河内家菊水丸さん、来演!
台風の影響もあり、終日の雨で心配でしたが、定員以上のお客様が入場して下さいました。
たまたまこの日は、日中にサロンレンタルがあり、終了後、夜の菊水丸さんのステージ変換に
時間的にタイトだったため、それも不安でしたが、中西さんや、乾さん、そして、前回
落語の高座の為に作って頂いた明日香の真木でできた舞台を再び、荒川さんに準備して
頂き…と親しい仲間の大応援のもとに、用意が整いました。みなさん、ありがとうございました。
そして、予定の時間どおりにスタート。私のご挨拶のあと、まずは、菊水丸さんを呼び込む
太鼓の演奏からはじまりました。
サロンに初めて響く「和太鼓」の音色です。残響もよいと思いましたが、地響きのような
振動は、和太鼓の迫力を身近に経験させて頂きました。
太鼓の名手は、三条史郎さんです。力まず軽いばちさばきで、「打つ」スピードで強さを
調節する奏法をご披露頂きました。それも利き手の右だけではなく、左手も同様に打てる
その技は日本で三条さんだけのようです。すごい!!!
ギターの石田雄一さんもスタンバイされ、いよいよ太鼓に呼び込まれた菊水丸さんの登場です。
やっぱり、颯爽とかっこいい!!!
3人揃われたところで、「ええ~、さてはぁ~、♪」・・・とおなじみのフレーズが・・・。
私はご挨拶のあと、裏へ引っ込んだのですが、いやいやせっかくのステージを、やはり
正面から聞きたい!と思いあわてて客席の方へ。
サロン行事では、必ずプログラムを作成するのですが、今回は菊水丸さんから、必要なし、
またサロンもできるだけシンプルな空間にしてほしいと言われていたにも関わらず、日中の
レンタルの時に掛けていた絵画や拓本の軸を外すことを忘れていました。ごめんなさい。
「大丈夫! 裏にお札は貼ってありませんから・・・。」?????
もう一人のお囃子方のギタリスト、石田さんは、神戸市長田区で阪神淡路大震災でご実家が
全焼された被災者です。星稜高校の時からギター演奏の腕をかわれて活躍されていたとか。
大学生の時に菊水丸さんとの出会いで、この世界へ。今では菊水丸さんにとってなくては
ならない音頭取りのためのパートナーでいらっしゃいます。
星稜高校は、私の出身地の神戸市垂水区にあります。なつかしい!
世代的には、山寺さんと同じ年だったみたい!!!(笑)
菊水丸さんの河内音頭は、毎回微妙に節回しが違うそうです。その歌に太鼓とギターのお囃子
方が確認し、合わせていくそうです。絶妙な呼吸なのですね。
出し物は、2作で、大石内蔵助が、いよいよ吉良の仇を討つために東下りをする時の
「大石東下り」。内蔵助が名乗る名は作品によれば、垣見左内と立花左近と2種類の名前で、
出てくるそうですが、途中「本人」と出くわして危機一髪、ばれるのを逃れた話と、
「九代目横綱」は、秀ノ山雷五郎の人情相撲のお話。場所が宮城県気仙沼出身の相撲取りと
言うことで、東日本大震災の起こったことを思い起こされて、この作品を世に出されたよう
でした。最近「八百長相撲」で、角界の値打ちが下がりましたが、昔から八百長はあった
ことを高らかに歌うものでしたが、「人情」や「犠牲」が働く「日本人」の気質に沿った
八百長は、許されるばかりか、その心根に泣かされるものですね。
その人物がやがて横綱になる!ジーンとするストーリーの河内音頭でした。
大作の間には、菊水丸さんの軽妙なエピソードトークや、友情あふれるメンバー紹介。
また、新聞詠みから伝統河内音頭継承者として、シフトチェンジされましたが、正調河内音頭
のルーツである、各地域に伝わる節や、尊敬される京山幸枝若師匠の浪曲を歌ってくださり、
「河内音頭」≒盆踊りのレパートリーという感覚から、「聴かせる音楽」であることの実感を
しみじみ得ました。いみじくもサロンで「河内音頭を聴く会」を催せたことをうれしく
思いました。
菊水丸さんも経験と加齢が、ますます古典芸能としての価値と伝承の必要性を強く感じて
こられたようですが、同時に原点である亡き人を追悼・供養する盆踊りの「音頭取り」として、
日本の習俗にも照らして、使命感を持って櫓を回っておられます。
いろんな場面を拝見して、ますます尊敬とあこがれが増しました。
そうでなくてもなぜかドキドキする素敵な菊水丸さんともちろん記念写真をとらせて頂きました。
本当に素晴らしい感動の時間をありがとうございました。
来られた方々が口々に「またやってくださいね!」と大感激!!!
私たちも心から御礼を申し上げます。またTSUBAICHIで、河内音頭を聴かせてくださいね。
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