市民オンブズマン活動15周年記念集会

兵庫県でオンブズマンがたちあがって15周年にあたり、11月26日に兵庫県私学会館で、
記念集会が開催されました。
私の母は、立ち上げの時から参加していましたし、代表世話人の時期もあり、きょうは行きたい
と思っていたようでした。直前に私の時間が空いたので、「足」となって、私も車を出して
一緒に出かけました。
私も政治・社会には大いに興味や関心がありますし、この日の記念講演の講師が大阪市で
有名な活動グループ「見張り番」の松浦米子さんでしたので、翌日の大阪府・大阪市の
首長のダブル選挙の前日でもあり、大阪の状況や、オンブズマンからみた期待値や、
橋本か平松か、松井か倉田か…というのを聞きたかったこともあり、参加できたことが
幸いでした。
大阪市の見張り番は、今年で活動が22年目とおっしゃっていましたが、何年たっても
次々と納得のできないこと、不正があとを絶たず、私たちはいつになったら楽になるの
だろうかとこぼしておられました。
オンブズマンや、チェック機関ができたり、情報公開なども進んだはずですのに、「役所」
の公金に対する無神経と無責任、またいろんな組織の補助金と癒着の構造、正しいことを
主張すると、村八分になっていく住民コミュニテイ、お話を聞けば聞くほど、切なくなります。
専業主婦であった母が60歳で、一念発起し行動を開始しましたが、その母も75歳で勇退
しました。まずは体力の限界ですが、きょうの集会の参加者を見まわしても高齢の方が
多く、あとに続く人たちがあまりない…ということが、残念です。
政治や生活に不満はあっても関心のない人が多いことや、疑問や理不尽に対して、正して
いこうとする勇気や行動力を持つ人が、世代が下がるにつれて少ないことはゆゆしきことですね。
将来の日本を支えていく人たちが、本当に育つのでしょうか。
オンブズマンに母たちの世代が多いのは、戦争も経験して、平和や安全な社会・日本を望み、
孫や子の世代につけをまわさないまっとうな世の中にしたいという一念からでありましょう。
私も気概は持っていますので、今も隠れオンブズマンです。
思い返せば、クリエイト大阪の松田一二社長(故人)が、母と一緒にオンブズマン活動で
テレビニュースに映った時に、私はひどく叱られたことを今でも忘れられません。
「君の主義や信条は自由だ。しかし行政と仕事をしていく立場であることを自覚して、
表立った活動は慎みなさい。」と言われ、以来直接活動は、あまりしなくなりました。
でもその期間に、神戸空港建設反対運動の時に河内家菊水丸さんと出会ったのでした。(笑)
記憶があいまいですが、聞けば反対集会は、今日の兵庫県私学会館だったそうです。
大阪の首長選挙は、オンブズマンの中でも意見が分かれているそうです。そっか~。
きょうは、思いがけず、母への親孝行の日ともなりました。
母が60歳を過ぎて生き生きと活動した日々に拍手でした。
久しぶりに夕食も両親と芦屋の神戸屋で…。

宝塚コープカルチャー野外散策「山の辺の道」

ホームページのトップには、当日報告として既にご紹介はしたのですが、去る11月25日の
金曜日に、山の辺の道を歩きました。
宝塚コープカルチャーをはじめて、5月の明日香村に引き続き、今年二度目の万葉旅行ですが、
「山の辺の道」は、みなさんの憧れのコースの1つのようで、希望も多く、定員の20名を
越える人気で、とてもうれしいことでした。また現地からも三輪にお住まいの小西さん
ご夫妻も加わってくださり、晩秋の古道を楽しみました。
梅田9時出発…10時40分頃、近鉄朝倉駅からスタートしました。
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普段歩きなれた方もあれば、初めて遠出された方もあり、10月に下見をしましたが、
桜井から北上して行けるところまで行く!ということで、スタートしました。
もちろんテーマは「三輪山」ですが、私たちのサロンの屋号にもなっている「海石榴市」は
特に力を入れてお話しました!
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山そのものがご神体である、大和の国の一の宮、大神神社へ詣で、みんなでご挨拶。
みなさんは、傍の「巳の神杉」の卵のお供えを見て、民間信仰も実感。
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お昼御飯は、遠足気分で、お弁当を持参して頂き、狭井神社の万葉展望台で会食。
太陽の微笑みで、晩秋の野外でしたが、背中がぽかぽかしながらでホッとしました。
私たちは本当に幸運です。ここからは大和の国原が一望できる場所で、大和三山が
臨めます。(わかるかな?)
昨年、NHKテレビ出演で、「朗唱」した場所でもありました。
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お天気も良く、暖かい日差しの中、紅葉や、柿やミカンの実りを見ながら、和気藹藹と
歩きました。今回の絶景はやはり井寺池からの「三輪山」でしょう!
みなさん感動の声があがりました。
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三輪山の美しい姿を臨める場所で、人工池ですが、風のない日でしたので、静かな水面に
鴨や水鳥が遊び、青空の中に映える光景が、圧巻でした。
川端康成さんの歌碑の存在価値を深く認めたひとときでした。
景行く天皇のご陵の手前で、本日のウオークは終了。JRの巻向駅から帰路につきましたが、
「もっと歩きたかった!」との思いの皆様方。それでも8キロ近く歩いて頂きました。
みなさん、楽しかったですね。またこの続きも歩きたいし、また天理から南下するコースも
歩きたいです。またの期待を楽しみに、来年の講座も頑張ります!

美佐ちゃん活躍中!

万葉うたがたり会の若き歌姫、大岡美佐ちゃんの実力が次々仕事の活躍の場を広げて
いきます。
10月の大阪ドームでの「国歌斉唱」も名誉ある機会でしたが、今回は仕事先での「歌唱」に
感激した方からのオファーでお仕事の依頼がきました。
出演に関する事務的交渉や、会場の音響や、伴奏者も必要ということから、音楽事務所
TSUBAICHIとして、マネージメントを引き受けることになりました。
11月23日(水・祝)に行われたそのイベントは、大阪市の埋め立て地、舞洲のアリーナで
行われた第5回おおさか体操祭2011でのゲスト出演です。
府民スポーツ・レクリエーションファステイバルも兼ねられた、63団体による体操・ダンス
パフォーマンスが繰り広げられ、総勢1800名が参加されたそうでした。
ゲストに美佐ちゃんだけでなく、有名な梅花チアーリーデイング部などの出演もあり、
「体操」にくくられたプログラムではありましたが、大人から子供まで、衣装も華やかで
メイクもばっちり、今日の日まで訓練されてきた技を楽しそうに披露されました。
こんな機会もあるのだなとびっくりしました。
開会式とお昼の2回の出演でしたが、美佐ちゃんも「体操のイベント」で、歌唱曲や
衣装に悩んだようでしたが、若さや元気をメッセージした曲「翼をください」「ビリーブ」
などを、大阪ドームとはまた違いますが、このような広い会場で堂々と歌いました。
ブルーのシックなドレスが会場に映えていました。
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今回もマネージメントをしてくれた山寺さんが、伴奏も担当し、大忙し。
いろいろ何役もこなせる多彩な人なので、私は安心です。
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実は、私は23日に東京で行われた「古事記」のオペラに誘われていて、行くつもりだったの
ですが、つらつら椿株式会社の仕事でもあり、社長として関与するべし!でしたので、当日は
美佐ちゃんの付き人と写真班を担当しました。
これらの写真は私が記念に撮りましたが、熱心に写真を撮りまくったり、美佐ちゃんの
コートを着せたり、持ったり…と甲斐甲斐しく?世話をしていたせいで、なんとあとから
「あの人が美佐ちゃんのお母さん?」と言われました。(笑)
はい、年恰好からいっても間違いではなく…、「社長下働きに徹する」の巻でした。
美佐ちゃんも大きく広いステージで気持ちよく歌えたことでしょう。
こうして仲間たちの実力がますます認められて活躍してくれることは、私も誇りです。
2月には、ミュージカルも控えているらしく…。若さとパワーはうらやましい限りです。
お疲れさまでした!

真光寺ふたたび

私たちは4月に祖父の里で、菩提寺のある姫路市実法寺の真光寺で万葉うたがたりコンサート
をさせて頂いたのですが、うれしいことに直後から「再びコンサートを!」の声を頂きました。
出身地とは言え、明治生まれの祖父が、次男で13歳で実家を出ているのですから、本家が
残っているとしても、実法寺の里の方々には「名」も「縁」も薄くなっていますのに、
春にチャンスを頂いた時も驚きましたが、ちょうど今年の8月で逝去して5年祭を終えました
この時期に、私がおじいちゃんを偲ぶよすがに、菩提寺でコンサートをさせて頂くことは
神様の計らいかも…と思い、おじいちゃんのための「新曲」もひっさげて、感慨深く演奏
させて頂きました。こちらこそ、真光寺さまに感謝・感謝でした。
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11月21日から28日は、親鸞上人の報恩講の時期にあたり、思いがけず「奉納」と言う形で
初日にあたる11月21日(月曜日)に真光寺の本堂で、二度目のコンサートが実現致しました。
姫路市実法寺の本願寺派「真光寺」は、西本願寺系のお寺ですので、報恩講は来1月???
思っていたのですが、この11月に報恩講をなさると言うことで、「あれ、菩提寺は東本願寺系
だったのだ???」と思いきや、寺谷ご住職さまに伺いますと、やはり真光寺は、西本願寺系
でありました。そして、1月にはご住職様が西本願寺で、報恩講に与られるために、地元では
毎年この秋の時期に行っておられるそうです。
親鸞聖人の「ご命日」は書物にもすべて11月28日とあるので、調べてみると
親鸞聖人が入滅された日は、弘長2年(1262年[2])11月28日(グレゴリオ暦…1263年
1月16日)で、宗派により、旧暦の日付のまま新暦の日付で行われる場合(11月28日)と
新暦に換算した1月16日に営まれる場合がある…ということらしいのです。
なるほど…。そういえば、『万葉集』も、旧暦の時代の歌集なので、記述の事実、行事など
実際に新暦と混在した「行事」「記念日」となっているのは、周知の事実。
本願寺が「東西」に分割しているのも、深い因縁がありますが、行事まで各派によって
異なっているなんて、知りませんでした。しかし今年は?「親鸞750年遠忌」として、全国的に
多くの人々の信仰を集めておられるということにあらためて感心しました。
そして私たちは真光寺に集う方々との報恩講で、「奉納コンサート」。
4月は、「春」をテーマに演奏させて頂きましたので、今回は「万葉人の心」をご紹介する
歌を中心にご披露致しました。
おじいちゃんも、農家の次男坊として早くに村を出て、1代で「ますらおは 名をし立つべし
のちの世に」と、実際に第1号の会計士として、男として名をあげましたが、孫の私たち
にも苦労話とともに、「両親」に対する感謝の思いは人一倍強かったようでした。
故郷に錦を飾れたことも満足だったであろうし、孫の私がその縁で、こんにち菩提寺に
伺えたことや、コンサートと言う形で奉納までさせて頂いたと言うことで、祖父も天国で
喜んでくれていることと思います。おじいちゃんよかったね。
真光寺さまには、本当に終始あたたかいご配慮を賜りまして、心より御礼を申し上げます。
実法寺の里は姫路市の市内にあって、それほど奥深い場所ではないのですが、周辺の山を
切り開いて住宅地ができたり、開発の中にあって、里そのものが高齢化と、住民の減少で
かつての賑わいがなくなってしまいました。まして「宗教心」や「信仰心」が多様化して、
寺・神社・教会・・・とご都合信者の多い昨今、地元に根付き、生活の一部であったお寺が、
閉塞状況に陥っているのは、1か所に限ったことではありません。
熱心な檀家活動をされる方は高齢化し、お寺を支える人たちが減っているのもゆゆしきこと。
このたび私たちのコンサートは、『万葉集』ではありますが、サウンドや衣装で、きっと
皆さんのカルチャーショックを引き起こしたことと自負しております。
みなさんに少しでも元気が出るといいな!と心から思いました。
また「元気の素」として、真光寺さんで、お役に立てることがあれば…と多彩なメンバーを
売り込んできました!(笑)
お寺との縁を作ってくれたヒロユキさんに感謝。
ご来場くださいました、おかも身内親衛隊と、実法寺のみなさまに心より御礼を申し上げます。
ありがとうございました!!!

初金曜日

カトリック仁川教会の素敵な正面の祭壇風景です。
12月2日(金)の今日は、初金曜日といって、カトリック教会の信心の日でした。
毎月の最初の金曜日のことを「初金曜日」と言い、ミサに与り聖体拝領という儀式
を行いますが、聖マルガリータ・マリア・アラコックにイエス・キリストが出現されて、
初金曜日を9ヶ月間続けて与れば、罪の中に死ぬことはなく、イエスの聖心に受け入れられる
であろう…と約束をされたという話に由来した信心です。
全世界で広がり、行われていることですが、私も教会のオルガン当番で「初金曜日」の
担当になっています。
10時から今年最後の「初金」に与ってきましたが、先週の日曜日から教会暦では「待降節」に
入り、教会にはクリスマスを迎える準備ができていました。
教会入口には、日曜学校のこどもたちによってキリスト誕生の場所「馬小屋」が造られて
いました。
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待降節には、毎週1本ずつ蝋燭の点火が増えていき、素敵なクリスマスリースに蝋燭が
ともされていきます。「神はひかり…」
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教会もクリスマスの準備が始まりました。黙想会や告解や、まさに心の準備です。
1ヶ月に1回のこのミサで、私は神様にいろいろな報告があります。
名ばかりの信者ですが、いつも「感謝」と「喜び」の心を忘れることはありません。
意識せずとも、「おかげ」と「幸せ」に囲まれていますので…(笑)