くじら企画「山の声」を見て。

娘の奨めと、遊劇体の村尾オサムさんが出演されることもあって、日本橋の
インデイペンデントシアターまで、芝居を見に出かけた。
日本橋はほとんど行ったことのない知らない地域で、家電などの電気街として、
独特の雰囲気の場所だった。秋葉原ともちょっと違うが、はやりのメイド喫茶も見つけた。
新聞にも話題作として、取り上げられていたこともあり、私も行きたいと思っていたので、
昨夜娘の方から「明日が千秋楽やけど、どうする?」と連絡があった。
明日香村の犬養万葉記念館のかるた会に行くのをやめて、芝居を見に出かけた。
娘から連絡があったのも、予約は満員だけれど、早めに行けばなんとかなるということで、
ずいぶん人気があるのだな、さすが話題の作品なのだ!と思っていたが、会場へ行ってみて
今回の様子がだんだんわかってきた。
1つは作、演出の大竹野正典氏の追悼公演だったこと。2つ目は、3作を追悼の演目として
去年の8月、10月に次ぐ、最後の機会だったこと。そのせいか、開場前から人があふれ、
会場の人の雰囲気がなんとなくあわただしく、熱い。消防法違反であろう人入りで、身動き
もできないほどの満員。そして観客の私は、芝居の前に大竹野氏の追悼の芝居であることを
初めて聞いた。
芝居は「山の声」と言う、実際の神戸のクライマー加藤文太郎氏を主人公とした山岳ドラマ
で、かつていくつも読んだ新田次郎さんの小説を思い起こすような、冬山の遭難の物語
だった。作者の大竹野さん自身が山登りをされる人でもあったことから、実際のモデルの
事件をベースに書かれたものであるが、登山の経験から描かれた部分もあったであろう。
2時間近い舞台は、遊劇体の村尾さんと、主役の戎家海老さんの二人芝居で、雪山が舞台
になっている。観客には、これから起こる「遭難」についてのドラマの行く先は見えるの
だけれど、その経過や、人間と自然が切なく、きびしく、悲しく重い。
私は今回、一般人が「山に登ること」の目的は、一体なんなのだろうと思った。
登山の途中や、達成した時の景観を見て、喜びや、自然に対する驚異と感動が生まれる。
その経験から、次は求めて目標や憧憬として、登山の目的になっていくのだろうと思う。
主人公の加藤氏だって、一人の「単独行」の寂しさや孤独感を感じながら、登山することの
無意味まで思いながら、登山していたなんて…。
加藤氏の劣等感や、集団に馴染めない逃避が、大自然の世界に向かわせたのか?
いつもなら、単独行で、自分を守るための周到な準備や読みが、親しい二人でパーテイーを
組んだ最後の時に遭難をしてしまう。それは、他人へのふとした甘えや、自信がスキと
なってしまうのか。あまりに皮肉である。
また大自然は、心を癒す魅力もあるだろうが、一瞬にして私たちを陥れる悪魔のような顔も
持っているのか。それとも残酷ではあるが、山を愛する人たちを山に神隠ししようとする
のか。
結果は「遭難死」という現実しか残らないが、愛する人や家族を残してまで、困難な山に
向かわせる「登山」の魅力は何なのだろうとあらためて考えた。
今日の芝居の主張で、社会で生きる「自分」の悩みや苦しみを癒してくれる行き先として
登山に向う加藤氏。そして費用がかかるので「単独行」にならざるを得ない現実。
登山の山中でいじめにも近い、マナーと言う名のリアルな人間関係。
単独行で得られなかった感動の共有の機会が、遭難に結びついた皮肉。
雪山で記憶が薄れていく時の幻想の世界が、本人にとって往生際の幸せであること。
それらの場面を見ながら、登山は健康的で男性的で、冒険心を満たすスポーツ的な印象を
持っていたが、きょうは「そんなにまでして、どうして登山するのやろ」と、登山者の心の
葛藤など、今まで考えたこともないような、登山の断面に触れ、これが、大竹野さんの
世界観なのかもしれないと思った。
大竹野さんは、2008年に、京都の日本海で水死と言う、不慮の事故で48歳の若さで
逝去された。娘も面識があったようで、期待される作家・演出家であったようだ。
その追悼が、大がかりに3つの作品の上演と言うことで、きょうが最後だった。
演劇界での高い評価と裏腹に、亡くなった時に、新聞の三面記事で単なる会社員の
水難事故死として扱われたことが、演劇関係者の中ではたまらなく悔しかったようだ。
インターネットを検索すると、後に毎日新聞が、劇作家・演出家として訃報記事として
訂正、あらためて掲載したことで、大竹野さんの尊厳を守られたことに関係者はとりあえず、
納得されたようだった。そんな有能な劇作家の作品上演だった。
永山則夫や、宮崎勤や、事件を素材にして戯曲を書かれるシリアスなタイプ。
今日観た「山の声」も、帰宅して家に入るまで、登場人物の中村さん、吉田さんのことを
考え続けた。友人の死を見届け、置き去りにしても前進する悲しさはなんなのだ。
山で語り合った本音の会話は、山の神が封印してしまうのだろうか。
「山」は、やさしいのか、冷たいのか。
そうそう、昨年テレビ録画した「剣」の映画があった。
「山の声」も剣岳が舞台だった。いよいよ見ようと思っている。


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