古代のロマンの復元!

この写真は、昨日明日香村飛鳥の「飛鳥寺」の西門の近くで、甘樫丘を背に植樹された
「つきの木」です。
2011年の2月11日に毎日放送の万葉ラジオウオークが30周年という記念の節目を
迎えたことを記念して、この記念植樹が行われました。
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第1回から企画や、準備に携わってこられた太田兼三郎さん(元毎日放送アナウンサー)が、
ご挨拶で、30年間に亘ってずっと関わってこられて、古代や万葉時代のラジオウオークの
コースは奈良県を中心に各所尽きないけれど、何といっても「明日香」の地は特別で、古代の
万博会場と言える魅力的な場所だったのではないかと述べられました。
飛鳥寺をはじめとする寺院などのパビリオン、古代の宮に見られる池、庭。謎の石造物は
水の流れるエンターテーメント、そして中大兄・鎌足の出会ったつきの木広場…と例えられ
太田さんのこだわりの中で、万博ならば「太陽の塔」にかわるシンボルとして、そびえたつ
大きなものが欲しい…、とそれが今回の「つきの木」の植樹となったことを伺いました。
何と楽しく、遊び心満載の洒落た発想だろうと感心しました。
そもそも30年前のラジオウオークが始まる時の会議に私も参加していましたが、クリエイト
大阪社長の松田一二さんが、ソニーのウオークマンを聞きながら「故地を歩く」発想と、
福徳相互銀行重役の扇野聖史さんが自らの足で歩かれて書かれた「万葉の道」と言う本を
売り出す方法として、両者が結び付いて生まれた企画でした。それを毎日放送のラジオ局局長
の郡庸一郎さんがラジオ番組の企画として、「ラジオカルチャー」「ラジオウオーク」という
ジャンル、機会を作ってくださったことが、今日に続いているのです。
そして、われらが犬養孝先生の監修と協力なしにはできないので相談しながらスタートした
イベントでした。30年も続いたのですね。すごい!
犬養先生は、第16回まで参加されました。17回は、気にしておられたのですが、私たちで
体調を思い、無理やり出演を取りやめて頂いたので、犬養先生が気にされて、気にされて
とうとう私が、その後1週間あまり経った、2月19日に二人で明日香村へ行ったのです。
その機会が犬養先生が明日香村へ行かれた最後になりました。(追悼文『明日香風とともに』
に寄稿しています。)
飛鳥寺の西門近くのつきの木広場を再現したい…目的でもあるので、このたびの植樹の儀式は
飛鳥寺の上島副住職の読経の中、行われました。
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昨日の雨以上に、豪雨の中西宮から出てきましたが、何と植樹のセレモニーの間は雨もやみ、
私たちは何と幸運なのでしょうか。青山・猪熊・上野先生ら出演者をはじめ、毎日放送、
毎日新聞社、明日香村村長・教育長など・・・スコップでつきのきに土をかけて…。
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これは、「木」に添えられた副碑です。このたびの「思い」がつづられています。
ラジオウオークでおなじみの柏木宏之アナウンサーが司会・進行で取り仕切ってくださいました。
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上島飛鳥寺副住職の「飛鳥は聖地である。日本の「聖地」である意識が、京として古代から
今の遺跡に至るまで続いているのだ。」と力強く述べられました。
ふむ、「日本の聖地」か!
そして、毎日放送のラジオ局の局長が、1400年の飛鳥の長い歴史に、古代を彷彿とさせる
「つきの木」のあらたな歴史が、新たに加わったことの意義を述べられました。
松田さん、扇野さん、お元気だったらこのような企画はお二人がなさったことでしょう!
良かったですね。我ら万葉衆はいまも健在です。
私も「万葉」の世界を率先して楽しむ一人として、「遊び心」に満ちた楽習を続けますね。
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最後に、私も横に立ち、植樹のつきの木の「大きさ」はこれくらいです。
そうそう万葉時代のつきの木は、今の「けやき」のことです。
ラジオウオーク30回おめでとうございます。31回目のコースはさて、どこだ!

奇跡の一日

時候の良い時に一度明日香村へ…と、コープ宝塚の万葉講座の方々と現地へ出かけるべく、
準備してきた、5月10日がやってきた。
昨日の天気予報は、降水率80パーセント、そして台風1号の接近などで、絶望的!
ともかく午前中だけでもなんとか、もってほしいと祈るような気持ちで目覚めた今朝は
既に雨が降っていた…。ショック!
楽しみにされていた皆さんの顔を思うと、「ズバリ雨の日」というのが、申し訳なく、
重い足取りで家を出た。万葉旅行で、私が自宅から長い柄の傘をさして出かけることが、
はじめてではないかと思えるくらい、めずらしい雨のスタートとなった。(泣)
ところが、ところが、近鉄電車に乗ったとたん、雨から光も射してきて、「晴れてる!」
私だけではなく、「テルテル姫」と言われる北辻さんをはじめ、晴女の威力があったかも。
たいへん蒸し暑かったが、台風のおかげ?で、風も強く、救われた。
甘樫丘→水落遺跡→飛鳥坐神社→小原→奈良県立万葉文化館→明日香民俗資料館→
石舞台公園(夢市茶屋で、昼食)→石舞台→橘寺→川原寺→伝飛鳥板蓋宮跡→犬養万葉記念館
のコースを歩き、万歩計で計測したところ、約8キロ歩いた。
初めての明日香散策で「そんなに長い距離は無理…」と言われていた方もあったとか…。
でも楽しく、鳥の声を聞き、咲いている草木花を楽しみながら、ゆるやかに歩いたので、
みなさん気がつかないうちに全行程を踏破。やったあ!。ご協力ありがとうございました。
また参加者の中に、鳥博士、植物博士!?がおられ、私のためにメモして頂きました。
またブログ報告をしたいので、後日記録を発表させて頂くので、光っご期待!!!
100パーセント雨を覚悟の万葉旅行だったが、本当に奇跡のよう、青空での記念写真です。
神様、ありがとうございました。

共に悲しむこと、悲しむ心。

神戸新聞の第一面の正平調というエッセーは、どなたが書かれるのか、素晴らしい論説を
いつも欠かさず楽しみに見ている。
連休の頃、五木寛之さんの「他力」について、書かれていた。
五木さんの言う「他力」とは、すべての人を救う阿弥陀如来の力で、すなわち浄土真宗を
開いた親鸞の教えである。それを頼みに生きることを「他力本願」と言われる。
親鸞は、天変地異が続く時代に生まれ、京の都の大火、突風で家が吹き飛ばされ、地震で
山は崩れ、川が埋まり、飢えた人々が野山をさまよい歩く状況で、何に救いを求めればいい
のか、迷い悩む若き親鸞の姿を五木さんが小説に描いている。
東日本大震災に重ね合わせ、無数の悲しみが折り重なる被災地に立てば、親鸞はどんな
思いを抱くだろうとの問いに、五木さんは、ただ黙って涙を流し、人の重荷を少しでも
引き受けようとする、それが親鸞の目指した救いだと考える。
大切なのは、「頑張れ」と言う励ましより、ともに悲しむ心ではないのか・・・と。
論説は、私たちが16年前に体験した震災を振り返って「私たちを生かした他力は何だった
のだろう」とあらためて考え、私たちに問われている。
キリストの救いにも、マタイの福音書に「来なさい、重荷を負うもの。私はあなたを
休ませる」という一節があり、共通して「相手を受け入れ、共に重荷を背負って歩む姿」が
表されている。
偶然に、4月にコンサートをさせて頂いた真光寺は西本願寺派の浄土真宗のお寺だったし、
また越前バス旅行で訪れた毫摂寺も浄土真宗の真宗出雲寺派のお寺で、「親鸞」の文字を
引き続き何度も目にしていたことが、特に気になっていたこともあり、論説も特に、興味
深かった。「親鸞」をもう一度ゆっくり読んでみようと思う。
「自分の痛みを知ってこそ、他人の痛みもわかる」というけれど、自分の痛みがあっても
他人を理解できない人も多いのが現実だ。反対に、他人の痛みで「健常者」がPTSDに陥る
現代人の心のひ弱さも露呈されている。
そうなると、宗教以前の「人間力」が試される今日の問題にも発展していきそうだ。
私は論説を読んで、正直ほっとした。毎日報道を見ることのひたすらつらいこと。私たちも
同じ経験を、また思いをしたことで、同情をするしかできない私。それでいいのだ!
 母の丹精したベランダの爛漫。
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中村さん、ありがとうございました!

先月26日の味真野バス旅行で、万葉館の前で、地元の方が「めずらしい桜が咲いていますよ。」
と教えてくださったのは、1つの木に紅白の花が咲いている「桜」。
しかし、わがバスのツワモノたちは、植物にも詳しい人がいっぱい。その日は「旅人」の
「桃」判定となったのだが(ブログにもアップ)、富山県八尾市の中村さんから昨日、報告を
頂いた。これは、園芸種の花桃で、名前は源平と言う。
お~、さすがに植物博士の中村さん! ありがとうございました。
味真野の方にも早速報告をしておかなきゃ(笑)。
そして、当日、味真野小学校の校庭のど真ん中にある有名なソメイヨシノはもう終わっていたが、
学校のフェンスのところに咲き始めていた菊花のさくら花は、「象嵌寺桜」と言うそうだ。
(これも中村さんに教えて頂いた。)
桜は200種類くらいあるというが、少しづつ時期を入れ合わせて、本当に心を和ませてくれる素敵な花だ。
中村さんの蘊蓄に感謝!
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ゴールデンウイーク雑感。

4月にはサロン行事をはじめ、万葉うたがたり会のコンサートも2つあり、いささか疲れた
ので、5月の3日間の連休は私たちが英気を取り戻せるように…と完全休業した。
ちょうど4月にオープンされたお隣の会社の、建物外壁をこの期間に塗装されるという
ことを伺い、私たちのサロンにも影響がなくよかった。
世間では29日の昭和の日から、来る5月8日まで、10連休のところもあると言うが、また、
節電対策のため、夏休みと振り替えで、お休みを返上して仕事をされている人、また大学
など、東日本大震災の影響で、いつもと違った社会現象が見られる。
休日の過ごし方は、マスコミ報道であるように、東日本方面の旅行客の激減があるかと
思いきや、駆け込み需要で、通常連休などには泊まれない高級温泉宿には、マイカー客で
渋滞のもとにもなったようだ。私は…。通常の休暇ですらなかなかプライベートな時間が
とれない上に、貴重な時間は「衣替え」「掃除」「洗濯」…ひたすら主婦業が待ち構えて
いる。まさしく「男性化」した生活に加えて、年齢とともに「夜」はひたすら眠く、「私は
夜型」と豪語して頑張れた頃が嘘のようだ。
このたびは、娘のところで1泊したせいもあり、娘の生活ぶりを見ながら、「一人暮らし」
のスタイルをあらためて考えさせられた。特に大学の下宿の続きで、本人の個性のない
あてがいぶちの家具環境は、そろそろ決別して娘らしさの感じられるものに変えても
よさそうだし、多すぎる「パンダ」グッズには考慮の余地あり。また、私と同じ紙類の
需要に囲まれた雑然は、何とかせねば…。
「一人暮らし」から「独り立ち」の時期を迎えているような気がした。
そうそう、夕食には、「お肉を食べたい!」という娘とともに、京都の祇園天壇という
高級焼き肉店!!!に。噂の「ユッケ」もちろん注文した!
しかし1200円くらいしたと思う。良質な品は値段も相当する。
直後に富山県礪波市の食中毒事件を耳にし、記憶も生々しいうえに、280円には驚いた。
安かろう、危なかろうかも。しかし、私たちはよく身近でタイムリーな事例に遭遇する。
しかし、天壇はおすすめ!!!。(篠原さん、またご夫妻でどうぞ!)笑
連休明けの出勤は、教会の初金曜日のミサのあと。しかし私は昨夜の1本のメールに
すっかり落ち込んでいる。知人のお嬢様が白血病と診断されたその日に急逝されたのだ。
まだ20代半ば…。子供のころから聡明で明るかった彼女は、大学を卒業された後に
志してカトリック教会のシスターの道を歩みかけられていた。
素敵なご両親と、妹さんと仲良し家族で、うらやましいほどのご家庭だった。
シスターとして、親兄弟から離れて神様との生活を選ぶことにも、ご両親は葛藤があったと
思ったが、娘の生き方として笑顔で快く送り出された。
その道半ばにして、天国へ旅立たれたなんて…。残酷すぎる。
神も仏もない!とまたしても思う。どうして…。
私が熊凝の歌を作曲したきっかけとして、「先立つ不孝」のやるせなさをまたしても
思い知ることとなった。
ご両親の悲しみを思うと、私はどう声をかけたらいいのかと思う。
少し時間が経ってから、お花を持って、祭壇にお参りさせていただこうと思う…。
きょうから立夏。