つみきの会還暦同窓会

事実、1つ終えてまた翌日は切り替えて次の行事に…と本当に忙しい毎日でしたが、
2013年3月30日。
私たち甲南女子高校23回卒業生の「還暦年」ということで、自分自身でお誕生日を迎えたり、
仲良しと記念旅行をしたり、昨年来意識はありましたが、まさかその年に同窓会の幹事役が
回ってくるなんて、本当にびっくり仰天でした。
私たちの学年は熱心なのか、仲良しなのか、昭和46年に高校を失業して以来、毎年欠かす
ことなく学年同窓会が開かれてきました。23回生…で「つみき」です。
幹事も卒業時から50音順で、年次委員が決められ、「岡本」は、1977年に既に1度目の
役目をしました。最後の「渡辺さん」まで2004年まで幹事が振り分けられ、「2004年なんて、」
と当時25年以上も先のことなんか、ありえない私たちでしたが、当然のように2004年で
全員が幹事を終えた後は、翌年から2順目となり、さすがに「2年に1度の開催」「幹事の人数は
倍増」「恩師は呼ばない」という条件のもと引き続き行われてきました。
その予定通りであれば、前回2012年秋に行われたので、次は2014年のはずが、なんと
私は山口ひとみさんのリサイタル準備で忙しい昨秋、急遽呼び出しがあり、「還暦という
節目の年にやらないことは許せん!」という同級生からの意見が出ているということで、
ともかく「60歳」の間に同窓会を行うハメ???になってしまったのでした。
秋からの準備で、場所も企画も難儀しましたが、結果論でいえば、3月30日は全員が60歳だった
ようで、4月2日には61歳になる同級生もいて何とタイミングのよかったこと。
ちょうど母校も校舎の建替えををした時期でもあり、全員で会食の後「母校を見学する」と
いう私たちの出会いの原点に戻る企画とし、行われました。
結構お疲れモードの私でしたが、同窓会というとまた気分も違います。
朝からの好天に加えて「桜」も満開で、私たちを祝福してくれましたし、50数名の同級生が
集い、懐かしくにぎやかで、「あのころの女学生」にすっかり逆戻りして、思い出話が弾み
ました。
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私は仕事の都合もあり、今回は幹事ゆえの何年ぶりかの参加でしたが、みんな変わらないどころか、
いろんなスペシャリティとなって、活躍している人たちも多く、とても誇らしく思いました。
そして、口々に「甲南女子校での出会い」に感謝、行かせてくれた両親に感謝…としみじみ
言えることがうれしかったですし、縁あってつみきの会、万歳です。
今回頑張った役員の8人です!みんなありがとうね。準備も楽しかったよ!
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この1カ月…。

3月の母のお誕生日報告の更新記事から、4月1日の犬養先生のお誕生記念まで、ご報告が
たくさんあります。
個人的なことから、サロンの行事や、いろいろ予定が重なり、元気に乗り切れたことが
何よりでした。
母の誕生日後、3月18日は、2か月に1度の三輪恵比須神社での万葉講座。7回目が終了しました。
うれしいことに参加してくださった桜井市の等彌神社の宮司さんから中秋の観月祭で
万葉うたがたりコンサートを…とオファーを頂戴しました。
万葉のふるさとで歌う、万葉うたがたりの機会ができたことがとてもうれしいです。
3月20日は、世間は春分の日で、お墓参りなどで祝日を過ごされる方が多い中、サロンでは
毎月第3水曜日が山口ひとみさんの指導の「みんなで歌おう、懐かしの歌」の日ですので、
平日の水曜日に来れない方も祭日なら…、と来られることもありますので、毎月と同様
実施致しました。リクエストもあり、3東北大震災の復興ソング「花は咲く」をみんなで
歌っていくことになり、まず第1回目の練習ができました。
夕刻、ヨガ教室の猿渡美穂さんが出演される話題作「サブウエイ」を観劇。
大阪を皮切りに、サブウエイ=地下鉄のある日本の各地で連続公演が決まっておられる。
全国展開と言うのはすごい。美穂ちゃん、頑張ってねとエールを送りました。
3月21日は、弟の計らいで、会計事務所のとりあえずの確定申告が一段落した気分転換に
所員全員で大相撲大阪場所の観戦予定をしていた中に、かつての相撲ギャルの私にも声を
かけてくれましたので、本当に40年ぶりに大阪府立体育館へ大相撲観戦してきました。
相撲茶屋のお弁当の入った「福袋」のようなお土産もうれしかったですが、久しぶりに
大好きな「鬢付け」の匂いにうっとりしました。
もちろん、60歳の相撲ギャルは、勝手知ったる入り待ちで、白鵬、日馬富士、鶴竜、把瑠都、
旭天鵬など、カメラを構えて、場所入りをしっかり見ました。何だか血が騒ぐ…。
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時代の変化なのか、女子高生のチアーの応援があったり、女性一人の観客も多く、
是非また来よう!と強く思ったことでした。(笑)
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誘ってくれた弟に感謝!!!!!
さて、翌日3月22日は、奈良女子大学の卒業式。もう私も直接の縁はなくなりましたが、
私が在学中に入学された後輩や、数少ない同輩の大学院生の友人の修了式でもありました
ので、お祝いに久しぶりに奈良女子大学に行ってきました。
旅立ちにふさわしい晴天の春うららかな日で、晴れ着の女子学生が特に輝いて
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見えました。
キャンパスは馬酔木が満開で、思わず笑みがこぼれました。
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3月23日、サロンでは大岡美佐さん指導の「思い出のアルバム」がありましたが、終了後
サロンを飛び出して、京都へ娘の芝居を見に…。
会場は、京都の東福寺のそばの芝居小屋でしたが、桜や紅葉で有名な東福寺だけに、やはり
季節や情景の美しい時に来たい!と思いながらあわただしく行き来しました。
娘は「4人のショショ」という芝居の客演で、役柄がなんと高齢出産を終えたばかりの「娘」
の役。
実際年齢に近い役柄なのですが(笑)、実際に未経験の「出産」について、セリフを
言うのが何とも可笑しくて、「役者」っていろんな「人間」を演じることができて、
バーチャルな人生をいくつもおくれるような、うらやましさも感じました。
娘の急な案内でしたが、見ることができてよかったと思いました。
3月24日は、サロンで中西久幸さんの和歌文学講座。
めずらしい「板かるた」をご紹介くださいました。講座の中だけではもったいないので、
少しの期間、「板かるた」展示をさせて頂きました。
読み札は通常の紙のかるたですが、取り札が肉厚の板かるた。かるた大会は「板」が素材
でもありなかなか野性的な迫力ある競技が行われるそうです。
NHK大河ドラマの「八重の桜」でも使われた板かるたですが、次回は「桜」にこだわった
和歌と歌人のお話をして下さるそうです。楽しみ…。(ここでちょっと休憩)

106回目のお誕生日!

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明治40年4月1日生まれの犬養先生のお誕生日を記念して、いまだに毎年甲南女子大学
犬養ゼミでは、有志で同窓会を続けています。
あたかも犬養先生がそばにおられるかのように、ケーキを準備。(ショータニのケーキ!)
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いつもは、犬養先生のお住まいだった、西宮の久寿川邸に集まっていましたが、お世話
してくださっていた吉本愛子さんにも気分転換になるかな…と今回は初めてオカモサロンで
開催させて頂きました。
いつも来て下さるメンバー3人と私の同級生恵理ちゃんと、シイチャンの7名。
私のサロンに敬意を表してくださり、お花も頂きました。春らしく華やか!
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サロンも犬養先生の会にふさわしく、「海南歌碑の揮毫書」や「切り絵の犬養先生像」や、
DVDも私たちにはなつかしい震災前の犬養先生の旧宅の映った映像など、演出しましたが、
それもほどほどにみんな話に夢中!(笑)
犬養先生もきっと苦笑いだったでしょう。でもこうした集いを喜んで下さったのも
犬養先生ですから、長く続くこの集いも先生のおかげです。
3月初め、私たちの甲南女子大学犬養先生の会(タテの会)の後輩が、病気で亡くなられ
ました。私よりも4歳も若く、思いがけない訃報でした。
犬養ゼミの卒業生たちのこの会は、犬養先生の生誕100年の機会に解散致しました。
会費の清算をし、会長の私はともかく、まず永い間会計業務をしてくださっていた岡本真弓
さんに会計担当者の役職から解放してあげることができました。永い間ありがとうね。
犬養先生が冗談のように「おかもちゃんは、終身会長だよね。」とおっしゃっていたのですが、
犬養先生が亡くなられるまで、タテの会の会長を致しましたので、「先生、終身ということで
もうこれで私の役目も終わったのですね。」と約束を果たせたと思っていました。
でも後輩の逝去を知り、犬養ゼミの絆で結ばれた仲間を失ったことで、タテの会として
見送ってあげたいと思う私の気持ちに、ふと「終身ということは、私がいなくなるまで
タテの会を最後まで見守れ…という先生の希望であり、メッセージだったのだ」と気づき
ました。本当にそうなのかはわかりませんが…。私には「終身」と言う言葉の意味が
今大きくのしかかっています。
4月1日の会も、もうおしまいにしようと思いながら、甲南女子大生だけで犬養先生を独占
できた唯一の貴重な1日であったことから今日まで続いているのですが、今年犬養先生が亡く
なられて15年祭を迎えるこの時期に、勇気を持って幕引きすることも大事かなと思う毎日です。
でも集まって下さったみなさん、ありがとうございました。
この絆、タテの繋がり「タテの会」を作ってくださった犬養先生には心から感謝をしながら…。

おめでとう!

3月16日に母が満81歳のお誕生日を迎えました。
私と20年違いで、同級生の中では私の母がもっとも若い…様です。
自分が年を重ねていくことに意識が大きくなると、それ以上に「親」の老化にふと
気付いた時に、突如愕然とする現実があります。
お互い元気で一緒に過ごせる時間を貴重に…と思いつつ、ついつい自分のことが
優先になってしまい、反省することも日々多くなってきました。
おかげさまで両親がまだお互いをいたわりながら元気に生活をしてくれていますし、
弟のお嫁さんが私の分もフォローしてくれますのでずいぶん助かっています。
16日はめずらしく私も時間内に間に合う!ということで、「私」が以前から食べた
かったヴィタメールのケーキを自ら準備し(笑)、夕食後のデザートタイムに参加。
弟夫婦も共に、ハッピーバースデーの儀を執り行いました!!!
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なかなか美味しそう。旬のいちごも色どりがきれいです。
孫たちの電話やメッセージがもっともうれしかったようですが、二人の老けた子供ですが、
一緒にお祝いをすることができました。
母より私の方が「よかった!」と思いました…。
来年もこうして全員そろってお祝いできるように願いながら、「お母さんお誕生日おめでとう!」
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とてもうれしいこと♪♪♪

私が講師をさせて頂いて3年を経た、宝塚コープカルチャーの講座で受講してくださっている
ご婦人が、万葉の里「大宇陀」の「かぎろひを観る会」のイベントに合わせて6年前から
始められた短歌大会に応募された作品が、2トップ「かぎろひ賞」と「人麻呂賞」の中の
「人麻呂賞」を見事、頂かれました(拍手)。
昨年12月29日早朝の「かぎろひを観る会」で表彰式が行われたそうですが、ご遠方だった
ので欠席されたところ、後日、ご本人に賞状と記念品が送られてきたそうです。
そして、昨日の2月の講座の時に私たちにご報告がてら、ご持参くださいました。
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素晴らしい!快挙です。私が特にうれしかったのは、宝塚コープカルチャーでは年間2回の
万葉ウオークをしていますが、昨年5月にみなさんと大宇陀に行ってきました。
その時の思い出を歌にしてくださったこと。そして、かぎろひ賞ではなく、特に万葉歌人で
歌の聖と言われた「柿本人麻呂賞」だったということが、いいですよね。
私も自分ことのようにうれしいです!!!
実力や短歌歴などがおりだったかもしれませんが、きっとウオークの記念に何気なく
応募されたのだろうと思います。
その作品が、宝塚コープカルチャーの受講生みんなの共通の記念と誇りとなったことが
本当にうれしいことでした。
律儀に記念品のおすそ分けもして頂き…恐縮しています。
本当におめでとうございました!!!!!
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ちょっと読めないですよね。
 初夏(はつなつ)の 陽を総身に反しつつ 
            騎馬像人麻呂 遠きを望む   安原美智子 詠
ちなみに「かぎろひ賞」木下瑞子さん
 晩秋の 阿騎野の里に 氷雨降り
             人麻呂の像 濡れそぼち立つ
でした。私の私見は、万葉世界の「明るさのみなぎるスケール」の歌のほうが好きです!!!

岡本家週間はじまりました!

毎日暗い話題ばかりの提供に自分でもうんざり…。
と言っている間にきょうは節分。恵方巻のあちことの大セールを見ると、まさにクリスマス
ケーキ並み…。
へそまがりの私は、余計に食べたくありません。
節分が終わると、明日は立春。
2月4日の春一番は、私の可愛い大好きな姪っ子のお誕生日です。
今年は年女ですからもう24歳になるのね。私から見るといつまでたっても「少女」のままの
面影です。
今春早稲田大学を卒業し、六本木の森ビルに本社のある企業のエリートOLとなりました。
高層ビルフェチの変わり者でもあります(笑)。
私の娘とよく似ていると言われていましたし、事実一人っ子の我が娘と甥と3人が兄弟の
ように仲良く、バーチャルな3人兄弟の社会が存在しているようです。
これも義妹の娘に対する配慮から育まれたもので、心から感謝しています。
その姪も、「ノリ」は私とテンションが近く、子供の頃から「ウマはあっていた」ように
思います。
ファッションやメイクなども話題が合い、今は「つけまつげ」の善し悪しなどの情報も
私が提供してもらっています。
せっかくなので、なつかしの写真をマル秘大公開!(本人が見ていないことを祈りつつ)
笑えますよね。ちょっとほっこり…。(特別出演に感謝???)

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帝塚山中学・高校時代のひょうきんポーズ。なぜかかぶり物多し。
パンダ・たらこ・リラックマです。
おつきあいと言うことで、私もここで登場しておきます。ケロケロ???
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    まあ、どっちもどっちと言う感じ。
    さて、2月4日のしのぶのbirthdayのあとは、2月5日は弟夫婦の結婚記念日。そして、
    2月6日は、10年前に亡くなった岡本家のおばあちゃんのご命日…とまさに岡本家の冠婚
    葬祭祝日週間と言うわけです。
    きょうは特に温暖な穏やかな日和でした。「春近し!」です。

    2月の初めは初金から…。

    冒険ではありましたが、「オルガンが弾けるかどうか!」逡巡しながら、仁川教会へ
    行ってきました。
    年初からの体調不振は本意ではなく、2月には気分一新がんばろう!と思っていましたら、
    2月初日の1日が、カトリック教会の信心の初金ミサの日でもあり、これって私は神様に
    見守られているのか、試されているのか。
    ともかくミサに与ることを思い、オルガンが最後まで弾けるかどうか、とっても不安では
    ありましたが、とりあえず奉仕は果たせました。
    水浦神父様のお説教が、ちょうどキリシタン迫害の26聖人殉教の日(2月5日)が近いことも
    あり、2月1日のきょう、佐賀県唐津あたりを通過している殉教者の中でも、最年少12歳の
    ルドビコ茨木のお話をしてくださいました。
    そうそう、2月5日は26聖人殉教の記念日の、その大阪カテドラル教会で、弟夫婦が結婚式を
    あげた我が家の記念日でもありました。
    いたいけな少年が殉教という、この世の命より永遠の命を選択した信仰の強さに驚かされ、
    感銘を受けますが、そのお話を聞きながら、私は昨日結果報告の出た、大津市の中学生の
    いじめ自殺事件をふと思いました。
    少年が「死」に追い込まれていく経過を知り、途中でどうして救ってやることが
    できなかったのかと、親、大人世代として本当に責任を感じました。
    また残念ではありますが、ルドビコ少年のように、彼は現世ではなく永遠の命を求めたのだ
    という思いにもかられました。
    今はきっと天国の神様のもとで安らぎを得てくれていることでしょう。
    「痛い」「つらい」「くやしい」毎日いろんなマイナスの気持ちが交差する中で、
    大震災の中生かされたことや、今までが、心も体も順調に過ごすことができる日々だった
    ことを思えば、こんなことくらいで弱音なんかはいている場合じゃないことを反省。
    やっぱりミサに与ってよかったと思いました。
    聖歌隊席の私のオルガンの横で見守ってくださっているコルベ神父様のお像です。
    きょうのところは、「まあまあ、合格!」と言ってくださるかな…。
    しかし、「痛い…」!!!!!
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    カミングアウトその後・・・

    頚椎ヘルニアのことをお知らせして、いろんな方からご心配を頂き、
    本当に申し訳ありません。また、ありがとうございます。
    激痛の発症から10日ほどになりました。21日にようやく整形外科で診断を受け、
    先週は毎日のようにリハビリに通って少しずつではありますが、しびれや、痛みが
    ましになってきたかなと思います。
    利き手である「右手」を使うことが苦痛ですので、指や腕を使わなくてもできることを
    やるようにしています。
    もっとも大変なのは家事かも…ということで、一段と「手抜き」がひどくなりました(笑)。
    弱り目に祟り目とはよく言ったもので、体調と並行するように、サロンの私のパソコンの
    トラブル発生で、1月14日からただいまパソコンもメーカーに入院中です。
    私が手の不具合でパソコンを打てないのはともかく、パソコンがサロンにないと言うのも
    由々しき状況です。メール連絡は転送システムも利用しているので、めったなご迷惑は
    ないと思うのですが、やはり私以外のスタッフも作業に利用していますので、まったく
    不便なことです。
    ただいま、私の私用で移動するときなどに使っていた12インチの小さなモバイルパソコンが
    代用で私のオフィス机にあります。これでまた目が悪くなりそうですが…。
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    ということで、サロンでは山寺さんに余計な負担をかけながらではありますが、
    業務は続けています。しかし寒さは神経痛に応えますねえ(笑)。
    「痛み」ということについて、心の傷みや人の持つ「心の傷」は、自分も同じように受ける
    ことによって初めて理解ができたように、肉体的苦痛もまったく同じだと思いました。
    長年、そして今もなお、手足の神経痛に苦しめられている母も、傍で見ている限りでは
    一見元気そうですし、体のひずみは体重過多や運動不足からくる衰退ではないか…なんて
    批判していましたが、それに伴う「痛み」については、母の言葉からでは想像ができなかったし、
    また大げさに言っているのかも、などと他人事のように思っていました。ごめんなさい。
    今私も受ける「痛み」は、自分でうまく表現できない「不快」なものです。
    検査もリハビリも苦痛だし、また物事に集中できないとか、「痛い」とか「苦しい」と
    言うのは本当につらいことなのだと、初めて思い知りました。
    このたび、整形外科の話題がようやく共通となって、今更ながら両親をももっと労わって
    やらなければいけなかったなあと反省をこめ、あらためて思っています。
    そしてわたし、ただいま左手でパソコンを打っています。
    首、背中、腕は痛いけど、講座も行けますし、土曜日には、奈良ホテルの出版祝賀会に
    参加してきました。昨日は山口ひとみさんと攝津本山のライブハウスに行ってきました。
    できることはやらなきゃ!・・・という日常です。
    病は気からと申しますが、健康だけが取り柄と豪語してきた私ですので、さすがに体調
    不良で気が滅入ってきているのも正直なところです。
    これも「試練」と思い、乗り切りたいと思います。

    年を重ねるということ。

    親の加齢を心配する前に、自分の「老化」というのか、年齢とともに
    思いがけない故障がでてくることに、覚悟はありながら、思い知らされることの
    残酷さに腹が立つ。
    この文章も「弁解」には違いないが、年初から体調の不定愁訴が、「頚椎」にあった
    ようで、先週から急激に右手の痺れから、けだるさと痛さの不快感で、とうとう
    パソコンうちができなくなってしまった。
    これだけではなく、今は「腕」に響く「手先の雑事」がつらくて、右手ゆえ困ったことに
    なった。昨日かけこみで診断を受け、頚椎に原因のあることがわかった。
    「痛み」はともかく物事に集中ができない。
    家にいてもサロンに来ても、まさにでくのぼう状態で、役に立たないことこの上なし。
    みなさんからのメール返信滞りかけました。ごめんなさい。
    FBは必要に応じて…。
    ともかく今は腕が苦痛なので、昨日の診断通りに整形外科の指示に従い治療とリハビリに
    通って、症状を和らげることが先決だ。早くおさまりますように…。
    しかし「なんで!」と思うようなことが起こる年代になったというのが、現実なのだろう。
    現実を受け止めつつ、いかに共存し、自分をもたせるかが、問われる時期なのでもあるの
    だと思う。
    まわりのみなさんに迷惑をかけつつ、協力を仰ぎつつ、がんばります!
    (左手でパソコン打ったぞ!)

    モーニングバードで。

    朝、時計がわりにつけているテレビで、「おはよう朝日です」「モーニングバード」の
    時間帯に自宅を出る。
    私は普段もニュース番組以外はほとんど見ないので、私にとって貴重な視聴番組であるが、
    モーニングバードの木曜日の社会や政治を検証する「タマペディア」と生き方の素晴らしい
    女性紹介の「Gウーマン」のコーナーが特に好きなので、木曜日は録画準備をして出かける。
    すぐに録画を見る時間がないので、雑時間にこま切れで確認するような状況だが、年始の
    1月10日のGウーマンは人形アニメーターの真賀里文子さん(76歳)だった。タイトルは
    「1コマに賭ける情熱」で、作品にコンタック600のカプセル君だったり、いくつか見かける
    CMのキャラクター的なシーンを見て、「みたことある!!!」と思いながらテレビを見て
    いるとなんと思いがけない場面が出てきた。
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    真賀里さんの15年くらい前の写真???かしらん。TV画面に現れた制作中の人形は、なんと
    五島列島福江島の三井楽町に遣唐使ふるさと館開館のために発注された「遣唐使ものがたり」の
    人形だった。「お~っ!この人が作ったのだ。」
    そして、76歳の今も自慢にされている成功例として、遣唐使船が荒海を航海する様子を
    表すのにアニメーションで「波」をいかにつくるかの創意工夫だった。
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    今は五島列島の離島で初めてできた「道の駅」として、紹介されている遣唐使ふるさと館だが、
    五島市に市町村合併されるまで、福江島でひときわ光を放っていた「三井楽町」。
    万葉の故地、最西端の「みみらくの里」として、地元の増田さん(故人)や犬養先生を中心として、
    万葉の里づくりの頃から私も存じていて、集大成のような形で遣唐使ふるさと館ができた
    時のうれしかったこと。そしてここを中心に、万葉フォーラムも2度開催され、私たち
    万葉うたがたりコンサートの機会も数回経験している。
    遣唐使ふるさと館の目玉は、この遣唐使ものがたりと共に、『万葉集』の左中に「みみらく」
    という地名が出てくる山上憶良の志賀の白水郎(あま)の荒雄の歌、10首をドラマチックに
    描かれた「荒雄」のアニメーションで、道の駅となった今もなお、万葉シアターは健在で
    (本当によかった!)多くの方に見て頂きたい素晴らしい作品だ。
    真賀里さんというご婦人は初めて知ったが、私たちの執着する万葉故地のための作品を
    手がけて下さった方の紹介をたまたま見られたことが、大変うれしかった。
    三井楽町は平成の大合併で17年に五島市となり、三井楽町の1町の町おこしはその時に
    終わりを迎えた。
    万葉フォーラムで全国の万葉ファンが集い、会場ともなり、賑わった遣唐使ふるさと館も
    当時、地場産業の起業としてはじめられた「地ビール」も評判だった。
    東京からシェフを迎え、五島牛のレストランもあり、夢のような賑わいだった。
    その後、福江島の港も整備され、立派な商業施設となり、遣唐使ふるさと館にあふれる
    名産品や、おみやげものも次第に減って、数年前個人的に訪れた時に、「道の駅」という
    ネーミングも少しショックだったが、設置された地ビールのタンクは錆つき、あまりの
    変わり果て様に、「平成の大合併」が何が地方分権のための政策の一つなのだ!と矛盾に
    腹が立った。合併に同意することで、その時の地方の負債をチャラにするだけの「飴」だった
    ことを如実に思い知らされたのだ。
    万葉うたがたり会のメンバーは、口をそろえて、演奏をさせて頂いた万葉故地でもっとも
    思い出深い、素晴らしい印象の土地だと言う。
    奈良女子大学の大学院在学中に、現役生の岐宿町出身の洗川志穂さんに出会い、よく五島の
    話をした。その彼女も五島に戻り、市役所に就職をして働いているようだ。
    お正月に、仁川教会の水浦神父様が、「今年福江島で献堂100年記念の教会行事があります。
    岡本さんもお誘いしましょうね!」と言って下さった。
    本当に是非時間を作って何かの機会に五島列島、福江島へ。そして三井楽の町を訪ねたい
    と思っている。
    白良が浜には犬養先生の揮毫された大きな歌碑があり、三井楽を守っていてくださる
    犬養先生にも会いたいもの…。