中村勘三郎逝去に思う。

歌舞伎界の革命児と言われた中村勘三郎さんが逝った。
私がデイズニーランドに出かける日、早朝からテレビで逝去のニュースを報じ、まさかと
驚いた。
弟と同じ年の、昭和30年生まれの働き盛りだ。
素人の私の知識では、四国の金毘羅歌舞伎、平成中村座などで大衆に広く身近に「歌舞伎」の
魅力を伝えようと、実際に行動的に実践した人である。
「梨園」といういつの間にか特権階級の家柄のようにおさまっている歌舞伎の役者の世界に
ダメ出しをして、「芸人」である本来のサービス精神を発揮し、江戸時代からの大衆歌舞伎を
目指した姿勢はニュースで知っていた。
人生の平均寿命から言えば、志半ばにして天に召された勘三郎さんのことについて、テレビで
福岡県の嘉穂劇場の2代目主人伊藤英昭さんが、インタビューを受けておられた。
そうそう、地方の芝居小屋を愛した勘三郎さんは福岡県飯塚市の嘉穂劇場の舞台も何度も
踏み、2003年夏の集中豪雨で同劇場が壊滅的な打撃を受けた時も復興支援イベントに
駆けつけた。嘉穂劇場復興支援の時も歌舞伎、大衆演劇というジャンルの分け隔てなく、
同じ役者として接してくれ、本気で嘉穂劇場復興を望んでくれた…という思い出を話されて
いた。
嘉穂劇場と言えば、2005年に福岡県の筑豊地域の嘉麻万葉を学ぶ会の主催で「全国万葉
フォーラムin飯塚」が開催された、その会場となった場所だ。当時の外務大臣の麻生太郎
さんが、ようこそ飯塚へ…、そして日本一の芝居小屋嘉穂劇場での開催を喜んでくださった
お祝辞が思い出される。
万葉フォーラムの開催予定を決めてから直後、2003年の集中豪雨があり、水につかった
惨状の嘉穂劇場も、また明石家さんまや、津川雅彦、また中村勘三郎さんなどが、先頭に
たって復興に立ち上がられて、2005年に予定通り元の姿を取り戻した嘉穂劇場で、
記念すべき全国万葉フォーラムが滞りなく行われた。
そしてその伝統ある舞台で、岡本三千代と万葉うたがたり会の「万葉うたがたりコンサート」
を経験させて頂いたことをまざまざと思い出した。
確か嘉穂劇場の入口には勘三郎さんの場面を書いた看板があがっていたように思う。
テレビでも追悼番組が続く。
「歌舞伎」のために情熱を傾けられたその功績は、必ず引き継がれていくことだろう。
勘三郎さんの死を無駄にしないためにも…。
さがしたらようやくありました。娘も出演できた嘉穂劇場。会場での貴重な親子写真です。
翌年の年賀状としてみなさんにお出ししました。この小屋にも勘三郎さんのたましひが
あったのですね。心からご冥福をお祈りいたします。
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