今、サロンで・・・。

阪神淡路大震災の18年目の今日、亡き人を思う。
同級生のお嬢さんは、娘と同じ年だった。ピアノの生徒さんのおばあちゃんや、
甲南女子大学の犬養ゼミのお仲間のご両親や、身近な「悲しみ」を私も間近で
体験してきた。つくづく私や、家族が幸運にも生かされたことの「重み」と感謝を
思わずにはいられない。
その今日、私が昨年あとから訃報を知り、思いがけないお別れをしてしまったお二人の
ことを記しておきたいと思う。
お1人は、作曲家で、シンセサイザー奏者の東祥高さん。ご本人の意思ですぐに世間には
公開しないとして、新聞の訃報欄では亡くなれて2ヶ月経った12月に公表された。
東さんは、かぎろひの里、大宇陀のご出身で、平成8年の「かぎろひを観る会」でお親しく
なった。それまでも文書やお手紙で『万葉集』についてのお尋ねや、私たちの活動を
聞いてこられたり、やりとりはあったので、存じ上げていた。
私もかつてフォークバンド「5つの赤い風船」のメンバーだった東さんが、脱退・独立
してシンセサイザー音楽をやっておられることを知っていたが、ご縁ができるなんて、
夢にも思っていなかった。
平成8年は、「かぎろひを観る会」に、私たちはゲスト出演させて頂いたおかげで
東さんやスタッフの方々と一緒に食事をしたり、地元のペンションで仮眠するまで
ゆっくり過ごさせて頂いたので、東さんの人となりを知ることができたように思う。
その頃も、ヘビースモーカーで、食事は好き嫌いが激しくて、お酒はとても好きな人
であることはよくわかった(笑)。
そのことが直接のきっかけとなり、東さんが地元の依頼を受けてCD「かぎろひシンフォニー」
を制作される時に、私の「阿騎野寒暁」の歌も挿入したいということで、東さんが編曲され
た。
それを万葉うたがたり会が歌唱するということで伺った、東さんの音楽スタジオが
なんと今のTSUBAICHIの大淀南の町内のマンションだった。
まさかその近くに今私たちがサロンを構えようなんてつゆ知らず…の頃。
東さんは、犬養先生のイベントで大阪城ホールで行われた「一万人の万葉衆」の
オープニングで演奏されたり、私も何度か大きなイベントでもご一緒させて頂いている。
そして、2010年の平城京遷都1300年記念イベントで、「平成の歌垣」という歌垣を
ベースにした音楽劇があり、私も歌博士という役で1週間出演させて頂いたが、
企画からシナリオをおこす前から、シナリオ作家と演出するイベント会社と東さんが私の
サロンに何度か足を運んでくださり、「万葉歌」の選定と、曲想などについての相談に
私も関わらせて頂いた。
そして遷都祭のオープニングイベントとして行われた「平成の歌垣」は、大好評だったが、
音楽担当でもあり、全部の作曲を手がけられた東さんは、何と「意に沿わない」仕事と
公言し、終始私にも不機嫌だったし、特に私の出演に関しては、素人のくせに…と
いやだったようだ。でももがんばりましたよ!
そして昨秋、思いがけなく平城京の天平祭で、2年ぶりに再演された「平成の歌垣」。
私の再出演が決まり、1回目の顔合わせの10月に、1週間前に亡くなられたばかり・・と
東さんの訃報を知った。信じられなかった。
2年後の「平成の歌垣」の再演が決まったことで、私はまた東さんに辛口で皮肉なイヤミを
いっぱい言われるだろうな…と思っていたが、反対に、この時期に再演のこの機会が
めぐってきた事の偶然に本当に驚いた。
結果はブログで記したとおり、当日は、めずらしい大雨で、結局出演者のラインナップ程度の
「中止」状況だった。
残念だったが、東さんの涙雨なのか、全力でイベントを阻止されたのかよくわからない。
しかし、確実に亡くなられたばかりの東さんを偲ぶ大きな機会であった。
東さんは『万葉集』を素材に歌う人が増えていく中で、私を評価してくださっていたようで、
いつも本当に辛口ではあったが、細々と個人で万葉活動をする私を信頼してくださっていた。
本当に思いがけないお別れに、切なさがこみ上げてくる。
12月29日の早朝、大宇陀では41回目のかぎろひを観る会があった。
いつもロングコート姿で、かっこよく参加される東さんの姿はもう見られない。
新春のTSUBAICHIでは、東さんとの思い出の多い、「かぎろひ」の写真を飾った。
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そしてもうお1人のさようなら…は、万葉スケッチ画家の冨田利雄さん。
奥様からの喪中はがきで知った。
油絵の前衛的な画風から一転、万葉故地の繊細なスケッチ画で、冨田さんの万葉故地世界を
作り出された。
私も万葉歌のCD制作で、最初の「恋歌vol1は、冨田さんの「二上山」のスケッチ画で…と
こだわり、冨田さんの個展で購入した「絵」をもとにジャケットに使わせていただいた。
その後も犬養万葉顕彰会で、テレホンカードを作成させて頂いたり、「万葉の仲間」として
長いお付き合いだった。
お目にかかる機会も少なくなり、時々「お元気かな…」と思い出してはいたが…。
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お二人にこれまでのご縁とご厚情に感謝しつつ、サロンで私の追悼をさせて頂いている。
ありがとうございました。またお目にかかるまで…。
私には、CDでお二人の音楽と絵が残りました。永遠に。
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