2014年のTSUBAICHIライブは、3月から始まりました。
21日の春分の日は、古川忠義さんのギターのソロコンサート。
そして23日(日)には、山口ひとみさんのスプリングコンサート。
このたびは、彼女の方からの企画と申し出で、とてもうれしいことでした。
定員がありますので、早々にチケットが完売してしまい、キャンセル待ちで結局
来て頂けなかった方もあり、私たちは「ごめんなさい」と申し上げるしかありません。
2012年秋のビルボード大阪の山口ひとみリサイタルで、音楽監督をしてくださった
宮川真由美さん(ピアノ)と、ギター奏者の愛川聡さんのお二人の布陣に、テノール歌手
加藤ヒロユキさんのゲスト出演もあり、大いに内容のあるプログラムでした。
山口さんは万葉うたがたり会の歌姫ですが、いつもそれを意識において、ステージでも
披露してくださり、今回も私の「恋歌」をライブの序章として歌ってくれました。

宮川さんのアレンジと、丁寧な山口さんの歌とで、オカモの歌とは思えない名曲に
聴こえました。私もうっとり聞き惚れました。

ギターの伴奏だけでの「恋心」。いい感じでした。ギタリストにこだわった訳がわかります。

サブタイトルが「男と女の愛の物語」でしたので、山口さんの当日のテーマカラーも「赤」。
1部では、新曲に挑戦。お客様のために新たなレパートリーをご披露することの意欲に
感心しながら、中島みゆきの「糸」「化粧」。
「化粧」は歌そのものが、ジャパニーズ・シャンソンでした。
森山良子の「あなたが好きで」はとても美しいメロディが印象的でした。

ゲスト出演の加藤ヒロユキさんは、山口さんが憧れ、尊敬する先輩歌手ですが、私たちが
加藤さんとご縁を得たことが、今日の山口さんの活動範囲というか、音楽世界が拓けた
きっかけとなりました。山口さんと加藤さんが一緒にステージに立って唄えたらいいのに…と
思っていたことが、とうとう昨日のライブで実現したのです。言霊だ!
二人の歌唱力、パワー、押し出し(華)、レパートリー、歌手としての共通点も多いように思って
いましたが、ライブを経てから、今後の相乗効果の方がより楽しみになりました。

日本語曲はあまり歌われない加藤さんが、「日本語曲」を意識されたように、山口さんも得意の
ドイツ語ではなく、英語、イタリア語、スペイン語、フランス語…と「原語」で歌う歌については
大いに加藤さんに学ぶところがあるでしょう。
また二人ならば、オペレッタや、ミュージカルなど、ジャンルの幅も広げられそうで、可能性が
いっぱいあります。
また、私たちが喝采するステージを作ってほしいものです。

満員のお客様に心から感謝。さて、山口さんのいるうたがたり会としては、いよいよ4月13日の
コンサートに如何に期待して来て頂けるか…と内容も練りつつあります。
メンバーが活躍することは、ボスの私としては励みともなり!?うかうかしていられません。
ともかく山口さんお疲れ様でした。また新たな扉開きましたね!
投稿
サロンTSUBAICHIの立地している大阪市北区の大淀の界隈は、便利なところだが、
JR福島が最寄でもあり、「福島エリア」と言った方がわかりやすいかもしれない。
今福島というと「食べ物屋さんの激戦地区」として、テレビ、雑誌などをにぎわす
「安くて美味しい店」の代名詞的場所となっているようだ。
その中で、音楽サロンと言うのは、希少価値があるが、パッと見て様子がわかりづらい
こともあり、サロンも今春で満5年をむかえるが、入るのに少し敷居の高いところが
あったようだ。しかしようやくご近所に住まわれる方々にも認知されてきたようで、
私たちのカルチャーやイベントに参加される方が増えてきたことはうれしいことだ。
その中のお一人で、お子さんも結婚・独立され、今や悠々自適な生活の中で、
遺憾なくその能力を発揮されておられるご婦人がおられる。60の手習いとおっしゃったが、
着物をリメイクして新たに「洋服」として甦らせ楽しんでおられるのだ。
私も着物が好きで、母が嫁入りごしらえに人並みに準備してくれた着物も、なかなか着る
機会も少なく、母には事後承諾で、いくつかリフォームしてかつての着物を洋服として
楽しんでいるが、着る機会が増えたことで、今は母も納得してくれている。
絞りのコートをワンピースに、留袖をチュニックに…とお出かけ着として活用している。

そんな私に興味深いご趣味のご婦人と出会えたことで、話題が盛り上がっている。
先日はばったりお目にかかった時に素敵なワインカラーのリメイクのコートを着ておられ、
手作りの技とデザインやセンスとの良さを大いに感心した。私がまた作品を見せてください
な…とお願いしていたので、昨日、サロンに来られたついでに私に1つ作品を見せてくださった。
オカモカメラマン、撮影させて頂きました。
色合いも深い緑で渋く、絵柄も「和」のテイストなのだけれど、デザインが斬新。

ご本人の希望で、お洋服を中心にご紹介。袖口の模様は「散華」を写し取って描かれたもの。
「音声菩薩」も描かれていた。ボタンも生地に絵付けをしたクルミボタンである。凝ってます!

背中は、「風神・雷神」の二神。手拭いに描かれた絵を生地に描き写されたそうだ。
もはや着物のリメイクではなく、新たな生地素材になっている。すごい!
そして、ちゃんとリバーシブルになっていて、違った表情のコートに変身。
勝手ですが、素敵なご本人のお姿をご紹介させて頂く。中島さん、どうぞ!

この格子のような柄行もドルマン風スリーブのデザインで、袖口に向かって大きさが集約されて
いく感じがすごくお洒落で素敵です。オカモ大絶賛ゆえ、ブログに掲載させていただいた。
着物を着こなすのも素敵だが、こうして眠っている着物に新たに命を吹き込むことの技と
着る楽しさを教えられる。
ご自身で作られるだけではなく、依頼の製作も多いようで、うらやましく思いながら
拝見させて頂いたが、昨日はお手製の伊予柑ピールの蒸しパンの差し入れもあり…。
謙遜されるけれど、器用に多彩にご自身の時間を贅沢に楽しんでおられるのが素敵。
私はまた次の作品、楽しみにしておりま~す!
ごく能天気に感謝状を頂いたことが思いがけなくうれしくて、FBにアップしたところ、びっくりするくらいの反応のツリーがつき、やや戸惑っている。
ボランティア活動は本当にさまざまで、東日本大震災に関連したボランティア活動は報道で紹介されながら、継続的に私たちの目にもよく映っている。
今冬の大雪で、都会から若者が雪おろし、雪かきに馳せ参じ、若い力が役立った。
社会的なものから、身近な家族間の生活にまで、いろんな状況でボランティアの必然がある。
このたび、感謝状を頂いた今は「音楽療法もどき」でデイサービスに来ておられる方々を対象に「音楽を通じて」歌ったり、リズムをうったり、手足、体を使って表現したり…と要素を入れながらのカリキュラムであるが、やはり究極の目的は、音楽を通じて、楽しく元気が出るひとときを過ごすことに尽きる。
20名近くの人々は、それぞれに個性も違い私と気持ちが通うのに個人差があるが、それでも無理やり(笑)オカモワールドに引き込み、カリキュラムそっちのけで?自分の家族と過ごすごとく和気藹々と楽しくやっている。
私が帰る時に笑顔で「また来てね」と言われると、また皆さんが喜んで下さる時間を持ちたいと思ってしまうのだ。
その積み重ねが、あっという間の10年だった。
その前の10年は、クリスマスだけのボランティアをしていた。ピアノレッスンの生徒さんに準備していたクリスマスにお菓子と一緒に準備して、後天性重度障害児の西宮市の施設に伺い、子供たちにお菓子を渡して、ひとときを一緒に過ごす…と言う1年に1度のことだったが、この時に、考えさせられることがあった。
この施設を教えてくれたのはそこに勤めていた犬養ゼミの後輩で、健常な子どもがある日から、事故や病気で重度の障害児となった時に子供だけでなく、その親の苦悩などを聞かせてくれた。そして、日々心身ともに大変な介助仕事をしている彼女に対して私なりのささやかな支援のつもりで始めたことだった。
でも私の気持ちと裏腹に「施設」は補助や援助を受けることに慣れてしまっていて、「善意」がどこかあたりまえになってしまっていたように思う。
「私」はいつでも自己満足の奉仕であるから、見返りを求めるものではないけれど、はじめの感謝が、いつのまにかあたりまえとなり、後輩が結婚退職したのちは、次はあてにされて…と変わって行った。
私のささやかなクリスマスプレゼントをこどもたちに…という思いを届ける以前に、施設へ行くことに抵抗が強くなってしまった。ただ、とりあえずは10年は続けようと思ったし、そして終えた。
かつて母も初孫のつかさが生まれた時に、うれしさと感謝の気持ちで、教会から奉仕に行っていた療育院に寄付をしたそうだが、お礼の言葉、電話1本もなく、なしのつぶてだったことに、とてもむなしい思いだったと述懐していた。
お礼を言ってほしいと言うのでもなく、届けた善意が、「志」などについて、「施設」は慣れていて、感謝よりも当たり前になっている傲慢を感じたと言った。
私も同じような疑問を持ち、決して納得できるボランティアでなかったことが1つの教訓となった。
その後、自分の教会活動もままならぬくせに、私にできることはないだろうか…と考えていた頃、偶然、知人で聖ヨハネ学園の児童養護施設に支援をしておられた方に紹介して頂いたのがきっかけだった。そして同じ組織のミスブール記念ホームのデイサービスで「音楽療法」を担当してほしいということで、今に至っている。
そこでは、私が直接ご老人や、障害者の方々に接して、個々に励ましたり、笑顔を提供したり、コミュニケーションをもつことが、私には楽しい。
犬養先生や祖父母のことを思い出したり、また両親も十分に対象年齢なので、一緒にできればいいのに…とも思いながら、私のサービス精神も加わって、
みなさんに感情移入しながら、やっている。
2か月に1度とは言え、仕事仲間の理解もあり、私の時間が作れることもありがたいことだ。
そして、私のこだわりはここでも「万葉」。ワンポイント万葉ということで、必ず毎回、私の万葉歌を聞いて頂きながら、『万葉集』をご紹介し、魅力を伝えている。
オリジナル音楽療法も10年が一区切りと思っていたが、浅田真央ちゃんではないが、1つの目標を達成して、次回4月は約束しているが、私の去就についても次はハーフ・ハーフかな。
音楽サロンですが、時々「作品展」を開催させて頂きます。
写真展や、書道展や、絵画展など、ギャラリーTSUBAICHIに変身します。
オカモサロンと言うことで、今まで私が買い求めたものや、また頂戴した作品や
珍しいものなどをホームページで、「オカモの笑倉院」としてご紹介していましたが、
HPでの掲載は途中で滞ってしまったかわりに、サロンができましたので、季節や行事に
よって展示したり、飾ったり…と自らが密かに楽しんでいます。
また、TSUBAICHIに来て下さるお客様も多彩な方が多く、お親しくなるにつれて
いろんな「才能」を聞きだす?のは、私の特技かもしれません(笑)。
昨年からTSUBAICHIカルチャーに参加して下さるNさんが、ご趣味で「絵画」を
書いておられることを伺いました。
そして、複数描かれた作品が「富士山」と伺い、富士山大好き人間の私は見たくて
見たくて「是非一度見せてくださいませんか?」とお願いしておりました。
Nさんは、素人の作品なので…と固辞しておられたのですが、私の思いを聞き入れてか、
先週思いがけず持参して下さったのです。ラッキー!

富獄36景の「赤富士」を思わせるシーン。
新幹線から見るなだらかな円錐形の形容ではなく、なかなか立体的でゴツゴツした感じ…
と思いきや、やはり山梨県側からみた富士山の姿を描かれたそうで印象がずいぶん違います。
「なまよみの甲斐の国…」の富士山です!
そして、遠慮がちに見せて下さったその他の作品。私のために持ってきてくださいました。
涼やかな上高地の橋のあたりからの有名ポイントの風景。

今は廃線となってしまった北海道の、愛国駅行きの「幸福駅」の駅舎。

絵画の背景はひたすら広がる大平原だそうです。さすが北海道! 山や海が迫った
場所ではないだけに、モノトーンの世界が寂しさも感じさせるよう…。
そして、いくつか描かれた「富士山」のもう1作です。

まさに、冠雪も陽光に包まれた、また風合いの違った「赤富士」です。青空からすれば、
夕陽かもしれません???
勝手な解釈でごめんなさいですが、ともかく「富士山」に出会えて幸せな私。
是非サロンに飾らせていただきたく、お願いして1作をお借りしてしまいました。
今サロンへ来て頂きましたら、メインの壁面に展示した「富士山」を見て頂けますよ!
Nさん、ありがとうございました。
いつか、TSUBAICHIでの個展を楽しみにしております!!!
2月2日には飛鳥坐神社で、西日本の3大奇祭の一つと言われる有名な「おんだ祭」
が行われます。
神社はきっと今頃準備で大変なことでしょう。ちょっとお天気が心配ですが…。

明日香村、大和ひいては日本の国の五穀豊穣を祈って、農耕民族の日本人の信仰と祈りの
ご神事が今も続いています。
普段は静かな境内も「福の神」にあやかりたい人々の群れでいっぱいになります。
私は毎月講座で明日香村へ伺っているので、お正月に敬意を表しにご挨拶に行ってきました。
年中咲いているという「桜」も有名ですが、やはり坐神社ではすでに桜の開花が始まって
いました。

久しぶりの坐神社には、犬養先生揮毫の歌碑がありますが、なんと昨年2基が建立され
増えていました。
1基は、境内の階段の横に「三諸の子守歌」(オカモいわく)が…。

もう1基は拝殿手前の桜の木の横に…。加夜奈留美神社と同じ歌?

建立が飛鳥古京を守る会となっているのですが、この会はすでに解散して消滅した会。
今頃なんで…なんだか釈然としない感じ…。想像の域ですが、残金・浄財の還元のような
気がしてならないです…(とひとりごと)。
しかし、坐神社の見どころが増えて、大変にぎやかになりました。
そうそう、私が犬養万葉顕彰会の会長をしていた時に、会員のおひとりから申し出がありました。
それは、犬養先生と一緒に歩いた和歌山県の「糸我」の桜の枝を持ち帰り、挿し木をしたところ
植木鉢で手に負えなくなったので、明日香村の犬養先生のゆかりの場所に移植して育てて
ほしいという申し出でした。移植地に悩んでいたところ、坐神社の飛鳥弘文宮司が快く
引き受けてくださり、宮司自らの手で植え替えてくださいました。
1メートルくらいだった桜が、「糸我の桜」がこんなに大きくなっていました。
残念ながら、花は一度も咲いたことがないそうで…。どうしてかしらん???

飛鳥坐神社の正面も整備が進み風景がより美しくなりました。
さて、明日どれくらいの方々が訪れることやら…。ニュース報道があることでしょう。
私は、サロンで加藤ヒロユキさんのラジオ番組「涙のラブレター」の公開イベントがあり、
見に行くことができません。残念!!!
新年早々、インフルエンザで、久しぶりに寝込んでしまったが、
仕事を持っている立場としては、思いがけない生活の混乱に、まともに落ち着いて
いられない半面、人様から隔離される病だけに、一定期間「ひたすら家で過ごす」ことの
両極の状況を今、楽しんでいる私がいる。
13日夜発病
14日半信半疑で診察ーインフルエンザA型判定(診察室でも判定直後から隔離!)
11月初めには例年のごとく予防注射もしていたし、しても意味がないと思うほど
インフルエンザには縁のない私だっただけに、ありえへ~ん(泣)。
帰宅後、タミフル服用開始。体も心も重く、寝間になだれ込み昏々と睡眠。翌朝まで
自分でも感心するくらいよく寝た。朝、37度7分が、夜には37度1分に。
15日朝には、36度1分の平熱に近くなった。やはり熱が下がると昨日は停止していた
頭も体も動き始め、「やる気」が出てきた。
医師に、インフルエンザの回復マップをもらっていて、完璧に守ると、21日に
社会復帰と言うことになっているので、ともかく数日間は「自宅蟄居」と言う生活を
如何に過ごすかを考えた。
まずインフルエンザ完治、体力回復、睡眠不足解消があってのことだ。
15日は、それでもまだ体を動かすことが大義で、ずっとたまっていたVTRをいろいろ見た。
特に「八重の桜」総集編4章を一気に見て、会津藩の悲劇や、八重が歴史に翻弄される姿に
大いに涙したが、肝心の「新島八重」の後世の社会貢献や生き様が省略されていて、
NHKの意図も総集編で理解できたような気がした。
VTRの他には、日中のテレビ番組の同じようなニュースソースにちょっとうんざり。
東京都知事候補の件、相模原の少女の生還、自衛艦の衝突事故…。
16日の今日は、あらためて「音楽」を聞いた。一度は見たVTRだったが落ち着いて
聞きたかったのだ。
「クリスマスの約束2013」「SONGSポールマッカートニー」「SONGスペシャル松任谷由美」
小田和正の音楽に対する姿勢にあらためて感心した。また彼の作曲の東北大学の
学生歌に感動した。
少し家事をする気分にもなり、インフルエンザの空気を入れ替えるべく、窓を開け放したが、
日中は寒くもなく、職場ではありえない心地よさだ。
穏やかな気分で、ブログを書く気分にもなった。
急に「江分利満氏の優雅な生活」というタイトルが頭に浮かんだ。
「オカモの気ままな静養日記」なのだが(笑)。
明日、17日は阪神淡路大震災から19年目が巡ってくる。自宅にいて、おそらくテレビも
新聞も終日伝えていくことだろう。例年、しっかり向き合って思い返すことのできなかった
私にとって、貴重な機会だとも思っている。
そして、当時からもまた19年生かされたことに感謝をしながら、しかし、19年前の
あの悲惨な現実を決して忘れてはならないと思うのだ。
時々、娘と震災の時の話をすることがあるが、被災した者しかわからないであろうあの
恐怖感は、生死の大きな運命の針、紙一重のことだったと思うこと。
その分、「生かされること」の重さを強く感じているし、人生をより深く生きたいと
思っていることは共通しているようだ。
緩やかな自由な時間。きっとこんな過ごし方は、もう少し老境に入ってからのこと
だと思うので、とても貴重な経験だと思う。
サロンで頑張っている山寺さんには申し訳ないのだが、私は開き直って楽しく個人ライフ。
明日は、本を読んでみようかな。
そうそう、朝晩寒い毎日、家にいると1日暖房しなくても体の余熱で過ごせることに驚き!
睡眠の大事さ、日中の太陽光に感謝。今日は今年最初の満月でした。
萬葉学会の感想を少し…。
10月12日(土)初日は講演があり、「乾 善彦先生の万葉集仮名書歌巻の位置」と
「品田悦一先生の畸形の文法~近代短歌における已然形終止法の生成」を
拝聴した。


乾先生は『万葉集』の仮名を分析され、表記の個性や木簡資料との差異、部立ごとの特徴など、
字母の細やかなお話から、構成、成立論にまで及ぶ考察に、今更ながら「研究の視点」を学んだ。
品田先生は、近代短歌歌人の一人「斉藤茂吉」研究で、すでに著作もおありだが、講演では、
近代短歌に多く見られる疑似古典語法とも言える「文語」に着目され、万葉の言葉を使いつつも
(お手本のようにしながら)その言葉の既成概念からいかにして遠ざかるかという斉藤茂吉
作歌の手法などを伺ったが、元をただせば『万葉集』で見られる文法の形があって、近代の
短歌表現にどのように享受されているかという興味深いお話だった。
翌日は朝から、研究発表があり8人の方々の発表を伺った。
特に興味があったのは昨年学会に入られたとおっしゃる帝京大学の木下先生で、ご専門は
薬学の方である。昨年の石見の臨地研修旅行でお知り合いになった。
そして、今年早速に発表される題が「日中間で見解の異なる海石榴はツバキ・ザクロの
どちらか」と「海石榴市」にこだわるオカモにとっては大変興味あるものだった。
萬葉学会では初めてパワーポイントが用いられ、資料に加えて花の写真や図などを説明して
くださり、ユニークな発表直後には思わず拍手が起こったほどだ。
私も椿は中国になく、中国へ輸出されて字があてられたというのは聞いたことがあったが、
遣唐使の携えた天皇からの献上品の一つに「椿油」があったことや、中国にはない椿の花に
よく似た「石榴」が、海外から取り入れたものとして「海石榴」という字が当てられた
のでは…とか、また、中国の文献などを参考にしながら、本草学と文学表現から「ツバキ・
ザクロ」の考証を伺い、私も直前にちょうど五島列島へ行き、隠れキリシタンのバラに代る
貴重な花として自生する「ツバキ」の話を聞いたばかりであり、日本古来の貴重な植物で
あったので、花十字として信仰されたことや、三井楽町には遣唐使ふるさと館があるが、
ツバキ油が遣唐使の持参した高級贈答品であったことにひとり感心し、私の中での共通の
話題に驚くばかりであった。木下先生ありがとうございました。

また、学生さんや万葉学者に交じってUCLAからトークィル・ダシーさんとおっしゃる
米国の研究者が「万葉集巻1・2の歌がほぼ年代別に配列されているか」という、成立論に
ついて発表された。流暢な日本語にも安心したが、歴史とは天皇の言行、言動を中心とした
世界であり、万葉歌の配列がそれによって意図的に編纂されているのでは…と年代順と別の
系譜の論理が働いているのではないか…と発表された。
日本人であってもなかなか理解のむづかしいことを、外国人研究者もこうして日本文学について
研究をされているのだとうれしく思いながら聞き入った。

その他、宣命の文章が何を参考として作られたかという考察や、人麻呂歌から詠む女性像や
『懐風藻』の序から、編者の知識や教養の出所を中国文献を検索して考察してみる発表や、
古写本の「読み」や歌の配列を検証したり、本当に『万葉集』の切り口というのか、いろんな
角度からの研究対象になり得る引き出しの多い、魅力的な「歌集」なのだと改めて感じた。
私は「万葉愛好家」と自認しているし、客観的に『万葉集』についていろんなことを知りたい
という立場なので、質疑応答で、研究の内容・方法・発表について様々なアドバイスが
なされる様子を見ながら、多様な話題を素朴に聞いて楽しませて頂いた。

代表の内田賢徳先生のご挨拶にもあったし、私も同世代なので漠然と感じたことだが、
かつての著名な万葉集研究者の引用が少なくなり、それだけ研究も進化したということなのだと
思うが、私も少しさびしく感じた。また、芳賀先生が辛口で今後の研究に対する姿勢として、
文献の扱いや研究の視点をどこにおくか…ということなどを語られたが、個人にではなく、
確かに今の若い人たちには大事なことだと思った。
先人の苦労を思えばコンピューターの普及や資料の豊富さなどで、研究が安易に作業化して
いないか…と実際に思う。
時代を経て、萬葉学会も徐々に変化しつつあるのだろう。
わたしも大いに刺激を受けて帰宅した。やっぱり『万葉集』って楽しい。

帰宅した翌日、14日の朝、最期の朝顔が咲いて「おかえり」って迎えてくれた。
花の形も変形したいびつなものだったが、とても愛しい。最後までつきあってくれてありがとう!
【『戀女房』上演にあたって 演出者よりのことば】
より鮮明になってきたことがふたつあります。
ひとつは、いつもどおりの鏡花さんだなあ、とあらためて納得するということでありまして
美しく聖なるものと俗悪なるものの、あからさまな対立構図の明快さ。そうして、未来への
といえば大仰に思えるかもしれませんが、私たちの今生きる時代への憂慮であり、批評眼の
見事さです。丁度100年前の1913年に発表された戯曲でありながら、私たちの国の、
今ある危険をはらんだ現状を、まるで予測していたかのような劇世界は、瞠目に値します。
焼け野原となった吉原をはじめ、その後もくり返し街を焼き尽くそうとする大火事が、
〈赤魔姥(あかまんば)〉というあやかしのものとして劇中に現われ、人と人との愛情ある
関係を、家族を、親子を、姉妹兄弟を、友人たちを引き裂きます…。
引き裂こうとします。まさに近年の大震災や原発事故という存在だなと、私なんぞは
思わずにはいられません。
そのことを強く意識した演出になるだろうと思います。
そしてさらに、この芝居では、再生をめざした不屈の精神と庶民の絆が描かれ賛美され、
幕を降ろすのです。
それからもうひとつは、〈演劇〉としての独自表現に、より重きを置いた芝居創りに
なるだろうということです。〈演劇〉であることを前提としたエンゲキ。
〈台詞〉と〈ドラマ〉とをしっかりと観客席に伝えるために、過分の装飾を剥ぎ取り、
俳優の身体を頼りに、信じて、稽古を重ね、よりシンプルに純化してゆきたいと考えます。
視覚以上に、聴覚に傾斜した演劇になるだろうということでもあります。
また、蛇足ではありますが、インターネットやテレヴィジョンに相当するシステムが
登場する「海神別荘」もそうであったように、人間冷凍機とでもいうべき医療機器が
登場する本作もまた、日本で最も古い時代に書かれたSF(サイエンス・フィクション)の
ひとつであるとみなすこともできるのではないでしょうか。
大作にチャレンジを続ける遊劇体の舞台を是非一度ご覧になってください(オカモ)
5月19日(日)は、美佐ちゃんの友人で、お母様とも宝塚のコープカルチャーでお知り合いに
なった白石優子さんのリサイタル鑑賞を当初、予定していました。
残念ながら、TSUBAICHIのイベント依頼が入ったため、「仕事優先」で、リサイタルは断念。
奈良市の「ならまち」にある音声館を会場に日豪の短歌朗読の会を請け負わせて頂きました。
ところが、イベントや集会に時期が都合よいのか、「桜井の文化を守る会」の方から
年1度の総会のあと、私に「講演」をしてほしいと、ご依頼を頂きました。
残念ながらと、先約の「仕事」があることを述べ、お断りさせていただいたのですが、
その後、私の都合に時間を合わせて「午後」の総会を「午前」に振り替えて・・・という
仕切りなおして再びご依頼を受けました。そして、結局スケジュールは埋まりました。
当日の朝は、JR桜井駅に直行、講演「ふるさとの誇り」をお話して、そしてすぐにJR桜井駅
からJR奈良駅へ移動し、音声館へ。「社長業」にシフトチェンジです。

実は、翌日には2ヶ月に1度の三輪恵比須神社の万葉講座の予定日でもあり、桜井へ連日
来たことになります。
でも万葉の故地に行くことは幸せ。毎日でも、疲れてても楽しいです。
翌日も元気に、額田王の歌と、5月5日のくすり狩りのお話などをしました。

終わってみて、忙しいと言うより、長い1日でした。
「短歌とTANKA」という日本とオーストラリアのキャンベラの両国から寄せられた短歌を
日本語と英訳で朗読をし、味わって頂く趣向でしたが、実は日本語朗読も社長自らが?
出演し・・・とまあバラエティに富んだ一日でした。
疲れました!
一昨年前、私の祖父の実家の菩提寺である姫路市実法寺の真光寺さんで
思いがけず、「万葉うたがたり」コンサートの機会を持たせていただきました。
祖父の叔父が、お寺に紹介をしてくれたのですが、祖父が実法寺の村の出世頭的存在
だったので、孫の私を喜んで迎え入れてくださいました。
そして、親鸞上人遠忌750年の報恩講の期間にコンサートをさせて頂いたのですが、
評判もよく、その後にもう一度万葉うたがたりコンサートの機会を頂き、真光寺の寺谷
住職とも大変親しくさせていただくようになりました。
そして、今回は永代供養経奉納の集会の時に、皆さんと一緒に楽しめる企画をとご依頼が
あり、それならばと、「みんなで歌おう、懐かしの歌」を引っ提げて出かけました。
中でも、プログラムに母の日を意識して準備した、ともちゃんの歌った「ヨイトマケの唄」が
みなさんにより深い感動を呼んだようで、大変喜んで下さいました。
ともちゃんの歌には「心」がありますもんね。

オカモ(進行)ともちゃん(歌唱)山寺さん(伴奏)の最強トリオの布陣での出演。
うたがたりと違った緊張もありましたが、新鮮なひとときでもありました。
そして寺谷さんと唯一の記念写真です。
帰り際、先ほど参加してくださった岡本さんの畑の前を通りかかり、いちご狩りを
させて頂き、そこで食べて、楽しいひとときも過ごしました。
岡本さんと、なつかしい「案山子」と私です。

万葉うたがたり会のメンバーですが、このたびはつらつら椿株式会社の派遣事業と位置付けました!(笑)
3日後には、同じく本願寺派の姫路市の亀山御坊の門徒研修で「万葉講座」をさせて頂き
ました。お寺にご縁が深くなってきました。




