犬養万葉を引き継ぐ…。

2月9日、突然の引き継ぎ会。
大阪府豊能郡豊能町の西公民館へ。
能勢電鉄は久しぶりだった。寒い日々が続いていたが、山下駅から妙見口の方向へ向かった
とたんに町の積雪の風景が広がり、この山間の地域の様子を実感した。
猪名川万葉の会を主催されておられた、桝川啓次さんの教室を引き継ぐことになり、急遽
講義開催日に一度でも参加して、講義を拝見しようと思い出かけたが、なんと受講生の
方々も寝耳に水の「最終講義」だったようで、受講生の戸惑いを思うと、こうして私が
来ることより、みなさんとのお別れの機会のほうが大事だったのでは…と気がさしたが、
桝川先生は、後任が決まったことの解放感と共に、受講生の方々にはここ1年間、健康上の
での理由と「勇退の時期」についてを考えて、ずっと自分自身と対話をされてきたことを話された。
4教室を20年以上教えてこられて、受講生の方々に対する責任と、ご自身がどこまでやれるかと
いうことについての不安と、猪名川の地で「犬養万葉」を語り継ぐという使命の中で、
果たして後継者が必要なのか、これで終わるべきか、いろいろ悩まれたようだ。
桝川先生と今回の橋渡しになってくださったご婦人は、TSUBAICHIのオカモゼミに参加
してくださっている方だが、その限られた世話役の方々の間で、いろいろ議論も交わされて
来たそうだ。
私のところへ打診があったのは、2月4日のこと。私も突然のことに固辞したが、桝川先生
とは、犬養万葉顕彰会にも長い間ご参加頂いており、犬養先生の生誕100年祭には、犬養万葉の
伝道者たちというコーナーでご紹介もさせて頂いていた。
その「犬養万葉」を伝えるという共通の志を持った一人として、私に信頼があったのだ。
ほっとされた桝川先生と裏腹に、突然の大役に、戸惑いながら、しかし犬養先生の晩年の
お仕事にご一緒して、「引き際」のむづかしさを私は体験している。
人には乞われても自分でコントロールできる間にけじめをつけることのむづかしさだ。
犬養先生には、結局教え子として、また傍らにいながら、老年・晩年の先生をカバー
仕切れなかったという悔いがずっと残っている。
それを思い出しながら、とりあえず引き継がせて頂くことにした。
20数年の生徒さんは、きっと先生が辞められる時には、ご自身も講座もやめようと思って
おられる方もあるはず。あと、やはり『万葉集』の学びを続けたい方に、万葉ロマンを
広めることが、私のライフワークとも重なっているので、1教室を受け持たせて頂くことと
なった。
『万葉集』に「猪名川」が出てくる。その大事な地名を冠にされた万葉の会を私は引き継ぐ。
微力ではあるが、桝川先生の灯された「犬養万葉」の灯を燃やし続けるために…。
犬養先生、どうか力を与えてください!!!


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