さようなら…。

世間のお正月気分の収まりかけた時期になって、訃報が続いた。
亡くなられたのは、万葉うたがたりの「大伴旅人」役の菊ちゃんこと、
菊谷高弘さんのお母さんだ。3年くらい闘病をされていたそうだった。
菊谷さんには、12月の私のコンサートの舞台にも遊劇体として、出演して
頂いた。きっとご家族で、不安な気持ちで年末年始を過ごされたことだろう。
享年68歳…。まだお若い。でも娘には「私もあと10年がんばれるかな」なんて。
10日のお通夜に引き続き、11日のお葬式にうかがったのは、西宮文化協会に尽力して
おられた空野啓佐さん。TSUBAICHIでも、西宮市、宮水学園のOBグループのお仲間を
集って、万葉に親しむひとときを計画してくださった。以前のブログにも書いているが、
西宮市の郷土史家とも言えるほど、歴史や文化に詳しく、中でも西宮えびす神社の
申し子のようだった。えびす神社のことから、神社の建物、鳥居の形式、えびす舞、
ひいては淡路の人形浄瑠璃支援や、えびす神社でも「お顔」は、特別の方だった。
それもそのはず、個人的に1月10日のえべっさんの日がお誕生日という縁を持っておられた。
それが、このたびのお別れ会で2度びっくり…。
1月5日の西宮えびす神社の新年恒例の「えびす舞」の奉納のさなかに倒れられた
そうだが、意識不明になられてからもその後、命の灯は続き、1月10日の、淡路人形
浄瑠璃の奉納の終わったころ、息を引き取られたと聞いた。
ご自身が、心にかけておられた行事が終わるまで…。また、えべっさんのお祭りの日に
生まれた空野さんが、同じ日に天国へ帰られると言う、奇遇な人生を終えられたのだ。
弔辞を読まれた、西宮えびす神社の吉井貞俊宮司は、「昭和8年1月10日生まれの喜寿を
1月10日で満願成就されためずらしい人生で、おめでたい」と言うような表現をされた。
私とのご縁は、空野さんに機会を頂き、何度か万葉講座をさせて頂いたが、その後、
私が個人的に地元西宮への興味を持っていることで、夙川の桜の見学や、西宮市の歴史
散歩にも誘って頂き、いろいろ学ばせて頂いた。
急なお別れだったが、ご家族によると空野さんは、後日、菩提寺のある北九州の若松で、
正式なご葬儀をされると言うことだ。実のご出身は万葉故地の福岡県の香春(かはら)で、
私も最近まで嘉摩万葉を学ぶ会で、何度か訪れた古代の交通路にあたる場所だ。
私が香春を知っていることに驚かれたが、また喜んでくださった。私の香春の知人の
お名前もご存知で、共通の話題に花が咲いたことを思い出す。
空野さんは、ご自身のふるさとがありて、住めば都だった?えべっさんと縁ある西宮に、
骨ではなく、心を埋めてくださったような方だった。
明るい空野さんは、ドラマチックな生涯を天国で自慢しておられるに違いない。
空野さんお大事なお仲間、西宮の謎史の会の方々とのご縁をこれからも大事にしなきゃと
思ったことだった。
昨年4月5日、兵庫県氷上郡のTSUBAICHI花の旅の時に、「桜博士」の空野さんに
お話して頂いている時の写真です。今年の夙川の桜もきれいに咲きますように…。
空野さん、ありがとうございました。


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