気合いだ!気合いだ×5

病は気から…その通りかもでした…。
高岡万葉まつりからはや1週間。出発の日から喉がいがらくなってきて、
本番の翌日から風邪症状はクレシェンド…。
高岡市歴史館主催のシンポジウムのコンサートは、体調もギリギリセーフ。
うたがたりの仲間との演奏で、かえって、元気を取り戻しました。
帰宅してから、すぐに診察を受け、まずインフルエンザではなく、ほっと
し、あとは鼻水・咳・鼻声の改善に日にち薬で治さないといけません。
私は健康が取柄で、ほとんど薬の免疫がないので、処方箋を飲み始めた時から
「眠い!」「ネムい!」「ねむい!」こと…。
ここ2~3日、不義理をしながら、毎夜「音のかそけき 夕へかな…」と
寝まくっております。(しかし、台風の風音には目覚めた!!!)
一昨日は、運転免許の更新でほぼ、タイムリミット。
道路交通法の改定など、1時間の講習があったのですが、もうだめ!
しかも車を運転して帰宅したなんて、内緒です。
昨日は、大学院の後期登録日。台風後の乱れたアクセスの中、登校しましたが、
ロスタイムもなんのその、移動中は終始寝ていました。(汗)
この薬の催眠はまずい…と、初日しかお薬は飲んでいないのですが、眠気が
抜けないことの恐ろしさ!!! 
きょうは、あらたな講座の開始ですので、気持ちも引き締まり、しっかり
目覚めたところで(睡眠は足りているはず!?)準備中です。
こちらは台風ので風音で、窓際で寝られない夜を過ごしたはなちゃんです。
空気が読めるデリケートなはなちゃん!
はななな.jpg はなにな.jpg

ただいま通過中?

台風18号がただいま通過中です。
近畿地方直撃は避けられ、紀伊半島から東海地方へ移動しつつあります。
意外にも雨は降っていません。しかし、風の音がうるさくて目が覚めました。
(今、風邪薬を飲んでいて熟睡していたはずなのに…です。)
思いついてブログのアップ!
先月24~26日に坂本先生のゼミ旅行で、愛媛・高知に行ってきました。
下方は、台風情報で今回も欠かせない「足摺岬」、絶景でした。
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そして、こちらは、桂浜です。
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天候にも恵まれ、おだやかに広がる最高の空・海!!!
来年のNHKの大河ドラマは坂本龍馬です。(福山雅治は龍馬にはちょっとイケメン過ぎ!)
初めての「高知」でしたが、タイムリーな旅行でした。
しかし、この海の向こうが「太平洋」なのだ!と思うと、急に雄大さが増して
感激でした。
台風の時はまた、表情を変えて恐怖の光景となっているのでしょうか。
また寝よう…っと。

素晴らしきかな、高岡市長。

9月19日にお目にかかって以来、再び高橋正樹新市長に再会させて頂きました。
高岡市の市民は幸せですね。私も思いがけず佐藤・橘・高橋三市長さまとご縁を
持つことになりましたが、みなさんキャリアも名実ともにハイレベルのエリート
政治家でいらっしゃるのは、いうまでもありません。加えてうらやましいのは、
地元出身者でおられることや、若くて、謙虚なお人柄で、常に市民目線であること
などなど…。
まだまだあるでしょうが、市民オンブズマンの母を持ち!?、時々市民派女性議員
さんの応援もしている私としては、48万人の「西宮市」は平成20年に中核都市と
なりましたが、目に見える変化や魅力のない旧態依然の市です…。(ためいき)
多選の山田市長も加齢で、白内障の手術をされてから、隔日勤務と聞き?リーダー
の資格もないですね。
高橋市長は、7月選任されたばかりで、開町400年記念、万葉朗唱の会20回…など、
大きな節目に直面され、その中でともかく日程・行事をこなされることで大変だった
と思います。万葉まつりの前夜祭でも、市長より行事に慣れ親しんだ常連の招待者に
細かいお心配りをされていて、本当に恐縮と頭の下がる思いでした。
「やっぱり!万葉朗唱のネクタイをしておられる!」と思いきや、(高岡市の地場産の
ネクタイはなかなか色柄やデザインも素敵で、かつ高岡市の行事や名所、景物などを
紹介してあるのがミゾ!)、市長は行動に伴って1日に何度もネクタイを取り換えられる
とか…。なんというサービス精神! 私も高岡市がテーマの種類はほとんど購入して、
父・弟・友人らがしっかり締めてくれています! サンクス!(笑)
この高岡万葉まつりの間でも盛りだくさんの行事に、本当にお疲れになったことと
思います。少しずつ慣れられて、今は「チェンジ」の時代! 大事なことの踏襲は
必要でしょうが、新たな時代を創っていかれることをお祈りしています。
古城公園でお別れのご挨拶ができ、リップサービスだと思いますが、私たちの
万葉SONGについて、エレクトーン譜のお尋ねがありました。
「歌いたい」という方がほとんどの中で、「演奏する」ことで、お尋ねがあったのは
初めてでした。高橋市長がエレクトーン奏者であることがわかりましたよ!!!
世代も近く、身近に感じられた瞬間でした。
前市長、橘慶一郎さんは逆風・激戦の中、7月に衆議院議員に転進され、このたびは
来賓として、自らが予算化された事業を確認するかのごとく、積極的に参加されて
いました。いつもながらの行き届いたご挨拶は、お人柄そのものです。
今年も大伴神社で顕彰祭が行われましたが、大伴家持卿顕彰会の会長は続けてくださる
そうで、うれしく思いました。
そして、初めて?顕彰祭に現役市長も参加される中(以前は代理)、「高岡市」につ
いて今年のにぎやかな節目に加え、来年の高岡市万葉歴史館の開館20周年についても言及
されたことには感心しましたが、家持卿のお見守りに感謝し、来年も佳き報告ができる
ことを祈り、誓われました。
また、今人気あるテレビ番組の「日めくり万葉集」の例を挙げられ、今日の高岡市が
あることに、犬養先生を忘れていけない…と、目先だけではない広い視野でのご挨拶で、
さすがに「市民としての」ご配慮ある橘さんのお言葉だと思いました。
私からも御礼を申し上げたいです。ありがとうございました。
そう思うと、今後の「高岡市」(富山県)を支えるにふさわしい国会議員として
これほど心強い人があっただろうかと思われます。よかったですね!
国会議事堂では小泉進一郎氏と並んで座っておられるとか。
これからテレビを意識して見ていま~す!
そして、最終日の10月4日の昼食時に、三の丸の「浪漫亭」というレストランで
佐藤孝志前々市長ご夫妻とばったりお出会いできました。ダンデイなお帽子姿で、
お元気そうでした。市長職を退かれてからも朗唱の会には参加しておられることを
存じておりましたが、お目にかかれて幸いでした。
高岡市市制100年を機に、今日の「万葉のふるさと創り」を行政で取り組み、成果を
あげて来られた功労者です。犬養先生を大事にしてくださり、犬養先生もその期待に
応えられました。一度激務から倒れられたこともありましたが、「私には17万市民の
命を預かっている!」と体調も節制してがんばられる姿に尊敬していました。
今では、客観的にいろんなことをいろんな思いで見ておられるこでしょう。
私たちも多くのご恩や、感謝を忘れることはありません。
また是非、高岡の地でお目にかかりたいです。
ああ、地元西宮でもこのような人間関係が築ければ、市政もスムーズに行くように
思いますね、一事が万事だと思いますもん!!!
高岡市民がうらやまし!?

オカモの反乱!

高岡市の古城公園の本丸広場から撮った、仲秋の名月です。
月人壮士の犬養先生は、ちょっと恥ずかしげに雲間に入ったり、また
出たりと、気まぐれでしたので、見ている私はやきもきさせられました(笑)。
「光さし 走る列車を 導きつ 我に微笑む 窓辺の望月」 
先ほど帰宅しました。今頃古城公園の水上舞台では、万葉まつりのフィナーレが
行われていることでしょう。
終始気持ちのやり場のない、やりきれない思いの高岡の旅でした。
20年という朗唱の会も、犬養先生が亡くなられた後、思いがけず「私」独りで、
半分以上の11回も万葉まつりのゲストとして大事にして頂けたことは幸せだったのだ
と思います。
佐藤孝志前々市長のもと、高岡市市制100年記念をきっかけに「万葉のふるさと」作りから
観光都市「高岡」を目指して、犬養先生の誠意・人気・集客力の協力を得て、多くの事業や
試みを重ねて来られ、押しも押されぬ万葉の故地のメッカと言われる名所となりました。
犬養先生の傍で、ずっと経過や発展を見てきた私にとっては、多くの方々のご苦労や
熱意や、深い郷土愛もしっかり理解できましたし、その間犬養先生も私も共に歩んできた
ような実感があります。でも年月は、残酷でもありますね。
手探りで不眠不休で始められた朗唱の会も、20年の間にシステム化し、運営側の市役所も
異動で担当者が交替しても、民間のお手伝いの方々も含め、時間も人間も運営も滞る
ことなくスムーズで、余裕ある運びにここ数年は、感心していました。
外来の私たちはそんな高岡を素晴らしく思い、みんなで高岡に足を運ぶことが犬養先生の
意志でもあり、最大の協力であると信じて今日までいろんな形でご紹介してきました。
個人的な素晴らしい出会いも数え切れないほどで、私自身も感謝の念が尽きません。
長い信頼が、暗黙で相互の関係を深めていったことを誇りに思っています。
その私が、どうしてこんなやりきれない思いをしなければならないのか…、今は
自分を責めたり一生懸命考えています。
今回の一連の行事を通して冷静に感じたことは、20年の間に「市民のための市民のお祭り」
に変わってしまっていたことかなと思いました。
それも「市民の手による」が抜け落ち、今の私は、昨年来都合のよいことだけに利用された
のだ…としか思えなくなりました。そして私だけではなく、共に協力された仲間の中には
高岡に不信感さえ持たれた方もあります。
今回も、お約束した招待朗唱や、また新市長様との懇談も期待しておりましたし、
尊敬する高岡市万葉歴史館のご依頼で、ミニコンサートをさせて頂く光栄もありましたので、
来越しました。
でも、偶然10月3日が犬養先生のご命日でしたので、絶対に古城公園で「観月したい」と
思っていましたので、土曜の夜はちょうど恒例の「故地交流会」が催されている時間ですし、
久しぶりにお目にかかりたい方もありましたが、出席する気持ちがまったくありません
でしたので、公園で月を見ながら、犬養先生に一方的に語りかけていました。
1昨年の犬養先生のご生誕100年祭の時は、朝、谷中の墓前祭をすませ、(佐藤前々市長も
ご参列くださいました。)私は、その足で東京から高岡へ移動して、交流会にぎりぎり
駆けつけ、いつまでも犬養先生や、我々を大事にしてくださる「高岡市」や橘市長に心から
感謝を申し上げたことをなつかしく思い出します。
犬養先生、高岡市の「万葉故地」としての存在感は、今や明日香村だけでなく奈良市も
圧倒されるくらいです。本当によかったと思う反面、時の移り行きも感じずにはおれません。
先生が恒に「初恋を思うべし」と教えて下さっていた「原点」の心から、残念ながら
人なのか、目的なのか、時間なのか、何かがずれてきてしまったみたいです。
先生は、高岡市の発信、発展、経済効果のための「万葉のふるさと創り」に共感されて
協力してこられたのですよね。
いろんな行事も、日本各地から、万葉ファンをはじめとして「高岡市」に足を運んで
もらうための企画でしたね。
今や全国的に当たり前となった「朗唱」も犬養先生の「犬養節」が受け入れられたから
ですよね。
犬養先生の宣伝効果で、「高岡市」が注目されるようになったのですよね。
犬養先生が亡くなられた後、「先生がおられないなら行く必要がなくなった」と言う人も
いました。そうではなくて、「僕はもういけなくなっちゃったけど、これからもみんなで
高岡市を大事にしてね。」とおっしゃる声が、私たちには聞こえるので、仲間たちは、
毎年心して出かけていました。
でもね、先生、犬養先生の記憶が年々薄れていく現実の中で仕方のないことですが、
「おもてなしの心」を自負される高岡の方々は、いまどなたに気配りをされているの
でしょうか。自治体同士の交流なのか、来賓への気配りなのか、自己満足のイベントへ
なのか、よくわかりません。
そして私のこと。
もちろん大したゲストではありませんが、以前は担当者がおられ連絡があったり、
私の動向の把握ぐらいはされていました。でも今回は極め付けで、もはや勝手に来て、
勝手に帰ったらいいだけの存在で、(自由ではありましたが…。)気にも留められない
程度の招待者だったのだ…と鈍い私は、ようやく気付きました。
アホですね。(笑)
先生とご一緒して伺った9年間、そして亡くなられてから11年間、ご招待頂き、
素敵な思い出をたくさん作らせて頂いた幸せを感謝しています。
でもさびしいですが、1つの時代が終わったことも実感しました。
個人的には、通い続けたい故地ですので、これからは気の向いた時や、季節に寄せて
心から楽しく訪ねることにしたいです。大好きな高岡市万葉歴史館で読書もしたいですし…。
これで「高岡」をきらいになってしまいたくありませんから…。
 見上げれば 空の高みは 輝けり 我を励ます 十六夜の月 (おそ松くん!)