我が青春グラフテイ

夕刊に、プロレスラー、グレート草津の訃報が出ていた。なつかしい!!!
学生時代、大相撲・プロレスが大好きだった。高校時代は九重部屋の
後援会にはいってい友人のおかげで、秋の大阪の巡業では砂かぶりで
観戦したり、宿舎のお寺へ行って(相撲ギャルのはしり!)一緒にチャンコ
をご馳走になったり、力士と文通をして、ちゃっかり番付表を送って
もらったりした。
びんつけの匂いが大好きになったのも、土俵の側で経験してからだ。
大学生になってからは、プロレスにはまり、大阪府立体育館へ一人で
隠れるように見に行ったこともあった。(ジャイアント馬場の大きかったこと!)
思いがけず、それらが犬養先生と私との大きな接点であったことも不思議な縁だ。
犬養先生も相撲・プロレスが大好きで、犬養ゼミが始まってからお互いが
ファンであることがわかり、犬養先生は必ず私に「金曜の夜は、8時頃電話を
かけてきても出ないからね!」とおっしゃりながら、プロレスが始まると、
その時間に必ず「今、見てる? ブッチャーは、血を流さないとダメだね!」と
先生のほうから、毎回電話がかかってくる。両親は、私たちの様子を呆れて
見ていたようだが、4年生の時、阪大の長期万葉旅行で、コンパで先生に
呼び出され、プロレスごっこをした女子学生は、長い歴史上私ひとりだけで
あろう!写真も残っている。(先生にコブラツイストをかけた!)
コブラツイスト
写真、残っていました。天下の犬養先生になんて事を・・・。
先生!お許しください! でも先生がやろう!とおっしゃいましたもん。(笑)
ちょうどプロレス全盛期で、1週間のうち、月・水・金と3日もプロレス番組
があり、月曜は日本プロレス(アントニオ猪木や坂口征二)、水曜は国際
プロレス(グレート草津やストロング小林)、金曜は全日本プロレスで
ジャイアント馬場や、デストロイヤーやブッチャーなど、今も記憶にあることが
自分でも可笑しい。
阪大の委員中山君とは、何故か大阪ドームの猪木の引退試合を二人で一緒に
見に行ったことがある。親子ほど年も違うのに・・・。何で行ったのかなあ???
犬養先生の最晩年、元気もなく、気力も衰えられて、入退院をされていた頃
中山君の持参するプロレス雑誌だけは、必ず目を通されていたし、私は
先生の慰みに・・・と、UFOキャッチャーでゲットした若乃花ぬいぐるみをプレゼント
したら、枕元に置いておいて遊んでくださっていた。よかった!
「お相撲さん」の奥さんを夢見たこともあったが(笑)、実戦・テレビ観戦・
雑誌研究と結構凝り性で、「試合」そのものが好きだったのだと思う。
ちなみに犬養先生も通なので、相撲では陸奥嵐や清国などがお好きだった、
私は竜虎とか、貴乃花など、やはりイケメン好み???
グレート草津もまだ66歳は若い。元ラグビーの選手だとは知らなかった。
屈託のなかった頃の、私の青春の思い出。
小さな訃報の記事だったが、なつかしさとさみしさを同時に伝えてくれた。
しかし、やっぱりその頃から、私は「変人」だったかも。(汗)
まだまだその手の話はいっぱいあります・・・。


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