3月31日は、つばいち音楽会。

大きな行事が終わり、音楽サロンでは、恒例の「つばいち音楽会」。
季節が偏らないように、9か月に1度の割合で行っている。
毎回ありがたく参加してくださる方に加え、新しい参加者もありうれしいことだ。
サロンでの演奏会が、プロの音楽家だけでなく、音楽を愛するすべての人にサロンで
「音楽を楽しむ」機会を…とこの企画を始めたが、参加者の多彩な音楽を体験させて
頂くだけでも大変楽しいひとときである。
今回はレッスン講師でもある山口ひとみさんや、大岡美佐ちゃんも生徒さんのために
参加してくださいましたので、ありがたいことでした。
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次回は9か月後で、1巡して初回と同じ、クリスマスの12月。クリスマスコンサートに期待!
こうして1月は行き、2月は逃げ、3月は去り、4月に突入しました。
4月1日は犬養先生のお誕生日で、毎年甲南女子大学生が犬養先生宅に集まりますが、
今年初めて、オカモサロンでお誕生日記念OB会を開催。4月6日のブログに書いた通りです。

追悼コンサート。

1月17日のブログでも「追悼文」を書いた東祥高さんの追悼コンサートにでかけた。
ブログに書きながら、何のけじめもない、このままでお別れをしてしまうことの
理不尽に私の音楽サロンで是非追悼の機会を持ちたいと思い、ここ最近は、東さんと
音楽活動を一緒にしておられた篠笛の井上真美さんに連絡を取りたくて、ネット検索を
している時に、偶然「東祥高に捧ぐ~篠笛の響きコンサート」の予定記事を見つけた。
やっぱりあった…とすぐ連絡をとり、ともかく申し込んだ。
2月9日、西九条のクレオ大阪西は、TSUBAICHIサロンからも近く、東祥高さんの
スタジオからも同じような距離の身近な場所だった。
満員御礼で、申し込みを途中打ち切ったとも伺った。
やはり長い音楽活動を通じて、広い交際相手や、音楽ファンなど、私以上にショックを
受けて信じがたい思いで、コンサートに来られた方も多かったことだろう。
篠笛の演奏は、東さんのシンセサイザーによる録音音源が残されているので、本人が
おられないステージではあるけれど、シンセサイザーはセッティングされており、
後ろのスクリーンに東さんが、かつて演奏されている時の姿が映し出され、何とも不思議な
感覚で、篠笛と東さんの演奏の舞台に見入っていた。
「東」ワールドと言える、少し幻想的なメロディが特徴だが、オープニングに演奏された曲は
2010年の平城京1300年記念のイベントで行われた平成の歌垣の、うたがたり会の山口さんや
大岡さんが歌唱した「春日野に…」の曲と、舞姫が踊った光明皇后の歌のメロディが奏でられ
「東さんの曲が、歌垣で用いられていたのだ」ということを初めて知った。
また最初に演奏されたことが、私にとって印象的だったことと、曲名が「祈り」であった
ことも知り、一気に東さんの思い出を思い起こさせる象徴的な1曲だった。
コンサート後、井上さんと再会もでき、TSUBAICHIでの追悼コンサートの依頼もさせて
頂いた。
また、所帯感をまったく感じさせない東さんであったが、ご長男をご紹介頂き、家庭人で
あったことも初めて知った(笑)。
東さんにご紹介頂いた、制作会社の川上さんや、横道さんや、西村さんも来られており、
「平成の歌垣」の企画立案のお仲間として、何かとご縁を頂いてきた方々ともお目にかかった。
10月に亡くなられてからようやくの追悼の機会であったが、これで私も少し「現実」で
あることを意識できたような気がする。
東さんは、演奏の曲は多くても東さんの曲を歌ったグループは万葉うたがたり会だけ
かもしれない…と思い、私の曲をアレンジして、CDに遺して頂いた「かぎろひシンフォニー」
と共に、私のサロンで是非追悼の機会を持ちたいと思っている。
東さんのいやそうな表情が目に見えるようだ。しかし私はやるぞ!

今、サロンで・・・。

阪神淡路大震災の18年目の今日、亡き人を思う。
同級生のお嬢さんは、娘と同じ年だった。ピアノの生徒さんのおばあちゃんや、
甲南女子大学の犬養ゼミのお仲間のご両親や、身近な「悲しみ」を私も間近で
体験してきた。つくづく私や、家族が幸運にも生かされたことの「重み」と感謝を
思わずにはいられない。
その今日、私が昨年あとから訃報を知り、思いがけないお別れをしてしまったお二人の
ことを記しておきたいと思う。
お1人は、作曲家で、シンセサイザー奏者の東祥高さん。ご本人の意思ですぐに世間には
公開しないとして、新聞の訃報欄では亡くなれて2ヶ月経った12月に公表された。
東さんは、かぎろひの里、大宇陀のご出身で、平成8年の「かぎろひを観る会」でお親しく
なった。それまでも文書やお手紙で『万葉集』についてのお尋ねや、私たちの活動を
聞いてこられたり、やりとりはあったので、存じ上げていた。
私もかつてフォークバンド「5つの赤い風船」のメンバーだった東さんが、脱退・独立
してシンセサイザー音楽をやっておられることを知っていたが、ご縁ができるなんて、
夢にも思っていなかった。
平成8年は、「かぎろひを観る会」に、私たちはゲスト出演させて頂いたおかげで
東さんやスタッフの方々と一緒に食事をしたり、地元のペンションで仮眠するまで
ゆっくり過ごさせて頂いたので、東さんの人となりを知ることができたように思う。
その頃も、ヘビースモーカーで、食事は好き嫌いが激しくて、お酒はとても好きな人
であることはよくわかった(笑)。
そのことが直接のきっかけとなり、東さんが地元の依頼を受けてCD「かぎろひシンフォニー」
を制作される時に、私の「阿騎野寒暁」の歌も挿入したいということで、東さんが編曲され
た。
それを万葉うたがたり会が歌唱するということで伺った、東さんの音楽スタジオが
なんと今のTSUBAICHIの大淀南の町内のマンションだった。
まさかその近くに今私たちがサロンを構えようなんてつゆ知らず…の頃。
東さんは、犬養先生のイベントで大阪城ホールで行われた「一万人の万葉衆」の
オープニングで演奏されたり、私も何度か大きなイベントでもご一緒させて頂いている。
そして、2010年の平城京遷都1300年記念イベントで、「平成の歌垣」という歌垣を
ベースにした音楽劇があり、私も歌博士という役で1週間出演させて頂いたが、
企画からシナリオをおこす前から、シナリオ作家と演出するイベント会社と東さんが私の
サロンに何度か足を運んでくださり、「万葉歌」の選定と、曲想などについての相談に
私も関わらせて頂いた。
そして遷都祭のオープニングイベントとして行われた「平成の歌垣」は、大好評だったが、
音楽担当でもあり、全部の作曲を手がけられた東さんは、何と「意に沿わない」仕事と
公言し、終始私にも不機嫌だったし、特に私の出演に関しては、素人のくせに…と
いやだったようだ。でももがんばりましたよ!
そして昨秋、思いがけなく平城京の天平祭で、2年ぶりに再演された「平成の歌垣」。
私の再出演が決まり、1回目の顔合わせの10月に、1週間前に亡くなられたばかり・・と
東さんの訃報を知った。信じられなかった。
2年後の「平成の歌垣」の再演が決まったことで、私はまた東さんに辛口で皮肉なイヤミを
いっぱい言われるだろうな…と思っていたが、反対に、この時期に再演のこの機会が
めぐってきた事の偶然に本当に驚いた。
結果はブログで記したとおり、当日は、めずらしい大雨で、結局出演者のラインナップ程度の
「中止」状況だった。
残念だったが、東さんの涙雨なのか、全力でイベントを阻止されたのかよくわからない。
しかし、確実に亡くなられたばかりの東さんを偲ぶ大きな機会であった。
東さんは『万葉集』を素材に歌う人が増えていく中で、私を評価してくださっていたようで、
いつも本当に辛口ではあったが、細々と個人で万葉活動をする私を信頼してくださっていた。
本当に思いがけないお別れに、切なさがこみ上げてくる。
12月29日の早朝、大宇陀では41回目のかぎろひを観る会があった。
いつもロングコート姿で、かっこよく参加される東さんの姿はもう見られない。
新春のTSUBAICHIでは、東さんとの思い出の多い、「かぎろひ」の写真を飾った。
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そしてもうお1人のさようなら…は、万葉スケッチ画家の冨田利雄さん。
奥様からの喪中はがきで知った。
油絵の前衛的な画風から一転、万葉故地の繊細なスケッチ画で、冨田さんの万葉故地世界を
作り出された。
私も万葉歌のCD制作で、最初の「恋歌vol1は、冨田さんの「二上山」のスケッチ画で…と
こだわり、冨田さんの個展で購入した「絵」をもとにジャケットに使わせていただいた。
その後も犬養万葉顕彰会で、テレホンカードを作成させて頂いたり、「万葉の仲間」として
長いお付き合いだった。
お目にかかる機会も少なくなり、時々「お元気かな…」と思い出してはいたが…。
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お二人にこれまでのご縁とご厚情に感謝しつつ、サロンで私の追悼をさせて頂いている。
ありがとうございました。またお目にかかるまで…。
私には、CDでお二人の音楽と絵が残りました。永遠に。
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ようやく実現! 万葉うたがたり会のクリスマス!

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11月25日の山口ひとみさんのリサイタルからもう1か月です。
なかなか仲間内での打ち上げも時間的にままならず、何となく打診して決めた
クリスマス会。
TSUBAICHIを支えてくださるボランティアスタッフの男性陣は残念ながら全員アウト!
…ということもあって、思いがけず水入らずの万葉うたがたり会のクリスマス会が
はじめて実現しました。
今はTSUBAICHIフェイスブックというツールで、すでに楽しい状況をすぐにお伝え
したのですが、ブログ報告もしておきたいと思いました。
サロンに備えてあった「たこ焼きセット」があったので、今回は「たこ焼きパーティ」と
なりました。
さすがに宴会担当のともちゃん、アッコちゃんの「一工夫」で、たこ焼きもトッピングを
毎回変えて、和風からイタリアン、そしてデザートたこ焼きまで、どうよ!って感じ。
よく食べ、よく笑い、よく喋り、本当に楽しいひとときでした。
メインは、山口さん、お疲れ様でした!ということですが、メンバーそれぞれに「今年の
総括」と「来年の抱負」などを聞き、2012年をしみじみ振り返りました。
私もこの仲間たちに「還暦」のサプライズパーティを開いてもらいましたが、山口さん
リサイタルに向けて、結束し、協力し、達成した私たちの絆が、より一層私たちの
信頼関係を強いものにしてくれたような気がしました。
万葉うたがたり会も「演奏集団」の仲間としての交際範囲で、プライベートな交流は
以前ほとんどなかったのですが、ここ数年、公私にわたった付き合いができるようになりました。
個人的な相談事や、話題の共有や、それぞれの立場で年齢差の学びなど、いろんな人間
関係が紡げるようになりました。
「音楽家」は孤独な一匹オオカミが多い中、私はみんなのつながりを目指してきたので、
今のサロンDEうたがたり会は、とっても満足です。
さて、次はいつ? パーティではなく(汗)、万葉うたがたりコンサートです。
1月に…と言っていたのですが、2月に西宮や明日香村でコンサートがありますので、
すこし先送りとなりました。
でもTSUBAICHI4周年目の記念日には、活動拠点であるサロンから万葉うたがたり発信を
する予定です。どうぞ4月14日(日)をお楽しみに…。
私たちの23日の大盛り上がりのクリスマス会に、肝心の24日・25日は、クリスマスの
実感なし!と全員声をそろえて言いました(笑)。アハハ! よかった!
また来年も集まれるといいな。記念写真です。娘も最後に間に合いました。
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サロンに第九が響く!

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サロンのレンタルも本来の音楽サロンとしての機能が発揮されることは、大変うれしいことです。
6月ももう終わりですが、6月9日には、個人の歌の発表会。これはご本人が喜寿の記念に
習っておられる「声楽・歌」をご披露されたものです。友人・知人を招いて気のおけない
方々の同窓会の様でもありました。
サロンでこのようなお手伝いができることは、私の本望でもあり、サロン運営の冥利に尽きます。
また、16日には、「合唱団」活動を通じて結婚されたお二人の「新婚」記念に、合唱団での
お祝い会をサロンで企画してくださいました。
写真の紫陽花の花は、私たちサロンからのお祝いの気持ちです。
季節を象徴する花は、サロンの賑わいにもなりました。
もちろん、コーデイネーターの西堀さんのセンスが光っています。いい感じ!
合唱団の方々の集まりとあって、当日のプログラムに「合唱」のシーンがたくさん組まれて
いましたが、お酒の勢いも加えて、皆さんの歌唱にますます熱がこもってきて、最高潮に
合唱団の絆の曲でもある、ベートーベンの第9をいよいよ歌うことになりました。
もちろん予定の曲で、サビのところを私と山寺さんで…とピアノ伴奏を依頼されていました。
お二人の結婚式にも演奏しましたので、覚悟はあったものの大曲だけにドキドキ。
ところが、「全曲」歌いたい!、歌おう!ということになり、急遽、佐渡裕さんの指揮の
カラオケをスマホに録音されている方があったので、それをバックに大合唱が始まりました。
私と山寺さんは、みなさんが楽しそうに、原語を暗譜で歌われる姿に圧倒、感激!
気合が入って、表情豊かに迫力満点です。
集まられた方々の「第9」に対する情熱も感心しましたが、改めて日本人がこんなに好んで
歌うベートーベンの「第9」の魅力はなんだろうと考えさせられました。
ベートーベンも天国で感慨深いことと思います(笑)。
そして、我がサロンに響く「歓喜の歌」にあらためてしみじみ聞き入りました。
平成の海石榴市を目指す私には、力強い「歓喜の歌」でもありました。
音楽をこよなく愛する人たちが集い、輪がまた広がっていくことの楽しさ!
翌日、年に1度行っている「つばいち音楽会」の3回目。
予定人数には届かず、趣向を変えてアットホームなコンサートに…。
それぞれのエントリーの方々の出演以外に、みんなで歌ったり、演奏をしたり…と
楽しいひとときを「音楽」で共有できました。
TSUBAICHIは、多目的空間ですが、「音楽サロン」として、ますます頑張っています。

万葉うたがたりコンサートatサロン

5か月ぶりのTSUBAICHI看板行事の「万葉うたがたりコンサート」。
1月には、古事記撰録1300年を記念して、「因幡のしろうさぎ」を絵物語と歌で紹介
しながら、コンサートを致しました。
今回、引き続き「古事記から…」とご期待もあって、仁徳・磐姫物語など、どうかな…と
考えたり、また、島根県の万葉フォーラムに合わせて「人麻呂と依羅娘子」の物語もいいかも
とあれこれ思いながら、時を過ごしていました。
だんだん時期が迫ってきて、メルマガなど、皆さんへの告知の時にやっとテーマを決定した
ようなことでした。
というのは、迷いながらいるところに、7月1日に香川県坂出市から、また9月2日に瀬戸内の
文化を考える会からコンサート依頼を頂き、きっと遠方ゆえ来れない方の方が多いのだから、
プレコンサートのように、関連の瀬戸内海の万葉歌をご紹介するコンサートにしよう!と
思い立ちました。そして、今回の万葉うたがたりコンサートの内容になったわけです。
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プログラムは、瀬戸内海の様子を知って頂くために資料の地図を付けて、その示した故地に
今回歌った万葉歌のタイトルを入れ、さながら船旅のように楽しんで頂きました。
思いがけず、万葉うたがたりのメンバーに好評で、自ら歌っている場所がより自覚できたと
喜んでくれました。
また、ずっと懸案だった大伴旅人の「鞆の浦」で詠った「むろの木」の歌を形にしたくて
新曲発表させて頂きました。ともちゃんが歌う!?鞆の浦ワルツです。
そして、坂出市でご披露するメイン曲、沙弥島で柿本人麻呂が遭遇した行路死人への挽歌、
「狭岑島挽歌」をしっかり聞いて頂きました。
四国には万葉歌は少ないですが、この歌は人麻呂が詠ったことで、故地としてもたいへん
注目されてきました。私たちも瀬戸大橋がつく前から何度も訪れています。
万葉うたがたり会では、ちょうど瀬戸大橋が架橋されたころ、コンサートをさせて頂き、
それ以来のコンサートです。
坂出市市制70周年の記念事業の中の1つとして「万葉故地」発信も入れてくださいました。
そして出演させて頂ける私たちは本当に幸せです。
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大曲であること、またドラマチックな歌であることから、フルメンバーで出演予定です。
サロンでの万葉うたがたりコンサートも、あれこれやりたいこと、また、挑戦したい企画が
まだまだあり、時間とも闘いながら、『万葉集』をいかに味わって頂くか…と楽しく精進
していきたいと思いを強くしています!
このたび、サロンに来て頂くお客様で、とってもセンスがよくて、趣味で生花やアート・
シルクを始め、アレンジフラワーを楽しんでおられるヤングミセスの西堀さんに出会い、
サロンの雰囲気作りのご協力を頂きました。
コンサートのイメージで、「海」です。サロン所有の船は洋風でしたが…(汗)
とってもいい感じ…。また素敵な人の輪が広がりました。
まさに平成の海石榴市!をめざして、これからも出会いが楽しみです!
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西堀さん、ありがとうございました。今後ともよろしくね!

サロンで、夫婦展

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犬養先生のご縁で、長いお付き合いとなった竹内正幸さん。
東大阪に在住されていますが、出身は島根県の邑智郡邑南町(旧・瑞穂町)で、
故郷に志都石屋神社があることから、犬養先生に揮毫を依頼されて、昭和63年に
巻3-355の生石村主真人の歌
 大汝 少彦名の いましけむ 志都の岩屋は 幾代経ぬらむ
の万葉歌碑を建立され、地元に寄贈されました。
私は、その頃から犬養万葉顕彰会でお親しくなりましたが、その竹内さんの奥様が
5年前に亡くなられ、生前から個展を楽しみにしながら、書き溜められた書道の作品が
ご自宅にそのまま残っていました。
竹内さんにお子さんもおられないことから、おひとりになられて、多くの遺された作品を
前にしながら、傷心の日々を重ねておられたことが、私たちも気になっていました。
直後から竹内さんを励ます意味でも、私は奥様の遺作展をされることを提案していました。
5年の法事を澄まされてから、昨年末にいよいよ決心され、TSUBAICHIで作品展を開催する
ということになりました。そして、半年がかりで準備を進めてまいりました。
先日の5月25日から29日まで5日間、故竹内美代子作品展を開催させて頂きました。
遺愛の品々です。篆刻の印は竹内さんが彫られたものとか。すごい!
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自宅にある膨大な作品の群から、竹内さんが選び出されたものと、また私たちが素人目に
いろんな形式・字体・作品の個性などから、独自にも選ばせて頂きました。
書道作品は44点、そして、せっかくの機会ですので、夫君の竹内さんも水彩画をたしなまれ、
竹内雅雪という号まで持っておられる画家でもありますので、お願いして絵画を10点出品して頂き、
「夫婦展」と言う設定で、開催させて頂きました。
そして特別出品物として、ふるさとに建てられた万葉歌碑の犬養先生の揮毫の墨筆(原書)も
ともに、狭いサロンいっぱいに飾らせて頂きました。
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私たちも竹内さんの奥様の遺志を遂行するお手伝いができたことに、大変満足しておりますが、
連日サロンに多くの方が足を運んで下さいました。
旧知の友人や職場の同僚や、教え子の方々から、奥様のお人柄を伺い、面倒見の良い優しい
方だったことを知りました。また、「書道」に対するなみなみならぬ情熱を聴かせて頂き、
私たちも何気なく独自に選ばさせて頂いた作品も、実は、奥様の座右の銘であったり、書も
篆書・かな書・条幅書、漢詩など、多岐に渡ったもので、皆さんがバラエテイに富んだ作品を
感心したり、楽しんでくださいました。
きっとこれは奥様が作品展のために、私たちに選ばせてくださったのだとしみじみ思いました。
また、竹内さんも趣味人で、絵画のほか、二胡を演奏されたり、舞踊をされたり、茶道など
器用にこなされますが、このたびも竹内さんの希望でお茶席を開いてほしいと要望があり、
ちょうど茶道をたしなむ私の義妹に協力を仰ぎ、茶席を設けてもらいました。
家族や友人や「人脈ネット」をフルに使える私の強味です(笑)。
季節柄もありお茶箱の手前を披露してくれました。
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準備も期間中も緊張しましたが、サロンを駆使して、「竹内さん」が、「奥様」が喜んで
くださるためにと、展示やお接待に頑張れたことは、私たちも達成感がありましたし、
サロンのにぎわいも嬉しいことでした。
加えて、道行く方々が興味を持って入場してこられたことも思いがけない収穫でした。
作品展の終わったあと、竹内さんが、目的達成でどっとお疲れがでないかと心配です。
この機会をきっかけに、より元気を出して頂きたいのが目的でしたから…(汗)。
天国の奥様、書道に人生と情熱を注がれたご様子を私もしっかりと拝見させて頂きました。
そして、多くの方々が作品を通して奥様を偲ばれましたよ。いい機会でした!!!

山口ひとみ&宮川真由美ライブ

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ホームページのトピックスでご紹介した通りです。
私たちのサロンTSUBAICHIのカルチャー看板娘、万葉うたがたりの歌姫、山口ひとみさんの
コンサートを開催。サロン3周年記念にふさわしい記念イベントとなりました。
ちょうど11月に予定している山口さんの歌手生活20年の節目のコンサートの舞台を一緒に
演奏してくださる方々が出演してくださいましたので、「プレライブ」という表現に
なりました。
まず私がご挨拶させて頂きました通り、今回は「サロンの運営をしている側の私や山寺が
楽しませて頂く」イベントを企画しましたので、本当に楽しみにしていました。
宮川さんのご好意で、お忙しい中、何度も打ち合わせや音合わせにサロンへ来て頂き、
またクラリネットの鈴木さんは、その音楽作りのプロセスから後に出演が決定した次第です。
宮川さんは、私の友人が万葉JAZZと呼んで、私の作曲した万葉歌を中心に、歌手活動
をされていますが、もちろんTSUBAICHIでも2回コンサートをされました。その時の
ピアノ伴奏者として来られたのが、宮川さんでした。
面識ができていましたが、宮川さんの演奏活動の広い範囲と人脈は、私たちの人脈とも
重なるところが大いにあり、まさに神様に感謝ですが、このたびの直接のきっかけは
加藤ヒロユキさんのステージを見に行った時のこと。音楽総監督が宮川さんでした。
ピアノのプレイヤーだけではなく、バンド編成、楽曲のアレンジまで、すべてをこなされる
マルチアーティストであることを知りました。瞬間的に、また私も山寺も同時に
「山口ひとみ」コンサートの舞台のキーマンはまさに「この人だ!」と思ったことが
すべての始まりです。
プレライブを企画した時から、宮川さんの出演を聞いて、私たちの身近にも宮川ファンが
多いこともよくわかりました。
この二人の出会いはやはり神様の計画だったのではないでしょうか。
さてコンサートにご来場くださった方々! 本当に素晴らしいライブでしたね。
山口さんの歌も今回すでに宮川さんによって、選曲のジャンルや、歌い方も変化していました。
山口さんも宮川さんの音楽的要求に応えた、普段以上に丁寧でのびやかな歌唱だったと思います。
プログラムがあっという間に進んでいき、本当に見ごたえのあるステージでした。
そして、山口さんと宮川さんが、サロン3周年のお祝いに、アンコール曲として、私の作曲
した万葉歌の「恋歌」を準備してくださっていました。
お二人の心遣いに、思いがけなかった私は、感謝とうれしさで不覚にも涙を流してしまいました…。
本当に素晴らしいステージをありがとうございました。心からありがとう…でした。
TSUBAICHIの3周年で、私自身が「サロン・空間」に響く最高の音楽を味わうことができ、
幸せでした。いまだに試行錯誤のサロン活用ですが、しみじみやり甲斐を感じました。
そしてみなさんに支えられている実感もひしひしと伝わった日でした。
この日の夜には、3周年記念祝賀パーティを開催しました。つづく。

海石榴市恵比須神社の万葉講座

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桜井市の三輪恵比須神社の正真正銘の「つばいちの椿」です。
境内には、季節の遅れた梅がちょうど満開で、椿はまだちらほら…でした。
第2回目の万葉講座を開催させて頂きましたが、さすがに「お水取り」本番の日でもあり!
雪の舞う、冬に逆戻りの寒い一日でした。ご参加くださった方々に心から感謝です。
えびす神社を中心に地元に元気を取り戻すために、1つの試みとして地元の方々を中心に
「桜井・三輪」などを理解する手立てに、私は『万葉集』を通して、みなさんにアプローチ
することになり、寺子屋ならぬ、社小屋で「万葉に親しもう!」です。
ご紹介くださった小西さんご夫妻や、会場を提供してくださる竹内宮司さまには、何かと
お気遣いをさせていますが、試みの第1歩でもあり、私はこうした機会を作って頂けたことで
一人でも多く万葉ファンを増やしていけるように、頑張っていきたいと思います。
「継続は力なり」です。
また、えびす神社も町のシンボルとして、いろんなイベントをしたり、創意工夫しながら
企画を練っておられるようですので、なかなか楽しそうな展開になるような予感です。
楽しいことには、積極的に参加したい私です…。
桜井市も広域にわたり、観光や地域の発信について力をいれておられますが、たとえば三輪山の
ふもとの大和一の宮の大神神社と、三輪の町の商売繁盛を願う三輪恵比須とは、おのずから
存在価値が違うのだと思います。世間に知らしめることは大事でも、大和の国の守護神と、
地元の人々に溶け込んでいる内向きの守護神とでは、観光客への情報も違います。
ただ、テレビの「県民ショー」ではないけれど、地元においてはこの行事は特別なのだ!と、
みんなで大事にし、後世に残していくような、確たる意義やスタイルが必要なのだろうな
と思いました。私は2月に行われたえびす大祭の恒例儀式を垣間見ただけですが、多くの
人たちが集まってこられ、老いも若きも子供も楽しい一日を過ごされたようでした。
今年は、衣装を作られたり、意識をして「携わる方々」の結束感を高められたようで、とても
よかったと思います。
来年に向けて、おらがふるさとの祭りがもっと身近に、もっと気軽に参加していけるような
コミュニテイ作りが大事でしょうね。
万葉講座もしかり、えびす市もしかり、人と人が出会っていかねば、コミュニテイは生まれ
ませんから、言葉通りに「海石榴市」として、恵比須神社が出会いの場であることを心から
願っています。

tsubaichiカルチャー「西国街道の猪名野」

今年は連続記録更新の乾燥注意報が出ていたにもかかわらず、21日は、私たちの行事には
めずらしい雨交じり、曇りマークの天気予報でした。
下見が好天で、視界や光景の感動が大きかったので、せっかくの機会なのに…とちょっと
不満な思いがありましたが、いえいえ、定員を超える参加者を得て、本当にうれしいこと
でした。
下見のおかげで、コースについて変更や調整もでき、スムーズに行程をこなすことができました。
HPのトップでご紹介したようにJR尼崎を出発し、伊丹市の産業道路沿いに北上し、まずは
東リ株式会社の会社の敷地内に残る、紫式部の娘の大貮三位の歌にも表現された
「猪名の笹原」と黄金塚の遺蹟を見学させて頂きました。
               
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講師の中西久幸さんも、大勢の参加に張り切ってご案内、説明をしてくださいました。
TSUBAICHI使用の資料の冊子を作ってくださったり、下見も再確認に足を運ばれたり、
細やかな準備に本当に頭が下がりました。
しかし、中西さんの薀蓄はいつも素晴らしいです。
               中西さん.jpg
曇っていたのが、徐々に空も泣き出しそうになり、みなさんにはもっとのどかで晴れやかな
「猪名野」を体験して頂きたかったですが、それでも猪名川と大阪空港周辺の広大な
「土地」の広がりに、あらためて万葉人の「目」「視野」に思いをはせました。
しょっちゅう飛び立つ飛行機の爆音で、中西講師の説明が聞こえなくなりました。
「足」代わりのバス移動でしたが、今も住宅地に残る「西国街道」の名残だけは歩くことにし、
家並みや、表札や、石柱や、あたりを見回しながらゆっくりと散策しました。
傘をさしたのは残念でしたが、蝋梅の花が咲いているのをみつけたり…やはり「歩く」ことで
発見があったり、ゆっくり確認ができることは、大事だと思いました。
               西国街道.jpg
そして、171号線を越えて西の天神社で大江匡房の歌碑を見て、昆陽寺までウオーク…。
私が車で走る時に、いつも通過していた昆陽寺を初めて拝観しました。
朱塗りの門が美しく、僧、行基の建立と聞き、行基のさまざまな事業の中に昆陽寺もあった
ことにちょっと感激。
そして、境内には高田好胤さんの揮毫の有名な行基の詠歌
「山鳥の ほろほろとなく 声聞けば 父かとぞ思ふ 母かとぞ思ふ」の歌碑がありました!!!               
この歌は、私が書道を習っていた時に、色紙に書き、展覧会に出したなつかしい歌。
そして、垂水の祖父母が亡くなるまで、垂水の実家の和室に掛けられていました。
昨年4月、姫路の真光寺を訪れた時に、偶然入口にこの歌が書かれていたことに驚きました。
祖父母を思い出し、菩提寺でこの歌に再会した機縁をしみじみ感じました。
昆陽寺のこの歌碑が高田好胤さんによって書かれたのは、好胤さんが、親を大切に…と祈る
父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)をよく唱えておられたからに違いないと思います。
いろんな「えにし」を思う歌碑が、ここにありました。
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また、朝日新聞社OBの政井さんが、小学生の時にならった…と「ほろほろと…」で始まる
この歌を歌ってくださいました。どこからともなく参加者から歌声が重なり合って、歌碑の
前で「大合唱」となりました。
私や山寺さんはまったく初めて聞いた歌です。
行基の歌に成田為三が作曲をした歌だそうで、「ほろほろと」という女声合唱曲のようでした。
TSUBAICHIサロンで「なつかしの歌」カルチャーをやっていますが、きょうのように本当に
自然に口をついて出てくるなつかしい歌、記憶が呼びさまされた歌を聞いていて、それぞれの
人生の厚みや見えない多くの体験が「歌」によって垣間見えたことに、すごい感動がありました。
私もこの「ゆかり」ある歌をぜひ覚えてみたいと思います。
最後に「ほろほろと」で盛り上がった旅もあとはドライブしながら、伊丹廃寺の前を通り、
JR尼崎駅へと帰着しました。
みなさま、お疲れ様でした。地元の旅でありながら、何だかいろんな気づきを受けた旅でした。
中西さん、お世話様になりました。TSUBAICHIのクオリテイは高いです!