あれやこれや (2の1)  安曇野墓参

娘と母の二人の長年の「懸念」を叶えるべく、急遽決まった
「墓参旅行」の日は、実は「美夫久志会」という万葉集の
学会の日で、学生となった今、張り切って参加を楽しみに
していた。すると父の参加表明もあり、娘と後期高齢者の両親
の旅行に千路に悩んだが、保護者として同行することにした。
母と娘が行きたかった「墓参」は、平成13年に亡くなった小母の
お墓だ。母とは妹のような関係で、私も子供の頃から娘のように
かわいがってもらった。そして、小母にとっては、その私の娘も
昔の「私」の再来のように、何もかもが重ね合わさって映って
いたようで、孫のように成長を楽しみに可愛がってくださった
ので、娘にとっても「大好きな小母さん」だったのだ。
10年来の入退院生活を経て、とうとう先立たれた時は、本当に
悲しくて、信じたくなかった。私と母は、通夜・葬儀には大宮
まで駆けつけた。無宗教のご葬儀だったこともあり、私はその場で
オルガン奏楽を引き受け、母も急遽、弔辞を読んだ。
「独身」ということもあり、限られた身内のご葬儀だったことも
寂しかった。
以後、葬儀に行けなかった娘と、かけがえのなかった関係の母は、
1年後に「お墓」が建立されたことを知り、是非一度訪ねたい・・・と
小母に対する数年来の敬慕?不義理!呵責?になっていたようだ。
安曇野 056.jpg
小母は信州の安曇野の旧家の出身で、穂高の麓のりんご畑の中に
自宅と一族のお墓がある。私たちは特急しなの号で中央線を行く。
松本駅からレンタカーで、三郷の里へ。
以前行った記憶をもとに、行きつ戻りつしながら、ようやく到着。
立派な家は残っているが、今は住む人もなく・・・。
亡くなられて、やっとふるさとへ戻ることができた小母が愛しい。
結婚を機に出られたきり、ふるさとはその後の小母を優しく
迎えてはくれることはなかった。
でも私たちには、ふるさと安曇野が大好きで、なつかしみ、自慢や
思い出話をたくさんしてくださった。
そんな小母に、田舎は世間体を気にして、残酷だ。
それだけに、小母の愛するふるさとにお墓が建立されたことが、
私たちの唯一の慰めにもなっていた。
甲子園からお花も持参し、お墓の周りをお掃除した。
ひととき小母の思い出話をしながら、小母と共に過ごしている
実感を味わいたかった。迫りくる穂高の山は素晴らしく、広がる
りんご畑では、小さな実がたくさんついていた。
あずみの2
今は、こんな素晴らしい場所に小母の魂が安住している・・・。
よかった・・・。
あずみの
また来れる事を祈りながら、私たち家族は、20年ぶりの上高地へ
宿泊に向かった。                
                               つづく・・・


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