私のブログで、取り急ぎ、ご連絡いたします。
大阪大学万葉旅行のパンフレットは、当初の犬養先生のガリ版刷りから、印刷に
なりました。そして阪大側の阪急石橋にある「誠文館」という印刷屋さんに
ずっとお世話様になりましたが、その主である田村泰秀さんが、5月14日に急逝
されていたことを、昨日の犬養万葉顕彰会役員会の席で聞きました。
あー、なんていうことでしょう。(悲)
田村さんは、印刷屋さんとしてのご縁(スタート)でしたが、現在は
万葉歌碑研究家として、犬養歌碑をはじめ、日本から外国まで「万葉歌碑」を
網羅して探し出し、データ作りと、歌碑状況の発信に務めておられました。
万葉千碑からスタートし、万葉千六百碑、万葉千八百碑、改定しながら
出版もされ、お聞きすると早々に万葉二千碑を出版すべく、アカペンで校正
済みの原稿が残されていたそうです。泣けてきました。
私との思い出話も多々ありますが、これから出かけるのでそれはまたの
機会に追悼させて頂こうと思います。
田村さ~ん、まだまだオカモ特派員も張り切っていたのに・・・残念です!
田村さん.jpg
田村さんに乗せられて、オカモが初めてハイエースの運転をしたことが、
思い出されます!それも釧路の平原、北海道の大地を!

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平成13年、小学校の100周年の記念に建てられた万葉歌碑は、作者未詳の巻11の
「物に寄せて思いを陳べたる歌」の中の1首です。
庶民の生活の中の恋愛歌ですが、子供たちに向けて「赤土の粗末な小屋に
雨が降って、床が濡れてしまった。私の身に寄り添いなさい・・・と恋人を
気遣う男の歌」と万葉人の思いやりをメッセージされています。
「彼方」(おちかた)と言う、富田林では珍しい地名が、万葉集にも詠まれて
いたのは、偶然だったと思いますが、この地にとってはゆかりの歌となったことは
私たち万葉ファンにとってもうれしいことです。
人名でもなく、大阪の地名であって欲しいと、この万葉歌に着目し、考証を
続けられた、彼方小学校の小学校長も務められた北村久夫さんは3月末に
帰天されましたが、その思いは万葉歌碑と共に、彼方の地に留まられることでしょう。
彼方小学校の校門を入ってすぐのところに万葉歌碑があります。
日曜にも関わらず、校庭では野球少年たちの声が響き、活気がありました。
この子供たちは歌碑のごとく、きっと思いやりのある優しい人に育ってくれることでしょう。
校庭で、花の咲いたコノテガシワを見つけました。
おちかた
帰りに「彼方」を守ってくださる??春日神社に表敬訪問をし、雨上がりの午後、
ちょっとセンチメンタルな気分に浸りながらの散策ができました。
「石川」を越えましたが、北村さんのことを考えながら歩いていたので、
直の逢いは 逢ひかつましじ 石川に 雲立ち渡れ 見つつ偲ばむ (巻2ー225)
の挽歌が思い出されました。そうだ、北村さんのアドレスは確かhitomaroでした!(笑)

去る18日(日)は、徳島県阿南市那賀川町の万葉バス旅行でした。
昨年は、御影の処女塚・・・など、阪神間の万葉旅行でしたが、
めずらしく雨の一日で、今年はリベンジ成功!
最高の犬養高気圧でした。
昨年の旅行の帰りに、すでに1年後の今回の行き先は決まっており、
犬養先生、清原先生を偲んだ旅、「高円・田原の里」へ。
昨秋、那賀川町で生誕100年祭記念の山内さんの講演会と
万葉うたがたりコンサートを開催してくださいましたが、
その会場となった町民福祉センターにある犬養先生の歌碑が、
「石激る 垂水の上の さわらびの
萌え出る春に なりにけるかも」
の、志貴皇子の御歌ですが、目的の田原の里は、志貴皇子と
光仁天皇親子の陵のある鎮魂の場所でもありますので、那賀川町の
皆様方にとっても「ゆかりの深い」身近なテーマでした。
今回は、平成の生駒山(トンネル)を直越えし、奈良・平城京へ。
若草山から高円山のドライブウエイを通り、頂上から奈良の都を
一望(国見)しました。そして犬養先生が、孤立無援の中、反対運動に
協力し、田原の里を、茶畑の山を守ろうと地元の方々と共に建てられた志貴皇子の
「むささびは 木末求むと あしひきの
山の猟夫に あひにけるかも」
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の歌碑の建つ、奈良市のヘリポートの脇地に立ち寄り、現実の
状況を悩ましく考えさせられました。
またバスで、田原西陵(志貴皇子のお墓)で昼食の柿の葉寿司を
食べ、全員で「♪いわばしる」を朗唱し、「夏も近づく・・・八十八夜
、トントン♪」をせっせっせしました!楽しい!
古事記の編纂者の太安万侶のお墓でトイレタイム!?
のち、光仁天皇の眠られる田原東陵へ。
高円山を越えたすぐそばに、志貴皇子の魂の留まる隠れ里がある
ことが本当に信じがたいです。
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一路、志貴皇子の邸宅跡と言われる白毫寺へ向かい、そこからは
高畑町を歩き、春日野・飛火野へ・・・奈良公園散策しました。
修学旅行生で賑わう季節でしたが、この日だけは、鹿の数の
方が多かったかも・・・(笑)
若草山
私も講師という「名目」で同行させて頂きましたが、暖かい、
那賀川町の方々とのふれあいや、今もなお犬養先生を敬愛して
くださる方が多い貴重なグループですので、同士感もあるかな。
ご一緒することの幸せです。みなさま、ありがとうございました。
実は、最後のトイレ休憩で、垣間見た携帯電話を現地に忘れて
くるという失態を犯しました!無事手元にもどりましたので、
笑い話ですが、いつもながらにそそっかしい私です。ハイ!
お世話役の阿南の、いや四国の中曽根さんこと、近藤さん、
お大変ですが、来年もよろしくお願い致します!!!
来年も絶対に、旅行致しましょうね!

春の苑 紅匂ふ 桃の花 下照る道に 出で立つオカモ
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大意:長野県千曲市上山田町の住吉公園の、少し盛りを過ぎた桃の花。
天候不良で、下照らない場所で、なぜか佇んでいるオカモよ!
犬養先生の1年間にわたる生誕百年祭の事業を一緒に乗り切ってきた仲間は
犬養万葉顕彰会の役員の方々ですが、この大役をそれぞれに責任感を持って
尽力してくださいました。3月末で、5期の役員としての任期は終わりましたが、
事業の終了後の総括や、会員への報告などまだ残務も多く残っています。
次期役員が決まらないので、前役員の厚意により、秋の犬養先生の十年祭まで
協力をして頂くことになりました。当初からのボランテイアの何物でもなく、
感謝の気持ちで一杯です。
「試練」の賜物もあり、おかげさまで結束も強くなり、一層信頼の増した同士と
なったことは、本当にうれしいことでした。
また、通年百年祭に協賛して頂き、会員に便宜を図ってくださった戸倉上山田温泉の
佐久屋さんに御礼も兼ねて、役員有志で打ち上げ旅行を致しました。
旅館の玄関前の犬養先生の歌碑に出迎えてもらい、女性風呂のためし彫りに
挨拶をし、温泉を楽しみ、楽しい夕餉のひとときを過ごしました。
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千曲川沿いの萬葉公園では、犬養先生揮毫の万葉歌の中洲を背景に建つ歌碑も
見学し、雄大で静かな千曲川と春花爛漫の景色にうっとりしました。
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そして、もうひとつの目的であった、「木曽藤村」を偲ぶミニ旅行として、
木曽福島の関所、藤村のお姉さんが嫁いだ、高瀬奇応丸の旧家、
妻籠の奥谷脇本陣、馬籠の藤村記念館、島崎家のお墓のある、(藤村も)永昌寺・・・と
犬養先生と訪れた懐かしい場所を巡り、私たちの百年祭卒業旅行を終えることが
できました。和気藹々と楽しい旅でした。私は何十年ぶりで、木曽の光景の
様変わりに仰天しながら、新たな印象を持ち帰ったような気がします。
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さて、私もバラエテイに富んだ長い休暇を過ごしました。明日からまたがんばるぞ!

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勝利の女神は微笑まず・・・。残念でした!
初めて東京ドームへ野球観戦に行って来ました。
私が「行きたい!」と言うのを知って、ご招待頂いたチャンスでしたが、
連休明けで、大学院の授業も再開された矢先で、それなりに悩みながらも
「学校はいつでもある!でもこの阪神×巨人戦は今日しかない!」と
恩師の格言を拡大解釈し、上京しました。
しかし、世の中はそんなに甘くない!!!
前日には、東京方面で震度5弱の地震に遭遇し、久しぶりに気持ちの悪い
過去の追体験をしました。
観戦まで時間があったので、張り切って神保町の古本街を歩き回り、
(範囲が広い!)足もだるいし、靴ずれも・・・。(泣)
そして、うれしそうに娘や友人に東京ドームからメールを打ったところ、
「また、行ってるのか!」とばかりの羨望とあきれたメールの返信あり!
こうなるとプレッシャーもあり、意地でも勝ちたかったのですが、リードを
していながらの逆転劇で、巨人に3連勝するはずが、最終戦は惜敗しました。
それも2夜連続のラミちゃんの本塁打で・・・!昨日は「神の手」もなく。
実は、金本アニキの400本メモイアル本塁打のかかっていた日でもありましたが、
前回、横浜球場で私が遭遇したような奇跡は起こりませんでした!(笑)
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・・・というわけで、早く日常の生活に戻らなきゃ。
と言いながら、明日から信州千曲川・木曽に出かけます。(汗)
元気で、毎日のスケジュールがこなせることに感謝しつつ・・・。

親友の嫁いだ吉祥寺に来ています。娘時代に家族と過ごした芦屋での生活より、
結婚してご主人と吉祥寺で過ごした時間のほうが30年以上・・・と長くなったのね。
新婚時代から私もこの吉祥寺だけ目指して上京したものでした。感慨深いです!
久しぶりのきょう、漫画家の「楳図かずお」氏の自宅が吉祥寺にあり、(過去も
何度か出会ったことがありますが、)最近建て替えをされたのですが、赤と白の
ストライブの壁面が、町の景観を損なうとして、近隣住民に訴訟されていることが、
話題になっていました。今回、是非確認したくて、ミーハーオカモは見学してきました。
結論は、閑静な住宅街ですが、そこに違和感なく可愛らしく建っていました。
突出した派手さではなく、家の並びに、モダンな家が出来てる!と言う感じの
住まいで、楳図かずお氏のこだわりが、楽しく伝わってきました。
まだ玄関まわりは完成していませんが、次回吉祥寺に来た時には出来上がって
いるかなあ。

「便りがないのは、元気な証拠!」というのは、あてにならないことを
わかっていながら・・・。一昨日、訃報を2件知り、大ショックを受けている。
北村久夫さん。河内狭山万葉楽習会をたちあげられ、病に倒れられるまで、
代表として地道に万葉の種を蒔いてこられた。
と言っても万葉専門家ではなく、「1万葉ファン」としての軌跡がある。
私との出会いは、阪神みどり会の万葉旅行。犬養先生のお供の私と犬養ファンの
奥様と一緒に参加されていた恰幅のよい、寡黙な紳士の印象が思い出される。
お二人とも小学校の先生のご夫妻で、北村さんが校長を勇退されて、平成8年に
まとめられた「愛しき日々」という冊子を頂き、「教師」として子供に親に
どんなメッセージを残してこられたかを拝見し、北村さんのお人柄を知った。
そして、最後に務められたのが富田林市立彼方小学校であったことから、
万葉集の「彼方」が地名か人名か、また大宰府の梅花の宴に壱岐守村氏彼方も
出てくることから、急速に万葉集への探究心が高まられて、奥様以上に熱心に
取り組まれるようになった。私も多くの研究資料を頂いている。
再生不良性貧血の病に冒され、急激に弱られたので、10年近く、ご自身の意欲と
裏腹に歯痒い時間を過ごされたことと思うが、地元で万葉グループを立ち上げられた
こと、彼方小学校に万葉歌碑建立(平成13年)の悲願を実現されたことは
北村さんの魂が息づいている証となった。
「彼方の 赤土の小屋に 小雨降り 床さへ濡れぬ 身に添へ我妹」巻11-2683
私には、もちろんうたがたり活動の応援をしてくださっていたが、北村さんの
弟さんが先に亡くなられたときに、「万葉集に兄が弟を偲ぶ歌がありますか?」
とお尋ねがあり、大伴家持が書持の逝去に対して詠んだ挽歌をご紹介したこと。
河内狭山楽習会で講師に呼んで頂き、お話をした時に、「二上山の見える場所」
に家を建てられたことを伺い、機会があるたびに、万葉に対する思いを感じさせて
頂いていた。
またクリスチャンだったことも知っていたが、入院されてからは、特に何度も
牧師さんに足を運んで頂き、話をすることを望まれ、安らかになっておられたと
奥様から伺い、切ない気持ちになった。このたびの私のコンサートに今回はご連絡が
ないな・・・と気になりながら、3月30日に帰天されたと聞き、1昨日まで知らなかった
事が悲しかった。
長年の闘病に付き添い、いつも明るく支えておられた奥様の存在も大きかった。
きっと奥様に心から感謝しておられることだろう。
おだやかであるが、きちっとご自分の意見を持っておられる姿勢は大好きだった。
5月18日が50日祭と伺ったが、万葉旅行の日なので行けない!!!。
私は近いうちに彼方小学校へ出向き、「万葉歌碑」の北村さんにご冥福をお祈り
してきたいと思っている。
ありがとうございました。また会う日まで・・・。
黒田基さん。扇野万葉の門下生であるが、「万葉旅行」でお知り合いになった。
「オカモのファン」と公表して、参加してくださり、最新カメラで、よくお写真を
撮って頂いた。海外旅行がご趣味で、ご夫妻で行かれるたびに「オカモのために」
お土産を探すのが楽しみと公言しておられ、恐縮だった。
おかげさまで、いろんな思い出の品々が私の手元にある(汗)。装飾品であったり、
飲食物であったり、様々に頂戴したが、黒田さんの思いやりは、私がネコが好き
ということで、必ずお土産にネコに関するラベルや、図柄や、ネコグッズであって、
私の好みに対する配慮も忘れずのお心遣いを頂いてきた。
1月7日、肝硬変で急逝されたと聞いた。黒田さんもコンサートに来て下さらなかった
けど、海外旅行中かなあ・・・などと漠然と想像していた。
忙しさにかまけて、大事な方々ときちんとお別れができなかったことが、悔しい。
ありがとうございました。また会う日まで・・・。

「春の日ざしの中の猫は、いつもニッコリこころホッコリ。
ぜひ会いにきてください。」と中浜稔先生から直々にご案内を頂き、
久しぶりに京都・四条の祇園まで、「ホッコリな猫たち」展に出かけた。
淡路島の(旧)東浦町のご出身で、2000年3月に東浦町立の中浜稔「猫美術館」が
開館し、オープンの日に母と出席したことがなつかしい。
ひょっとして、きょうは中浜先生と、それ以来の再会だったかも。
直原玉青氏(故人)のお弟子さんであり、水墨画家でいらっしゃるが、
「生きる意味」をネコを通して問い直す「ニャンニャン学」の開祖!?となられ、
1979年から、にゃん友会の活動を始められた。絵画も猫の墨絵をモチーフとして
独自の芸術世界を作られ、私もその作品に魅せられた一人だ。
ネコ人間を自認する私であるが、ネコを飼うこと、ネコグッズを集めること
などから離れ、ネコの表情や生き様や特徴を通して、もっと精神性の深い
ネコ人間を推奨し、墨絵のネコからは、安らぎと励ましを得るホッコリー
ワールドに私も共感している。
久しぶりにお目にかかり、中浜先生のいつもながらのパワーと謙虚さにほっと
しながら、また、墨絵のネコたちの様々な表情ににんまりうれしくなりながら、
ひととき過ごさせて頂いた。
また、淡路島の猫美術館も行ってみたいなあ。東浦町の町おこしの名所のはずが、
いつの間にか、市町村合併で、淡路市立の施設になっていた!!!
明日はホームページの笑倉院で、お宝をご紹介しましょう。
中浜先生、届いたばかりのすずらんの花、ありがとうございました!
すずらん

長澤まさみちゃんの「タイミング!」の歌声が流れる光フレッツの
CM。私たちにはなつかしい坂本九ちゃんの歌だ。
このところ、私はついている。まさに「タイミング」がよいのだ!
金本選手の2000本安打を目前で見ることができたこともそうだったが、
いろんな場面で、江戸はるみばりに「グー!」と言っている私!(笑)
19日~20日と1泊2日で、「志都の岩屋」万葉旅行に出かけた。
旅程のコースが変更したおかげで、万葉に諸説ある「志都の石屋」
説の3コース(島根県石見大田海岸線・邑南町の志都の岩屋神社・
鳥取県米子の粟嶋神社の洞窟)を経由、見学することができた。
また、宿泊のいこいの村しまねでは、前日の雨の湿気のおかげで、
目覚めた早朝素晴らしい雲海の幽玄な光景に出会うことができた。
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昨年、人麻呂像と依羅娘子の像が建立されたという、人麻呂が袖振る
高角山(島の星山)のふもとの人丸神社に立ち寄ったところ、のぼりや
テントがたち、何やらにぎやかだった。
なんと、偶然にも今年から始めるという江津まつりの初日だったのだ。
地元の行事に私たち旅人が加わり、地元の方が大変喜んでくださった。
私たちも出店でおモチなどを買い求め・・・。
そうそう、見学目的の、人麻呂・依羅娘子の像がまた凝っていて、感心した。
人麻呂は公園の高台に、手を振った姿で立ち、依羅娘子は、なんと回転銅像で、
人麻呂の方向だけでなく、自在に向きが変えられる。
「垂乳根の 母が呼ぶ名は 申さめど 袖振る君を 誰と知りてか?」なあんて・・・(笑)
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そして、昼食地でもある出雲大社へ。なんと60年に一度の式年遷宮の時期を
5年後に控えて、今夕8時に本殿の「御霊」が、仮宮へ移られる儀式があるという
ことで、参拝はもちろん、撮影も禁止と言う、稀な日に私たちは訪れたのだ。
現地ガイドの方は、申し訳なさそうだったが、いえいえ私たちは、貴重な旅の
経験の1つとして、5年後の出雲大社の正遷宮を感慨深く迎えることだろう。
そして、バスでの帰路、バスガイドさんも興奮されるほど、春霞の景色から
一転、富士山のごとく、冠雪してひときわ目立つ大山の全容が現れたのだ。
伯耆富士(因幡富士とも言うそうだ)と言うだけあって、堂々と高くそびえ立って
貫禄がある。車中から角度や表情を変えながら見える山に名残を惜しみながら、
別れを告げた。夢のようだった。
バスは一路東に向かい、右手側には赤く燃えたまん丸の夕陽に酔い、日暮れて左手側には
満月が顔を出した。(こんなことってあるかしらん!!!)
バスも渋滞をぬって時間通りに新大阪着!篠田運転手さん、すごい!
肝心の目的地である、主催者竹内正幸さんのふるさと、志都の岩屋神社では
犬養先生の歌碑との再会ができたこと、また、副碑を書かれた竹内さんの奥様が年末に
逝去され、碑の前で、みなでご冥福を祈った。
そして、15年前に植えられた清原先生の桜は、大きく育っていたが、花は恥らひ、
まだつぼみで、山間の春の訪れの遅いことを実感した。
私自身、浜名湖の下見旅行の直後で、心の準備も十分にできていなかったのだが、
本当に「♪素敵なタイミング」なのか、「おかげ」なのか、満たされた幸運な旅を
経験することができた。もちろん、神様に感謝です。
でも犬養先生に守られ、清原先生にも微笑んで頂き、貴重な旅ができた。
この旅は5年に一度企画される。と言うことは、次はまさに出雲大社の式年遷宮祭の年やん!

♪神戸発の遊覧船、乗ったときから 瀬戸内、海は春霞♪
母のたっての希望で、神戸ハーバーランドから出航し、明石海峡大橋と
神戸空港内の瀬戸内をクルージングしながら、食事をする「舟遊び」に
出かけた。
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2000トン級の「コンチェルト」と名付けられたミュージック・グルメ船で、
私たちはランチクルーズだったが、「明石大門に入らむ日や・・・」と
夕陽やライトアップされたパールブリッジを眺められるデイナークルーズもある。
(ロマンテイックでデートにぴったりかも!)
私たちは家族で、少々バイキングの食事に熱中し過ぎた感もあるが(汗)
甲板では、暑くもなく心地よい海風に吹かれて、春の海は霞がかっていたが、
海に迫った神戸の山々の新緑を楽しんだ。
私のふるさと垂水の町や、遠足で行き来した鉢伏山の遠景はなつかしく、また
あれだけ反対運動をした神戸空港が開港し、あらたなスポットとなっている
ことに、時の流れを感じた。
春のひととき、久しぶりに両親と時を過ごせた。もっと意識してこのような
時間を作らないといけないのだろうな・・・とちょっぴり反省!