
茨城県の筑波山のふもと、下妻市在住の大木さんが久しぶりに大阪へ。
大木さんは地元東歌研究会の代表でもありますが、筑波山神社をはじめ、
個人でいくつも万葉歌碑を建立されて、それを地元に寄付し、ふるさと発信、貢献の
大きな原動力となっておられます。
ご縁を得てからずいぶん経ちますが、平成22年11月に、筑波山神社に犬養先生の墨書を
もとに高橋虫麻呂の「筑波山歌」の長歌の歌碑を建立された時には、なんとその歌碑の
裏面には提供者として私の名を刻んで下さいました。恐縮でこんな光栄はありません!
さて、再会とはもちろん大木さんともお久しぶりですが、写真に一緒に写っておられる
中国人の唐さんとおっしゃる、経済学者でもある若手大学教授と再会を果たしました。
大木さんが平成23年に春日大社に「大和しうるはし」の歌碑を建立され、除幕式の時に
初めて唐さんご夫妻にお目にかかりました。日本語も達者で、素敵なご夫妻でした。
きょうは、その時以来の再会のひとときでしたが、大木さんとお二人のお出会いに私も
お誘い頂き、とてもうれしいことでした。
昼食をしたのは千里ニュータウンの桃山台にある「スコーネ」というフレンチのお店でした。
千里ニュータウンの秋景色を楽しみながら到着しました。
唐さんの行きつけのオススメのお店ということで、お昼のランチでしたが、いやいや贅沢な
メニューで、とても美味しく頂きました。
せっかくの機会でしたので、前菜の次のメインデイッシュ以外はみんな違うものを注文…。
(お味見のトレードはしましたが)笑

前菜もこだわりの無農薬野菜をピクルスにされたり、手作りのニシン漬けや、お肉のパテ
や、スモークサーモンなど具だくさん。色目もきれいです。
そしてメインは、肉・豚・魚で、大木さんチョイスは「蝦夷シカのステーキ、ブルーベリー
ソースがけ」。蝦夷シカと聞いて「鹿肉」に話題が及び、大木さんのご趣味の狩猟の経験談
を聞かせて頂き、興味深かったです。

そして私はイベリコ豚の赤ワインソースがけで、よく言う「共食い」でした!

すべてたべたことのある唐さんは、舌平目のムニエル、ホタテ添え!

話も弾みながら、美味しいお料理に舌鼓を打ちました。そして手作りデザートは、パンプキン
プリンとガナッシュのケーキです。

唐さんのオススメのお店の理由は、とても簡単でした。こだわりの食材に腕で「美味しい」
ことと、シェフと奥様のお二人のお人柄にあるようでした。それがアットホームな雰囲気で、
堅苦しくないフレンチレストランになっていて、唐さんも常連になっておられるのでしょう。
きょうは、私が「スコーネ」の宣伝部長として、ご紹介させて頂きました。
次回は、「ワイン」も選びながら、シェフご自慢のお料理を食べたいと思いました。
大木さんはなかなかこの場所が覚えられないということでしたので、大阪へ来られた時は
いつでもご案内いたしますよ!!!(笑)
千里ニュータウンも「紅葉スポット」がいくつかあるようです。
気持ちの良い、昼下がりでした。唐さんは春から中央大学へ転勤されます。
「スコーネ」のことを思うと、きっとおさびしいことでしょう!

投稿
ブログの記事もなかなか時系列で書けないのですが、FBに「三井楽万葉まつり」に
ついて写真中心にご報告しましたので、ブログでもう少し書き加えます。
三井楽町は平成17年の市町村合併まで、福江島の中でも独自に「西の果ての万葉の里」
として地元発信を努力しながら続けて来られました。
万葉ファンの誘致をはじめ、施設や環境作りにも取り組まれ、犬養先生の揮毫歌碑建立や
遣唐使ふるさと館の建設、地ビール産業など、平成の時代とともに地道な努力が実を結び、
有数の万葉故地として、しっかりと定着しました。
私たちも万葉うたがたりコンサートを3回させていただいています。
しかし、合併により五島市となってからは、市の一部地域となり、今までのような独自で
個性的な活動ができなくなったばかりか、経済的な負担の精算などで、町の活気が失せて
行きました。平成20年に私が個人的に訪れた時には、遣唐使ふるさと館は「道の駅」と
呼ばれ、お土産ものであふれていた棚が半分くらい空っぽで、その代わりに福江港の
ターミナルが玄関口として、大変立派になっていたことを思い出します。
今年の夏頃に、かつて役場で中心になって町づくりを果たされた谷川さんから連絡を頂き、
五島市となってから、三井楽町は「万葉まつり」として参加しておられた2月の「椿まつり」
も市の方針で、今後行事がなくなるかも…ということに対して、妥協しながらやってこられた
行事がいよいよなくなってしまうことの危機感と、もう一度地元の活性のためにも
私たちのような全国に広がる万葉ファンの協力を仰ぎながら、再び三井楽町の有志を中心に
がんばっていこうとしています…と伺いました。
そこで私には急遽11月に行うことになった「万葉まつり」の講演者を推薦してほしいという
依頼でした。
私も候補の一人ではありましたが(笑)、急な行事の決定で、秋の行楽シーズンは既に
予定の詰まった人ばかりでした。私も打診された2日間の予定では無理だったのですが、
17日だけなら…と16日に深夜便の博多からのフェリーでならば、17日の出演は可能と
言うことを申し上げていましたら、白羽の矢が…それでチャンスを頂いたわけです。
講演内容には「いつも皆が聞いて知っているような話(荒雄かな)ではなく、これからの
三井楽町のためにヒントとなるような話などを中心に…」とご希望がありました。
内容はずいぶん自身で検討しました。
結果、私の話が皆様にどのように伝わったかは気になるところですが、反対に朝から
予定されたプログラムは、子供たち中心に作られていましたが、それぞれになかなか
レベルが高く、おそらく地元では子供たちにしっかりとふるさと教育が行われている
のだと言う実感を持ちました。
その潜在力を如何に育て生かすかがこれからだと思いますし、並行して、地ビールに
替わる焼酎生産や、電気自動車のレンタルや、しまとく通貨という金券サービスなど、
五島市の新たな取り組みに、三井楽町も対応して、環境・設備面でも変化を遂げようと
しておられる途上であることを垣間見ました。人も環境も整いつつあります。
私自身がこの機会を楽しみにしていたこともありましたが、4年前に訪れた時からは
明らかににぎわいがありましたし、みいらくの遣唐使ふるさと館は「五島市」の象徴で
ある!という言葉をもれ伺い、あらためて心強く思ったことでした。
遣唐使の寄港地、万葉歌の荒雄伝説、五島の椿、そして極めつけは天智天皇の「むべ」
でしたね。
きりしたんの隠れ里として有名ですが、古代からの歴史がいっぱい刻まれた、やはり
ここは「万葉のふるさと」でした!!!

つらつら椿株式会社で制作致しております、万葉花カレンダー「猪名川万葉植物園だより」
も今年で4刷目の2014年版ができあがりました。
このカレンダーの制作を思い立ったのは、それまで20余年の長きにわたってお親しく
して頂いていた、山口県下松市の万葉花写真家の岡田憲佳さんが、毎年素晴らしい
「万葉花カレンダー」を制作しておられました。
私もカレンダーに限らず、絵葉書や万葉花を網羅した文庫本や、岡田作品が大好きでした.
「岡本さん、万葉花の撮影は自然光で、朝にだけ撮影するのですよ。」と、自然に咲く
花の美しさや表情を、自然のままに撮り続けることにこだわっておられました。
そして私はいつものように、「岡田さん、今年のカレンダーはいつできあがりますか?」と
お尋ねしたのが3年前です。
お電話の向こうで「岡本さん、もう高齢になってしまって、今年から作るのをやめました。」
とのお返事にはしばし絶句しました。
その後、今年5月にご逝去の報が届き、何とも言えない寂しさがございました。
「万葉カレンダー」がもうないのだというショックと、私も毎年岡田作品を自分の作品の
ように自慢げにご紹介をしていましたので、それを楽しみにしてくださっている方々からの
お問い合わせもありました。
それが「TSUBAICHI猪名川万葉植物園だより」の制作を思い立ったきっかけです。
岡田憲佳さんのカレンダーは、もはや「芸術写真、作品」でしたが、私は恩師犬養孝先生の
ご功績のひとつである『万葉集』を身近に広めることが、万葉カレンダーの魅力、
発信力でもあったと思っておりましたので、なんとかならないものかと思いました。
幸運なことに、大先輩でいらっしゃいますが、同じ犬養先生の門下である、木田隆夫さんが、
定年退職されたのち、自宅の山林に万葉植物を植栽され、今では100種類以上の
万葉植物を愛情を注ぎながら育てておられますが、四季折々楽しめる万葉植物園として、
私たちにも公開してくださっていました。
ひょっとして万葉歌に関わる草木花を猪名川万葉植物園のご協力でご紹介できるのでは・・・と
私が手探りで制作をさせて頂いてからはや4年目となりました。
写真家でもあり、自ら印刷会社を経営しておられた岡田憲佳さんの「カレンダー」には
はるか及ばないものですが、万葉花を愛する私たちの思いを託した、また万葉歌で、
古代人が植物に寄せて詠った心情を少しでも理解して頂けるのではないかとこだわりを
持って作らせて頂いたカレンダーです。
岡田憲佳さんが亡くなられた今、「万葉発信」の遺志を引き継がせて頂いているという
自負を持って、あらためて感謝と追悼の意を申し述べたいと思います。
「岡田さん、ありがとうございました。」
そして一人でも多くの方々に一年を通じて楽しんで頂ける万葉グッズとして
お求め頂ければ、幸いに存じます。

こだわりの「椿」の表紙は、友人の朝熊純一さんが書いて下さいました。
多くの方々のご協力、愛情のつまった作品ができあがりました。
10月20日は、美智子皇后のお誕生日の方が有名ですが、実は私の父の誕生日でもあり…(笑)。
五島列島巡礼の旅から、あわただしく時間が過ぎましたが、今朝1カ月ぶりのオルガン
奏楽のお当番で、ようやく所属の仁川教会のミサに与ってきました。
旅で少しお親しくなれた水浦神父様にもお目にかかり、ホッとしました。
2週間のうちにすっかり秋寒の雨の朝となり、家を出てからやっと明るくなったくらい…。
時は流れていきます。
いろいろお祈りすることがありました。
高岡・五島・東京と予定通りにすべてのことがはかどったこと、犬養先生の命日祭を
無事終えて、谷中で報告できたこと、留守中の深堀神父様のご逝去、うたがたりのこと、
今になって信頼関係の揺るいだ私の未熟と無念、体調…と感謝や、お見守りやお恵みを願い、
回心や…とあれこれ抱えての御ミサですが、ちょうど父のお誕生日に教会へ行けたことも
ありがたいことでした。
満85歳になった父、来年も元気でお誕生日が迎えられますように…と心から思います。
教会では10月は「ロザリオ」の月。私のご奉仕した7時ミサのあとは、9時から子供ミサ
がおこなわれますが、きょうは「ロザリオ祭」で、子供たちがかつぐ「マリア様の輿」が
おいてありました。とても華やかで美しい!
しばし見とれていました。

きょうのクリス神父様のお説教も「マリア様と共に歩んで頂き、神に近づく…」。
聖母マリアは、本当にすべての人々の「お母さん」です。
聖堂にもマリア像が飾られ、ライトアップにはちょっと驚きましたが(笑)、象徴的
だったので、電気も消された聖堂でしたが、写真を撮らせて頂きました。

では、今から出勤します! 今日はサロンレンタルですが、「発表会」で子供たちの発表
だけでなく、講師演奏もあり、ヤマハ音楽教室の頃の賑わいを髣髴とするような1日に
なります。
いろんな音楽に浸って心の安らぎを得られるのは、本当にオーナー冥利です(笑)。
9月28日に西宮神社で犬養孝先生の15年命日祭を終えたことは、HPのトップページでも
ご報告した通りです。
そして、ちょうど10月に東京大学で萬葉学会が予定されていましたので、上京の折に
谷中の墓参を楽しみにしていました。
平成10年10月3日がご命日ですので、タイムリーでもありました。
私にとっては上野駅からもはや歩きなれた道です。

ちょうど3連休ということで、墓地内の各所で「谷中まつり」が行われており、お花見と言い
物見遊山のスポットでもある「谷中墓地」の微笑ましく庶民的な様子を改めて実感しました。
帰りは日暮里から駒込経由、東大前へ。谷中墓地から紅葉坂を下って…。

東大というのは、4年前に甥の卒業式で、さも親のような顔をして参列しましたが、その時も
犬養先生の「学び舎」を追憶したくて、赤門をくぐったことを思い出します。
昨年2013年の萬葉学会が、東京大学で行われる予定を聞いた時、「萬葉」が東大で語られる
機会が訪れたことと、母校でもないのに懐かしい気持ちがしました(笑)。
ピアノのレッスンで2回東大に来たことも理由のひとつですが…。

東京大学文学部棟。広い構内で会場にたどり着くまでに、もう銀杏の落ちている銀杏並木を
抜けたり、初代学長の石造の前を通ったり、また、大学の新たな施設建設のために、発掘
調査をされているところもありました。

レンガの積まれたあとや、井戸など、歴史的遺物のようです。東大は関東大震災でもその後の
火災等で、図書館の書物が焼けてしまったり、資料が消滅してしまったり…と痛手も多かった
そうですが、偶然に持ち出されて唯一残っていた校本萬葉集」の版に用いたと思われるゴム印を
学会当日、特別に公開してくださいました。
会場校としてご挨拶をしてくださった月本雅幸先生が、以上のような話題や、大学図書館の
震災などを経て歩んできた歴史や、残存の貴重な資料のお話など、大変矯味深いお話を流暢に
してくださり、とても印象的でした。

私は亀井君(東大法学部卒)の大学で合唱の伴奏をするのに、ピアノのレッスンに2度伺い
ましたが、学生会館には、複数のグランドピアノがあり、その時に音大でもないのにすごいと
思いましたが、なんと文学部の教室にもやはりヤマハのグランドピアノが置いてありました。
品田先生の駒場にはパイプオルガンもあるとか。とても贅沢な設備がうらやましい。

懇親会で、月本先生もドイツで10年ほどピアノレッスンをされたと伺い尊敬してしまいましたが、
東大の男子学生の二人に一人はピアノ経験がある…と聞き、勉学と両立する優秀な子どもたちの
現実?に、改めて東大生は教育環境の恵まれたこどもたちでもあることに羨望がありました。
肝心の学会の内容については…、またあらためて感想を書くつもりです。
谷中で犬養先生と再会することから始まった東京の旅は、帰りの新幹線に乗車する前に親友とも
再会できました。
昨年還暦旅行で帰りに撮った「東京駅」。やはりライティングされて、きれいでした。
私のようなオノボリさんは写真を盛んに撮っていました。もちろん私も!

「KITTE]という旧東京丸の内郵便局をリニューアルした商業施設で食事をして、つもる話を
しましたが、時間切れ…。また来るね!と約束をして帰途に…。彼女のお誕生日の前日でもあり、
少しでも会えてよかった。
再び東京駅での記念写真です。充実した1泊2日の東京。翌日の臨地研修はキャンセルして、
翌日のTSUBAICHIでのサロンコンサートの準備のため帰宅しましたが、楽しかった!!!


今日は、8月の初金曜日。
祖父の命日が6日なので、ミサの中でご意向をみなさんに祈っていただきました。
最近、祖父の菩提寺、真光寺さんとのご縁や、サロンの実質オーナーでもあるので、私と
しては、祖父の最期をつきあった孫でもあり、特別な感慨や思いが残っています。
今日は 先日お墓詣りに固執した母とともにミサに預かりました。
読み上げられた祖父母の名前をしみじみ聞きながら、「天国でどうしてるのかなあ」
「天国でも夫婦げんかしてるかも???」「天国から私に叱咤激励してるかな」とか、
いろいろ…思い浮かべました。
祖父には特にいろいろうらみつらみがあっても今は恩讐の彼方?
犬養先生も今年で15年目の命日を迎えられますが、天国がにぎわうのは、ちょっと複雑です。
でも「また会う日まで…」ね。

昨日の感動を忘れないうちに…。
先月からありがたいことに明日香村で月に1度万葉講座をさせて頂く機会を得ました。
12年間指導をしてこられた大森亮尚先生が今春退任された後、有志の方々が、今後も何とか
続けていきたいというご意向で、悩まれたあげくに私に打診を頂きました。
犬養先生や万葉の旅や思い出も深く、大好きな明日香村ですが、犬養先生が亡くなられて
からは徐々にご縁も薄くなっていき、一昨年永年務められた明日香村の関義清村長から、新進
気鋭の森川裕一村長に交替されてからは、村の体制も変化し、ますます私にとっては、
明日香村との距離ができていくようで、さびしく思っておりました。
そんな時に、声をかけていただくなんて…なんと光栄なことでしょう!
「明日香村で万葉講座」なんて、まさに釈迦に説法状況ではないかと思いますが(汗)、
還暦を迎えたこの時期、私に犬養先生が「おかもちゃん、お世話になった明日香村にご恩返しを
しなきゃね!」と背中を押してくださったような、幸運な機会にすべての方々に感謝です。
そして、先月から始まり、昨日は2回目でした。
講座の後、犬養万葉記念館の建設当時、明日香村役場の建築課の課長さんとして縁を頂いた
小倉茂次さんからご連絡を頂いていたこともあり、久しぶりに現地でお目にかかりました。
小倉さんは、現在NPO法人で明日香村の自然景観保全の活動をしておられますが、活動の一環で、
ビオトープ池を作ったところ、藻が自然に繁茂したので、これを「飛鳥の玉藻」と呼んでよい
ものか見に来てほしいというものでした。
案内して頂いた明日香村稲淵のその場所は、なんと清原先生の写真展のチラシにも使用した
飛鳥川の風景の場所でした。この写真は、昨日私が撮ったのもです!!!
遅まきながら、やっと場所を見つけました! 感動!

なるほど、池は3つ作っておられ、素朴な様子ですが、いもりやかえるが伸び伸びと泳ぎ、
絶滅危惧種と言われるみずあおいも育っていました。また、蛍の好物「カワニナ」もいて、
水底を歩いた?(移動した)軌跡も見られめずらしい!
カエルクンの様子を写しましたがわかるかな。
小魚や、メダカも泳ぎ、思わず子供のころの郷愁にかられました。
そして「藻」は、自然に繁殖した藻ですが、明日香の玉藻はやはり「川の藻」だと思うので、
「人工池」で淀んでいる藻は「なびきあわなくに」…と表現しがたいかも…と申し上げました。
しかし、飛鳥川の水を引いて繁茂したこと→飛鳥川の藻ということで、飛鳥川の「玉藻」と
認定することで妥協しました(笑)。そこいらへんのこだわりが愉快です。


帰り際に小倉さんの畑によって、収穫物をいろいろ頂いてきました。
ホームページトップで「ゴーヤトンネル」をご紹介していますが、ゴーヤはもちろんのこと、
たくさん作っておられる野菜の中で、「エンサイ・モロヘイヤ・青紫蘇・スイカ」などを頂戴して
きました。遠慮がなくてごめんなさい(汗)。ありがとうございました。
犬養先生が、明日香村は農村ではないけど、いろんな種類の作物ができるんだよとおっしゃって
いましたが、小倉さんの畑は棚田100選の景観の中にあり、野菜のほか、ケイトウや菊や花なすびや、
お花類も多く育てておられます。お花があるので青田に色彩を添えて、本当に美しい景色が
目前に広がっていました。私も暑いことも忘れてひとしきり遊ばせて頂きました。
たくさんみのりの品を頂戴したにも関わらず、「露地もののトマト」を求めて夢市へ。
これは母や山寺さんからも期待注文されていたので、しっかり購入してきました。
さあ、帰ろうといざ車に乗って出発時に目についたのが「あすかルビー」のソフトクリーム。
もちろんお味見はしておかないと!!!

あまっずっぱくて、さっぱりしていました。
今日も「余は満足じゃ!」とばかり1日しっかり「明日香」を満喫してきました。
来月は夏休みで、次回は9月です。やっぱり明日香村は心のふるさとだとしみじみ思います。
明日香村の方々にも心から感謝です。
貴重な1泊は、迷うことなく、かつて私が学生時代万葉旅行で宿泊した宿を…ということで、
大阪大学万葉旅行の会のパンフレットにあった温泉津温泉の3軒のうち「おがわや」さんに
決めた。
今どきの宿泊情報や人気順などは関係なく、ノスタルジーだけの決定だったが、やはり
その期待は裏切られなかった。

こじんまりとしたこぎれいな旅館。若女将が迎えてくださった。(小池栄子似)
なかなか明るくて魅力的な人だ。

全員で乾杯! 差し入れの地元の地酒も振る舞われ、美味しい食事と、懐かしい話題に
花が咲いた。
「二宮金次郎」の歌唱や、今なお暗記で語れる「教育勅語」など…。戦前教育のすごさを
感じた。
「日本人」「愛国心」「倫理観」の意識を、こうして自然に刷り込まれてきた世代の人たち。
「敬う心」「感謝の心」「誇り」など、今は、日本人の心がないがしろにされている。
戦後生まれの私たちには、とてもいい勉強の機会でもあった。乾杯!!!

翌朝に経験した外湯。元湯と薬師湯。めちゃ熱く46度だった!


早朝の散歩。温泉津の海岸を臨む。阪大生は昔は泳いだと聞いた?
今はもう港となり、海岸ではない。

狭い温泉街の中に静かな景色や、立派な古刹、歴史を感じさせる町だ。
出発前に今はもう引退されている女将がご挨拶に出てきてくださった。
「犬養先生!よく覚えていますよ。毎年年賀状も頂いてましたが、このごろ来なくなって
しまって…」!!!
いやいや、犬養先生が亡くなられて15年も経つのでと申し上げるとびっくりされていた。
犬養先生はこうしてきちんとご縁をつないでおられたのだ。やはり礼儀がすごい。脱帽。
お電話1本で、お願いした「のがわや」さんだったが、ほんとうに宿泊してよかった!と
参加者が記憶に残してくださる、宿との貴重な思い出ができた。
邑南町の岩屋から、山中を通り、まず斎藤茂吉の鴨山記念館へ。



芝桜の美しさで見逃しそうになったのは、「おきな草」
斎藤茂吉が好きで、山形から取り寄せて植栽されたそうだ。見いつけた!

こじんまりとした館だったが、うれしいことに犬養先生の揮毫色紙も展示してあった。

今日だけなぜか売られていた貴重なる「鴨山だんご」。ゲット!

いよいよ、すぐ近い湯抱温泉地へ出発。
かつての邑智郡粕淵の山を明治の歌人、斎藤茂吉が柿本人麻呂の終焉の地「鴨山」と
断定したところだ。
学生時代も4軒しかない旅館に分宿し、4軒すべてで大阪大学万葉旅行の会の貸し切り状態に
なる、独特の万葉故地だった。

懐かしい日の出旅館があった! 中村屋もある。しかしあまりの静けさに人の気配も
感じられない。いつからか時の止まったままの「湯抱温泉」がそこにあった。

みんなで鴨山公園へ。奥に見えるのが「鴨山」です。現地の津目山。



万葉故地として多くの人が認めている「志都の石室」は、海岸線(交通路)にある伝説地で
石見大田市静間の海岸にも立ち寄った。
立ち入り禁止の洞窟にちょっとお邪魔して、江戸時代の石碑を確認。
古代の神様がおられた場所は、こんな暗い狭いところだったのかしらん?(笑)
一路、宿泊地温泉津温泉へ。「ゆのつ温泉」と読む。
犬養先生の揮毫された歌碑のある、島根県邑南町の志都岩屋神社。
建立者の竹内正幸さんの出身地、ふるさとであるが、建立されてから5年ごとに歌碑への表敬
訪問をなさっておられる。
5年に1度と言うと、ずいぶん時間の流れを感じるが、実は私はお誘い頂いてから毎回
参加しており、今回で4回目の旅となった。
さすがに竹内さんも年を重ねられて、今回の旅はTSUBAICHIで企画してくれないかという
ご依頼を頂き、「島根・江津の旅~人麻呂を訪ねて~」として志都岩屋神社を訪れることを
メインに呼びかけた。
初めて参加される方のために、「石見万葉」の旅としてあらたな部分もコースにいれたり、
竹内さんに時間的な妥協を求めた。
大阪集合解散ではなく、広島を起点とすることなど、了解を頂きながら計画し、時期は
4月29日、30日とゴールデンウイークのはじめとなった。しかしこれも「八重桜」の開花時期を
考慮してのものだった。
10時に広島駅集合、人はバスに乗り込み一路、かつての島根県瑞穂町(邑南郡邑南町岩屋)
を目指した。

5年ぶりの訪問に、犬養先生も喜ばれたことだろう。
副碑は、竹内さんの奥様、書家の美代子さんが書かれたもの。5年前の訪問は、前年奥様を
亡くされたばかりだったので、追悼の旅でもあった。それもきっかけとなり、昨年私たちの
TSUBAICHIで、竹内美代子さんの作品展をさせて頂いたことの感慨があった。

そして、八重桜の碑。その後清原和義先生が来られた時にお手植えされたと言われる
「清原桜」。
過去15年前から参加している私だが、山ふところの桜故、咲いていたことがなかったのだ。
それで思案した決定した「旅行予定日」。
昨年は遅い桜だったので…のはずが、今年は寒さに反比例して町は早々に咲いてしまい、
私たちは不安を残しながらの出発だったが、「バンザ~イ!」咲いていました。
たわわな満開の八重桜が。
これも私にとってはこだわりポイントだったので、本当にうれしいことだった。
清原先生の奥様も「清原桜」目的の旅を気にかけての毎回参加だと思っていたので、
私も肩の荷が降りた気持ちだった。
「さくら君、やっと咲いているところを見てあげられたね!」


感激したのが、地元の方々が心をこめて作って下さった山菜中心のお弁当。
じっと見ているだけでもなつかしさがこみ上げてくる。ありがとうございました。

竹内さんの故郷を今も守ってくださる方々が迎えてくださった。
町会議員さん、神社総代、区長、そして歌碑が建立されたときに生まれた日高理沙ちゃん。
限界集落と言われるこの地を代表する人々だ。
みなさん、ご丁寧なおもてなしを頂き、本当にありがとうございました。

これは参加者で唯一、裏山の頂上まで登った西本君の「証拠写真」。
私も登ってこの景色も見たかったなあ。「忘れがたき…ふるさと」♪ですね。

心を残し、見送られながら、斎藤茂吉の執念の「人麻呂終焉の地へ」。
次は「鴨山」をアップします。




