0系新幹線に想う

今日11月30日で、昭和39年にデビューした、0系新幹線車両が引退する。
私が小学校6年生の時のこの画期的なニュースに、私は「夢の超特急」
と言う作文を書いており、今も手元にある。なつかしい。
あれから、44年も経つのだ。
その初代新幹線の車両設計に関わられたのが、犬養万葉顕彰会の役員で
あった、鈴木光雄さんだ。阪大生の頃、犬養先生のお伴をされて、写真班として
活躍され、犬養先生の名著『万葉の旅 全3冊』(社会思想社編)の中巻の表紙の
「浜木綿」の写真は、鈴木さんの作品である。
0系の設計・試行に尽力され、若き鈴木さんは、実現した時には、新婚旅行で是非
妻を乗せたいとおっしゃっていたそうだ。(プロジェクトXの世界ですね!)
いよいよ引退の今日をどのような感慨で迎えておられるのだろうか。
先日、旅先で病に臥され、ショックだったが、現在治療中でおられる。
44年もがんばったことに、愛着も込めて「お疲れ様!」しかないかな。
多くのファンが、最後の姿を見たい、乗りたい、写真に留めたいと、
朝からのニュースでも大賑わいだ。
新幹線そのものの姿ではなく、44年間をともに過ごした自分との「時間」への
名残が感慨になっているようにも思える。
昭和の風物詩が、またひとつ消えていく。
もう44年といえば、東京オリンピックも昭和39年だった。今、東京へ誘致活動を
していることが、一時代を感じさせる。
また、私の「親友」斎藤さんとの出会いも甲南女子中の受験の時が、初対面だった。
それから44年の絆は、ご主人との付き合いなんて、くそくらえだ!(笑)
子どもであった時から思春期を経て、娘から妻となり母となり…長い月日を
いつも鏡を見るように過ごしてきた。会えば、いつでも女子学生のままだ!
これからも、私は「娘子」でい続けることでしょう!!!
ただし、玉手箱を開けないようにしなきゃ~。


0 返信

返信を残す

Want to join the discussion?
Feel free to contribute!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA