つらつら椿株式会社で制作致しております、万葉花カレンダー「猪名川万葉植物園だより」
も今年で4刷目の2014年版ができあがりました。
このカレンダーの制作を思い立ったのは、それまで20余年の長きにわたってお親しく
して頂いていた、山口県下松市の万葉花写真家の岡田憲佳さんが、毎年素晴らしい
「万葉花カレンダー」を制作しておられました。
私もカレンダーに限らず、絵葉書や万葉花を網羅した文庫本や、岡田作品が大好きでした.
「岡本さん、万葉花の撮影は自然光で、朝にだけ撮影するのですよ。」と、自然に咲く
花の美しさや表情を、自然のままに撮り続けることにこだわっておられました。
そして私はいつものように、「岡田さん、今年のカレンダーはいつできあがりますか?」と
お尋ねしたのが3年前です。
お電話の向こうで「岡本さん、もう高齢になってしまって、今年から作るのをやめました。」
とのお返事にはしばし絶句しました。
その後、今年5月にご逝去の報が届き、何とも言えない寂しさがございました。
「万葉カレンダー」がもうないのだというショックと、私も毎年岡田作品を自分の作品の
ように自慢げにご紹介をしていましたので、それを楽しみにしてくださっている方々からの
お問い合わせもありました。
それが「TSUBAICHI猪名川万葉植物園だより」の制作を思い立ったきっかけです。
岡田憲佳さんのカレンダーは、もはや「芸術写真、作品」でしたが、私は恩師犬養孝先生の
ご功績のひとつである『万葉集』を身近に広めることが、万葉カレンダーの魅力、
発信力でもあったと思っておりましたので、なんとかならないものかと思いました。
幸運なことに、大先輩でいらっしゃいますが、同じ犬養先生の門下である、木田隆夫さんが、
定年退職されたのち、自宅の山林に万葉植物を植栽され、今では100種類以上の
万葉植物を愛情を注ぎながら育てておられますが、四季折々楽しめる万葉植物園として、
私たちにも公開してくださっていました。
ひょっとして万葉歌に関わる草木花を猪名川万葉植物園のご協力でご紹介できるのでは・・・と
私が手探りで制作をさせて頂いてからはや4年目となりました。
写真家でもあり、自ら印刷会社を経営しておられた岡田憲佳さんの「カレンダー」には
はるか及ばないものですが、万葉花を愛する私たちの思いを託した、また万葉歌で、
古代人が植物に寄せて詠った心情を少しでも理解して頂けるのではないかとこだわりを
持って作らせて頂いたカレンダーです。
岡田憲佳さんが亡くなられた今、「万葉発信」の遺志を引き継がせて頂いているという
自負を持って、あらためて感謝と追悼の意を申し述べたいと思います。
「岡田さん、ありがとうございました。」
そして一人でも多くの方々に一年を通じて楽しんで頂ける万葉グッズとして
お求め頂ければ、幸いに存じます。

こだわりの「椿」の表紙は、友人の朝熊純一さんが書いて下さいました。
多くの方々のご協力、愛情のつまった作品ができあがりました。
投稿
9月28日に西宮神社で犬養孝先生の15年命日祭を終えたことは、HPのトップページでも
ご報告した通りです。
そして、ちょうど10月に東京大学で萬葉学会が予定されていましたので、上京の折に
谷中の墓参を楽しみにしていました。
平成10年10月3日がご命日ですので、タイムリーでもありました。
私にとっては上野駅からもはや歩きなれた道です。

ちょうど3連休ということで、墓地内の各所で「谷中まつり」が行われており、お花見と言い
物見遊山のスポットでもある「谷中墓地」の微笑ましく庶民的な様子を改めて実感しました。
帰りは日暮里から駒込経由、東大前へ。谷中墓地から紅葉坂を下って…。

東大というのは、4年前に甥の卒業式で、さも親のような顔をして参列しましたが、その時も
犬養先生の「学び舎」を追憶したくて、赤門をくぐったことを思い出します。
昨年2013年の萬葉学会が、東京大学で行われる予定を聞いた時、「萬葉」が東大で語られる
機会が訪れたことと、母校でもないのに懐かしい気持ちがしました(笑)。
ピアノのレッスンで2回東大に来たことも理由のひとつですが…。

東京大学文学部棟。広い構内で会場にたどり着くまでに、もう銀杏の落ちている銀杏並木を
抜けたり、初代学長の石造の前を通ったり、また、大学の新たな施設建設のために、発掘
調査をされているところもありました。

レンガの積まれたあとや、井戸など、歴史的遺物のようです。東大は関東大震災でもその後の
火災等で、図書館の書物が焼けてしまったり、資料が消滅してしまったり…と痛手も多かった
そうですが、偶然に持ち出されて唯一残っていた校本萬葉集」の版に用いたと思われるゴム印を
学会当日、特別に公開してくださいました。
会場校としてご挨拶をしてくださった月本雅幸先生が、以上のような話題や、大学図書館の
震災などを経て歩んできた歴史や、残存の貴重な資料のお話など、大変矯味深いお話を流暢に
してくださり、とても印象的でした。

私は亀井君(東大法学部卒)の大学で合唱の伴奏をするのに、ピアノのレッスンに2度伺い
ましたが、学生会館には、複数のグランドピアノがあり、その時に音大でもないのにすごいと
思いましたが、なんと文学部の教室にもやはりヤマハのグランドピアノが置いてありました。
品田先生の駒場にはパイプオルガンもあるとか。とても贅沢な設備がうらやましい。

懇親会で、月本先生もドイツで10年ほどピアノレッスンをされたと伺い尊敬してしまいましたが、
東大の男子学生の二人に一人はピアノ経験がある…と聞き、勉学と両立する優秀な子どもたちの
現実?に、改めて東大生は教育環境の恵まれたこどもたちでもあることに羨望がありました。
肝心の学会の内容については…、またあらためて感想を書くつもりです。
谷中で犬養先生と再会することから始まった東京の旅は、帰りの新幹線に乗車する前に親友とも
再会できました。
昨年還暦旅行で帰りに撮った「東京駅」。やはりライティングされて、きれいでした。
私のようなオノボリさんは写真を盛んに撮っていました。もちろん私も!

「KITTE]という旧東京丸の内郵便局をリニューアルした商業施設で食事をして、つもる話を
しましたが、時間切れ…。また来るね!と約束をして帰途に…。彼女のお誕生日の前日でもあり、
少しでも会えてよかった。
再び東京駅での記念写真です。充実した1泊2日の東京。翌日の臨地研修はキャンセルして、
翌日のTSUBAICHIでのサロンコンサートの準備のため帰宅しましたが、楽しかった!!!


学生時代に犬養万葉を聞かれてから、「万葉活動」が人生のライフワークになれらた
方は少なくありません。
このたび、『万葉歌みじかものがたり』を出版された中村博さんも、お仕事の第1線を
退かれた後に、心に残る万葉の灯を再び燃やされたおひとり。その延長線上の偉業です。
犬養先生の名著『万葉の旅全3巻』に登場する「万葉故地」309か所をまわられ、先生の
写された写真の場面、故地を追われるうちに『万葉の旅今昔』として全国掲載されたすべての
写真を検証してみようとすべての比較の写真を撮られました。
その達成感と共なる虚脱感から、次に山内英正さんの『犬養孝の万葉歌碑』の本に触発されて、
全国にあるすべての犬養万葉歌碑を訪ねられて、写真に収められました。
その達成感と再びの虚脱感…から、ついに大阪弁で万葉集を訳してみようということに。
それは、『万葉集』の注釈書が万葉歌に忠実なあまり、肝心の「歌心」が伝わらないのでは
…と常々思っておられたことと、若い世代に身近に受け入れられるための手段として、挑戦
されたというのは、万葉の魅力を若い人たちに「音楽」を通して伝えたいという私も同じ、
共通の思いです。
出版社が決まるまでに時間がかかられたようですが、「訳」はできているそうなので、
今回8月に2冊目が出版され、第10巻まで2~3か月に1冊の割合で、出版されて店頭に
並んでいくそうです。すごい!
私たち犬養万葉門下として、是非お祝いを兼ねた記念会をしおようと言うことで、サロンを
会場にすることもあり、私が代表世話人ということで、出版記念会を開催させて頂きました。
一部は、中村さんの「万葉人生」ともいうべき、今日までの道のりなどを講演していただき
ました。

2部の祝賀会では、中村さんに「生きがい」を与えた『犬養孝の万葉歌碑』の著者、山内
英正さんはじめ、親しい方々のお祝辞など、食事をしながら和気藹々と楽しく集いました。
中村さんが阪大の混声合唱団出身とはつゆ知らず、犬養先生の甘樫丘の1号歌碑建立の時に
中村さんはOBで、山内英正さんは新入生で一緒に黛敏郎さんの「万葉歌碑の歌」を合唱
されたとわかり、中村さん、山内さんを中心に全員で「万葉歌碑の歌」を合唱しました。
いや~、思いがけない混声合唱団の先輩後輩でした。

おっとりとされた奥様の内助の功、お嬢様の作られたクッキーの引き出物など、中村家の
様子もよくわかり、出版にあたってみなさんの理解があって、中村さんの夢が果たせること
をうらやましく思いました。
10巻まで楽しみです。
中村さんのおだやかなお人柄と、情熱あふれる偉業に心からエールを送りながら、
私も「元気」を頂きました。犬養パワーのせいかもですね。
おめでとうございました!!!

2011年12月23日(金)の天皇誕生日、奈良市の春日大社の境内に『古事記』歌謡の歌碑が
建立・除幕された。
「万葉の大和路を歩く会」10周年記念事業で、高円山のドライブウエイ展望所に大伴家持
歌碑が建立された時に、除幕の神事をしてくださったのが、春日大社の花山院親忠宮司だったそうだ。
その折りに花山院宮司が、春日大社にも犬養先生揮毫の歌碑が建立できれば…とお願いされる
ことがあったらしい。それから、21年目にいまや世界遺産となり、歌碑建立が不可能と
思われた聖地に、来年『古事記』編纂1300年紀を前にして、犬養先生が珍しく色紙に書いて
おられた古事記歌謡
「倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭し麗し」 倭建命(記30)
が、歌碑となり、春日大社の境内に誕生した。
格式高い春日大社の導きに従い、除幕の儀(神事)は、春日大社のご本殿の前の御廊で行われた。
春日大社の回廊内の特別参拝はなかなか機会がないが、このたびは鳥が翼を広げたように
延びていると説明されている御廊で、参列者全員あげて頂き、ご神事に与らせて頂いた。
春日大社でこのような場所まで入れて頂いたことに感激!
西村禰宜のこの日の為に作ってくださった素晴らしい祝詞をしみじみ聞きながら、また
巫女の舞もあり、本格的な除幕の儀礼を行ってくださったことに心から感謝だった。
私は以前、犬養万葉顕彰会会長だったので、玉串奉奠させて頂いた中の代表の一人として
光栄な機会を頂戴した。
その後、貴賓館で直会が行われたが、その時にはかつての花山院宮司の跡継ぎでおられる
花山院弘匡宮司がお顔を出してくださり、春日大社とゆかりの万葉歌2首をご披露しながら、
喜びの御礼とご挨拶をしてくださった。そして建立された大木さんに感謝状を渡された。
大木さんは先月自宅でけがをされて治療中。建立も短期間に予定が決まってしまったそうで、
そのハンデイを抱えながらの奔走と伺っている。また除幕式には、病気療養中の奥様もご参列
くださり、ただ体調が万全でないお二人のために、ご長男が東京から車で奈良まで送って
こられた。また、歯科医のお嬢さんが、お子さんを預けて大木さんご夫妻の介助に共に
来てくださったので、ご家族水入らずとは言え、ご家族のご協力あっての建立事業だった。
本当にありがとうございました。
春日大社の御廊でご神事が執り行われたので、歌碑は祝別のみ。紅白の花吹雪が舞い、
喜びとともに、歌碑が無事除幕された。18日に山内さんの出版祝賀会の時に、今日のこの
歌碑の除幕式のことが、情報公開されたが、古事記歌謡の色紙提供者が山内さんと言うことで、
新たな歌碑の裏面には、山内英正氏の名前も刻まれ、記紀歌碑1号記念でもあるこの新碑の
建立は犬養先生からの山内さんへのご褒美?のような気がした。よかったね。
凍てつくような底冷えのする寒い日だったが、心はホットに…幸せ気分だった。
久しぶりの奈良。帰りは春日大社から東大寺の二月堂方面へ歩き、秋にオープンした
東大寺ミュージアムへ。
立派な収蔵庫?ができた…と思いきや。興福寺も中金堂を再建中。
歴女ブームとなった、阿修羅像の人気たるや凄いが、「仏像」ブームもあって奈良のお寺は
今建設ラッシュ状態?
のどかにせんべいを食む鹿たちが、世の中の流れをどのように見ているのだろうか。
聞いてみたいものだ(笑)。
さて、夜は大阪・弁天町のレストランへ。歌姫大岡美佐ちゃんとバイオリニスト村田道代さんの
共演のクリスマスコンサートがあり、ささやかなクリスマス気分を求めて、大阪へ。
犬養先生、山内さん、おめでとうございました!!!
大和路を歩く会の30周年記念講演会がありました。
山内英正さんと、坂本信幸先生です。
富田敏子さんの率いる大和路を歩く会も、犬養先生の後押しで始まった当初から、
時代の変化や、状況の変化に対応しながら、犬養先生の選定された12のコースをもとに
万葉の故地を歩き続けて来られました。
結果的に、犬養孝先生の業績を後継されてきたことなどの意義を山内英正氏が、講演
「犬養孝先生と万葉の風土」という題の中で、評価されましたが、
本日の会を見ても、講師陣、ボランテイアスタッフ、参加者のお顔触れを拝見する中、
富田さんを中心としてみんなが、支えて、「続けよう」という意気込みが強く感じられました。
恵まれた会だと思います。富田さんも大変でしょうが、体に気をつけて頑張って欲しいと
思います。
我ら犬養3兄弟!!! 「万葉を歩く」富田さん、頑張れ。「万葉を歌う」妹より。
29日、久しぶりに「情熱大陸」を見た。
いきなり家島だったり、五島列島の福江島の半泊の地元活性の着手の様子だったり、
私の身近な万葉故地の意識の範疇の地域が映し出されていた。
家島は、遣新羅使人の
家島は 名にこそありけれ 海原を 吾が恋ひ来つる 妹もあらなくに(15・3718)
の帰路の歌にも詠まれた「島」で、犬養孝先生の揮毫歌碑もある。
私も何度か訪れたことがあるが、播磨灘に浮かぶ家島諸島は、ちゃらんぽらんの大西浩仁さんも
行き来しておられたので、家島の民宿のご主人ともご挨拶をさせて頂いたことがある。
家島は漁業の豊かなところだが、島のおばちゃんたちがNPOを立ち上げ、海産物の商品化と
販売に活躍されていた。まずその協力者が山崎さんであったのだ。
番組では、またまた私には興味深い五島列島。限界集落の活性化の相談を受けて、山崎さんが、
地元住民をヒアリングしたり、人間関係を構築しながら、半泊地区の今後を考えていく様子
がレポートされていた。浜口さん…と言う名前は、地元には多い苗字で、私がお世話になった
浜口神父様も五島の出身で、浦頭教会にご家族が所属しておられる。そして神父、シスターを
数多く出された浜口神父の系図が、堂崎天主堂に掲げてあったことがなつかしい。
半泊教会も私は、ドライブで聖堂訪問した。
五島列島の映像は美しかったが、実際の海、島山、空、本当の美しさを体験した私たちは
今でももう一度行きたい万葉故地NO!である。
番組で懐古の思いも重ねながら、また、山崎さんの手がけておられる「コミュニテイデザイン」
という「言葉」「仕事」があることを初めて知ったが、私が一握の砂として、平成の大合併
後の万葉故地の地域活性の方向を考えている時に、救われたような気がした。
若き37歳。人と土地との繋がりを地域の特性に合わせて、新たなまちづくりに活用していく
デザイナーとしての山崎さんの今後の活躍を応援したい。若ければ門をたたいて共に協力
していきたいと思った。(笑)
もう一つ、もうあとのまつりだが、「私」の大学院での目的意識を今頃確認できたことだ。
山崎さんは、一線で仕事をするかたわら、東京大学の大学院で、論文をせっせと書いて
おられる。それは、画一化していない、いろんな地域・場合でのコミュニテイ・デザインの
経験を通して、論文に1つづつまとめていかれることが、ご自身のフィールドワークとして
ランドケープデザイン(周辺環境との調和に配慮した設計)が、新たに学問分野でも
認められていく実証の方法だからだ。
そっか~、私も「万葉うたがたり」を通して、活動の意味や、関わった万葉故地との関係や、
万葉故地の変化や、状況など、いっぱい「私の目」を通して考え、語れることがあったでは
ないか。「社会人として自分の実績を形にすること」そして、『万葉集』との関係において、
奈良女子大学なら、人文社会学科的要素であるが、山崎さんをお手本にするなら、再び
大学院で、実績をまとめ、研究論文に起こすことは、私にとってもっと身近な題材だったの
ではないかと思った。もちろん3年間の在籍は、『万葉集』研究の最前線を確認することや、
勉強手法の獲得や、いっぱい得るものはあったが、ブランクで、継続研究テーマがなかった
ので、「修士論文」だけが、浮き上がってしまったことが今でも悔やまれるのだ。
しかし、私にとっても新たな光明を得て、嬉しかった。
山崎さんの手がけられた福江島・半泊の今後を興味深く見ていきたい。
そして、私も五島列島に行き、大好きな、三井楽の方々に会える機会を期待しながら…。
「つきの木」です。
2011年の2月11日に毎日放送の万葉ラジオウオークが30周年という記念の節目を
迎えたことを記念して、この記念植樹が行われました。

第1回から企画や、準備に携わってこられた太田兼三郎さん(元毎日放送アナウンサー)が、
ご挨拶で、30年間に亘ってずっと関わってこられて、古代や万葉時代のラジオウオークの
コースは奈良県を中心に各所尽きないけれど、何といっても「明日香」の地は特別で、古代の
万博会場と言える魅力的な場所だったのではないかと述べられました。
飛鳥寺をはじめとする寺院などのパビリオン、古代の宮に見られる池、庭。謎の石造物は
水の流れるエンターテーメント、そして中大兄・鎌足の出会ったつきの木広場…と例えられ
太田さんのこだわりの中で、万博ならば「太陽の塔」にかわるシンボルとして、そびえたつ
大きなものが欲しい…、とそれが今回の「つきの木」の植樹となったことを伺いました。
何と楽しく、遊び心満載の洒落た発想だろうと感心しました。
そもそも30年前のラジオウオークが始まる時の会議に私も参加していましたが、クリエイト
大阪社長の松田一二さんが、ソニーのウオークマンを聞きながら「故地を歩く」発想と、
福徳相互銀行重役の扇野聖史さんが自らの足で歩かれて書かれた「万葉の道」と言う本を
売り出す方法として、両者が結び付いて生まれた企画でした。それを毎日放送のラジオ局局長
の郡庸一郎さんがラジオ番組の企画として、「ラジオカルチャー」「ラジオウオーク」という
ジャンル、機会を作ってくださったことが、今日に続いているのです。
そして、われらが犬養孝先生の監修と協力なしにはできないので相談しながらスタートした
イベントでした。30年も続いたのですね。すごい!
犬養先生は、第16回まで参加されました。17回は、気にしておられたのですが、私たちで
体調を思い、無理やり出演を取りやめて頂いたので、犬養先生が気にされて、気にされて
とうとう私が、その後1週間あまり経った、2月19日に二人で明日香村へ行ったのです。
その機会が犬養先生が明日香村へ行かれた最後になりました。(追悼文『明日香風とともに』
に寄稿しています。)
飛鳥寺の西門近くのつきの木広場を再現したい…目的でもあるので、このたびの植樹の儀式は
飛鳥寺の上島副住職の読経の中、行われました。
昨日の雨以上に、豪雨の中西宮から出てきましたが、何と植樹のセレモニーの間は雨もやみ、
私たちは何と幸運なのでしょうか。青山・猪熊・上野先生ら出演者をはじめ、毎日放送、
毎日新聞社、明日香村村長・教育長など・・・スコップでつきのきに土をかけて…。
これは、「木」に添えられた副碑です。このたびの「思い」がつづられています。
ラジオウオークでおなじみの柏木宏之アナウンサーが司会・進行で取り仕切ってくださいました。
上島飛鳥寺副住職の「飛鳥は聖地である。日本の「聖地」である意識が、京として古代から
今の遺跡に至るまで続いているのだ。」と力強く述べられました。
ふむ、「日本の聖地」か!
そして、毎日放送のラジオ局の局長が、1400年の飛鳥の長い歴史に、古代を彷彿とさせる
「つきの木」のあらたな歴史が、新たに加わったことの意義を述べられました。
松田さん、扇野さん、お元気だったらこのような企画はお二人がなさったことでしょう!
良かったですね。我ら万葉衆はいまも健在です。
私も「万葉」の世界を率先して楽しむ一人として、「遊び心」に満ちた楽習を続けますね。
最後に、私も横に立ち、植樹のつきの木の「大きさ」はこれくらいです。
そうそう万葉時代のつきの木は、今の「けやき」のことです。
ラジオウオーク30回おめでとうございます。31回目のコースはさて、どこだ!
10月24日、午後2時からが千秋楽です。
娘の所属する劇団「遊劇体」の公演です。数年前から継続的に泉鏡花の全戯曲上演に
取り組んでいて、今回は久しぶりに劇団代表のキタモトマサヤ氏の尊敬される劇作家の
作品をキタモト流の手法で演出された意欲的な舞台です。
私は初日に見ました。
娘は「米子」という元気で明るいおばあちゃん役。孤老の1人であろうが、生命力に
あふれ、自己主張もあり、しかし人間の弱さも熟知している魅力的な人間を演じた。
社会の片隅にある当たり前の光景と、老人の生き様、「老い」との闘い、在日朝鮮人の
こだわりと、ま反対のしたたかな生き方…など、「笑い」の場面が満載の中にも
重いテーマが横たわり、「人間性」や「生き方」を問いかける、悲しい場面や、
切なさが心を打った。
このような「役」を通して、娘は何を思い、何を表現したかったことだろう。
私は、観劇してから、これからは「米子」めざして、がんばろう!!!と思った。
やはり「遊劇体」の芝居ははっきりした主張がある。
12月4日には、この劇団が私の30周年のコンサートの舞台に華を添えてくださる。
それも「犬養孝先生」がテーマで…。
あ~あ、千秋楽の舞台、もう一度見たいなあ!!!
私は今から万葉学会2日目に出席してきます。『万葉集』は、私の人生の背骨ですから。
今夜帰宅して、娘と祝杯をあげられるかな。
4月1日がめぐってきました。
知人に4月1日生まれの方が結構多いことがわかりましたが、私たちオールド
甲南女子大生にとってはいつまでも「4月1日=犬養孝先生のお誕生日」です。
今年も西宮の犬養邸に5人が集まりました。
オカモサロンもできたので、吉本愛子さんにお手数を煩わすことを避けたいと
集会の場所変更も考えましたが、私たちが先生の魂の留まるなつかしいお家に伺う
ことの意義も大きく、また吉本さんが「みなさんが来てくださることによって
この家に賑わいが戻ってくることがうれしい!」とおっしゃいました。よかった!
そして「私たちが住んでいるのは私たちの家ではなく、今でも犬養先生のお家ですから…」と。
こうして先生亡きあとも「お誕生日記念日」に私たちが集まることは、犬養先生が
「機会」を作ってくださっていたからこそ、連綿と今日まで続いているのです。
愛子さんを囲んで話す私たちの会話は「夫の定年?子供の結婚?家族のこと」「親の介護」
「自分の体調」など所帯じみた!?話題ですが、大いに盛り上がります。
犬養先生はきっと興味津々で聞いておられたと思います。かつてのゼミ旅行の時のように(笑)。
楽しいひとときをあとに、私は後ろ髪を引かれながら夕方から「平成の歌垣」の
初めての稽古に出かけました。タテの会でしゃべりすぎて声で~へん!(泣)
私の人生は、犬養孝先生なしには語れないが、さかのぼっては神様に
いろんな人に出会わせて頂いたおかげで、本当に多くの方々のご厚情や
支えによって今日の私がある。
万葉集にメロデイーをつけることを教えてくださった扇野聖史さん、それを
イベント化してくださった松田一二さん。
私のオリジナルな活動は自分で生み出したわけではない。
ただ、私も気付くことのなかった能力を引き出して頂き、「作曲」「編曲」
など、大好きな音楽と万葉集との接点が持てたことは、本当に幸せだ。
そして、演奏活動を支えてくれた仲間たち。今春で29年目の活動に突入する。
スタートをして、人麻呂楽団の頃からするとメンバーも、時に応じて交代が
あったが、それでもとぎれることはなく、いつも誰かに助けられていた。
その中でも特に活動歴も長く、深い縁のある山寺寿子さん。
ヤマハの音楽教室での私と同期の講師で、4大のピアノ科卒業の実力派だ。
加えて当初から、家庭的というのか、洋裁・編み物・料理…とマメで、
器用な人だった。仕事ぶりは、ヤマハ音楽教室で幼児教育の「3歳児ランド」
というコースが始まった時の草分け的講師で、その後の講師たちのお手本と
となったことは、語り草になっている。結婚をきっかけにヤマハ音楽教室は
引退してしまったけれど、それ以前から、うたがたり活動に参加してもらって
いたこともあり、ご主人に許可を頂き「オカモの活動」だけ、音楽を続けても
OKということで、二人の息子さんの産休を除いては、ずっと私の傍らで
支え続けてもらっていた。
そして、いよいよTSUBAICHIを立ち上げるにあたり、一世一代のお願いをした。
とても私一人ではやっていけない。でも、彼女と一緒なら絶対大丈夫!という
妙な安心感があった。自由な身の上の私と違い、子育ての真っ最中で、ご主人
の理解も必要…。物心ともに大事な時期でもある。
オープンしてから娘が、「ママにとって、山寺先生がパートナーになることを
受けてもらったことがよかったね。」と言った通りだ。
物件を見つける前からサロンが完成するまで、備品の一つ一つまでを二人三脚で
準備をしてきた。何と心強かったことか…。
お披露目コンサートでサロンは幕をあけたが、3日間、何かと彼女の姿を
目で追い、確認して安心する…。まるで母と子だ!(笑)
そして、当日も主役の私が不安になったり心配のないように、見えないフォローも
たくさんあったと思う。本当にありがとうね!
いよいよスタートし、これからが私たちの正念場。これからもよろしくね!
そして、サロンを立ち上げるまでに、乾さん、西本さん、三木さんの男手で、
家具を運び入れたり、組み立てたり、パソコンをつないでもらったり、完全な
ボランテイアで、サラリーマンの貴重な休日を返上してお手伝いくださった。
ありがとうございました。
サロンの生命線である、音響関係の準備は富岡さんに、また映像の設備については
阪本さんに安心してすっかりお任せすることができた。
お手数をかけまして、ありがとうございました!
また、このたびご縁を得た、サロンの家主さんの松下さんも素晴らしい人格者で、
お目にかかるたび、笑顔でご挨拶ができ、早々にお親しくなれた。
サロンのお向かいのおしゃれな喫茶店のマダムは、甲南女子大での後輩だったなんて!
何だか親しみが湧き、ご近所付き合いが楽しい。
いろんな人たちが、協力し築きあげてくださったお城。
大事に、また有効に多くの方々の足場、拠点、パフォーマンスの場となります
ように願いながら、営業活動に頑張りま~す!
そして、大学院もちょうど新学期が始まりました…。(汗)

