと、単発的にお引き受けすることもあるが、枚方の歴史を学ぶ会は、1月に講師としてお話をさせて頂き、平成27年度に新年度にあらたまってから機会を頂き、2度目の講座を持たせて頂いた。

枚方市と言うのは、私が七夕万葉歌碑でご縁を得た交野市のお隣で、「七夕伝説」に関わる行事では、交野が原の先駆けとして、町をあげていろんなイベントを行っておられる。

犬養先生はかつての万葉カルチャー講座の先鞭をつけられた方だが、枚方市もその1つに、市民会館で始められた「白バラ?万葉教室」は、婦人会の方々を対象として長く続いた、懐かしの場所と聞いていた。

「枚方市」で話をしても、ここでも犬養先生の思い出を語ってくださる方がある。

犬養先生の撒かれた種が育っている様子に、あらためて今後の自分の責任の重さを痛感する時。

「万葉時代の楽しさ・素朴さ・優しさ」をただ伝えたいだけなのです・・・。

 

母の偉業に拍手!

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3月16日は母の満83歳の誕生日を迎える。直近でもある6日、初金の御ミサに一緒に出かけた。
その時に何げなく、「やっと聖書の臨書(写し書き)が終わったの。生きているうちに間に合うかどうかと思ってたけど…。」
と言ったので、びっくり。
もちろん私も母が細々と毎日少しずつつ書き続けていたことは知っていたが、「何年かかったの?」と聞くと、ちょうど30年だと言う。
ちょうど四旬節の今、ご復活を迎えるにはふさわしい出来事でもあった。
私など、聖書を通常読むこともなかなかできず(せず)、今では御ミサの朗読で使徒書や福音に与るのが精一杯。
まさに「さぼりキリシタン!!!」だ。(汗)
当初旧約は人の名前が多くてややこしくて・・・なんて言っていたが、書けない日もあったであろうが、30年間の時間、継続の力に感心している。
いろいろ自分の生きざまについて考えながら過ごしてきた母だが、80歳を過ぎてから、思うところも一入のようだ。
この書いたものは私が亡くなった時に一緒に処分してね…なんて言われたが、「もったいない!」と思う私。
今は一大事業を終えて、ほっとしているだろうが、「書くこと」は大事なこと。また何か見つけてね。
母の偉業に拍手!

2015年の初金曜日

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クリスマスも御ミサに与れず、張り切って出かけた私の新年のミサは、初金曜日。
前夜の雪が残っていて、隣のマリア幼稚園の園庭も真っ白・・・。

晴れやかな空を見上げると、冷たい空気もかえって背筋が伸びて、心地よく感じられます。

毎月の初金曜日は、「信仰のミサ」だが、私には神様と対話する貴重な個人の祈りの時でもあり、昨年も心身ともにくじけそうな時に心の安定を得られた機会でもありましたので、お正月の1月2日にタイミング良く与ることができたことに感謝しています。

DSC08787水浦神父様には、何かとご配慮頂き、オルガン当番の時しか教会に行かない私を見守って頂いています。
信仰告白の「私は思い、言葉、行い、怠りによってたびたび罪を犯しました」ということが、私にはすべてなのですが、実際、毎日自らを振り返ることばかり・・・。
年を重ねていながら情けなくもあり、人生を全うするまで、葛藤や悲喜こもごもが続いて行くのだなあという実感でもあります。
明日から日常が戻りますが、年末・年始少し自分を取り戻せた時間にホッとしています。
仁川教会の庭の一角にフランシスコの像が移設していました。クララ会の修道院にあったものです。

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マリア像、フランシスコ像にお祈りをして、私の「初詣・教会編」となりました。

泉鏡花「お忍び」と中川芳三さんを思う。

10月17日から20日までの4日間、京都の五條会館での娘の劇団「遊劇体」の芝居に、いろんな方々がご遠方からも観劇くださいまして、誠にありがとうございました。
娘もいつのまにか中堅どころとなり、いろんな「役柄」を経験させて頂き、本当にありがたいことです。
私は熱心な娘のファンではありますが、当日まで、役柄や、物語の内容を明確に把握していないので、大変スリリングな期待感いっぱいで出かけます。
今回は芸妓さんの役でしたが、年齢的にも「風格」というのか、貫録と女らしさが加わり、見ている方も安定感がありました。

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遊劇体の「泉鏡花シリーズ」も2002年から上演が始まり、もう12年も経つのかという感慨がありますが、第1回の「紅玉」の時に、犬養先生の教え子で、「松竹」の重役でおられた中川芳三さんが、ふらりと見に来られていました。
中川さんは歌舞伎が好きで、大阪大学の経済学部から、松竹に入社されましたが、そのエピソードは犬養先生が生前よく語られていました。「先生、僕は歌舞伎が好きなので、どうしても松竹に入社したいのですが、どうしたらいいですか」と真剣に悩みを相談する中川青年に、犬養先生が「そんなに松竹に行きたいなら、毎日会社の門の前を掃除して、会社の人々に熱意を伝えなさい。」と話をされたそうです。その後中川君は松竹に採用された・・・と、どこまでが真実の内容かわかりませんが、中川さんはその後松竹で演出家として大活躍をされ、多くの歌舞伎役者を育ててこられました。また奈河彰輔さんと言うペンネームで、戯曲の作家としても活動されました。
「紅玉」の芝居でお目にかかった時に、私の娘が出演していたことに驚かれましたが、その時「僕は若手の芝居を観るのが好きで、時々見に行きます。」とおっしゃっていました。
その中川さんが、10月に逝去され、ちょうど遊劇体の芝居の直後でした。あれから12年・・・。時間の流れが、娘の成長をも実感させてくれたように思います。
中川さんとは、昨年の犬養先生の15年命日祭でお目にかかったのが最後となりました。犬養先生が亡くなられたあとも行事には毎回欠かさずご出席くださっていたことで、中川さんが犬養先生を慕われ、青年時代の「松竹入社」について犬養先生に生涯感謝をしておられたのだと思います。今頃はきっと天国で、犬養先生との再会を果たしておられることでしょう。

さて、遊劇体の戯曲公演も全12作中で、「深沙大王」「愛火」「稽古扇」「公孫樹下」「鳥笛」「日本橋」の本公演を残すのみだそうです。
私も最後まで付き合いたいものです。

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泉鏡花「お忍び」いよいよ上演!

お忍び

明日17日から20日まで、娘の所属する劇団、遊劇体の公演が始まります。
主宰のキタモトマサヤさんがこだわりを持って、13年前から泉鏡花戯曲全作品の上演を試みておられますが、今回で9作品目です。
このたびの「お忍び」は、鏡花の最晩年の作品で、最後の戯曲と言われています。
いまだ演劇界で上演された記録のない、画期的な初演です。
会場が、京都の五條会館と言う、大正時代に建てられた歌舞練場で、空間と作品との融合が鏡花の世界をより一層引き立たせてくれます。
今回も娘はどんな役で出演するのか、楽しみです。台風が先週でよかったね。
一人でも多くのお客様に見て頂きたい「芸術作品」です。京都までご遠方ですが、鴨川の風情や、旧歓楽街の名残を残す希少な場所。
行楽シーズンでおあり、ふるってお出かけいただきたいと思っております。