真光寺ふたたび

私たちは4月に祖父の里で、菩提寺のある姫路市実法寺の真光寺で万葉うたがたりコンサート
をさせて頂いたのですが、うれしいことに直後から「再びコンサートを!」の声を頂きました。
出身地とは言え、明治生まれの祖父が、次男で13歳で実家を出ているのですから、本家が
残っているとしても、実法寺の里の方々には「名」も「縁」も薄くなっていますのに、
春にチャンスを頂いた時も驚きましたが、ちょうど今年の8月で逝去して5年祭を終えました
この時期に、私がおじいちゃんを偲ぶよすがに、菩提寺でコンサートをさせて頂くことは
神様の計らいかも…と思い、おじいちゃんのための「新曲」もひっさげて、感慨深く演奏
させて頂きました。こちらこそ、真光寺さまに感謝・感謝でした。
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11月21日から28日は、親鸞上人の報恩講の時期にあたり、思いがけず「奉納」と言う形で
初日にあたる11月21日(月曜日)に真光寺の本堂で、二度目のコンサートが実現致しました。
姫路市実法寺の本願寺派「真光寺」は、西本願寺系のお寺ですので、報恩講は来1月???
思っていたのですが、この11月に報恩講をなさると言うことで、「あれ、菩提寺は東本願寺系
だったのだ???」と思いきや、寺谷ご住職さまに伺いますと、やはり真光寺は、西本願寺系
でありました。そして、1月にはご住職様が西本願寺で、報恩講に与られるために、地元では
毎年この秋の時期に行っておられるそうです。
親鸞聖人の「ご命日」は書物にもすべて11月28日とあるので、調べてみると
親鸞聖人が入滅された日は、弘長2年(1262年[2])11月28日(グレゴリオ暦…1263年
1月16日)で、宗派により、旧暦の日付のまま新暦の日付で行われる場合(11月28日)と
新暦に換算した1月16日に営まれる場合がある…ということらしいのです。
なるほど…。そういえば、『万葉集』も、旧暦の時代の歌集なので、記述の事実、行事など
実際に新暦と混在した「行事」「記念日」となっているのは、周知の事実。
本願寺が「東西」に分割しているのも、深い因縁がありますが、行事まで各派によって
異なっているなんて、知りませんでした。しかし今年は?「親鸞750年遠忌」として、全国的に
多くの人々の信仰を集めておられるということにあらためて感心しました。
そして私たちは真光寺に集う方々との報恩講で、「奉納コンサート」。
4月は、「春」をテーマに演奏させて頂きましたので、今回は「万葉人の心」をご紹介する
歌を中心にご披露致しました。
おじいちゃんも、農家の次男坊として早くに村を出て、1代で「ますらおは 名をし立つべし
のちの世に」と、実際に第1号の会計士として、男として名をあげましたが、孫の私たち
にも苦労話とともに、「両親」に対する感謝の思いは人一倍強かったようでした。
故郷に錦を飾れたことも満足だったであろうし、孫の私がその縁で、こんにち菩提寺に
伺えたことや、コンサートと言う形で奉納までさせて頂いたと言うことで、祖父も天国で
喜んでくれていることと思います。おじいちゃんよかったね。
真光寺さまには、本当に終始あたたかいご配慮を賜りまして、心より御礼を申し上げます。
実法寺の里は姫路市の市内にあって、それほど奥深い場所ではないのですが、周辺の山を
切り開いて住宅地ができたり、開発の中にあって、里そのものが高齢化と、住民の減少で
かつての賑わいがなくなってしまいました。まして「宗教心」や「信仰心」が多様化して、
寺・神社・教会・・・とご都合信者の多い昨今、地元に根付き、生活の一部であったお寺が、
閉塞状況に陥っているのは、1か所に限ったことではありません。
熱心な檀家活動をされる方は高齢化し、お寺を支える人たちが減っているのもゆゆしきこと。
このたび私たちのコンサートは、『万葉集』ではありますが、サウンドや衣装で、きっと
皆さんのカルチャーショックを引き起こしたことと自負しております。
みなさんに少しでも元気が出るといいな!と心から思いました。
また「元気の素」として、真光寺さんで、お役に立てることがあれば…と多彩なメンバーを
売り込んできました!(笑)
お寺との縁を作ってくれたヒロユキさんに感謝。
ご来場くださいました、おかも身内親衛隊と、実法寺のみなさまに心より御礼を申し上げます。
ありがとうございました!!!


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