年末のサプライズ!

2012年の12月31日に届いた宅配便。
外出先から戻ってきて気付いた不在票に「だれかな…」と送り主を見てびっくりした。
まさか…とすぐに娘に連絡をし、ドキドキしながら再びクロネコ便が届くのを待つ。
夕刻に再配されたのは、娘が10年間アルバイトをした京都の京料理の店「ほんざわ」の
大将からの冷蔵便。
思いがけない大将の決断で、8月にお店を閉めて、郷里に近い東京へ新天地を求めて
人生の方向変換を図られたことは8月のブログにも書いた通りだ。

例年、おせち料理を京都のみならず、宅配で各地に提供してくださっていたので、
我が家も「ほんざわ」のおせちで新年の祝膳として重宝して楽しんでいた。
本澤さんの人生を考えた上で、閉店は納得できたものの、「おせち」については、
はて次のお正月からどうしたものかとそのことが気にかかっていた。
娘を経由して注文していて下さった方々も、本当に残念がってくださり、岡本家も多くの
ファンも途方に暮れた2013年の「おせち」だった。
我が家もとりあえず準備はしたものの、ホンザワのおせちにはかなわないことを承知で…(苦笑)。
そこへ思いがけず大晦日に届いた大将からの「おせち」便。
すぐに娘に写メールで添付し、電話連絡。受話器の向こうでは超感激で涙声の娘。
口下手で、口数の少ない大将は、閉店の大事も淡々としたもので、娘をはじめ、長年
お客様として付き合われた方でも水臭いと思われるほどのあっけないお別れだった。
そしてその後、本澤さんの望み通りのお仕事が決まられたのかしら?とか、
どうされているのかと気にかかっていたが、娘も連絡が取れないままだったようだ。
その本澤さんが、最高のプレゼントで私たち家族と娘に心配りをしてくださったことに、
驚きとうれしさと、感謝と思いやりに…言葉にならない感情が私にも駆け巡った。
娘もホンザワで正社員でもなく、お運びのアルバイトの一人にすぎない存在だった。
ドジをしては、大将に怒られながら、またいろんな社会勉強の場として鍛えて頂いた。
こちらが感謝こそすれ、今では料理人としての環境ではない大将が、縁の無くなった今、
いつものように、手のかかったおせち料理をプレゼントしてきて下さったことに、
娘が大将と出会えたことの幸せや、しっかり培われていた人間関係の素晴らしさに、
私も娘も一生忘れられない「感涙」の大晦日となった。
一人っ子である娘が、離れていても、よき出会いによって、こうしていろんな人に
可愛がられながら、支えられながら成長してくれることを本当にありがたく思う。
私の大好きな「出会い」の素晴らしさを実感できた出来事でもあった。
良かったね。さあ、私たち家族は本当にいいお正月が迎えられます。
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どうです。このゴージャス! 本澤さん、ありがとうございました。

パククンハ大統領誕生!

日本の何とも理解しがたい衆議院議員選挙が終わり、手のひらを返したように、連日新たな
政局に対する期待や、今後についての予測など、マスコミの話題が一転した。
思想や表現が自由であるはずのこの時代に、多くのマスコミ報道が諸問題についてそろって
似通った論評をし、社会や世相について国民を誘導しているかの様子が、今の日本では
本当に深刻だ。
マスコミに惑わされず、しっかり世の中を見据え、判断できる見識を持っておきたいものだ。
民主・自民の他、第3極と言われる党の乱立で行われた総選挙で、選挙期間中、真っ先に
議論された「原発」問題も結局は争点にはならず、国民は目先の「不況」からの脱却、
経済政策の転換を最優先した形の選挙結果となった。
小選挙区制で前回、民主党に譲り涙を飲んだ自民党議員が多数返り咲き、オセロゲームの
ごとく、民主党と自民党がそっくり入れ替わったと言っても過言ではない。
ブログの表紙でも書いたように、完全比例代表制だったら今回の比例得票数を480議席に
配分すると、自民133、維新98、民主77、公明57、みんな42、共産29、未来27、社民11、
大地3になることを検証すれば、国民は決して自民党を信任したのではないのだ。
民意の反映されていない選挙結果にますますやりきれなさを感じる。
意気揚々の安部さんは、組閣にあたり5人の女性閣僚を入れると言う。ほんと?
麻生さんの財務大臣、谷垣さん、石原伸晃、山本一太の入閣???
お友達内閣の何物でもないじゃないの。それぞれ政治の場面で失敗した人々たちが…。
蘇りのゾンビ集団に見える。自民党の体質は、世代交代も、世襲廃止も変わっていない。
それを派閥均衡内閣と合格点を与えるかのようなマスコミ報道。がっかりしている。
昨日韓国で初めての女性大統領が誕生した。パククンハさん。
1952年2月生まれの私と同じ年だ。
選挙戦報道ではじめて波乱万丈の彼女の人生を知った。
政治家の家庭に生まれ、両親も暗殺による最期を遂げられている。
大統領の父親に付き添うファーストレデイとして、政界に関わることになった。
暴漢に襲われ瀕死の重傷を負う経験もあり、結婚もせず、ひたすら韓国の政治に身を
捧げてきた人のようだ。
韓国で「女性」のトップが生まれたことに、国の変化、時代の変化を思う。
私利私欲のない、格差社会の解消目指して、女性ならではの手腕を示してもらいたい。
そして日本では、期待した女性議員たちは、単なる小沢ガールズ、小泉チルドレンと
呼ばれる人たちはしっかり落選した。淘汰されて当然だと思う。
本来の女性の「個人が個性を発揮し、主義主張をしっかり展開してほしい」ものだ。
たまたま同時期に行われた選挙の風景に、常々女性にも男性と対等に活躍してほしいと
いう私の願いも込めて、韓国の新たな時代の幕開けに期待と拍手を贈りたいと思う。

中村勘三郎逝去に思う。

歌舞伎界の革命児と言われた中村勘三郎さんが逝った。
私がデイズニーランドに出かける日、早朝からテレビで逝去のニュースを報じ、まさかと
驚いた。
弟と同じ年の、昭和30年生まれの働き盛りだ。
素人の私の知識では、四国の金毘羅歌舞伎、平成中村座などで大衆に広く身近に「歌舞伎」の
魅力を伝えようと、実際に行動的に実践した人である。
「梨園」といういつの間にか特権階級の家柄のようにおさまっている歌舞伎の役者の世界に
ダメ出しをして、「芸人」である本来のサービス精神を発揮し、江戸時代からの大衆歌舞伎を
目指した姿勢はニュースで知っていた。
人生の平均寿命から言えば、志半ばにして天に召された勘三郎さんのことについて、テレビで
福岡県の嘉穂劇場の2代目主人伊藤英昭さんが、インタビューを受けておられた。
そうそう、地方の芝居小屋を愛した勘三郎さんは福岡県飯塚市の嘉穂劇場の舞台も何度も
踏み、2003年夏の集中豪雨で同劇場が壊滅的な打撃を受けた時も復興支援イベントに
駆けつけた。嘉穂劇場復興支援の時も歌舞伎、大衆演劇というジャンルの分け隔てなく、
同じ役者として接してくれ、本気で嘉穂劇場復興を望んでくれた…という思い出を話されて
いた。
嘉穂劇場と言えば、2005年に福岡県の筑豊地域の嘉麻万葉を学ぶ会の主催で「全国万葉
フォーラムin飯塚」が開催された、その会場となった場所だ。当時の外務大臣の麻生太郎
さんが、ようこそ飯塚へ…、そして日本一の芝居小屋嘉穂劇場での開催を喜んでくださった
お祝辞が思い出される。
万葉フォーラムの開催予定を決めてから直後、2003年の集中豪雨があり、水につかった
惨状の嘉穂劇場も、また明石家さんまや、津川雅彦、また中村勘三郎さんなどが、先頭に
たって復興に立ち上がられて、2005年に予定通り元の姿を取り戻した嘉穂劇場で、
記念すべき全国万葉フォーラムが滞りなく行われた。
そしてその伝統ある舞台で、岡本三千代と万葉うたがたり会の「万葉うたがたりコンサート」
を経験させて頂いたことをまざまざと思い出した。
確か嘉穂劇場の入口には勘三郎さんの場面を書いた看板があがっていたように思う。
テレビでも追悼番組が続く。
「歌舞伎」のために情熱を傾けられたその功績は、必ず引き継がれていくことだろう。
勘三郎さんの死を無駄にしないためにも…。
さがしたらようやくありました。娘も出演できた嘉穂劇場。会場での貴重な親子写真です。
翌年の年賀状としてみなさんにお出ししました。この小屋にも勘三郎さんのたましひが
あったのですね。心からご冥福をお祈りいたします。
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同級生、還暦旅行!「夢の国」へ。

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甲南女子中学校で出会った私たちのお付き合いは、昭和40年の春から…。
出会ってから47年になるんだ!と感慨。
10年くらい前に旅行をした親しい仲間で、また旅をしたいね…と言いながらのびのびに。
「じゃあ、還暦になったら是非記念旅行をしよう!と約束して数年。いよいよその時期を
迎えました。
でも仕事がますます忙しくなっている私や、親の介護で出にくくなっている人や、状況が
様々で、時期がなかなか決められず、また住まいも関東と関西ということで、妥協点を
探すことの方が大変でした。
結局、時期は私の仕事が一段落した後ということで、12月に決定。また場所は京都の
はずが、介護で家を出にくい松ちゃんが顔をだせるようにと東京で集合することになりました。
東京もはとバスで東京見学とか、おかまバー見学???などいろいろ案があったようですが、
最終的にやはり新たな人生の門出に「夢の国へ行こう!」と、東京ディズニーランドに
決定しました。でも結局私は仕事のあと追いかけていくことに、また松ちゃんは、初日だけ
参加ということになりましたが、仲良し6人が全員顔を揃えられることになりました。
私は、夜到着したので、アフター6パスポートで入場。すぐに夜のパレードがはじまり、
食事をしながら、華やかな音楽と照明と、演出の巧みさに興奮しながら、見入ってしまいました。
夜景の写真はむずかしいですね。3匹の子豚のシーンです。
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私も昔は東京ディズニーランドに結構はまっていて開園してから10年以上毎年通い続けた
一人ですが、ディズニー・シーの前年に行ってからは一度も機会がなく、私にはようやく
念願かなっての東京ディズニーランドの旅となったわけです。
でもますますグレードアップして進化していました。やはり「夢の国」でした。
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車体はもちろん、モノレールの窓もつり革も、こんなにかわいい。
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バスもここまでさりげなく凝ってます。
ホテルはもちろんオフィシャルホテル。私ははじめての東京ベイ舞浜ホテルクラブリゾートでした。
2室に分かれるまで、さんざんしゃべって笑って食べて飲んで???
寝たのは午前2時半。朝起きて東京ディズニーランドを満喫する体力があるかどうか心配でしたが、
結果的には、ジェットコースター系のものも3つほど経験し、「怖いものしらず」の私たち。
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ジェットコースターは、やはり万歳して乗らないと!!!ねっ。
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夢の東京ディズニー・シー。見渡す限りの異国情緒に感動。暖かい小春日和の1日でした。
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時期がちょうどクリスマス前というのもよかったようで、特別のイルミネーションも素敵。
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食事もご紹介。デザートの皿やカップももらって帰れます。
ミッキーーパンや、ミッキーゆでたまご…。かわい~い。どうやって作るの???
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十分満喫したはずなのに、心を残しながら帰途につきました。万歩計ではシー1日で11キロ
歩いていました。山の辺の道よりすごいやん!…と。でもあちこち行きつ戻りつしても
苦にならないのですよね。それがすごい。
それとなく「おばさんパワー」を自覚しつつ、最後の見学地は「新しくなった東京駅」。
改札から出してもらって、1周してきました。絵葉書も購入。
最後の最後まで貪欲に時間を過ごした私たちでした。
2日間、本当によくしゃべり、笑い、笑い、笑い…。
もちろん現実のシビアな話の中に、ふと本音をもらしても受け止めてくれる変わらぬ温かい
友情があり、理解や励ましがあります。出会った時から、屈託のない「中高生」に戻っていた私たち。
これから先もずっと、それぞれ健康で、何度でも集まれるような機会を持ちたいものです。
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帰りの新幹線も寝て帰るはずが、最後まで大盛り上がり。
本当に楽しい「夢の国」でした。
サロンでは出発日からドールハウス展が始まっていましたが、山寺さんが快く出してくれました。
おかげさまで、みんなに約束も果たせましたし、すっかり気分転換もできて気持ちは晴れ晴れです。
帰るなり、山寺さんに東京ディズニーランドへ行こう!と誘っています。

待降節

ホームページトップに「馬小屋」の写真をご紹介しましたが、
これは、カトリック教会でクリスマスに「馬小屋」を飾ってキリストの誕生を
祝う習しがあることから、例年クリスマスを迎える準備に入った
時期から、聖堂の入口に準備されます。
もちろん教会だけではなく、カトリック信者の個人のお家でも「馬小屋」を
家族で語り合いながら飾る習慣が今もあります。
クリスマスを迎えた25日の朝には、この籠の中に赤ちゃんのキリストの御像が
いらっしゃいます。
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聖堂には立派なクリスマスのリースが置かれ、クリスマスまで、1週間ごとに蝋燭が
増えていきます。
今年もあとわずか…。先月お祈りをして見守って頂いたこと…山口リサイタルや、私の
行事や個人の冥福などに感謝のお祈りをしながら、毎回のお恵みをしみじみ思いました。
そしてもうすぐクリスマス。
教会は、ミッションスクールの仁川学院という学校と隣接していますが、通りがかりの
満天星つつじがあまりにきれいで、パチリ。
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静かな、晩秋の光景です。
馬小屋を近くで見ると聖母マリアと聖ヨゼフがおられ…。
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そして今日のお祈りのもう一つの大きな感謝は、昨日40年来の甲南女子校の友人6人で
還暦記念旅行が実現したことでした。
次のブログでご報告をしようと思いますが、「デイズニーランド」に集合しました。
神様、夢のような楽しい「時」をありがとうございました。

チームTSUBAICHI

山口ひとみリサイタルから、はや1週間です。本当にはやい!
つらつら椿株式会社は動いていますので、達成感や感動の余韻にずっと浸っていたい気持ち
ですが現実はそうもいかず、日常が開始しています。
26日も「休み」と公言していたにもかかわらず、私も山寺もそれぞれに出勤し、気になった
後片付けに勤しみました(笑)。
さて、リサイタルについて、もっとも感謝したいのは、チームTSUBAICHIの協力・尽力でした。
今回は特に1つの舞台に頼もしい仲間が多く関わって、華やかなステージを支えることが
できたことを本当に誇りに思います。長年の人脈と、信頼と、絆と、そして山口さんへの
親愛があり、まさに「時は来にけり」だったのです。
今回ライブステージという会場で、もっとも腐心したのは、座席の決め方と指定です。
「上席」は、お客様の印象であって、私たちも決め難い会場の配列に悩みました。
それを一手に引き受けて、順調に配分してくれた愛ちゃんと受付チームです。
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そして物販には乾さん、西本君の男性にも協力を仰ぎました。
受付のチケット確認とプログラムを配布する「関所」には、砂原由季子、あっこちゃん、
ともちゃんに…。
お3人には、打ち上げもすべて任せて準備、接待から楽しいひとときを演出してくださり。
いい仲間です。まさにうたがたりファミリーでした。
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会場に関する司令塔は、仕事が「男前」の山下さんです。彼女がいるだけで安心の存在でした。
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また、このたび私の「山口リサイタル」のテクニカルな演出助手は、山本拓平さん。
リサイタル前に入院騒ぎもあり、はらはらしました。
でも当日はやはり演劇人だけあって、限られたリハーサルの時間の中で、舞台の流れを
音響・照明にもしっかり指示してくれましたので、映像的にも美しい舞台でした。
でも当日最後まで緊張がほぐれなかったのは、私たち二人だったと思います(笑)。
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そして貴重な楽屋写真です。山口さんのヘアメイクをしてくださった美容師さんと、
チラシ、ポスター、当日のお花の頭飾り、ブレスレットを作ってくださった西堀さん。
私の思いを具体的に実現してくださってありがとうございました。
1部では、清楚なスカーレットオハラのイメージで…、2部はショータイムにふさわしい
大人の女性のイメージで…と、山口さんにはドレスの色まで指定させてもらいました。
わがまま言わせてもらったけど、新たな魅力が引き出せたと私は自負しています!
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いかがでしょうか。本当に華のある山口ひとみさんに同じ女性でありながら羨望と憧憬の思いでした。
そして、今回は会場的に目立たぬ二人でしたが、坂本さんと冨岡さんがビデオ班で
参加して頂きました。なんかかっこいい余裕のショットです。
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神様って本当にいろんなチャンスをくださいますね。何十年ぶりで再会した犬養ゼミの
千代晴江さんがアートフラワーの先生で、先日もサロンでクリスマスの飾りを製作させて
頂きましたが、私の「閃き」はいったいどこまで…(笑)
悩んでいた、ビルボードの舞台の演出に一役買ってもらいました。
お気づきになりましたか。「カルメン山口」に合わせて別注のバラの花でできた額です。
本当にいろんな方に助けて頂きました。ありがとうございました。
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そして、最後にハードの責任者である山寺さんは、本当にあれこれと細かいことまで
よくやってくれました。私と山寺さんとの山口さんに対する思いが共通であるからこそ
ここまでやってこれたと思います。とても楽しかったですし…。
でも当日はちょっと許せん!
リハーサルを重ねるごとに楽しかった私。当日が勝負の私と反対に当日は自ら観客に徹した
という彼女。
2部が始まってすぐに予定時間が押していたので、対処に動き回っていた時に、カウンター席で
山口さんの歌に感動して涙していました!
…という役割分担でしたね。でも本当にやり甲斐のあった舞台でした。
私って案外プロデユース業に向いているかも???(笑)
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山口ひとみさん、本当におめでとうございました。感動をありがとうございました。
5年後くらいには、またビルボードで、いや、それ以上のステージでまた花を咲かせましょう!
みんなが楽しみにしていますよ。チームTSUBAICHIにも心から感謝しています!

ステージを彩ってくださった方々

今回は、演劇カメラマンが撮影を引き受けてくださいました。芸術写真にもなりました。
またプロフィールにも使って頂きたいショットでご紹介しながら…。
宮川真由美さんは、過去2回くらい?TSUBAICHIで、お客様のレンタルコンサートをした時の
伴奏者として、お顔なじみにはなっていました。
たまたま拝見したステージで、宮川さんが「音楽監督」としてバンドを率いて演奏されて
いる姿を見て、一緒にいた山寺さんと、「山口さんのステージ」を一緒に務めてくださる
のはこの人だ!と本当に同時に閃きました。
それから、4月のプレイベントとして、二人でミニコンサートを経て息を合わせてから
本格的にリサイタルに向けて、準備が始まりました。
お若いですが、大変謙虚で、気さくな宮川さんがみんなに人気があるのは、理解できますね。
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パーカッションの西野欣也くん。みんなはチーチョと呼びますが、学生時代?から知っている
私は有名になられてもやはり西野くんです。
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西野君めざして今回もっとも若手の23才ドラマー、岡本健太くん。
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今回大ベテランは、ウッドベースの小笹了水さん。小笹さんには私たちも20周年、30周年の
万葉うたがたりコンサートで演奏して頂きました。ということは、長いお付き合いになるのですね。
今回もうれしい人選でした。またこの写真がかっこいい!
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出演者は演奏だけでなく、みなさんそれぞれの雰囲気が素敵でした。
ギターの筒井裕之さん。暗くて見えにくいかな。
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夜もお仕事で、残念ながら打ち上げに参加できなかったクラリネットの鈴木孝紀さん。
4月7日のTSUBAICHIプレライブに参加してくださいましたので、限定盤のオリジナルCDで
演奏が残りました。是非聞いて頂きたいです。
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そして繊細で美しいバイオリンの音色で存在感の大きかった金関環さん。
野村萬斉さんに似ておられるのは、風貌だけでなく、品の良さでした。
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こんな素晴らしい演奏をバックに歌った山口さんは、益々耳もこえて、よりグレードの高い
音楽をめざしていくことでしょう。本当に素晴らしいアーチストに恵まれました。
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もちろん、演奏者も山口さんの「歌」に触発されながら、また音楽上の切磋琢磨がよりよい
音楽を作り出してくださったことを本当にうれしく思いました。
山口さん、このメンバーでまたやれたらいいね!
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ごめ~ん。山口さんの両手の「花」ダンサーのお二人。
マキちゃんとともちゃんでした。狭い空間で、ありがとうございました。

ビルボードライブ大阪

山口さんのリサイタル会場、ビルボードライブ大阪。
訪ねて来られて、「昔のブルーノートでしたか。」とおっしゃる方もありました。
場所は少し変わりましたが、前身はブルーノート大阪だと思います。
世界の一流アーチストがライブをするステージです。
山口さんにとっても私たちにとっても憧れの夢の舞台でした。
開場前にインフォメーションを確認する私たち。
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何せ、洗練されたお洒落な空間です。入口に山口さんのTSUBAICHでのライブステージの
時の動画や、スペシャルショットが壁面の画面に映し出されます。かっこいい!!!
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この日のために作った山口グッズ。初めてのオリジナルCDと、ブロマイドポストカードです。
そして届けられたお花がフロアをにぎわせます。
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次回は、出演者を紹介します。

忍坂街道まつり

万葉うたがたり活動を開始して、33年目にはいった。
明日香村の万葉の歌音楽祭などで、一般の人々にも「万葉を歌う」機会が増えてきた。
「音楽」に精通している人は多くても、はじめに言葉ありき…と、初めに『万葉集』が
ありき…で、「万葉歌」を歌える人は残念ながら少ない。
私が重宝して頂けるのは、肝であるそこが突破できる人が少ないからだと思う。
その中で、私が「万葉うたがたり」の後継者が現れたとうれしく思うのは、万葉うたいびと
と称する風香さんの活動を拝見してのことだ。
この度の忍坂街道まつりも風香さんの「万葉コンサート」があるので、いちどゆっくり
拝聴したいと思っていたので、この機会をずっと楽しみにしていた。
折しも、前日の万葉の歌音楽祭では、「泊瀬川」という桜井市を流れる地元の万葉歌の
歌唱で、満票で大賞を受賞されたことは、ブログに書いた通りである。
その翌日のコンサートということで、まさにステージに花が添えられた受賞となられた。
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風香さんとは、万葉の歌音楽祭を通してお知り合いになったが、「万葉を歌う」という
きっかけが、まず私の万葉うたがたりコンサートを見てくださったことに始まるそうだ。
万葉集を歌われることから「万葉故地」への関心は、万葉の旅につながり、そこで犬養先生
とも出会われることとなった。それは著書であり、歌碑であったり、先生の姿こそないが、
犬養万葉、風土文芸としての万葉を意識して、万葉歌の作曲にも繋がっていかれたことと
思う。そして桜井市忍坂の方々との出会いになられたことだろう。
「忍坂」とかいて「おっさか」と読む。ここには、額田王の姉、鏡王女のお墓があるところで、
ひそやかな奥まった谷間にあり、鏡王女の万葉歌の
秋山の 樹の下隠り 行く水の われこそ益さめ 御思いよりは  巻2-92
の歌がしのばれる静かな場所だ。
犬養先生の歌碑があり、道行く人も見落とすような、目立たない小川の川べりにある。
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そこを通って、山ふところに鏡王女のお墓がある。
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久しぶりでも静かな変わらぬ光景だったが、きれいに手入れされており、この場所を
大事にしてくださっている様子が伝わってきた。忍坂区で作成してくださった立派な看板で、
この地を訪れた人が、故地を理解できるように努力してくださっていることもありがたいことだ。
11月4日の忍坂の街道まつりには、多くの人が参加されていたが、それでも奥の谷には人影も
まばら…。人知れぬ里であってほしいが、万葉ファンには是非訪れてほしい名所である。
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風香さんのコンサートは、午後からのメインイベントとしてゆっくり聞かせて頂いたが、
日本書紀に、雄略天皇の歌として「隠り国の 泊瀬の山は 出で立ちの よろしき山
走り出の よろしき山の こもりくの 泊瀬の山は あやにうらぐわし あやにうらぐわし」と
載せられている、そこから忍坂のテーマソングとして作られた「あやにうらぐわし」は、
地元の子供たちも共に歌えるふるさと讃歌だ。
風香さんと子供たちが舞台でも楽しく歌唱された。「♪あやにうらぐわし」
               
ステージでの風香さんを拝見していて、自分の活動を省みる機会でもあった。
私は日本の各地で、犬養先生の頃からご縁を得て、関わっている故地があるが、風香さんには、
大好きな桜井・忍坂にしっかり軸足を置いて、ふるさと発信のお手伝いをなさっておられる
ことにうれしくなったが、今後も『万葉集』の歌は増えていくだろうが、忍坂のみなさん
との原点を忘れることなく、活動を続けていって頂きたいと思った。
しかし、歌曲の創作はもちろん、詩心もあり、語りも上手で、大変素晴らしいステージだった。
犬養先生へ報告、「舞台では、先生の書かれた文章の朗読もありましたよ。忍坂の
万葉かたりびとの存在をみつけました。風香さんの活躍に期待しましょう!」って。
風香さんの今後に期待!!!

はならあと 2012三輪

11月4日の紅葉です。急激に色づきました。きれい!
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私は知らなかったのですが、数年前から奈良・町家の芸術祭としてはじまったHANARART。
ハナラートという、伝統的な町家に、斬新な現代アートを組み合わせたアートイベント。
私が2か月に一度伺っている三輪の里も11月1日から11日まで参加されました。
講座をお世話くださっている小西加津子さんのお宅も三輪の旧家で、小西家も自主参加。
小西家は「八百藤(やおとう)」という屋号で、現在の百貨店のようなお商売をされて
いたようです。
蔵からは宣伝印刷用の版木(三輪そうめんの束の印刷など)、また、仏像の版画や大福帳
などなど、めずらしい当時の用具を出してくださっていました。
ご自宅の開放は大変ですが、訪ねてこられた方々は大喜びされたようでした。
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また、講座をさせて頂いている会場の三輪恵比須神社では、社務所の一角で、今村知也くんが、
ふすまをスクリ-ンにして、また床の間、廊下にも画面を作って映し出された不思議な物体の
映像は、日本家屋の趣きと違和感なく、うまくマッチしていました。
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そして神社の境内には、大地に巻物の日記「時の抄」が刻まれ、作者の宮崎美幸さんが、
悠久の昔からの三輪を自分の言葉で語り、ふるさと三輪を賛美する素晴らしい作品が
展示されていました。
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このような自然空間を生かした立体展示もいいなあと思いました。
雨が降らないように祈るのみ…でした。
そのほか、三輪の今西酒造店では、三輪出身の中田桃子さんの緑を基調としたアートが
新鮮で、彼女の作品がお酒のラベルになっているお酒を思わず買っちゃいました。
地元の方々、外部の方々それぞれが、思いを持って集い、まちづくりに貢献する企画は
素晴らしいと思います。
でも一人でも多くの参加者を…というよりは、地元の方々の理解や協力がとても大事だと
思います。目的はふるさと再生、ふるさと作りなのですから…。
若手のアーティストにエール! そして三輪の賑わいに希望を…。
そして私は、このあと忍阪(街道まつり)に向かいました。