犬養万葉顕彰会旅行!

昨年は、犬養先生の生誕百年を記念して、いつもの万葉故地旅行に
犬養先生の原点である「阿蘇の噴煙」を求めて、熊本の地を加え、
赤レンガの建物の残る、旧制第五高等学校や阿蘇山なども訪れました。
今年の三月末で、私が会長を務めていた顕彰会の第五期が終わりました。
ただ、07年間で行った長期旅行の万葉エリアが、1箇所残っていましたので、
旧役員有志で行うことを決め、山内英正さんを顕彰会の代表、そして講師として
今年度も「浜松万葉旅行」を行いました。
厳密に言うと、浜松、浜北、浅羽町の三箇所をコースとしましたが、平成の
大合併により、浜松と浜北が1つの浜松市となり、今回見学の犬養歌碑は
浜松市の行政区だけで7基(浅羽町→袋井市で2基)という、一つの万葉
エリアとなりました。
ここ数日、猛暑日が続いており、この季節の旅行に不安も抱きましたが、
やはり万葉ファンは普段から「万葉熱中症」ですので、免疫があるのか!?
ハードな旅でしたが、一人の体調不良者を出すことなく終えることができた
ことにほっとしています。
しかし犬養高気圧もますますボルテージを上げていましたね(笑)。
おな
浜名湖の湖北の猪鼻湖の西方にある「乎那の峯」の砂洲は、今はホテルが
建っていますが、峰がやがてひじ(砂洲)となるまで、寿命が続いて欲しい・・・と
詠う、祝賀の歌の故地。そこには犬養先生の136基ある歌碑の4番目に建立
された歌碑があり、コースはそこからスタートしました。
次に、引佐細江の澪つくし(模型)を見、吾跡川柳を見て、宿泊の舘山寺温泉へ。
今年はこの時期に花火大会がなく、団体の宿泊が可能となりました。ラッキー!
到着して食べた「いちごのかき氷」が美味しかったこと。
そして、すぐに汗を流したくて、露天風呂に入りましたが、よく晴れた空、
広がる浜名湖を見ていると明るさと暑さで、まるでプールで泳いでいるような気分
になりました。(汗)
もちろん、一品は鰻の蒲焼が入ったお食事に、舌鼓を打ちながら、大宴会。
自己紹介などをしながら楽しくひとときを過ごしました。
各地から、各世代の方々がご参加くださり、また犬養先生や、万葉集との
いろんな関わりなどを知ることができ、有意義な交流会でした。
翌日は、露天風呂で日の出を見た人も多かったようですが、早朝から快晴!
8時に出発し、浜北へ。南陽公民館、浅羽の八幡神社、浅羽図書館、そして、
お昼は浜北万葉の森公園に行き、犬養歌碑の見学を中心に、防人の歌の
ふるさとを偲びました。昼食は今回の旅の目玉とも言うべき、「古代食」を
経験しました。
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地元の「月草の会」のご婦人たちが、資料をもとに再現されたり、
また古代から今もある植物を、食せるように工夫を重ねて、新たな献立を
加えてくださった・・・などご説明も聞きながら、興味深く美味しく頂きました。
「月草(つゆくさ)」の天ぷらは、初めての体験でした。夏の献立で、
鰻の蒲焼(語源はがまの穂)は、武串に上手に形作られて、感心しました。
予約制で(食材の準備が大変!)いつでも食べることができるので、是非
浜北万葉の森公園へ行かれて、種類も充実して、よく手入れされた万葉植物を見て
犬養歌碑や桜井満氏の歌碑を味わい、古代の食事・・・とできるだけ多くの人に
足を運んで頂きたいものです。
植物は夏場で、限られていましたが、浜木綿、蓮、ひおうぎ、そして秋の七草の
女郎花、撫子、桔梗、めずらしいところではピンクではなく紫の山ぢさが
咲いていました。
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少しあわただしかったですが、次の若倭神社、麁玉(あらたま)公民館、
浜北文化センターと、きょう一日で8基の見学を達成しました。それぞれに
個性があり、石の種類や、建立地のこだわり、地域性を感じる建立スタイルや、
歌碑の意義の現状などを確認することができ、本当に密度の濃い旅となりました。
参加者のみなさんとも名残は尽きず、またの再会を願いました。
今日(28日)は、昨日と一転して全国的に天候不順で、近畿は雷雨、洪水警報の
出る大荒れの天候となりました。金澤の浅野川は氾濫、敦賀では竜巻や突風が吹き、
山内情報では、浜北(静岡)も風が吹き荒れたということだそうで、びっくりしました。
やはり私たちの旅は犬養先生に守られていたのですね。
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昨日の浜松は、37.7度と全国で2番目に暑かったそうで、私は先週の岡山も
日本で2番目の暑さと言われましたので、わざわざ選んで行っているのか・・・と
思うくらい!?(笑)。でも家で過ごしている方が、よっぽど暑く感じます。
そうそう、張り切って(いや、ドキドキしながら)出かけた前期試験は、
警報発令のため延期となり、教室の「急告」張り紙を見て、がび~ん!
試験勉強の時間を稼げたと思うべきか、ドサクサで終えたかったという本音か、
微妙なところですが(汗)、自然の変化には逆らえません。
犬養万葉顕彰会での旅は一段落しますが、犬養先生との心の旅は永遠に続きます。
参加者のみなさん、ゆっくり疲れをとってくださいね!!!
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先行予告!

26日~27日の一泊2日で犬養万葉顕彰会「浜松」万葉旅行に行ってきました。
しかし、本日、大学院の前期「東アジアの言語と文学」の試験があり、
一夜漬けもままならぬ状況で、今から出かけます。ふーっ、がんばるぞ!
報告日記は、今夜書きますので、お楽しみに?????
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大暑はビールで乗り切るぞ!

連日、「この夏最高の◎度・・・!」の気象予報報道も、なんのその。
自称夏女であり、(更年期で体も火照ってます???)食欲増進、
夏バテとは縁遠い私です。
うたがたり会の仲間ももはや「家族」。コンサート活動で顔を合わす
ことは楽しみと安心感で、ステージでのパワーアップにもなっている。
普段の合間の時期も、お互いの健康や生活や仕事などを思いやり、
仕事の協力をしたり、年の差のある女性の仲間たちなので、乙女心や
妻・母・嫁?などの時には悩みを相談しあったり、いつのまにか
私たちが心おきなく話し合えるよい関係の仲間となっていることは、本当に
うれしいことだ。私は素敵な仲間に恵まれたことを心から感謝している。
もともと職場の同僚(笑)からのスタートだが、私以外は専門教育を受けた
プロの音楽家たちである。(尊敬)
しかし、万葉活動においては、A型の山寺を要に、O型の私、園田、山口、村田
B型の木原、小林と、うたがたり会の性格もわかりやすい!
また、ほとんどがトラ吉で、8月も甲子園球場の観戦を予定している!!!
その仲間たちで集まろう!と言うことで、1ヶ月半も前から「この日」を決めて
(みんな忙しい!)22日になったというわけだ。
木原さんはお嬢ちゃんも一緒に、またせっかくの美味しいビールで乾杯すらなら、
山口さんのステージのある日に・・・とみんなの配慮もあった。
残念ながら、村田さんは愛猫が急逝し、砂原さんはお父さんの入院で、ドタキャン
になってしまったが、またの機会を楽しみにすることにしよう。
ちょうど会場のスクリーンでは、タイガースの試合を放映してくれており、
みんなでマジック46点灯の祝杯もあげることができた。乾杯!
美味しいビールとお料理メニュー選び、食欲も積極的!乾杯!
白雪姫、山口さんのドイツ曲も迫力あり。乾杯!
たのしいひとときに乾杯!
アサヒ
勝利の女神の私たち。万葉の宮のイラツメたち、平成の美女軍団は、「大暑」
なんぞの暑さより、みんな「熱い」情熱の持ち主ですので、我らに近寄って
火傷なさいませんように・・・。(オホホ!)

複雑な思い

歌碑
いつも夏にプライベート万葉旅行に出かけるが、今回は海の日の連休を
利用して、犬養先生が亡くなられてから建立された、岡山県津山市久米南町の
笛吹川歌碑公園にある額田王の「あかねさす・・・」の歌が揮毫された歌碑を
訪ねてきた。
犬養歌碑は、今春で現在136基となったが、額田王の歌は近江の市神神社の
境内にある歌は残念ながら、有名な蒲生野の歌ではない。
万葉集の中から一人歩きしていると言っても過言ではない、この名歌
「あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」
数ある犬養先生の歌碑で没後に建立されたことが、不思議なくらいだ。
法然上人生誕のゆかりの地「誕生寺」を目印に岡山駅からレンタカーで出発。
たん
立派なお寺で、法然上人の産湯の井戸があり、ご両親の霊廟もある。
今はさびれているが、正面の参道沿いには家屋の名残などもある。
「晴れの国岡山」は、この日日本で2番目に暑い日だったそうだが、快晴の
青空とみどり深い古刹の森でのひとときは、空間を独り占めしているような
気がした。
残念ながら、誕生寺と歌碑公園との関係が薄いのか、寺からは案内板も無く、
遠回りして、歌碑公園を探した。
なんと、持参した資料のイメージとは面変わりしており、歌碑がいっぱい!!!
犬養歌碑はどこだ!
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公園の前の川(片目川→笛吹川)は整備され、ホタルの里の保護地域になっている。
その川を挟んで、個人の「歌碑」が周囲にたくさん建立され、数えてみると
90近くあった。(86基?)あまりに多すぎて正直な感想は「墓地」のようだ。
その中で、犬養歌碑だけ副版も作られていたので、中心部で見つけることが
できたが、地元の方々の「歌碑」は今後、まだまだ増え続けるように思われる。
希少価値の額田王の歌碑であり、私は感慨も一入だったが、余計に「この地に
先生の歌碑のあること」の意味を考えさせられた。
果たして犬養先生の「万葉故地、景観保護、ふるさと活性・・・」の意向にかなって
いるのものであろうか。犬養先生が亡くなられてから・・・の建立は、地元民にも
揮毫者の印象が薄いはずだったであろうし、この奥深い岡山の地の活性化を
図るための手段であれば、誕生寺を含めて、表示・案内・地元協力の形が示されて
もよいと思われる。
そして、地元のための歌碑公園として、今後も規模が大きくなっていくことは、
それはそれで大事であり、公園のアピールを積極的になさるべきだと、エールを
送りたい。
私としては、歌碑は犬養先生の化身のような感覚があり、どの歌碑を訪ねても
犬養先生が、しっかりと「その大地」に魂を根ざし、踏ん張っておられる
姿に見えるのだ。今回は、林立した歌碑群に犬養歌碑も埋もれて、まるで人質に
取られたような気持ちさえして、「オカモちゃん、よく来てくれたね!」と
さびしがっておられた先生をやっとお訪ねできたような気がした。
また、帰る時には、後ろ髪をひかれるような、切ない心残りを感じながら、
「先生、また来ますね!」とお約束をして歌碑を離れた。
誕生寺2
建立してくださった方々には、感謝の気持ちであるが、こんなに
歌碑との対面で思い乱れたことはなかった。
犬養先生が亡くなられて10年。「歌碑」が先生が揮毫されたことの意義を
語り、理解せしめるものとして、単なる名所・旧跡の記念碑となっていくこと
のないように、教え子としてしっかり見守っていきたい・・・。

思いがけない出会い

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昨日、出会ったこの浜木綿は、なんと難波宮跡の南門のそばに咲いていました。
それもこの1本(1株)だけ。
なぜか毎年浜木綿が気になる私。今年はインド浜木綿は何度かみましたが、
木綿花の浜木綿にはまだ出会っていませんでした。
備前の会の万葉旅行の下見で、久しぶりに「難波宮」を訪れましたが、
過去何度も行ったことがあるにもかかわらず、浜木綿は知りませんでした。
私のために咲いてくれていたようなきがして・・・。
思わず、「ありがとう!」と私も微笑み返し!
この難波の宮も都会の喧騒の中で、古代の宮跡が凛々しく残っていることが
素晴らしい。そして一角には、大阪城公園があり、大阪府庁があります。
古代から大阪の政治の中心地は、変わらずこのあたりなのでした。
しかし、人影の少ない宮跡に、なんと周囲にブルーシートの住居!?が増えて
ホームレスらしき人たちの姿がちらほら・・・。OH
それも読書しておられたり、ロッキングチェアーでくつろぎ、何だか優雅な
雰囲気で、私は少し複雑な気分???になりました。(汗)
8月の万葉旅行はまさに「大坂夏の陣!」。撤退することもあるかも・・・。
暑さと日除けのことを考えるともう少しコースを検討することにします。
柱

あれやこれや 最終回!? 夏見廃寺

大学院に通うようになって、今一番のお気に入りは、車窓から見える
平城宮跡の広大な空間である。
今までは、近鉄奈良線に乗車していてもそれほど気に留めることも
なかったが、大学との往復に「古京」をもっとも実感できる場所だから
だろうか。合格発表の日の一面の雪景色も圧巻だったが、今は鮮やかな緑の
絨毯が眩しく、美しい。朝夕の背景も情緒があって、いい感じ。
今は、地道な考証や分析の万葉を学んでいるので、余計に古代の息吹で
深呼吸をしたい気持ちにかられている。
9日には、安堂の大和川沿いにある高橋虫麻呂の長歌の歌碑を見てきた。
河内の大橋の娘子の歌だ。今年初めて、蝉の声を聞き、夏を実感。
週末の12日には、上野城へ行った折に、久しぶりに名張の夏見廃寺跡の
犬養先生の歌碑も訪ねることができた。
今、6枚目のCDを制作中だが、私のこだわりで、「二上エレジー」を
ボーナストラックとして入れる予定で、この曲を最初に録音した。
「先生、やっぱり私の原点はこの歌ですね! 次のCDも悩みながら
作っていますが、応援していて下さいね。」と報告した。
夏見
ここで、平成8年に国有地では私たちが初めてと言う、記念すべき夏見廃寺
コンサートをさせて頂いてから「名張」とはご縁ができた。その後、青山町でも
2回もコンサートをさせて頂き、万葉集の直接の故地でなくても、私たちの
うたがたりと町づくりのテーマさえ合えば、万葉集は引き出しの多い万能選手
として活躍する!
実は、来週の連休を利用して、私、岡山県の笛吹川の犬養歌碑を訪ねる
予定でして・・・。だって、私の憧れ、額田王さまの歌ですもの!!!
七夕よろしく「オオキミ様にあやかれますように・・・」ってお願いしてきま~す!
やっとこさ、ブログ報告が追いついてきました! ほっ。
あれやこれや、忙しい3週間でした!(汗)

あれやこれや 七夕(その2)万葉講座

先月に引き続き、7月8日は今年2回目の備前の万葉講座。
早朝、めずらしく轟く雷鳴と集中雨で、出鼻が挫かれた・・・?かと
思いきや、出発の9時頃には、晴天となり「晴れ女」の面目躍如!!!
7月なので、うなぎの話?七夕の話?秋の七草の話?とテーマに悩みながら
レジメを準備したが、結局8月に万葉旅行をする「万葉の難波」になった。
でも昨日が七夕だったので、それに触れないことはあり得ない。
山上憶良の七夕歌の「短歌」で作曲した「七夕の歌」をご紹介しつつ
万葉時代は、7月1日から万葉の「秋」の季節になることや、昨日の
機物神社のおみやげ話をしながら、中国の伝説と日本人に受け入れられる
土壌となる「通い婚」や「待つ」ことの共感などを話すこともできた。
ka
前回は「あさざ」の花の感動があったが、今回もまた、サプライズ!
万葉時代の短冊「かじの葉」を講座生の武本さんが、わざわざ、今日の私の
講座のために玉の浦から取り寄せてくださったのだ。感激!
万葉時代の「葉書き」である。古代は棒で書いたと言われている。
実は、かつて備前の講座が始まって後、2000年7月8日に名張市で大伯皇女
1300年遠忌記念うたがたりコンサートを行ったが、前々日くらいに備前で
講座があり、その時はじめて武本さんがご持参くださり、うれしくて
コンサート会場でご披露していおり、そのビデオも残っている。(未だ販売中)
私が犬養先生によって、万葉集の楽しみが机上だけの学問でなくなったが、以来
「自分の目」で古代の歴史や故地や現象や文化や草花や生活を今もなお、見たり
体験することのできる幸せが何よりだと思っている。
そして、万葉を通じて親しくなった方々が、私にタイムリーな情報をもたらして
くださったり、さりげなく現物を見つけてきてくださる。
本当にありがたいことだ。皆さんのおかげで私もまだまだ学ばせて頂いている。
加えてお世話役の平野さんが、粋な計らい!
この「かじの葉」を紙に型とって、講座生全員に配ってくださり、おかも織姫に
「かじの葉短冊」でファンレターを書いて頂いた!中には
「かくばかり 恋つつあらずば 八月の 難波の地にて 待ちにか待たむ」
などあり。やられた!来月の野外万葉の機会を楽しみにしてくださっている。
今回も楽しい1日だった。おみやげになすび、きゅうり、玉ねぎ、ジャガイモ
など重かったけど、主婦ゆえ、講師の謝礼は現物支給も大歓迎でした!(笑)

あれやこれや (七夕の巻)その1

7月7日のロマンチックな天上ロマン・・・。
今年の七夕の夜空は曇っていたが、雲のベールの向こうにうっすらと
三日月だけが見えていた。牽牛の嬬迎へ舟が漕ぎ出らし!ねっ。
「七夕」は日本の風物詩としても、子供たちが、短冊に願い事を書いて
笹に結び、飾付け、楽しむ年間行事に定着しているが、大人にとっても
「七夕の逢瀬」は、心を浮き立たせる天上ロマンとして、人気がある。
交野市倉治の機物神社は、1月に私も万葉歌碑の除幕式に参列したが、
ご祭神がたなばたつめでいらっしゃるので、まさに神社のお祭りが
「七夕祭」! 一度拝見してみたくて、楽しみにしていた。
残念ながら私の都合で、午前中しか時間がなく、雰囲気だけでも
味わいたくて、ともかく出かけた。
のぼり
JR東西線の津田駅下車。神社まで徒歩15分くらい。
途中で大相撲を思い起こさせる「幟」を見て、うれしくなった。
10時過ぎだったので、境内の多くの露店は準備前。でも
近隣?のご老人たちや、祭り準備の方々で人出は多かった。
私も2枚100円の短冊を購入し、「交野が原の七夕伝説が広く語られ
町の発展と誇りとなりますように・・・」と書いて笹に結び付けてきた。
境内
境内いっぱいに立てかけられた笹は、素朴ではあるが、とても華やかで
女性の祭神に相応しいお祀りの捧げものとして、多くの人たちの思いや
祈り、願いがいっぱいにつまっていて、神様も対応されるのが
大変だろうが!?、一体感や賑わいを十分に想像できた。
夜のご神事、イベント・・・は、参加できなかったが、また次回に期待
することにしよう。
私が少し残念に思ったのは、駅からわずか15分の距離でありながら、
機物神社の近くへ行かないと「七夕まつり」の雰囲気や案内がないこと。
また、インターネットでも予定がわかりにくいこと。
水辺プラザ・星田妙見宮など広域に連携された「七夕行事」として、
ポスターや、案内板や、紹介の手段は外部の者には余計に必要だ。
地元の誇る七夕による「町づくり」を謳っておられる事もあり、内輪の
お祭りで終わらせないためにも、来年はしっかり宣伝してくださいね。
かざり
♪ささのは さらさら 境内に揺れる お星さまきらきら 金銀砂子♪

あれやこれや (2の2) 20年ぶりの上高地

遅ればせ日記の続き・・・ゆっくりお墓参りのあと、松本経由で上高地へ。(7/6)
到着が遅くなり、車規制の時間で、タクシーもバスセンターで下車。
ホテルまで、家族4人の夕暮れ散歩となったが、おかげで人のいなくなった
河童橋周辺でゆっくり過ごすことができた。
雪渓の見える奥穂高の山脈や、静謐の美しい梓川の流れを満喫した。
かっぱ橋
前回は上高地帝国ホテルだったので、もう一度、泊まりたかったが、急なこと
だったので、今回は上高地清水屋ホテルに宿泊。
芥川龍之介が泊まった縁で、記念して「河童橋」と名づけられたとか?
高村光太郎と智恵子が、2ヶ月間逗留して後に結婚を決めた宿とか?
上高地のたった2つしかない天然温泉の1つだ。
フレンチのデイナーのあと、露天風呂で汗を流し、至福のとき・・・。
さすがに上高地の夜風は冷たく、漆黒の闇に白樺の幹が光っているのに驚いた。
朝から快晴。高山植物が咲き始めた素敵な季節だ。CGグラフィックスの
画面のように、空中には「綿毛」がふわりふわりと浮かんでいる。
泥柳の「綿毛?」だそうだ。
花1花5花3花4
20年前は、弟家族も一緒だった。娘は小学生。あの日と同じように
エメラルドブルーの梓川の清らかさに惹かれ、冷たさを確認したくて
ひき留める間もなく、川の中へ!!! 変わらぬ感性!
安曇野 074.jpg
その様子を見ながら、20年ぶりの上高地を訪れた両親は、時間の流れの中に
何を思ったのだろうか。「時よ、止まれ!」と願ったかもしれない。
思い出のつまった家族の肖像の場所。存分に深呼吸をし、景色を楽しみ、
ゆっくり散歩した。
焼岳も美しく、大正池も懐かしかった。
家族と過ごしたゆるやかな時間。保護者の役目も果たせたようだ。
大正池
ハプニングもいっぱい。
帰りの特急しなの号は、大雨のため中央線の一部不通の影響で、遅れて
出発。名古屋連絡の新幹線にも乗り遅れ・・・。
でもすべてあとあとまで残るたくさんの「思い出」。
心残りの万葉の学会は、また来年出席することにしよう!!!
                                つづく?

あれやこれや (2の1)  安曇野墓参

娘と母の二人の長年の「懸念」を叶えるべく、急遽決まった
「墓参旅行」の日は、実は「美夫久志会」という万葉集の
学会の日で、学生となった今、張り切って参加を楽しみに
していた。すると父の参加表明もあり、娘と後期高齢者の両親
の旅行に千路に悩んだが、保護者として同行することにした。
母と娘が行きたかった「墓参」は、平成13年に亡くなった小母の
お墓だ。母とは妹のような関係で、私も子供の頃から娘のように
かわいがってもらった。そして、小母にとっては、その私の娘も
昔の「私」の再来のように、何もかもが重ね合わさって映って
いたようで、孫のように成長を楽しみに可愛がってくださった
ので、娘にとっても「大好きな小母さん」だったのだ。
10年来の入退院生活を経て、とうとう先立たれた時は、本当に
悲しくて、信じたくなかった。私と母は、通夜・葬儀には大宮
まで駆けつけた。無宗教のご葬儀だったこともあり、私はその場で
オルガン奏楽を引き受け、母も急遽、弔辞を読んだ。
「独身」ということもあり、限られた身内のご葬儀だったことも
寂しかった。
以後、葬儀に行けなかった娘と、かけがえのなかった関係の母は、
1年後に「お墓」が建立されたことを知り、是非一度訪ねたい・・・と
小母に対する数年来の敬慕?不義理!呵責?になっていたようだ。
安曇野 056.jpg
小母は信州の安曇野の旧家の出身で、穂高の麓のりんご畑の中に
自宅と一族のお墓がある。私たちは特急しなの号で中央線を行く。
松本駅からレンタカーで、三郷の里へ。
以前行った記憶をもとに、行きつ戻りつしながら、ようやく到着。
立派な家は残っているが、今は住む人もなく・・・。
亡くなられて、やっとふるさとへ戻ることができた小母が愛しい。
結婚を機に出られたきり、ふるさとはその後の小母を優しく
迎えてはくれることはなかった。
でも私たちには、ふるさと安曇野が大好きで、なつかしみ、自慢や
思い出話をたくさんしてくださった。
そんな小母に、田舎は世間体を気にして、残酷だ。
それだけに、小母の愛するふるさとにお墓が建立されたことが、
私たちの唯一の慰めにもなっていた。
甲子園からお花も持参し、お墓の周りをお掃除した。
ひととき小母の思い出話をしながら、小母と共に過ごしている
実感を味わいたかった。迫りくる穂高の山は素晴らしく、広がる
りんご畑では、小さな実がたくさんついていた。
あずみの2
今は、こんな素晴らしい場所に小母の魂が安住している・・・。
よかった・・・。
あずみの
また来れる事を祈りながら、私たち家族は、20年ぶりの上高地へ
宿泊に向かった。                
                               つづく・・・