4月5日 松愛会バス旅行
さくら・さくら・さくら。
4月5日は、清明の日。昨年も一昨年も「氷上のかたかご」を見に行った日です。
奇しくも同じ日のバス旅行は、1月にご縁を頂いたパナソニック松愛会(OB会)で、クラブ
活動の一つである「見て歩こう会」が主催されたバスツアーに参加させて頂きました。
…と言うのは、交野支部では、念願であった松下幸之助さんの生誕地を訪れて、そこにある
お墓にお参りをするという企画の旅行だったからです。
新年会の総会で、私は「松下幸之助と万葉集」というお話をさせて頂きましたが、その時に
門真市にパナソニック・ミュージアムがあり、私が古都明日香記念財団からお借りして、
当日持参した「高松塚に天皇陛下をご案内されている写真」が、そこにあることや、また
西宮市の名次町に松下家のお邸があるけれども、幸之助さんが住んでおられた建屋は、枚方市に
移築されていることや、私が希望すればどちらもいつでもご案内をしてくださる旨、
お声をかけて頂きました。
そして、加えて4月5日の計画を教えてくださり、お誘いを頂きました。
一瞬、4/3の備前の旅、4/7・8のサロン3周年行事の準備!!!が頭をよぎりましたが、
めったにないチャンス。犬養先生の言葉通り「今しかやれないことをやりなさい!」…と、
山寺さんと二人で参加表明をしました。
結果、素晴らしい紀伊の国の桜の見ごろの日とも重なり、「行ってよかった!」と
思いました。犬養先生、背中を押していただき、ありがとうございました。
目的はまず、松下幸之助さんの生誕地を訪ねること。和歌山県の市内に近い和佐村にあり、
「松下幸之助」生誕の地という標柱やプレートもありましたが、そこには松下公園という
「松下」と名のついた公園もあり、全員で記念写真を写しました。
さくら、さくら、さくら。
そこには、松下幸之助さん(松下家)の墓所もあり、参加者全員でお線香をあげてお参り
させて頂いたのですが、実は思いがけない感動がありました。
それは、能天気な私が心の準備もなく、参加したせいもありますが、山寺さんは予感が
あったそうです。
その松下家のお墓には、3年前に亡くなった松下正幸さん(孫)の夫人、昌子さんが
眠っていたのです。
昌子さんは私と甲南女子校で10年間過ごした同級生でした。
50代で、またご長女の結婚式を数日後に控えての訃報だっただけに、私たち同級生は
本当に悲しいご葬儀だったことを思い出します。
「オカモ、声をかけて!」と言われて、霊柩車が出発する時に「よし子ちゃん、さようなら」
と私が叫びました。
その墓所が和歌山県のこの地にあるとは夢にも思いませんでしたし、偶然参加したこの旅で
幸之助さんとともに、昌子さんのご霊前に向かえたことを本当にうれしく思いました。
山寺さんが「よかったね。御霊には、お墓の石を撫でてあげるといいっていうよ。」と教わり、
恐る恐る墓石を撫でました。それを見ておられた方があったようで、「松下さんの墓石に
触れていたのは、あなただけでしたね。」と言われました。
友人たちもここまでお墓詣りに来ることはきっとないでしょうから、本当に友人代表で
墓参ができたことは、くすしき巡り合わせでした。
その後の旅の目的地は、和歌山城と紀三井寺でしたが、紀三井寺の副住職がおっしゃるに
気象庁の開花標準計のある紀三井寺に前日「満開宣言」が出たそうで、1年365日ある中で
桜の最も美しい「選ばれた1日」にやってきた私たちの幸運をほめてくださいました。
万葉の「和歌の浦」を背景に紀三井寺で写して頂いた写真です。
さくら、さくら、さくら。
そしてオカモの写した「芸術写真」。紀三井寺の塔と桜です。青空に映えて美しい光景でした。
ベストショットといったところです。いかが???
最後に、「めっけもん広場」というJAの経営している激安市で、お野菜やミカンやなど、
「主婦」のお買い物をおみやげに買い込み、帰途につきました。
バスも時間通りに快適に走行し、予定通りに帰着。
ただし交野住民の行事ですので、私と山寺さんは行きも帰りも「河内磐船」駅集合ということで、
朝は早く、夜は遅くなりましたが、本当に楽しくて、貴重な思い出の残る1日となりました。
9月には、私が松愛会の方々を明日香村へご案内することになりましたが、個人的にはまず
パナソニックミュージアムへ伺わせて頂きたいと思います。
縁が深くなり、なんだか私も「松愛会」の一員になったような気がしてきました(汗)。
♪「明るいナショナル! 明るいナショナル!!!」♪