信じる!

仕事場兼住居を移ってから、ほぼ10か月が経つ。
新たに日常で出会った人たち。出会いは毎日毎日広がっていく。
先日、たまたま出かける前にドアホンが鳴り、宅配しか訪れる人のない塒に
ある人がやってきた。梅田でバッグをひったくられて、無一文になり、出会って
わずかな縁である私を頼って来られたのだ。ともかく、1万円お願いします…と。
以前親切心から、人に工面してあげたことがある。結局大金をだまし取られてしまい、
相手を信じていただけに、私はお金よりも自分の行為の不条理にいまだに納得ができない
部分が残っている。
その時に、救いや助けについては理解を示してくださるはず…と思って話したカトリック
教会の司祭も「お金の貸し借り」だけは絶対してはいけないときっぱり言われたことも
私には意外だった。弱者に対する行為と「お金」の問題は違うのだと思い知らされたこと
を思い出す。
両親は、もうすんでしまったことに対して、私を特別に責めなかったけれど、すっかり
信頼をなくしてしまった。そして、「お金を貸す時は、さしあげると思いなさい。」と言った。
私自身も万葉うたがたりの活動上、宵越しのお金は持たない?!主義ではないが、恒常的な
赤字会計ではありながら、なんとか過ごしてきたことは奇跡的かも。(汗)
その間、一度だけ、阪神淡路大震災の時、私と娘が利用していた西宮北口の自転車置き場の
数年来の顔なじみの管理人さんが、私たちも被災して失念の日々を送っていた自宅マンション
までやって来られた。自宅が全壊し、すべての生活を失ってしまい、途方に暮れた結果、
私たち親子を思い出されたのだと思う。
当座の生活費として、確か十万円貸してほしい…と言われた。私たち親子といつも笑顔で
挨拶を交わし、娘は、演劇部だったので、甲南女子高校の文化祭に来て頂いたこともあった。
私たちも被災してお金も心の余裕もない時だったが、こんな時にこそ役立ちたいと思った。
しかし、母が代わりにきっぱりお断りをして、その後、震災後の混乱と共に縁はなくなって
しまった。今でも娘と「あの時、少しでも協力してあげたらよかったのに…」と、母を
責めたことや、おじさんのことを思い出すと胸が痛む。
でも、母の態度があたりまえなのだろう。私は力もないのに助けてあげたいと思うことが
まず傲慢なのだ。今回もいろんなことが頭を過り、私は申し出にどうすればいいのか、
また神様に試されているような気がした。
「月末には返しますので、まず娘のところへ行ってきますので…。」
縁の薄い私のところへ…というのはよくよくのことだと思ってしまう私。
母の言葉通り、これは差し上げたことにしよう。そしてもし返してくださったら、役に
立てたということだ・・・と思い、お渡しした。胸がドキドキした。
そして、今朝、2週間後の今朝返しに来られた。「またあらためてお礼はさせて頂きます。」
と言われたが、私は、ともかくうれしてうれしくて、ほっとした。
過去の経験や失敗は教訓にはなるけれど、人の心に向かうことのむずかしさは毎度のことだ。よかったあ!
このことは、誰にも話せなくて、誰にも言えない私の秘密だったけど、結果オーライ!
みなさま、銀行の帰りを狙ってる人があることに、お気をつけくださいませ。
備前で頂いたカサブランカが連日大輪の花を咲かせている。香りも素晴らしい。
私の心の中も花が咲いたような、きょうは、さわやかな1日だった。


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