今年は穏やかで、温かいお正月でした。
天気予報通り、週末からは寒気が強まり…との予報通り、仕事始めの5日は、
暦の上でも「寒の入り」。
甲子園を7時半に出発するときは、温度は2度で今季もっとも寒い朝?のようでした。
人口6000人の明日香村ですが、その中では「大字」という、ブロックごとに住民の方々の
自治組織があり、それぞれの集会所を中心に懇親を深めたり、行事があったり、連帯の
形があります。私はこのたび、明日香村奥山地区の「新年例会」の今年第1回目の「講話」の
講師として、招かれました。
推薦者が私と親しい稲淵の小倉さんでしたし、半年前からの明日香村の万葉講座の経験も
信頼して頂けた理由の1つだと思います。
朝10時からの講演に合わせて、早くに出発したのは、主催者からのご依頼で「万葉衣装で」
ということでした。確かに、お正月ということもあり、「お正月らしさ」を演出するのに、
漠然と着物を着ようかな…などと思いましたが、奥山総代で、お世話役の米川さんが、
きっぱり「先生、万葉衣装でお願いします。」とおっしゃったことで、始めはコンサートでも
ないのに…と思っていましたが、いざ着替えてみると「万葉」にこだわる私の新年の晴れ着は
やはり「万葉衣装」かもしれない!と素直に納得したことでした。
奥山の集会所は着替えるところがないので…と米川さんのご自宅を提供してくださり、
あたたかくぬくめて頂いたお部屋でゆっくり着替えさせて頂きました。
大きなお屋敷で、旧家ならではのなつかしい間取りのお部屋ですが、犬養先生の「七瀬」の
歌の色紙をかけてくださっており、片隅にはなんと私たちが今興味深い、蓄音機が!
DSC05202.jpg
レコードは「かわいい魚屋さん」でした。勝手に写させて頂きました(汗)。
やはりなつかしい往時をしのばせるものが家庭には残っているものですね…。うれしくなりました。
ご自宅と集会所は50メートルほどですが、お正月でくつろいでおられるお嬢さんを動員し、
衣装を着た私を送り迎えしてくださいました。本当にありがとうございました。
60名ほどの「ダイジ」の方々の集いで、「明日香を言祝ぐ~いや重け吉事」という題で
お話をさせて頂きました。みなさん熱心に聞いてくださり、恐縮でした。
なんと聴衆? ダイジのメンバーに私の講座に参加してくださっている、上田さん(左)と
教育委員長さんの米川日出子さん(右)がおられ、少しホッとしました。
明日香村でお顔見知りになっていてもご住居までは知らないので、「奥山」に住んでおられる
ということがよくわかりました(笑)。
DSC05203.jpg
そして、雑談の中で、千葉ロッテのドラフト1位入団の荻野貴司君が、何と、この奥山出身
だそうです。私もあまりの身近な話題にびっくり! 本日明日香村出身のヒーロー発見!
阪神タイガース情報とともに、これからチェックします! 頑張れオギノ!!!
そんなこんなで、新春の明日香村スタートの仕事始め、無事に終了いたしました。
きょう1月6日からは、サロンも再開。日常が始まりました。
さて、2014年はどんな展開が待っていることでしょう! 楽しみ…。

年末に行けなかったので、お正月に表敬訪問。
交野市私部西の逢合橋のふもとのおかも万葉歌碑です。
お身拭いではありませんが、やはり新年を迎えるのに歌碑をきれいにして
あげなくては…とぬれ雑巾持参で行きました。
今年のお正月は本当に好天で穏やかな3が日でした。
青空に映えた歌碑の風景もなかなか美しく…。
DSC05188.jpg
この歌碑の存在がいまだに信じがたい「現実」ですが、私に揮毫と言う機会を与えて頂いた
ことが、幸運のなにものでもありません。
歌は、地元のこだわりの万葉ファンタジーである「七夕歌」群からで、歌碑の歌は「折り句」
のように「彦星・織姫・逢合橋」の3つが詠われたものにこだわられました。
巻10の2040歌。
そして地元で活躍されている、イラストレーターの方が描かれた「絵」入りの画期的
な歌碑です(微笑)。
歌碑はもはや私の分身でもあるので、「今年もよろしくね。」という挨拶と、
「多くの人が足を止めて、歌碑の所縁にきづいてくれるといいね。がんばってね!」と
エールを送ってきました(笑)。
DSC05190.jpg
7月7日に七夕飾りがはためく逢合橋に、お正月は「交野戎」の旗が!!!
えびす神社はどこにあるのだろう…と思いながら、ひとしきりお正月風景を撮影。
私のお正月の予定が1つこなせて、ちょっと一安心。
オカモ歌碑.jpg
今年は万葉講座のお仲間をお連れしたい場所でもあります。

1昼夜かけて、「黒豆」を初めて炊いてみました。
まあまあのできあがりに、ちょっと自信をつけたりして…(笑)。
2013年も多くの方々に温かいお志を頂きましたが、特に万葉故地の方々には、
名産品であったり、旬の農作物だったり、「福袋」の様な貴重なお品をたびたび
頂戴いたしました。
皆様のそのお気持がありがたいのと、私のあつかましさと甘えで、おかげさまで
何度も何度も豊かな気持ちにさせて頂きました。ありがとうございました。
今年の締めくくりはこれです。
DSC05172.jpg
明日香村で新春に講演をさせて頂く奥山の米川さんから、「黒豆」をたくさんに
頂戴しました。「採れたままで、掃除も洗いもしてないけど…」と頂いた黒豆に
どなたかにあげようか、どうしようか…と思っていました。
まさにタイミング良く、後輩の加納真美さんが、大學の講師というキャリアウーマン
でありながら、大変家庭的な「マメ」(豆?)な方で、なんでもこなされます。
そして、先日2日かかりで、親しい方々のために黒豆を炊いてプレゼントをなさった
ことを伺い、感心した矢先でした。
一度、自分で炊いてみよう!と思い立ったのです。(笑)
昔と違い便利なお鍋もあり、お砂糖とお醤油があれば…と「ともかく」の作品?
ですので、次回はもっと上手に炊けそうです。
お砂糖の種類や、お醤油のこだわり、それから今回足りなかった「錆びたくぎ」と
重層とか、お料理レシピを見ると足りないものだらけ…(汗)。
でも味見をしてみるとまあまあなので、まあいいか!
もともとお料理は嫌いではないのですが、時間的に「手抜き料理」や速攻料理
が得意の私ですので(笑)、1昼夜かけてというのもお正月準備らしくて良かった
と思います。
黒豆を頂いたことと、毎年母からの味を作られる後輩の近況などが、思いがけない
チャンスとなりました!
年末きょう1日、あとは何年か越しの「かたづけ」の戦々恐々です(泣)。

もういくつ寝るとお正月♪の歌がふさわしいカウントダウンの時期になった。
26日に明日香での万葉講座を終え、私の今年の仕事納めとなったが、その時に
いつもかいがいしくお世話をして下さる勝川京子さんが、「先生、我が家に咲いた
椿です…。」と、枝ごと切ってきてくださった。白い椿。もう咲き始めたことに、
びっくりした。
つばき.jpg
帰宅してみると、日本郵政からの不在票が入っている。
五島列島の松本さんからだ。私にむべを下さった方だ。
私は仕事上、時間的な制約があるので、いつ受取ろうかな…と思っている矢先に
差出人の松本さんからお電話を頂いた。「五島の椿」を入れてくださっていたので、
心配されていたところ、私が不在だったので、日本郵政から折り返し、松本さんに連絡が
あったらしい。再び私に届いたころには、もうお花もダメになってるかも…と松本さんの
残念そうなお言葉にびっくり。ええっ、五島列島からも椿の花がやってきたのだ?と
椿の偶然に驚くやら、今度は2~3日の遅配ロスが気になり、お花の状態が気になること…。
結局、今朝ようやく届いた箱を、ドキドキしながらあけたところ、やはりぐったりは
していたが、「水仙」の馥郁たる香りがあふれ、そして椿の小枝が松本さんの作られた
お野菜の上にともに入っていた。
おまけに名物のカンコロ餅も入っていて、まるで「福袋!」。
お花達には「ごめんね」と言いながら、急いで花瓶に水を張って、がんばれがんばれ…と。
水仙.jpg
手狭で殺風景な我が家の玄関が、今、お花であふれている。
そして箱から出した時に、こぼれおちたお花は、可哀そうなので水に浸してやり…。
五島の椿は赤、ピンク、白とまるで「五弁の椿」のようだった。華やかで素敵。
椿.jpg
年末を迎え、節目の、ふと気持ちが緩んだ時に、明日香からも三井楽からも「椿の花」を
プレゼントして頂いた偶然に、すごく幸せな気分だったことと、今年もご苦労さまと
私に頂いたご褒美が「椿の花束」だったことは、まさに神様の計らいとしか思えない。
水仙の香りと、椿の花に満たされてただいまルンルン気分です。

10月20日は、美智子皇后のお誕生日の方が有名ですが、実は私の父の誕生日でもあり…(笑)。
五島列島巡礼の旅から、あわただしく時間が過ぎましたが、今朝1カ月ぶりのオルガン
奏楽のお当番で、ようやく所属の仁川教会のミサに与ってきました。
旅で少しお親しくなれた水浦神父様にもお目にかかり、ホッとしました。
2週間のうちにすっかり秋寒の雨の朝となり、家を出てからやっと明るくなったくらい…。
時は流れていきます。
いろいろお祈りすることがありました。
高岡・五島・東京と予定通りにすべてのことがはかどったこと、犬養先生の命日祭を
無事終えて、谷中で報告できたこと、留守中の深堀神父様のご逝去、うたがたりのこと、
今になって信頼関係の揺るいだ私の未熟と無念、体調…と感謝や、お見守りやお恵みを願い、
回心や…とあれこれ抱えての御ミサですが、ちょうど父のお誕生日に教会へ行けたことも
ありがたいことでした。
満85歳になった父、来年も元気でお誕生日が迎えられますように…と心から思います。
教会では10月は「ロザリオ」の月。私のご奉仕した7時ミサのあとは、9時から子供ミサ
がおこなわれますが、きょうは「ロザリオ祭」で、子供たちがかつぐ「マリア様の輿」が
おいてありました。とても華やかで美しい!
しばし見とれていました。
花車.jpg
きょうのクリス神父様のお説教も「マリア様と共に歩んで頂き、神に近づく…」。
聖母マリアは、本当にすべての人々の「お母さん」です。
聖堂にもマリア像が飾られ、ライトアップにはちょっと驚きましたが(笑)、象徴的
だったので、電気も消された聖堂でしたが、写真を撮らせて頂きました。
祭壇.jpg
では、今から出勤します! 今日はサロンレンタルですが、「発表会」で子供たちの発表
だけでなく、講師演奏もあり、ヤマハ音楽教室の頃の賑わいを髣髴とするような1日に
なります。
いろんな音楽に浸って心の安らぎを得られるのは、本当にオーナー冥利です(笑)。

萬葉学会の感想を少し…。
10月12日(土)初日は講演があり、「乾 善彦先生の万葉集仮名書歌巻の位置」と
「品田悦一先生の畸形の文法~近代短歌における已然形終止法の生成」を
拝聴した。
DSC04278.jpg
DSC04279.jpg

乾先生は『万葉集』の仮名を分析され、表記の個性や木簡資料との差異、部立ごとの特徴など、
字母の細やかなお話から、構成、成立論にまで及ぶ考察に、今更ながら「研究の視点」を学んだ。
品田先生は、近代短歌歌人の一人「斉藤茂吉」研究で、すでに著作もおありだが、講演では、
近代短歌に多く見られる疑似古典語法とも言える「文語」に着目され、万葉の言葉を使いつつも
(お手本のようにしながら)その言葉の既成概念からいかにして遠ざかるかという斉藤茂吉
作歌の手法などを伺ったが、元をただせば『万葉集』で見られる文法の形があって、近代の
短歌表現にどのように享受されているかという興味深いお話だった。
翌日は朝から、研究発表があり8人の方々の発表を伺った。
特に興味があったのは昨年学会に入られたとおっしゃる帝京大学の木下先生で、ご専門は
薬学の方である。昨年の石見の臨地研修旅行でお知り合いになった。
そして、今年早速に発表される題が「日中間で見解の異なる海石榴はツバキ・ザクロの
どちらか」と「海石榴市」にこだわるオカモにとっては大変興味あるものだった。
萬葉学会では初めてパワーポイントが用いられ、資料に加えて花の写真や図などを説明して
くださり、ユニークな発表直後には思わず拍手が起こったほどだ。
私も椿は中国になく、中国へ輸出されて字があてられたというのは聞いたことがあったが、
遣唐使の携えた天皇からの献上品の一つに「椿油」があったことや、中国にはない椿の花に
よく似た「石榴」が、海外から取り入れたものとして「海石榴」という字が当てられた
のでは…とか、また、中国の文献などを参考にしながら、本草学と文学表現から「ツバキ・
ザクロ」の考証を伺い、私も直前にちょうど五島列島へ行き、隠れキリシタンのバラに代る
貴重な花として自生する「ツバキ」の話を聞いたばかりであり、日本古来の貴重な植物で
あったので、花十字として信仰されたことや、三井楽町には遣唐使ふるさと館があるが、
ツバキ油が遣唐使の持参した高級贈答品であったことにひとり感心し、私の中での共通の
話題に驚くばかりであった。木下先生ありがとうございました。
DSC04296.jpg
また、学生さんや万葉学者に交じってUCLAからトークィル・ダシーさんとおっしゃる
米国の研究者が「万葉集巻1・2の歌がほぼ年代別に配列されているか」という、成立論に
ついて発表された。流暢な日本語にも安心したが、歴史とは天皇の言行、言動を中心とした
世界であり、万葉歌の配列がそれによって意図的に編纂されているのでは…と年代順と別の
系譜の論理が働いているのではないか…と発表された。
日本人であってもなかなか理解のむづかしいことを、外国人研究者もこうして日本文学について
研究をされているのだとうれしく思いながら聞き入った。
DSC04297.jpg
その他、宣命の文章が何を参考として作られたかという考察や、人麻呂歌から詠む女性像や
『懐風藻』の序から、編者の知識や教養の出所を中国文献を検索して考察してみる発表や、
古写本の「読み」や歌の配列を検証したり、本当に『万葉集』の切り口というのか、いろんな
角度からの研究対象になり得る引き出しの多い、魅力的な「歌集」なのだと改めて感じた。
私は「万葉愛好家」と自認しているし、客観的に『万葉集』についていろんなことを知りたい
という立場なので、質疑応答で、研究の内容・方法・発表について様々なアドバイスが
なされる様子を見ながら、多様な話題を素朴に聞いて楽しませて頂いた。
DSC04275.jpg
代表の内田賢徳先生のご挨拶にもあったし、私も同世代なので漠然と感じたことだが、
かつての著名な万葉集研究者の引用が少なくなり、それだけ研究も進化したということなのだと
思うが、私も少しさびしく感じた。また、芳賀先生が辛口で今後の研究に対する姿勢として、
文献の扱いや研究の視点をどこにおくか…ということなどを語られたが、個人にではなく、
確かに今の若い人たちには大事なことだと思った。
先人の苦労を思えばコンピューターの普及や資料の豊富さなどで、研究が安易に作業化して
いないか…と実際に思う。
時代を経て、萬葉学会も徐々に変化しつつあるのだろう。
わたしも大いに刺激を受けて帰宅した。やっぱり『万葉集』って楽しい。
DSC04303.jpg
帰宅した翌日、14日の朝、最期の朝顔が咲いて「おかえり」って迎えてくれた。
花の形も変形したいびつなものだったが、とても愛しい。最後までつきあってくれてありがとう!

今朝の朝顔です。
DSC03886.jpg
きょうも2輪咲きました。1本の茎だけのお花なのに10輪は数えました。
遅咲き、晩稲…tと表現してFBでご紹介してきましたが、
この時期に咲くことの稀少価値より、「ど根性」に近い生命力だけに
私自身が驚きとともに、力づけられているという毎日です。
昨年やはりほったらかしていた鉢から「桔梗」が育ち、紫と白の2本だった
桔梗が、仲良く「白地に紫色の斑が入った桔梗」が1本咲いたことをブログで
ご報告しました。
そのようなズボラな私がやはりほったらかしていたフラワーボックスから
思いがけず見つけた「二葉???」
普通なら、種をふやかし、それから土に蒔いて育てる「朝顔」の手順もない
どころか、この水不足、暑い夏を超えて8月に二葉を出したこの「力」に
私はなんだか、愛しくて、健気で、孤高の「強さ」にすごく感動したのです.
1本だけの細い細いツルで9月半ばからほぼ毎日咲いてくれます。
もうそろそろ終わりかな…とまだまだついた小さなつぼみを確認しながら
「ありがとうね」と話しかける毎日。
1日のはじめの清らかでさわやかな「気」を私に伝えてくれていることに感謝
しながら、来年こそはきちんと「朝顔」を生育する心機一転を図ります(汗)。
DSC03887.jpg

今年の仲秋の名月は、望月と満月が一致する貴重な「月」であったようだが、
等彌神社の観月コンサートの宵から、連日晴れ渡った空に「月」が美しく輝き、19日の
当日までに毎晩帰宅の夜道が、心弾んだことだった。
その9月19日当日には、西宮文化協会のご依頼で、西宮えびす神社の観月祭の後の、
夕食会「月見の宴」で、万葉うたがたり会のゲスト出演の機会を頂いた。
時間的、また場所的条件からも考慮して、今回は万葉うたがたり会を代表して山口ひとみ
さんに出演してもらった。ピアノ伴奏も山口さんと呼吸の合う宮川真由美さんにお願いし、
万葉曲と秋の風情を味わって頂く音曲をご披露した。
5.jpg
観月祭は、一般公開で、本殿の前に集合。まだ薄暮だったが、吹き抜ける風が心地よかった。
1.jpg
午後6時から祭典が始まり、神官により祭壇に供物が並べられ、祝詞の奏上などのご神事があり、
その後、奉納の舞楽「原笙会」の女人の舞を初めて拝見した。
友人のお嬢さんが社中におられたり、噂には聞いていたが、このたびご招待を頂き、
じっくりと鑑賞することができたのは幸運だった。
2.jpg
古代衣装の女性4人による「柳花苑」の舞いと、またかぐや姫の「平安の舞」は、現代曲
(東儀秀樹氏の曲)でアレンジされた舞いで、メロディーのある雅楽もよかったし、私たちは
しばし女性の舞いのあでやかさと、時代を異にした幻想の世界にひきこまれたような気がした。
かぐや姫は、衣装も時代もコラボしたかのようなファッション?にも見えて、舞楽と言えど、
現代を意識した形への試みをされているかのようにも思えた。
3.jpg
4.jpg
関係者なのか、女人舞楽のファンなのか、ビデオやカメラで撮影をされている人も多く、
私も隙間からようやくとれたショットだった。
この観月祭が一般に公開されていることを知らなかったので、もっと多くの方々にも知らせて
あげて、この風雅なひとときをみなさんにも味わって頂きたいものだ。
ただ、ご神事・奉納の舞いで、宴席が遅れたため、山口さんのステージの開始が遅れ、準備
していたアンコール曲がカットされたのは残念だった。
でもお食事は、東京竹葉亭の「お月見特別料理」。
御馳走様でした。
帰りの月も美しく、今年の月夜は本当に素晴らしい中秋の名月だった!

どうしてもブログに書いておきたいことがあった。沖縄旅行のことだ。
FBには、小出しで、旅の思い出を切り取って、早々に友人・知人たちに披露したが、
やはりこのたびの「旅」は、私たち親娘が、日本の歴史上、理解をしておかなくては
ならない、実際に現地を自分の目で見てみたい「歴史と歩む沖縄」だった。
戦時中を生き抜いた両親は、過去二人で日本各地をほとんど旅しているが、「飛行機」と
いう母の苦手意識がネックとなり残念ながら「沖縄」だけ、旅していない。
「戦争」の頃、やはり女学生だった母が、同じく沖縄戦にかり出された「ひめゆり」
以下、同世代の方々を偲び、追悼したいという気持ちを持ち続けていることは、ずっと
知っていたので、急場に決めた私たちの旅であったが、沖縄を選択したことを大変喜んで
くれた。そして母の分も一緒に祈ってきてほしいと思いも託されていた。
「お花代」まで預かり、親子3人の思いを胸に「沖縄」に向かった。
もちろん久しぶりに親娘でバカンスを…と思ったものの、お互いの共通の時間を作り出す
ことが、並みの苦労ではなく、この2泊3日が限度だった…。
でも行き先を「沖縄」に決めた時に、「美しい海・沖縄料理・美ら水族館・ぜいたくな宿」
など、旅ならではの希望と共に、「沖縄の戦地に佇む」ということについては、娘と自然に
共通の目的であったことは、うれしいことだった。
折しも8月15日の直前には、テレビ・新聞などで「終戦特集」の報道が多く特集されたが、
いつもならば特別な意識をせずに見ていたニュースも、さすがに旅を「沖縄」に決めた後は
とても気持ちが惹かれた。
特にTBSの『テレビ未来遺産“終戦”特別企画 報道ドラマ「生きろ」~戦場に残した伝言~』
と言う、今も「沖縄の神様」と慕う人たちがいる戦中最後の沖縄県知事、島田叡(あきら)の
実話のドキュメンタリードラマを見たことも幸運だった。
沖縄に降り立って、レンタカーでまずひめゆりの塔のある南部地方糸満市へ。
2.jpg
左後方は、併設されたひめゆり平和祈念歴史館。女学生の証言集などを見ると、あまりの
むごさと、淡々と綴られた日記の重さにあらためて沖縄戦の犠牲を無念に思う。
1.jpg
母の分も娘とともに、花を捧げ、やっと現地に立てた実感を感じた。
引き続き摩文仁の丘へ。県の平和記念公園として、資料館、塔など、多くの関連施設が、
建てられている。そして出身県で分類された墓碑銘の場所は、テレビなどでよくみていたはず
だったが、正面の抜けるように青い空、青い海、広がる水平線に、本当は静謐な島である
ということを思い知らされた気がした。
4.jpg
3.jpg
二人で黙って海を見ているだけで、不幸な歴史とうらはらな素朴な島、沖縄を思い、怒りや
悲しさがよけいに募ってくる。戦争はなんだったんだろう。沖縄戦はなんだったのだろう、
と思う。
6.jpg
そして、沖縄県知事の記念碑へ。島田さんのご遺体?は見つかっていないそうだ。
終焉の地とされている。兵庫県出身者であり、兵庫高校と聞くと身近な感じがした。
5.jpg
沖縄戦で、沖縄の人たちは米軍ではなく、日本兵のための犠牲となり多くの人が亡くなった。
翌日、首里城や今帰仁城跡などを見学し、沖縄が「琉球王国」としての独立国の遺跡が
多く残っていて、御嶽と言う祈りの聖地や、聞得大君という女王国である独自の信仰や
風習の残っているのを見て、感心した。沖縄県に本土復帰は果たしてよかったのか。
世界遺産にも登録されているが、琉球固有の文化や遺跡に今回魅せられた。
当初、想像していた喧騒も全くなく、嘉手納基地のそばを通った時だけ、米軍基地の
規模や、近さや、Yナンバーの米兵の車なども見たが、2泊3日で回った沖縄は、最高の
空・海・自然美に恵まれた素晴らしい風土だった。時々にふれあう沖縄の人々は、愛想が
よくて、優しく親切だった。そして観光で賑わい、潤う島であることは間違いはない。
そう思うと基地移転などもってのほか、これ以上環境破壊をするべきではない。
基地問題も微妙だが、「撤去」が望ましいが、まず「凍結」。辺野古へなんてとんでもない
ような気がする。沖縄の人たちの島の誇り、観光立国の沖縄を思うなら、現状維持しか
ないのかもしれない。テレビでよく見る大規模集会は本土からの人が多いと聞いた。
私たちが感じた古い琉球王国の名残の多い島、沖縄は、道州制が叫ばれている今こそ、
「独立国家」としての狼煙を上げたいくらいだ。
戦争の爪痕が色濃く残り、払拭したいのに、未だに「戦争」のための米軍基地として
甘んじなければならない沖縄の現実に、同情もある。
でも私たちにとっては、穏やかな島、美しい島として大ファンになった。
また是非訪れたいと思っているし、娘とは2月の残波岬のタイガースの春季キャンプに
来てみたいね!なんて…。
万葉と同じ、現地に立って理解できることの多さに教えられた旅だった。

久しぶりに対面。
母のベッドの抱き枕の上が、お気に入りのはな。
なんとなく、優雅にいや、怠惰に過ごしている風情。
はな.JPG
はなにいつも、なんでも譲りっぱなしのひなは、籐椅子の上でお昼寝。
椅子の色目が濃いので、写真的にはよくないですが、パチリ。
ひな.JPG
秋冬ファッションの先駆けで、毛皮の私たちですが、残暑お見舞い申し上げます。
いや、もう暦ではすっかり「秋」でした!