大西幸仁さんと再会!

漫才をやめられて、今は「太陽」と言う雅号で画家として活動されておられる
大西幸仁さん。昨秋「東久邇宮文化褒章」を受賞され、「1月7日の大安日」の
受賞記念パーテイーに私も出席させて頂きました。
「中途半端やなあ!」で一世を風靡された、ちゃらんぽらんの大西さんは
美大出身でもあり、絵画もずっと大西さんの体の一部のように、書いてこられました。
昨年5月、人生の転換を図られたわけですが、私は震災の時、武庫川を越えて、塚口の
大西さんの実家でもある、お風呂屋さんに行ったこともありました。また、
きっかけは忘れましたが、その頃から大西さんの自宅で開かれる有志の会に
私も参加させて頂くようになり、その日の講師で、ねこの墨絵画家の中浜稔さんや、
市民運動家、尼崎の市会議員など、大西さんが日頃尊敬されたり、関心を抱かれる方々
を中心に、喧々諤々と車座集会をしたことがなつかしいです。
1月17日の震災記念日が、大西さんのお誕生日でもあり、集会もその後
1月には西宮の越木岩神社の境内で、「森の美術展」として、絵画教室の子供たちの
展覧会を中心に、震災の鎮魂展であったり、故若井こづえさんの追悼展もありました。
その頃から描かれる「絵」が、大西さん曰く「見えざる力」による筆であることを
話しておられましたが、本業の漫才が「中途半端」で、大ブレイクされ、非常に忙しく
なられたこともあり、私も大西さんとお目にかかる機会がなくなってしまい、久しく
なっていました。
新聞で、画家としての道を選択されたことを知り、一度会いたいなと思っていたところ、
タイミングよく年末に大西さん自筆の宛名の受賞パーテイのご案内を頂きました。
パーテイに参集された方々は、おおむね画家として活動の折に出会われた方々が
多かったようで、今後は、私も大西さんの絵のオーナーにならないとアカンかも(汗)!
と少し不安になりました。でも久しぶりに大西さんのお話を聞いていて、変わらぬ
純粋な心や、謙虚さや、神仏に対する敬虔な姿勢、出会いや感謝の日々を送られて
いることがとてもうれしいことでした。そして、日本を愛し、憂い、誇る想いを
語られましたが、日本がどんな逆境に陥ろうが、心配することはなく、その日本人の
心を育て支えるものの最高峰に「芸術がある!」と述べられた、信念に満ちたご挨拶に
感激しました。今は画家としての道を歩まれることになりましたが、これも「神様」の
計画であり、神様が大西さんの「絵」を通して、私たちの身近で力や光を与えられる、
その僕(しもべ)役としての使命を感じておられるようでした。
でも、早々に東久邇宮褒章という希少で貴重なご褒美をいただかれ、よかったですね!!!
おめでとうございました!
大西 004.jpg大西 005.jpg
     ※右側は、拉致家族の有本恵子さんのお父さんでした。
私も収穫がありました。今日の大西さんの会での人脈ネットワーク(絵のオーナー)で、
家島の旅館「おかべ」のご主人には家島神社の犬養万葉歌碑のことを、また、大神神社の
参道の近くにある喫茶店「あしたば」のママには、私が万葉ウオークの常連であることなど、
アピールでき、個人的にもまた訪問させて頂く由、お約束しました。
また、隣には以前JCの「話し方クラブ」でお世話になった木村谷さん(大西さんの
学生時代からの親友)で、8年ぶり?にお目にかかりました。また、同テーブルには、
実家の近所が地盤=垂水の民主党県会議員の黒田一美さんと知り、「政権奪取」をお願い
しました???。そして、背広姿で見違えた西宮神社の宮司吉井さんが親子で出席して
おられ、犬養先生の命日祭にお世話さまになったことを感謝しました。
大西さんと久しぶりの再会で、うまく会話ができませんでしたが、大西さんが以前と
まったく変わっておられなかったことにほっと安心しました。
おみやげに頂いた「色紙」です。「夢」。
大西さんの「夢」は、ひょっとして希望ではない、眠っている間に広がる「無量の光」
のことのような気がします。どうぞご活躍を!


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