さようなら。
「学割」を有効に使ったのは、遠方へ出かけるときだけだったかなあ。
そうそう、娘の芝居なども学割で入場しました。
私にとって、有効利用ができたかどうかわかりませんが、今時の学生証にはICチップが
入っていて、校門・図書室など、これがないと入れない箇所もあり、大学内では、必携の
身分証でした。
ありがとうございました。奈良女子大学大学院に在籍できたことを幸せに思います。
3年間の大学院生活が、今日で終了しました。博士前期課程修了です。
病気のロスで、「もう一年!」というチャンスもあったかと思います。
現役の時は神戸市の地元の大学でしたが、これから行くからにはという条件に奈良女子大学が
「奈良の京」にあったことは私にとって大変意義がありました。
また、御顔見知りであった坂本先生が社会人に対して門戸を開いて下さり、導いて下さった
ことにも感謝の気持ちでいっぱいです。
授業は楽しく、週一回(初年は2回)の通学で、限られた範囲でしたが、『万葉集』以外の
科目で、あらためて関心を持ったり、もう少し知りたいと思う書物や、人物にも出会いました。
その一人が藤原定家で、偶然に私のサロンTSUBAICHIで中西さんに百人一首の歌人の
シリーズをして頂いていますが、編者である定家の、日本文学おける貢献のすごさを土佐日記
や源氏物語などでも感じました。
また、本居宣長の国学意識に触れて、江戸期の「国学」運動にも興味が生まれました。
大学院は研究をより深めるところ…と入学時に念を押されましたが、結局肝心な研究事は
時間的限界という致命傷によって、指導の奥村先生にも最後までご迷惑をかけました。
何とか、大学院を終えるにあたってけじめをつけることができたことを感謝しています。
寒い一日でしたが、無事「学位授与式」が奈良女子大学記念館で行われました。
戦中派の母にとって「奈良女子高等師範学校」は憧れの学校だったようで、私の進学についても
母がとっても喜びましたし、積極的に協力してくれましたので、修了式は一緒に…。
父も来てくれました。現役生の親子に交じってすごい老親子!
でもこれもちょっと親孝行になったかな。
畏れ多い立派な大きな修了証を頂きました。私の「学位」は資格はありません。(笑)
3年間「学んだ」修了証を頂きました。うれし~い!
東北の被災地で雪の降った昨日、阪神間も雪が舞う寒い一日だった。
私は1人で、4月9日のための「神戸を歩くコース」の下見に出かけた。
4月9日はTSUBAICHIの3年目のスタートと言うことで、記念企画にチャーター船での
クルージングを計画しているが、それならば、せっかくの機会を利用して、少し早めに
集合して頂き、神戸の街を散策しながら乗船場まで歩くのもよいかも・・・と講師の山内さん
に相談して、歩くコースを決めた。はやく詳細を決めて、お知らせしないといけないので、
私が代表して下見に行ってきたのである。
でも、思いがけず心の満たされた1日を過すことができた。
というのは、私は震災後トラウマで、「神戸」に行くことをしなくなった?「神戸」に
行くのがつらい?「神戸」を封印?…自分でもきちんと説明ができないのだけれど、
事実、神戸市垂水区で育った神戸っ子の私が、阪神淡路大震災以来、本当に「神戸」へ
行かなくなってしまった。
「下見」という大義名分でのコースも、出発した三宮駅前から、はっと気付いた。
私にとって、「復興した神戸」をはじめて歩く機会なのだ。フラワーロード沿いの歩道も
幅広く、整備されて歩きやすい。周辺の建物も市役所をはじめとして、再び高層ビルが
立ち並んでいる。東遊園地も震災記念日の報道画面でしか見たことなかったが、あらためて
現地に立って見て、私たちの2周年企画のこのコースは、いみじくも東日本大震災で、被害
状況がこれから明らかになっていくであろうこの時に、16年経って復興した町「神戸」を
歩いて頂く偶然は、これから被災地が日常を取り戻すまでの時間の長さをしみじみ痛感する
「追悼ウオーク」であるような気がした。
(東遊園地で会ったノラ猫)
実際にメリケンパークには、震災のメモリアルパークもあり、中突堤に続く港の様子は、
公園整備ができており、楽しめる広場が広がっている。
震災後の復興のあと?が、まるで今まで何もなかったのように平和に静かに時が流れていた。
三宮から神戸の中突堤まで、5キロほどの距離だが、居留地あとや、南京町も通る。
メインの船で摂津の海を楽しむ企画は、私たちの希望の通りの航路を組んで頂き、ポイント
ごとに山内先生に「万葉講話+神戸+風景」のお話をして頂くが、「神戸の街を歩く」ことの
意義をこのたび深く感心した私は、この4月9日の機会をみなさんにお薦めしたいと思う!
学びと遊びと感動と…TSUBAICHINの目標としているところである。
できるだけ多くの方々の参加を期待している。
母が80歳の誕生日を迎えた。「傘寿」である。
祖父母が長生きだったこともあり、二人を見送って5年。その時に気がつけば、既に
老境にいる父母に愕然としたことを思い出す。
私自身、仕事や生活や自分のことが中心であるが、幸いにして、弟のお嫁さんである
幸子さん(義妹)が、聡明かつ、よく配慮できる人なので、両親は実の娘以上に安心だった
ことだろう。
母性愛あふれる母の「社会的思考・行動力」はブログでも述べた通りだが、未だに「親」の
意識が強く、「老いては子に従い…」なんて、母の辞書にはないように思う。
実際本人は謙虚な気持ちのようであるが、経済力もあり、男性的な視野でものごとを判断する
母には、私の私生活や仕事や子育て…すべてが気になるようだ。
サロン経営も(どんぶり勘定のO型娘なので)心配しているが(笑)、サロンでの行事には
体調が許す限り、参加したいようである。
昨日の「3月16日」のお誕生日に、月に一度の山口ひとみさんの「みんなで歌おう!懐かし
の歌」のカルチャー日とぴったり重なった。
おかげさまで、みなさんに「happy birthdayの歌」でお祝いして頂き、思いがけず
華々しい傘寿の記念日となった。
今は、両親そろって元気で過ごしているが、子供の時に感じていたような「家族の永遠」
はないことはわかっている。
ただ、両親を中心として、子供たち、孫たちのこの家族バランスができるだけ長く続き
ますように…と願い、祈ってやまない。
3月6日にやっと母と写真が撮れました。吉本愛子さんもご一緒に…。
おかしい、何かがおかしい!
昨日から今日のニュースは、原発の状況の説明が各局でなされ近辺の住民だけではなく、
日本中、世界に恐怖と関心をあおっている。
原発のしくみや、機械のメカ、今の状況、今後の予測と不安、本当に多くの識者の話で
よく理解できた。ちょっとした説明は私にもできる。
皮肉にも、学者・有識者の語彙や、説明力に差が見えて、それだけでも選択の余地がある。
そして、今最新ニュースで2号機の近くで爆発音が聞こえたと割り込み報道中である。
いよいよ最悪のシナリオの方向へ来たのか…。神様お守りください。
5日経っても、大震災の被害状況も判明していないのに、地震→津波→原発→節電→東京…と
テレビの画面の報道は、「混乱」「非常時」の取り上げている対象がずれている。
避難所で、がれきの傍で、家族や知人を探す人々の助けにならないものか。
私たちには、「関西電力につとめる友人から…」とチェーンメールが複数届いた。
文面が微妙に違うが、最終的に今繋がりにくい時に、「電波妨害」の恐れがある、危険な
メールとのこと。内容の節電に関することは大事なことだが、私にチェーンメールを
送って下さった方は、友人でも特に「善人」ばかりだ。切ない。
ともかく、生存者の確保、奇跡の救出を望みたい。劇的再会を望みたい。
そして、被害者が判明しつつあるクライストチャーチの悲劇も忘れてはならないのだ!!!
うららかな日曜日の午後、TSUBAICHIで、予定通り蓄音器のコンサートを開催しました。
東北・関東大震災の直後、テレビのどの局も特別報道番組で、繰り返し、津波警報と現場の
様子を映し出しており、見るにしのびなくても気になって、テレビもつけっぱなしにして
しまう気分でしたが、気持ちが滅入ってしまうことより、つらさや切なさがひとときでも気分
転換できるのならば…と、サロンでは予定通り、めずらしい英国製の大型ホーンのEMGと言う
蓄音機でのSPレコードの鑑賞会を催しました。
京都在住の中村さんのコレクションですが、HPのトップページの写真に載せたように、
直径60センチもある、スイスホルンのような形のホーンからは、やはり迫力ある音が再生されて
TSUBAICHIに響き渡りました。ホーンは自在に動かせるので、角度を変えると音色がまた
違って聞こえます。また明治時代に録音されたクラシック曲などは、演奏者の個性がよく
あらわれていて、レコードの音とともに、録音時の背景や様子がしのばれる面白さがありました。
もっともお客様に反応が大きかったのは、やはり「歌謡曲」です。
李香蘭の「夜来香」や、灰田勝彦の青春ソング、歌謡曲で初めて哀愁を歌った田端義男など、
音楽を聴きながら、みなさんその時代のことや、青春時代の思い出や、「その歌」へのこだわり
などを話して下さり、「歌は世につれ、世は歌につれ」と言う通り、音楽と共にあった
昭和史を実感しました。そして音楽に興味のある私たちは、過去の音楽が歌詞も曲も
工夫されていて、凝った名曲が多いこと…。感心しました。また、私たちのサロンで
「みんなで歌おう、懐かしの歌!」というカルチャーを設けておりますが、毎回実感する
ように、「歌」とともにある人生をかえりみたり、懐かしい思い出を取り戻す貴重な時間
でもあります。SPレコードで名音楽家のクラシック曲を鑑賞することもなかなか「通」の
楽しみでありますが、あらためて歌謡曲の偉大さにも感心させられました。
年配の男性が圧倒的でしたが、なごやかに、めずらしい蓄音機で貴重なレコードを聞かせて
頂くという贅沢な時間を持つことができました。
提供・ご協力してくださった中村さん、また機会を作ってくださいね!