10年目の引っ越し
娘の「楽園」だったかもしれないアパート「洛園荘」から、転居する時がやってきた。
京都では、下宿に伴い小倉・四条大宮、そして同志社大学を卒業する時にはこのアパートに
引っ越していた。
ただし、2年間だけという約束での入居だった。というのは、もう古くなった建物で、
2年後には取り壊しという予定だったようだ。そのせいで、入居当時から10室くらいの
文化アパートには、3人くらいしか入居しておらず、親として治安や安全性に不安もあったが、
2年後には引っ越すから…という言葉を信じて…それから10年。
大家さんの状況もあったのだと思うが、とうとう(強制)退去の時期が来た。
昨年秋に、3月の年度いっぱいで転出する通告を受け、それから転居時期の都合に合わせて
家さがしが始まったらしい。
娘もすでに30歳を超え、子離れのできない私としては気になることであったが、もう一人前の
女性であり、自立した自分の道を進むべく、できるだけ口を出さずに静観することにした。
これは私の大きな試練でもあるが、大きな進歩かも(笑)。
自分のことを振り返っても、反面教師でなければならない!!!
そして、転居の日は、手伝いに行けなかったが、翌日ともかく新居の確認と、転居後の
明け渡しの点検に出かけた。
思いがけず、いや気が付けば10年間過ごした娘の「ふるさと」の入口で記念写真。
さすが、パンダマークのサカイ引越センターに発注するところが抜け目ない!
親のカラーも口出しもない新たな「お城」作り」に、仕事の合間の片付けになるであろう
と思われるので、急がず1つずつゆっくりかたづけていきなさいね、とそれだけの私。
そして、私に輪をかけて親バカのつかさの祖父母(両親)はもはや、新しいマンションに
行きたがっている。
かたづいた頃に、家族みんなで京都見物となりそうだ。
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