トイレの神様

忙しいということで、世間の話題から遠のくことは、悲しいことだ。
12月31日の紅白歌合戦で、はじめて植村花菜の「トイレの神様」を聞いた。
題名は知っていたが、「トイレの花子さん」を想像させるような、内容は「けったいな
歌???」と違うのかな…と思っていたが、初めて聞いて、涙あふれる感動の歌だった。
歌の内容が素晴らしいというのではない。誰もが持っているおばあちゃんと孫の関係が、
たまらなくなつかしいのだ。歌を聞きながら、成長していく私。子供の時とは違う二人の
関係。それでもどこかで繋がっている、親子ではない特別の関係。
私も亡くなったおばあちゃんのことを思い出しながら聞いていた…。
昨日1月14日は、おばあちゃんの誕生日だった。小正月に生まれた!と言っていた。
平成14年の2月6日に亡くなって、もう9年が経とうとしている。
おばあちゃんには、孫が5人いた。私は初孫で、私の家族は祖父母と共に暮らしていたので、
物心ついたときから、結婚して家を出るまで一緒に過ごした。
祖母は旧家の「なかいとはん」だったので、私の母以上のお嬢さん育ち。
亡くなるまで、公衆電話も一度もかけたことがない、世間知らずのおばあちゃんだった。
でも恵まれた環境で、私が生まれた時から既にピアノがあった。
母が弾けないのに、おばあちゃんが、ピアノを弾いていた。
葬儀のミサの時、おばあちゃんへの最大の感謝にと思い、オルガン奏楽を引き受けた。
途中で、おばあちゃんがよく弾いていた「埴生の宿」も演奏した。
おばあちゃんは、私の笑い声が大好きだと言った。聞いていてつられて笑ってしまうって。
私が母に叱られて、家の外に出された時、必ずおばあちゃんが、助けに来てくれた。
「一緒にあやまってあげるから…。」と家に連れて入ってくれた。
子供のころは、母とおばあちゃんとの連携プレーができていたなんて、知らなかった。
タイミングよく現れるおばあちゃんは、正義の味方、月光仮面みたいやなと思ってた。
おばあちゃんによく歌を教えてもらった。数え唄だったり、遊び歌が多かったと思う。
その中で、いまでもなつかしく思いだすのが、「チャメコの一日」だ。
全曲は覚えていない。探偵ナイトスクープで教えてもらいたいと思うくらいだ。
すぐに浮かぶフレーズは「お椀の中には、私の好きな 卵のおつゆが入ってます」だけ。
「たまごのおつゆ」がすごく印象的だった。
小さいころから、明治生まれのおばあちゃんの腰巾着で、「家庭婦人」の豊かな経験が
ある私は、幸せだと思う。あら張りのお手伝いで、自宅の庭にほどいた着物に竹を刺して
ぶら下げていく。ゆりかごが一杯あるみたいだった。
昆布をはさみで切って、佃煮を作る。甘酒なども手作りで、発酵の様子が気持ち悪かった
けれど、木の箱に手ぬぐいをかけてあるのを何度ものぞき見した。
梅干しや、ラッキョウを漬けたり、垂水は魚が新鮮なので、生きてはねている小エビを
買って来て、いろんな話をしながら剥いてくれた。思い出すと高岡のしろえびみたい。
小さくてくちゃくちゃとなった小エビの天ぷらが大好きだった。
庭の水撒きをしたり、お風呂は外から燃やすのに、私も面白がって紙屑をくべた。
その頃、庭に雑草の「じゅず」がたくさんあって、鼠色のネックレスを作ってくれた。
七輪でお魚を焼いたり、今ではできないことを一杯経験させてくれた、と言うより、
私には、おばあちゃんの生活が興味津津で、一緒にいるととても楽しかったのだ。
8年間寝たきりで、不自由な晩年だったが、孫の中で私との絆が一番強かったと思う。
母(実の娘)よりも強かったような気がする。
おばあちゃんのピアノは、私にとってあたりまえの音楽ツールだったし、おばあちゃんの
音楽DNAを受け継いで、今の私があるのかな。
「トイレの神様」もそう、私もおばあちゃんとの思い出は、誰にも立ち入れない二人だけの
ものだ。いのしし年のおばあちゃん。元気だったら、今年で、100歳になったのね!


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