昨日、思い切って両親を連れて、再び「逢合橋」に行ってきました。
七夕まつりが終わり、町内や実行委員会の方々が、ササや、ライトアップの竹の撤去を
しておられる最中で、その道路に邪魔ながら、割り込んで駐車したせいもあり、実行委員長の
佐武さんや、事務局長の吉坂さんにもばったりお出会いしました。(汗)
準備や、あとかたづけや、暑い中本当にご苦労さまでした。
来年からは微力?邪魔かもしれませんが、私も参加してご協力したいと思います。
さて、肝心の歌碑の説明が後になってしまいました。
万葉歌は、
「彦星と 織女が 今夜逢う 天の川門に 波立つなゆめ」巻10-2040です。
作者未詳の七夕歌ですが、この歌を選ばれたこだわりがあります。
七夕歌がたくさんある中で、「おりひめの里、交野」で、「天野川にかかる、逢合橋」に
建立されることから、「牽牛」「織女」「天野川」の3つのキーワードが詠まれた歌に
絞られ(長・短歌合わせて3首あります)その中の逢合橋を思い「逢う」歌を選ばれました。
私が選んだのではなく、地元の方々の「この1首」でした。
書き下しとは言え、書きにくい文字が多くて、そうでなくても危うい即席書家の私には
大きなプレッシャーでした。
また、積極的に「絵画」の力で、各地、各所でボランテイア活動をなさっておられる真和子
さんとおっしゃるお若い素敵な画家のご協力で、歌碑を見た人が思わず微笑むような
「牽牛と織女」の絵を描いて下さり、彫りこまれました。
「絵のある万葉歌碑」は、世界でこれが初めてだそうです。…と思います!!!
犬養先生が、万葉研究者として歌碑の揮毫は「白文」にこだわられたことも納得です。
そして、万葉愛好家の門下生岡本は、これからの若い次世代に受け入れられるように、
書きしの万葉歌にしました。そして、イメージの湧き上がる「ロマンチックな絵」も
添えられた新しい万葉歌碑は、交野市の市制40周年記念の事業として建立されましたので、
私も新たな「万葉発信」のお手伝いができたことを本当にうれしく、光栄に思っております。
万葉歌碑研究家の中西さんによりますと、2050基目の万葉歌碑は、大阪府で34番目だとか。
一生に一度の幸せ体験をさせて頂きました。
両親も半信半疑! 見た後も半信半疑かも。「音楽」「万葉集」好きなことをさせてもらい、
物心ともに投資、援助してくれた両親に孝行ができたかな。
娘の人生を納得してくれていることと思いました。

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「生きていてよかった!」としみじみ思いました。
なかなかこんなチャンスに恵まれる人も機会も少ない中で、私はやはり幸せ者です。
思いがけず、建立予定の歌碑に、私が万葉歌を揮毫させて頂いたのです。
場所は大阪府交野市、古代の「交野が原」という地域です。
今回の万葉歌碑建立もその象徴の一つですが、このあたりは、星にちなんだ名前の地名や、
伝説が多く残る「星のまち」、また「星降る里」として地域活性を図っておられますが、
機物神社などもあることから、七夕伝説のロマンによせて「おりひめの里」としても有名
です。
そしてこのたびは、交野市駅の近くを流れる「天野川」にかかる「逢合橋」のたもとに
万葉歌碑を建立されました。
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除幕式の1時間前の、橋に飾りつけられた七夕飾りの人気投票の様子です。
明日が本番なのに、こんな雨で笹飾りがかわいそうでした。幼稚園児や小学生の思い思いの
飾りが、華やかで楽しいです。お祈りごとも結構面白い!!!(笑)
天気予報通り、夕方から本降りの雨で、晴れ女を豪語する私もさすがにお手上げ状態でした。
小ぶりになっては、また降りだしたり、なかなか思わせぶりな雨模様でした。
前夜祭と言うことで、暗い中でもあり、先に除幕式前の写真です。
書の私と、歌碑に牽牛・織女の絵を書かれた、真和子さんと…。
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市制40周年記念事業でもあり、中田仁公交野市長も参列して下さいました。
どさくさ?で引っ張った除幕です。気がついたら終わってたって感じ???
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市長、実行委員長のあいさつ、丹羽大手前大学教授の万葉歌説明のあと、私は万葉歌を
朗唱させて頂きました。
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除幕が終わってから、歌碑は暗くてわかりづらいですが、ともかくそれぞれに記念撮影。
後方、私の右側が今回、私の揮毫を推薦して下さり、歌碑建立に尽力をしてくださった
毛利さんです。本当にありがとうございました。
実は、今回の顛末は、5月の末に打診を頂いた直近のことで、万葉歌碑建立が街づくりの方々
の悲願だったとはいえ、交野市の事業計画の中に入るかどうかや、建立場所の決定、申請、
認可などが、実際七夕の行事の、時間的に間に合うかどうかのせめぎ合いの中ですすめられて
いきました。
私も打診を受けた時に、地元の方を含め、揮毫候補者が多くおられる中のほんの一人だと
くらいに思って、戸惑いながらもお返事をしていたのが、本当に瓢箪から駒状態でした。
「岡本さんに決まりましたので、お願いします」と毛利さんから依頼があってから、
1週間後に提出と言う超スピード制作で、準備も練習も足りず、何と傲慢なことだったかと
そればかりが今も心残りです。
ただ、お習字は子供の頃から好きで、結婚した後まで続けていました。でも…でも…
筆を持たなくなってから、30年以上経っていました。
紙を購入し、まだ持っていた、古いお道具箱から新品の筆を取り出し、サロンで山寺さんも
帰宅した後、集中して書いたのは数日で、思ったようにも書けなかったのですが、でも
とても懐かしく楽しい時間でもありました。
私は全くの素人ですので、「書」として万葉歌の文字や和歌のバランスを、書家の岩田恭子
さんにご教示頂きました。お忙しい中をご協力頂き、本当にありがとうございました。
先生のお手本とは、雲泥の差になってしまいましたが・・・とても参考になりました。
建立の予定も微妙でしたし、私の揮毫と言うことも逡巡があって、なかなかみなさんに
前もってご連絡をすることができませんでした。
それでも聞きつけて、私の人生の歴史的行事の瞬間に何人かの方が立ち会って下さいまして、
本当にありがとうございました。
まだ実感がないのですが、「私の書いた歌碑」ができました。
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幻想的な竹に彫られた文字がライトアップされてきれいです。
終日の雨、このあと簡単なお祝い会のお食事をし、もちろん私はこの日のために作曲した
万葉歌をご披露させて頂きました。万葉うたがたりの岡本ですから・・・♪
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そして、今日は7月7日。朝からの雨…。夜は晴れて欲しい…と祈りながら、昨夜除幕された
歌碑が、7月7日に逢合橋でみなさんに見て頂く日でもあり、私も再び現地に行ってきました。
周辺を車はよく通りますが、人は少なめ。
歌碑のすぐ横に私の大好きな桜の木が植わっています。桜の季節にもぜひ来たいと思いました。
私も歌碑となって、今日からは交野市民になりました!!!
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ともかくツイッターに参入して、3ヶ月あまり。
ツイッターの目的や、利点はあまりよく理解できていないのだが、3月11日の東日本
大震災の時、現地ではなく、東京にいる姪や甥や大事な人たちとの連絡が、携帯電話でも
まったく通じず、娘から、ツイッターで「本人」が無事を知らせていると聞き、ともかく
安堵したものの、自分が知りたい「相手の情報」をとれるということや、娘が「ママが
自分の思ったことをそのままつぶやいたらいいねん」という、よくわからないツールである
こと?に興味をもち、ともかく登録し、開始した。
ブログとちがって、まあ、思ったことをすぐさま「つぶやく」いや、「言いたがる」
大阪のおばちゃんの私には最適かもしれない。
リツイートといって、仲間が「これぞ!」といった情報を自分の仲間に提供することが
できるが、それも私を中心にした、話題の接点でつながった人たちから寄せられるので、
結構、レベルの高い情報や、意外な有名人たちの「つぶやき」を確認することができ、
面白い。
しかし、私自身「携帯電話」やパソコンで一日中縛られるような生活は、できるだけ、
したくないという気持ちもあり、せっせと入力される情報を見るたびに、今の社会の
情報公開や、提供のあり方に少し考えさせられることもしばしばだ。
ネット社会はもう後戻りできないのだと思うが、便利さと反対に失うものの大きさが
見えないことが不気味かも。
しかし、「つぶやき」は、どこか、誰にも見られていない「人格」的なところもあって、
ハクション大魔王の「壺」の中なのかも。
ただいま、私は原発関連のツイッターを読み漁っております。

第2弾、紫(定番?)の桔梗が開花しました。
私が育てて?(水やりだけ…汗)、種から生育したのは、何年ぶりでしょうか。(笑)
そして6月27日に咲いた白い桔梗は、今、2つ目も咲いています。
華奢な1本ですが、まだつぼみがついているので、頑張れ~という気持ちです。
そのさわやかな朝ですが、実は昨日・今日と1年に1度の美夫君志会という、万葉学会が
あったのですが、今日だけでも行けたら…と執着しながら、とうとう断念しました。
「腰痛」です。
昨日、弟の会社と会計事務所の移転にあたり、それを機に、私たちTSUBAICHIの事務所も
より機能的にしようということで、事務用品や、備品をもらったり、不用品の整理もかねて
前日の金曜日から、山寺さんと「女手!」で、棚や、家具、資料類を自宅・事務所を往復
しながら、運んだので、とうとう昨日「腰に違和感!やばい」ということになりました。
「腰」のトラブルは初めてです。体力には自信があったのに、過信でしょうか。年ですね。
さて、移転を果たした弟の事務所は、うれしいことにサロンから30秒くらいのところ。
社会の状況もあり、弟も事務所経費のリストラも含めて、以前から考慮していたようですが、
継続的な多忙もあり、なかなか具体的に話を進めることがむづかしかったようでした。
たまたま、2年前に私のサロン立ち上げと共に、会計監査もしてもらっていますが、きっと
「殿様ビジネス」の事業内容の危うさに、危機感をもち、とうとう目の届く範囲に「来た~」
のではないかと、冷や汗の私です。(笑)
たまたまビルオーナーも私の知人の社長さんで、ちょっと安心。
兄弟会社(姉弟会社?)として、仲良く協力できたらいいな…と思いますが、まあ、
サロンですので、お接待、会合部門ででしょうか。
弟も(親孝行で…)兵庫県庁を早々に退職し、結局父の跡を継ぎ、税理士となりましたが、
世代の相違や、弟のプライドもあったのでしょう。父のやり方から、独自に発展させて
頑張ってきたようでした。このたびその事務所から、いよいよ完全に弟カラーの職場作りが
できたということで、ついに「自立できた」喜びや実感があるのではないかと思います。
これからここで10年も、20年も元気で頑張ってほしいものです。
そして、私たちは、また独自のサロン経営で、楽しく夢を紡いでいきたいと思います。
しかし、明日からまた、私たちの事務所の模様替えや整理が残っていますので、きょうは
やっぱり、「腰」を休めて、ゆっくりと休養することにします。
最後に、泉君、おめでとう!!!
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