万葉ラジオウオーク無事終了!

オリンピックがはじまってしまいました。(汗)
2月11日(木・祝)に無事?ラジオウオークも終了しました。
今回はもちろん平城京遷都1300年記念を意識して企画されたコースでしたが、
国や奈良県・奈良市の複合的に管理された「文化遺跡」なので、天下の毎日放送
と言えども、規制や使用のむづかしさの「枠」の突破ができなかったようでした。
集合・解散・移動等「大人数」は危険だということや、私たちのイベントを始め
機材の設置や、大音量を発するものはダメということで、肝心かなめの「平城宮跡」
はウオークコースとして立ち寄る場所扱い!?のようでした。
結局佐保川小学校で終日過ごした「万葉うたがたり会」としては、やはり
第2次大極殿址の基壇の上などで歌いたかったな!!!と思いました。
今回のテーマではありながら、近くにいて「平城京跡」を歩かずに帰ってきたことに
ちょっと悔いはあります。
私は機会もありますが、うたがたり会のメンバーは絶好のチャンスだったので、
お天気ならば、時間待ちの間に見学を促せたかもしれませんが、この雨の寒い中
出演してもらうだけでも申し訳なかったくらいで…(汗)。
11月3日(水・祝)には、平城京跡の特設舞台、まほろばステージで30分間
万葉うたがたりコンサートをさせて頂きますので、その時こそ、のびのびと
古代の歴史の息吹に囲まれて万葉歌を演奏させて頂きたいと思います。
第2回から参加の青山先生も80歳を超えられ(大正生まれとか!?)かつての
犬養先生のように、放送局のご配慮で全行程踏破を阻まれ、ちょっとご不満
そうでしたが、来年でこのイベントも30回ですから、本当に長寿番組となった
ものです。
思い返せば、扇野聖史さんの著書「万葉の道」を歩く!イベントとして、
広告代理店のクリエイト大阪の松田一二さんが、毎日放送に企画を持ち込まれ、
実現した画期的な「ラジオカルチャー放送イベント」が始まりました。
そして扇野さんの恩師でもあり、「万葉を歩く」大先輩でもある犬養先生の
出演は当然でしたし、第1回が1982年(昭和57年)に始まりました。
私はその記念すべき時から、犬養先生のお伴で参加しているのです。
その後、人麻呂楽団や万葉うたがたり会の出演の時以外は、犬養先生と一緒に
歩きました。なつかしいです。
必ず犬養先生にバレンタインのチョコをくださるご婦人や、犬養ファンの巷の人気を
目の当たりで見てきました。車で同乗したり先生の隣にいる私に羨望の視線が
集まっていた実感も思い出します。
犬養先生が亡くなられて、翌年の平成11年(第18回)に出演して以来、ラジオウオーク
とのご縁が薄れ、犬養先生の後、松田さん、扇野さんも亡くなられて、当初の
ラジオウオークのメンバーが姿を消してしまいましたが、ラジオウオークは毎日放送の
人気パーソナリテイの動員力もあって、新たなファンもでき、変わらぬ人気番組として
続いてきました。
そしてうれしいことに、平成18年(第25回)に7年ぶりにオファーを頂き、再び出演を
させて頂くことになったのです。とてもうれしかったことを思い出します。
私には「このイベント」はやはり犬養・扇野・松田さんあっての番組だと言う強い思いが
あるので、私が残党としてでも参加できることで「遺志を継いでいる」ような意気を感じて
います。
また、来年30回ということで、私たち万葉うたがたり会も30周年ですが、同じ
時代を歩んできたことに今頃びっくりしました…。(笑)
ラジオウオークでは、必ず「テーマコース」に沿った万葉歌を演奏させて頂いていますが、
これも「万葉を歌う」私たちの自負心でもあります。
ただし、30年の月日は私に残酷でもあり…。
ステージ上の黛まどかさんや、八木沙希アナウンサーなどの若さと美貌に本心から
惚れぼれしました。仕方ないっか!


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