西宮まちたび まんにょう

いよいよ私の担当日。30日は今にも泣き出しそうな空でしたが、「晴れ女」の
面目躍如とばかり!、犬養高気圧にもより頼み出かけました。
西宮周辺は万葉歌が9首ほどありますが、万葉散策コースということで、津門神社から
松原神社を経て、夙川の西田町万葉植物苑へ向かいました。唯一「万葉苑筋」という
道路の呼称が付いています。そこから、少し勾配のある坂を登って、満池谷公園へ。
ニテコ池から、名次神社のある丘陵を見て(名次山」、名次神社で解散というコースでした。
朝10時出発で、12時半には到着の、歩きやすい?距離だったと思います。
西宮のまちたび博は、まちなか体験や、まちあるきや、41ものプログラムがありますので、
それぞれにコースに対する演出やプレゼンテーションの工夫が求められました。
私の万葉コースでは、私が万葉うたがたり活動…という本来のパフォーマンスが今回は発揮
できないということで、仲間に協力してもらい、万葉植物苑で万葉歌姫のサプライズ出演
と相成りました。
みんなで歩いてきた植物苑には、古代の美女がたたずむ風景に出合うというスタンスです。
ともちゃんと山口さんの万葉人は、公園の自然に溶け込み、なかなかに優雅で次元の
違う世界ができていました。よっしゃ~!
公園には犬養先生の揮毫の大伴家持の歌碑があり、その前で私もお話をしたり、歌姫が
「家持爛漫」と「西宮慕情」をみなさんにご披露いたしました。
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参加者の中には車いすで参加してくださった方もあり、うれしいことでした。
公園管理事務所で、お茶タイムのあと、公園を散策。秋の七草ゾーンでススキの群れは
立派でしたが、その根元をかきわけてみると、なんと「思い草(南蛮キセル)」を発見!
これは今回の大ヒットでした。(私も西田公園で初めて見つけました。)
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道の辺の 尾花が下の 思い草 今さらさらに 何をか思はむ (巻10の2270)
万葉集でこの1首しか「思い草」の歌はありません。時期は過ぎていましたが、よかった!
西田公園から、少し傾斜のある道筋を歩き、最終地点の名次神社へ。
スタートしてから、植物苑などで皆さんと和やかになって、コミュニケーションがとれる
雰囲気になり始めて、もう解散!…もったいない!気分でしたが、このご縁がまたどこかで
つながるといいなと思いました。
参加者の中にはかつて犬養先生のカルチャーに来ておられた方もあり、私の「犬養節」を
思いがけなく聞かれ、なつかしくて涙が出そうになったと言われたご婦人もありました。
参加者の方が、私よりも「西宮」には詳しく、知識も豊富な方々が多かったかもしれませんが、
「歩いて確認する」機会は、よかったのだと思います。
私もいい勉強になりましたし、植物園で万葉うたがたりの歌を客観的に見て、聞いてとても
感慨がありました。
当日、見事に解散後、本降りの雨模様に…!
オカモの威力をみなさまにご披露できて、満足です!(笑)犬養アメダスにも感謝。
プレイベントは終わりましたが、来年も西宮で「万葉」発信ができますように…。
http://machitabi.jp/staff/?p=496

古城の森

越中の古城の森は、色づきて、色づきて…♪♪♪
つままの梢 秋風にゆれ 渡り鳥行く…♪♪♪
高岡旅情で歌った秋の風情を思い出しながら、万葉まつりの思い出を…。
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初日だけの「高岡」でしたが、かえって朗唱会場である古城の森でゆっくり過ごせたことが、
何よりでした。
あれから、半月以上も経つのですから、もっと紅葉もすすんだことでしょう。
今年の万葉まつりの直前の9月21日に亡くなられた、歌人であり作家である辺見じゅんさんは、
富山県のご出身で、万葉まつりでは毎年招待朗唱のステージで、額田王の歌を朗唱されていました。
BGMにG線上のアリアなどをご自身で選ばれ、額田王の歌を朗詠されていました。
ふるさと富山への愛着が強い方と伺っていましたが、ご逝去の報で新聞紙上では、父上の
角川源義氏に対する「父恋」と言われるほど、お父様が作品の大きなテーマであったそうです。
折口信夫門下の民族学者でもあり、鋭敏な出版人のお父様の衣鉢を継ぐかのように、短歌も
また、戦争に拘られたノンフィクションや聞き書きや、歌誌「弦」の設立も、故郷の文化
活動についてもすべて「遺志を引き継ぐ」意識からであったと記されていました。
来年の春、富山県に高志の国文学館がオープンする予定ですが、初代館長に辺見さんが内定
しておられました。就任後についても、なみなみならぬ意欲がおありだったようでした。
まさに志半ば…と言うべきでしょうか。
亡くなられたことが残念ですが、もうひとつ、9月に高岡市万葉歴史館が中心になって
行われた、「大伴家持巡行の旅、秋の能登路にも参加されるご予定だったそうですが、辺見さんの
直前キャンセルで、みなさんが心配しておられた矢先の訃報だったそうでした。
そして、巡行の旅をあきらめられたかわりに、歌を2首届けられたその歌が、今では辞世の
絶唱のようになってしまったことに、みなさん切なく思っておられます。
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この歌に対して、高岡市歴史館館長でもあり、歌人である坂本信幸先生が追和して詠まれた
歌があります。披露のご了解を得ましたので、ご紹介いたします。
辺見じゅん逝く
 雨風に 揺るるつままの 木のもとに 天を仰ぎし 君が面影
 うつしみの 消えゆく秋の 天の熾 つままの緑 浄らかに立つ 
私も10年以上、朗唱の会の前日に市長を囲んでのお食事会があるのですが、辺見じゅんさんや、
佐藤陽子さんや、中西進先生らとご一緒させて頂いてきました。
物腰や、語り口は静かでやさしい方ですが、おっしゃる内容はドキドキするくらい鋭く、
強い意志のある意見を持っておられ、私など少し「怖い」と感じていたほどでした。
御身体も以前からあまり丈夫ではなくて、よく体調も壊しておられましたので、とうとう
…という感じでした。
22回目を迎えた万葉集朗唱の会。長い時間の歴史は「人との別れ」もいくつかありました。
1年に1度の機会に元気に集えることのありがたさをしみじみ思いました。
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そうそう、最後に旅の思い出を…。毎年来ている古城公園に、遊覧船があることを今回はじめて
知り、100円で体験で乗船しました。
夕方の暮れ時、うすうら紅葉しかけた木々が水面に映り、おだやかな速さで船にゆられて
楽しみました。もちろん私一人で貸切です。
朗唱の会の最中の今は池をめぐることができませんが、普段は大方1週近く船で公園を
楽しめるそうです。きょうの最終乗船客の私は上機嫌で、船頭さんともお話をし、
また来ま~す!とお別れしました。ほっこりと楽しいひとときでした
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駅前も、移設された藤子不二雄キャラのモニュメントがにぎやかです。
来るたびに変化のある高岡の里。来年はどうなってるかな。
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大阪市長

橋本徹氏が、大阪府知事から鞍替えで市長戦に出馬表明をした。
私は大いに橋本氏に期待をしている。
「独裁」という言葉にマスコミも平松氏も敏感に拒否反応を示しているが、そんな言葉の
情緒にこだわることが不思議だ。
この閉塞した世の中で実際に成果をあげている橋本氏。
大阪府の財政の立て直しにも取り組み、赤字財政を単年度黒字にまでにした。
私も音楽・芸術に関わる身の上。劇場・ホールの閉鎖や、補助金カットなど、実際に身近な
人たちの悲鳴も聞いたが、万民が納得し、喝采できるようなまつりごとはできるはずない。
どこかで必ず「ひずみ」がある。
建物の「税金」のむだ遣い、公務員の人件費、大阪の二重行政も昔から言われてきたことだ。
誰もが手をつけられないことに挑戦しようという勇気と、やはり将来に対するビジョンを
持っていることは素晴らしいことだ。
失敗するか、うまくいくかどころか、まず、独裁政治を行いたくても(笑)その前の
「抵抗勢力」のすさまじさを私たちは強く強く目にすることだろう。
そんな現実を見て、今日にまで至った府政・市政に対して私たちはきちんと判断をしないと
いけない。
平松さんは、前回民主党の支持を得て、市長に当選した。
今回はオール与党的に、自公の支持を得て、また市役所の人たちをバックに選挙戦を戦う。
なんだか「大阪市」をいかに考えるかではなく、「大阪市」維持の意地・沽券で対決して
いるかのようにしか見えない。
前回の平松支持母体の民主党は、独自候補を探すべく、郷原信郎氏に打診をしている。
野田内閣にも期待はしているが、リーダー、カリスマの出現は必要であろう。
今の日本には、今後歴史に刻まれていくような人物が排出されないことの不幸を思う。
私は、橋本氏の手腕を見たいという気持ちが強い。
昨日、明日香村の村長選挙が行われ、森川さんとおっしゃる明日香村出身(と聞いた)
50代の若き村長が誕生した。
明日香村も関村長のやり方から、また変化していくに違いない。
混迷期の日本。地方の時代と言われて久しい。今こそ地方の在り方が問われている。

山の辺の道を歩く。

11月25日に、宝塚のコープカルチャーの方々と現地講座で山の辺の道を歩く。
なかなか時間がなく、天気予報では「大雨」とのことだったが、前日の阪神戦のあと夜中に
しっかり降ってくれたおかげで、朝からは曇り空となり、下見を決行。
久しぶりの山の辺へ…。
詳細は当日のお楽しみだが、今回はねことの縁が多く、満足。
大神神社の隣のお寺で、なかなか立派なネコが…!
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山の辺の道もずいぶん整備されて、歌碑にも番号がついていたり、必ず写真に映るので、
少し興ざめなところは何とかならないのかしらん。
しかし、昔から著名な方々の個性的な歌碑が多くて、出会うのがうれしい道だ。
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この子は、何を思ってか、細く長く続く道をずっと私を先導してくれた。ありがとうね。
あと、狭井神社の茶店でにゅうめんを食べたが、そこにもひなちゃんそっくりのネコが…。
こんなにここでネコと出会うなんて…。谷中の下町めぐりのようだ。(笑)
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この有名な碑は、きょう歩いたコース中で3回見ることができた。
下見なので、行きつ戻りつしながらの歩行だったが、一昨年NHKテレビ出演で朗唱
させて頂いた展望台にも上り、「国見」をした。大和国原を臨む格好の場所だ。
桧原神社が、整備されすぎて素朴な鳥居だけだった社に、柵ができたり、色づけられたり
ボランテイアガイドも常駐され、賑わいもあり、ここも静けさを求めて行っただけに
ずいぶんの変化にびっくりした。
もっとも驚いたのと悲しかったのは、犬養先生と訪れていた車谷の白梅が、老木ではあったが、
とうとう切り倒されたのか、なくなってしまっていたことだ。たった2本だけが残っていた。
古木となり、数えるほどしか花をつけなくなってしまっていたが、私たちにとってはかつて
犬養先生と毎年3月の第1日曜日にお花見に出かけた大事な思い出の場所だ。
見まわすと、この巻向の集落は今や「ミカンの里」となり、和歌山の有田を思わせるような
ミカン畑の豊かな光景に様変わりしたようで、目を見張る思いだった。
三輪山の山裾を歩き、三輪山を背景にして、大和国原を臨むこの道は、本当に貴重だ。
当日は「どこまで歩けるか」の下見確認だったが、きょうの私のコース(山の辺の道の
約半分)崇神天皇陵あたりまでを私の万歩計で確認すると12キロ。
まあ、明日香の時も6キロくらいと言われていたので、当日はもう少しショートカットする
ことになるだろう。
井寺池の久松潜一さんの歌碑は、「三諸は人の守る山…」の歌で、そばに大きな椿の木が
立っているのだが、きれいなやぶ椿で(つらつら椿)「白」!それももうたくさん咲いていた。
山の辺の道のスタートは「海石榴市」、そしてこうして「椿」に出会える場面といい、
私に与えられたふさわしいコースと確信した。
1ヶ月後…秋も深まり、また里の季節も変わっているだろうが、みなさんと楽しく歩きたい。
一緒に行きたい…方があれば、是非、宝塚のコープカルチャーにお申し込みください。
いい旅を共有しましょう。

甲子園球場での最終戦

今シーズン最後の試合となりました。
お天気も心配されましたが、何とかか曇り空。
ひょんなことから、急遽観戦できることに…。
やはり、最近のふがいなさで、さすがの阪神戦も最終日にもかかわらずチケットが
購入できた…ってわけです。
結果はかろうじて勝てましたが…。
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「私たち」が不満だったのは、最終試合にも関わらず、CSを逃したにも関わらず、
監督退任にも関わらず、「真弓コール」があったにも関わらず、「挨拶・お詫び」の
一言もなかったことです。
試合後、ライトスタンドは残って「コール」を続けていたし、私もアイビーシートの観客が
ほとんどいなくまで粘って様子を見ていましたが、「なにもなし」。
これはいかんやろ!
試合後の阪神の選手のラインナップです。これだって他球団は毎回やってるのにイ!

やばいかも!

ツイッターで、万葉歴史館が私のブログをご紹介くださいました。(笑)
高岡万葉まつり報告の続きもありますし、気になっているのですが、時間に追われ
なかなか書けなくてジレンマに陥っています…が、
学会の万葉旅行の「食べ物」だけの報告だけでは、あまりに失礼なので、もう少し
書き添えて置きます。
旅行2日目の淡路島は、平成9年に犬養先生が生前最後に参加された万葉旅行の場所で、
私はその時以来の訪問となり、大変懐かしかった…です。
初日の阪神間の故地は、震災後も何度も訪れた場所ですが、2日目の淡路島のコースの
おのころ島神社ーあしはら国ー淡路国分寺跡ー淳仁天皇陵ー当麻山背墓ー慶野松原ー
伊弉諾神宮ー野島ー松帆浦をめぐりましたが、過去の印象は薄れ、やはり変化している
道路事情などで、また新たな印象を受けたような気がします。
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藤原仲麻呂の陰謀に組したということで、孝謙女帝に廃された、時の天皇淳仁天皇が
幽閉された淡路島で、母の当麻山背とともに悲憤のうちに亡くなられましたが、残っている
ご陵は「万葉時代最後の悲運の天皇」の故地として、万葉旅行では必ず訪れます。
淳仁天皇のうっそうとした森のご陵は、そばのため池も藻で淀み、「幽閉」の地という印象
が一層深まるような景色でした。
また、淳仁天皇陵とすぐ近くにお母さんのお墓があり、今回初めて見学しました。
階段のあるお墓は珍しいね…という声がありました。ふむ???
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慶野松原は、ホームページで先に貝原さんの歌碑をご紹介しましたが、「けいの・けひの」
と「飼飯の海」の場所については異説もありますが、おそらくここであろうと言われています。
今も浜辺と松原の光景が美しい景勝地ですが、なぜか、プロポーズ街道と名付けたコースの
名所として、淡路がわらのPRも兼ねて「愛の言葉???」を刻んだ瓦が、塀に展示したり、
オブジェになっていたり、伊良湖崎の「愛のつり鐘」ではないですが、「若者?」受け狙い
の企画に苦笑。私としては、万葉の故地には余計なものはいらない主義なので、いややん!
私は阪神間に住んでいますので、またの機会がありますが、遠来の参加者の方々にはもう少し
空が晴れていれば、海の色ももっともっと美しかったのに…と少し残念でした。
まだまだ瀬戸内海は美しいですから!!!
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浜辺では、波打ち際で、石を投げたり、貝を拾ったり、砂遊びをしたり、みなさん久しぶり
に童心にもどって、ひとときを楽しまれた様子、私も貴重な「砂浜」に愛着が残りました。
一般参加の茨城からの大木さんと、ご一緒に記念写真。ご遠方からよく来てくださいました。
淡路島が、どこか全体的にローカルで、観光のための整備にはまだまだ欠けている中で
私がはじめて訪れた伊弉諾神宮は、やはり国生みの神を祀る御社としての風格を感じました。
神官の本名孝至さんは、皇学館大学の毛利正守先生と同級生でいらしたそうで、久しぶりに
対面を果たされ、大変なつかしいそうなご様子でした。
すぐれた神学者でもいらっしゃるとご紹介がありましたが、神社についての丁寧な説明を
して頂いた上、論文もまで頂戴しました。ありがとうございました。
来年は「古事記」の編纂1300年の記念年でもあり、特にここは賑わいそうです。
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淡路島の西側(播磨灘)に沿って北上していき、野島も松帆の浦もかつての震災の爪痕も
ないくらいに海岸線もきれいに整備され、新しい建物が建ち、立派な道路の道筋のまま
バスも高速道路に飲み込まれていきました。
久しぶりの「淡路島」。
萬葉学会で初めて参加した万葉旅行。
大変専門的で詳細な資料が多く綴じられたレジメを頂き、(これから復習が必要ですが)
すべての準備・案内・お世話をしてくださった影山先生に感謝!
私も今は引率する「旅」の機会が多くなったので、こんなにゆっくり過ごさせて頂き、
とてもラクチンでしたし、ありがたかったです。
明石解散は、私は山陽電鉄・阪神電車の相互乗り入れで「甲子園」まで直行。ラッキー!
このたびは、ご高名な万葉の先生方とも親しくお話をさせて頂く機会も得ましたし、萬葉学会・
研修旅行の4日間は、私の「万葉熱」が再び上昇し、よい刺激を頂いた時間でした。
前日に「高岡万葉まつり」に心を残して帰宅しましたが、それはそれ。
次回は(時間的経緯は無茶苦茶ですが)、高岡の総括を書きま~す!

報告その2 萬葉学会臨地研修旅行

要するに私たちの言う「万葉旅行」です。
しかし、終えてみて、直接的に万葉歌を味わう旅ではなく、万葉歌に詠まれていることと、
古代の歴史書、地誌、寺社の由緒書や地図、また古代から今に至る地名などを確認し、
万葉歌の背景をしっかり調査研究する…という趣旨の旅で、私たちの経験している万葉の
旅とは少し趣が異なっていました。今回は「摂津・淡路の古代」と題した旅でした。
さすがに学会資料として、多岐にわたった、詳細なずっしりと重い資料集を頂き、恐縮
しました。これからもう一度復習をしなければ…と思っているところです(汗)。
また、旅の楽しみはグルメにもありますが、なかなかに豪華絢爛でありました。
忘れないうちにご紹介しておきます。
初日の昼食はやはり灘五郷の酒蔵レストランであろう…という予測はありましたが、見学地
処女塚のすぐ南側の清酒「福寿」の酒造レストラン「酒心館」で会食致しました。
酒豪の方々も多く?利き酒もにぎわいましたが、食事時も美酒とともに…。
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酒蔵を利用した建造物の雰囲気もよし、庭園も萩やザクロ、クロガネモチなど、秋の風情が
あり、近隣の小学生の植えた山田錦の稲田も実りの時期を迎えていました。
次は神戸から淡路に移動して、ちょうどおやつ時?淡路島のオアシス(パーキング)で
藻塩のソフトクリームを賞味。
塩味のせいか、小豆あんが添えてありましたが、私から言わせれば「必要なし!」
添えるか添えないか、客に選択肢を持たせるべしと「強く」思います。はい。
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宿泊は、洲本の三熊山のふもとにある♪ホテル、ニューアワ~ジ♪のグループ「ホテル夢海游」
でした。まだ新しい、素敵なホテルでした。
三熊山には、住んでいたといわれる大狸、芝右衛門狸の祠があり、中には狸像がまつられて
いますが、ホテルの大浴場の「しばえもん風呂」にもひょうきんな大タヌキがいました。
夕食はカメラを忘れて、写すのを忘れましたが、玉ねぎ・アワジ牛のしゃぶしやぶや
陶板焼きなど…やはり、全部食べきれませんでした。
翌日の昼食は、メイン個所であったようで、南あわじ市の阿那賀にある料理旅館のうめ丸
で「鯛尽くし」を頂きました。まずはお品書きです。
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活きづくりで、跳ねる鯛の半身はお刺身、半身は薄造り、残りはアラ炊き…と余すところ
なしの豪華な献立でした。
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また、別にサザエと鯛のほうらく焼き…は、陶板で焼かれた1尾の鯛がまた新たに出現。
本当に贅沢なお食事でした。気のせいか会場も静かに…みなさんひたすら黙々と食べて
おられた様子でした。鯛の潮汁も美味しかったし、明石海峡や播磨灘で獲れる「鯛」は、
まさに御食つ国として、大事な食材であることを実感しながら、頂きました。
本当にごちそうさまでした!
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ついでに「足湯」に入られた方もあったり、私は「島美人」という淡路の名酒をゲットし、
食事・おみやげその他、シビアな研修の旅の合間の楽しさもありました。
最後に淡路一宮の伊弉諾神宮へ寄った時に見つけた16枚の菊のご紋の「いざなぎモナカ」
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アイスクリームです。とても甘くてクリーミーなモナカアイスでした。
甘いものがお好きな芳賀先生にお勧めしたところ、「アイスクリームじゃないですか。
僕はあんこがいっぱいつまってると思ってたのに…」と言われちゃいましたが、それって
甘党の先生は、買いに行かれたんだ!…とちょっと愉快になりました。
あんこのモナカは私は苦手なので、アイスクリームでよかったです! それも大きすぎ!
その伊弉諾神宮の茶店にいた子猫のイザニャンギちゃんです。
今度来た時は大きくなってるだろうな。かわいい!
では、グルメ報告終わりです。余は満足じゃ!

萬葉学会のご報告。その1

きんもくせいの香りが心地よい風。そして今夜は栗名月! 十三夜です。
「美しい月」に見とれながら、帰宅しました。有意義な時間を過ごしました。
高岡から帰宅した翌日の、10月8日から11日の今日まで4日間、第64回萬葉学会全国大会が
開催されました。
今年から学会の代表に坂本信幸先生が就任されたこと。また、会場校として尼崎の
園田学園女子大学がひきうけられたことで、今年は私も萬葉学会により積極的に参加させて
頂きました。
一つには、懇親会の中で「万葉うたがたりコンサート」の機会を頂いたこと。また坂本先生が
代表になられて、「萬葉学会」をより活発な意義あるものにするために、一般の人も自由に
参加できる、開かれた学会を目指されたことで、講演会も、研究発表会も、万葉旅行も
私たちのお仲間の万葉ファンの方々が多く参加されましたが、もちろん私もその一人という
わけです。
初日は、ミニコンサートということで、準備もありましたので、基調講演の途中で
懇親会会場へ。いろんな機会に万葉うたがたりをさせて頂いてきましたが、万葉研究家の
会合で出演させて頂く光栄に、心から感謝いたしました。
20分と言う限られた時間内でしたが、会場・万葉旅行の背景でもある、西宮慕情や、
大和島見ゆ、別れたくないタンゴを演奏させて頂きました。
万葉の歌の解説がいらないコンサートは初めてのことでした!(笑)
しかし、メチャメチャ緊張しました!!!
翌日の研究発表会は、朝9時から夕方の5時まで7人の発表がありました。
上代文学も含まれているので、万葉集・古事記・日本書紀…と学生から、万葉学者まで、
レベル的にも様々ですが、私は客観的に距離を置いて発表を聞けるので、内容だけでなく
いろんな場面を見られることが、興味深いです。
内容も大事ですが、声、テンポ、語彙なども含めて、いかに説得力を持って自分の言葉を
伝えるか…や、質疑応答の両者の対応や態度。また、質問者によってその他の質問者を刺激
させたり…と、バトルもなかなか面白く拝見してしまいます。
でもあとで、きびしく追及された先生が個人的に発表者にアドバイスされている場面などを
見ると、「よかったね!」と発表を労ってあげたいような気分でもあり…。
学会発表はきびしい登竜門なのでしょうが、そうして立派な研究者に育っていかれることが
素晴らしいことだと思います。みなさまお疲れ様でした。
さて、早速翌10日・11日の万葉旅行の旅に出発です。
ベランダに桔梗が一輪また咲きました。もうそろそろ最後かな…と思いつつ、
「行ってくるね。帰るまで咲いててほしいな…・と声をかけて出発しました。忙しい!

高岡慕情

きょうは、10月9日。
はや、高岡万葉まつりの最終日となりました。
坂本先生と私は「高岡」に心を残しながら、昨日より尼崎の園田女子学園大学で開催
されている萬葉学会に出席しております。
高岡万葉歴史館からも垣見研究員が、今年度の萬葉学会奨励賞を受賞され、急遽の
来阪ともなられました。しかし、おめでとうございます!
今朝、私が万葉まつりでオープニングで参加した、「高岡旅情」披露の時の記念写真が
届きましたので、さっそくアップしました。
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こうして、開幕、閉幕で毎年歌って頂けることは、本当に幸せなことです。
そうそう、8月に高岡万葉セミナーで伺ったときから1カ月ちょっとですが、JR高岡駅が
リニューアルオープンしていました。
数年前から少しずつの変化に、楽しみにしていましたが、今回いよいよ改札口が新たに
なりました。南口は瑞龍寺口、北口は古城公園口と象徴的な表示です。
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すごい。到着するなり記念写真を撮りました。
ただ、荷物が多いとエレベーター移動はずいぶん遠回りになり、切符の購入後、再び
時間待ちに街へ出るには、コインロッカーも、お土産購入もまだまだ不便ですので、
次回伺った時のの変化・進歩に期待したいと思います。
しかし、完成の暁にはホームの長さが大阪駅以上の長い100メートルくらいになるそうです。
もうひとつ、夏に伺った時は万葉歴史館のひおうぎが満開でした。ぬばたまの「実」が
顔を出し始めていました。
また、ススキの根元に「思い草」が…。
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おおっttとうれしかったのですが、またまたすごい数の花々にびっくり。
今年は特別多くの「なんばんぎせる」が咲いたそうです。
歴史館に訪れる人の「思い」を寄せる象徴かもしれません。
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昨夜、萬葉学会の懇親会で、万葉うたがたりコンサートをさせて頂くという、光栄な機会を
得ました。演奏時間がちょうど故地交流会と同じ時間帯でしたので、高岡は1日だけで
帰阪しましたが、ご盛会だったとご報告も頂き、とっても嬉しいです。
来年はまた、バスで多くの方々を引率して参加したいものです。
では、今日は萬葉学会の研究者の発表日です。
気候もちょうどよく、勉学にいそしむ秋! 楽しく拝聴してきます。行ってきま~す!

犬養先生、ご命日。

仕事場から出るときれいな夕焼けでした。お月さまは三日月。
いつもは車か自転車で向う犬養邸に、久しぶりに、本当に久しぶりに阪神電車の久寿川駅から
歩いて行きました。
駅舎もきれいになって変わってしまったけど、犬養先生と共に何度も歩いた懐かしい場所。
てみやげ?(お供え)の「うなぎ弁当」が、妙に楽しくて…。
時間は遅くなってしまいましたが、いつもながらに「おかもで~す。」と訪問。
床の間に神棚が設けられて、犬養先生の御魂がおられました。
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まもなく山内さんが来られ、吉本さんご夫妻と4人で楽しく談笑。
犬養先生の話も、この4人ではつい昨日のような出来事のように、話に花が咲きました。
しかし、もう満13年が経ちます。
山内さんは、つい昨日仙台の出張から帰ってこられたばかり…。
東日本の被災地で、気になる多賀城へも回ってこられたようです。話では想像以上の
被害状況です・万葉歌碑のある、市役所も建物そのものが危険で、近づけないとか。
がれきと、放置された車、人の気配のない商店街…といまだ荒廃したさまのままに
あらためてショックだったとおっしゃっていました。
宮城県に近い岩手の大船渡市。そこの復興のシンボルであるお菓子をおみやげに持って
来てくださっていました。「かもめのたまご」です。
目が悪かった犬養先生なら、本物の卵…と間違えられそうな和菓子?洋菓子でした。
お供えをしてから、さっそく「お下がり」と言って、「いただきま~す。」
犬養先生は、生涯で関東大震災と、阪神淡路大震災と、2つもの大きな震災に遭遇された
稀少な体験の持ち主ですが、それでも「生かされた」ことで、私たちに貴重な体験談を
残してくださいました。それを「語り部」として、山内さんが著作で私たちにも伝えて
くださっていますが、山内さんもまた、阪神淡路大震災で被災した当事者として、また
個人の立場から、一歩踏み出して高校の教員・教育者として、教育機関の震災対応の
メンバーとして、活動を始めておられます。
犬養先生もきっと、「山内君、頑張ってね」と応援しておられることでしょう!
犬養先生がお元気だったら、東日本大震災に何を思われたことだろうか…と思います。
日本の環境破壊は海岸線から始まりました。
その日本の海岸線に多く建てられた原発の設備。天災によって起こるべくして起きた
「人災」に、きっと黙ってはおられなかったはずだと思います。
万葉の「祝島」のニュースを見るたびに、古老が犬養先生と重なります。
今もなお、人間は「風土」とともにある現実を、私たちは実感させられています。
楽しい時間を過ごしました。先生も団欒に加わっておられたことでしょう。
今週は、高岡万葉まつりです。頑張って朗唱してきます…と誓いました。