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6月30日からNHKで放送される「赤塚不二夫ものがたり」が大いに楽しみです。赤塚不二夫のマンガとは、小学生の時の「おそ松くん」が最初の出会いでした。その後、キャラクターにはまり 「ホエホエ」のでかパンや、だよ~んのおじさんなど、大好きでした。そしてみなさんご存じレレレのおじさんに到達しています。笑 

マンガのキャラの明るさと幼さとギャグ性が「私」にははまったようです。

テレビ放送の紹介で、青梅の赤塚不二夫記念館が紹介されていました。なつかしい!写真をさがすとありました、ありました!2004年、なんと14年前に訪れていました! うふふ。私も若い・・・。

その後、キャラクターグッズを始め、レレレのおじさん関連の額やレプリカや美術品、またUFOキャッチャーでゲットしたレレレのおじさんぬいぐるみや、『万葉集』本など、マニアックなレアものも持っています。探してみるとTシャツも新品のまましまってありました。着るのもったいない・・・。

おまけ写真。

記念館のとなりの喫茶店「となりのレトロ」と、このころから顔出しをやっています。

やっぱりあぶないかも。笑

赤塚不二夫の奔放な性格や、愛猫とのドラマ、タモリとのお付き合いなど、テレビでどれくらい放送されるのかわかりませんが、お嬢さんが書かれた本が原作だとか。きっと人間・赤塚不二夫がしっかり描かれていることでしょう。めちゃ、楽しみです。

この年になってもレレレのおじさん、赤塚不二夫はやっぱり魅力的です💛

 

久しぶりに万葉うたがたりの9枚目のCDを制作中です。(絶賛受付中!)今、万葉朗唱に取り組んでいる明日香村、橿原の小学生「さおとめの会」の子供たちも、昨年の万葉の歌音楽祭エントリー曲「たちばなの歌」という彼女たちのオリジナルの万葉歌もできたので、6月17日に子供たちにも「録音体験」の機会を作ってみました。そもそもは、明日香村伝承芸能の1つ「万葉朗唱の会」が、お仲間の高齢化などに伴い活動される方が減ってきました。また、全国の万葉ファンには万葉朗唱はおなじみですが、明日香村の方々にとっては八雲琴や南無天踊りなどは身近な地元の芸能のようですが、万葉朗唱についてはまだまだ距離感があるようです。2年ほど前、朗唱の会の方々と何とか「若い世代の後継者」育成に取り組んでみましょうということで、たまたま「かるた授業」で少し顔なじみになった4年生を個人的にスカウトし(笑)、まず2016年12月に記紀万葉フェスティバル「万葉朗唱」の会で出演・披露をするということで、練習を始めました。syou
出演後(デビュー後)注目を浴び、明日香村文化協会行事や、その他出演オファーを頂くようになりました。しかし、スタートしたばかりですので出演ありきではなく、『万葉集』の学びも含めた練習会を月1度始めるようになりました。いきなりの「朗唱」に抵抗がないように、私の作曲した万葉歌などを歌い、その後犬養節など「万葉を歌う」ことの経験を重ねるようになりました。昨年は、万葉の歌音楽祭にもエントリーし、私の作曲で万葉歌を歌い、賞は逃しましたが、出演者の中で新たな風を吹かせたのではないかと自負しています。それが今回録音した「たちばなの歌」です。
今後も彼女たちを中心として朗唱を続けていってほしいですが、4年生の2名をのぞくと5名が6年生で進学を控えた時期となりました。中学生になってもぜひ続けていってほしいと願っています。今回の録音は彼女たちの貴重な記念曲。
またいつか、彼女たちの経験の1つとして、思い出に加えていってほしいと思います。

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録音って、やはり大変です。でもがんばりました! 出来上がりが楽しみ・・・。

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ブースの中ではやや緊張気味でしたが、いつも以上に何度も歌い、疲れたことと思います。

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さあ、7月からまた頑張りましょう。岡本館長もまた万葉の歌音楽祭エントリー曲、考えてみますね。✌

7月29日、30日と2日間にわたって全国万葉フォーラムin飛鳥が開催されました。初日の懇親会席上で、万葉うたがたりミニコンサートの機会を頂きました。曲は昨年9月の鞆の浦で、新歌碑建立除幕式の記念に作った「わが鞆の浦」と、富山県高岡市の「万葉の母」尾竹睦子さんを追悼して捧げた「磯のつまま」を演奏しました。どちらも初めて聞かれた方が多かった最近の「新曲」披露となりました。P1120596

基調講演をされた慶応義塾大学名誉教授の藤原茂樹先生が、演奏後「磯のつまま」について私に声をかけてくださいました。

民俗学者の折口信夫氏の門下の藤原先生と同じく、「池田弥三郎氏」が、つまま=たぶの木の研究をされておられます。魚津で過ごされた時に、北陸一帯にタブの木が非常に多く、古代の照葉樹林としてのタブの木の森林体系と万葉集では1首しか読まれていないことの不思議もあるようですが、折口信夫生誕100年の記念にご出身の慶応義塾大学にタブの木を多数植樹されたそうです。三田キャンパスが浜離宮に近く、大学と離宮周辺までを含めたタブの木の森を目指されたとか。残念ながら構想は実現しなかったようですが、今でも大学にその時の記念樹や、掲示板があるそうです。それもあって藤原先生は「つまま」の歌を興味深く聞いたとおっしゃってくださいました。「なかなかいい歌でしたね」と言ってくださり、とても光栄でした。慶応のタブの木、訪ねてみたいです。

池田弥三郎さんと言えば、犬養先生を学問上で激しく対立された学者です。藤原先生の貴重なお話と共に、なつかしい思い出も思い出しました。藤原先生とは奈良女子大学でお目にかかった以来の再会でしたが、私が「万葉を歌う」ことを覚えていてくださいました。それもうれしかった・・・です。P1120585

尾竹睦子さんの大好きだったこだわりの場所。渋谿の﨑。つままの木と歌碑のある場所。今秋も訪ねようと思います。国庁跡ではなく「磯のつまま」です。

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奈良新聞社の一般投稿のページ「談話室」があります。私も「明日香」にご縁ができたので、昨年から奈良新聞を取り始めました。「談話室」をはじめ、明日香小学校の先生の投稿や、明日香小学校の3年生の俳句投稿などを楽しく拝見していました。ある日の「談話室」では思いがけず、母が大好きなフォレストという合唱団のことを書かれた方があり、母に報告しながら筆者を見れば、なんと私の万葉講座の受講生だったり・・・。なかなか身近な心の窓です。
そして、縁あって、「談話室」会員総会で万葉講演を・・・とご依頼を受けましたので5月末にお話をさせて頂きました。
その時の様子を書いてくださった、会員の厚意あふれる文章がこの22日に掲載されました。お客様が本当にじっくり聞いてくださり、文章にまとめあげてくださったことに心から感謝申し上げます。
私は単純に「うれしかった!」です。そしてまた記事を書いて頂き、今後『万葉集』普及につながれば・・・と期待しています。

新年あけましておめでとうございます。
今年は万葉うたがたり活動の35年目となりますが、成人式に出演させて頂いたのをきっかけに、まさにうたがたり元年とでも言うか、1月に万葉うたがたりをさせて頂く機会が今週だけでも3回あり、チャンスを頂戴できることは、ありがたい限りです。
昨日は、オカモも演奏のお弾き初め。
大阪の中央電気倶楽部の新年互礼会で、出演させて頂きました。
『万葉集』を歌ってほしいというご希望でしたので、万葉ファンがおられてのことだったと思います。
ともちゃんと村田さんの3人で緊張の中にも、楽しく演奏させて頂きました。
今年最初の記念写真です!

大げさなタイトルですが、翌日に日本テレビの恒例の24時間番組「愛は地球を救う」を見ながら、テレビの中の感動と共に、前日の万葉うたがたりコンサートの余韻を感じていました。 鳴り物入りの「阪神なんば線5周年記念」の阪神電鉄の企画イベントでしたが、阪神間で「記紀万葉」の講座が開催されたことや、会場が武庫川女子大学であったこと、6人の講師の中で、阪神沿線に住まいするのは私だけであること・・・など私にとって「小さな奇跡」がいくつかありました。 明日香や平城京で行われる古代史関連の行事があたりまえのようですが、万葉故地で示したようにこのたびの「近鉄奈良→難波→山陽道→・・・」と言うのは、私たち、全国の万葉故地を発信する立場の者にとって貴重な機会でした。「西宮慕情」の通りです。 DSCF7551 また、武庫川女子大学が会場であったこと…は、唯一阪神沿線の大學であることはもちろん、恩師犬養孝先生の後継者であった清原和義先生が、ご逝去されるまで教鞭をとられたところであり、今春から娘が、偶然に非常勤講師でお世話になっている場所でもありましたので、最初にこのお話を伺った時に不思議な巡り合わせを感じました。清原先生とは犬養先生を通じてのお付き合いでしたが、清原先生が亡くなられて昨年17回忌を迎えられました。 時の流れに驚きましたが、昨年TSUBAICHIで清原先生の遺された貴重な万葉故地・風景写真の追悼展をさせて頂きました。その時に集まられた清原先生の教え子の方々に出会い、清原先生が作られた万葉風土研究会(万風研)のOBの方々とも親しくなりました。犬養ゼミ生はあまり勉強をしていませんが(汗)、清原ゼミの方々の来し方や、『万葉集』との向き合い方、先生と生徒の関係など、私が存じ上げていた清原先生とは全然違う、お父さんのような教師像に感心し、またその清原先生を慕う教え子の方々に深く納得もあり、みなさんが大好きになりました。その万風研OBの方々が、多く来場してくださり、私は勝手に「同志!」感に浸っておりました。もちろん清原先生の奥様には毎回ご足労をかけ、心から感謝しております。 今回「うたがたり」の内容も万風研OBの方々を大いに意識したといっても過言ではありません(笑)。 そしてこの機会に「母校」へ来て頂くご案内ができたことは意気に感じたことでした。武庫女と万葉!のみなさんの足跡は確実に残っていますね。

DSCF7676DSCF7547 おまけは、今春から娘が非常勤で短期大学部の新しい科目の「言語コミュニケーション」のような講座で???お世話様になっております。娘は役者ですが、演劇手法を通して、コミュニケーションを学ぶワークショップなどの講師経験や資格があり、思いがけなく初めての大學での授業を経験させて頂きました。舞台でご挨拶をされた日本語学科の学科長である上田和子先生に、遅ればせながら当日母としてもご挨拶をさせて頂いた次第です(笑)。 私たちはコンサート出演でしたので、会場の方々と質疑応答ではなく、現役女子大生とのトークタイムを・・・と言われていました. お二人の大学院生の質問に私が答える形でお話をさせて頂きました。初々しく、輝きのある女子学生を目の当たりにして、私もこんな時代があったのかと感慨もありました。
DSCF7609今回は、メンバーの都合で、ゲストに初めてクラリネット奏者の渡川真理子さんに出演して頂き、私たちの演奏に幅を加えて頂きました。新たな楽器はいつものサウンドを一味違った味わいにしてくれたようです。また是非渡川さんにご出演頂きたいと思っております。 3つ目の阪神沿線に住む私にとっては、自宅近い甲子園球場界隈の整備事業や、阪神甲子園駅の拡張工事を見ながら日々を過ごしています。イコール「山陽道」という古代の交通路に沿った道筋でもありますので、西宮だけでなく、御影の高橋虫麻呂・田辺福麻呂・大伴家持が詠った「葦屋菟原処女の塚・求女塚」伝説や、お伝えしたい大事な歌・故地がまだまだあります。次回は是非ご紹介したいと思っております。 24時間テレビでは、TOKIOの城島君の101キロマラソンの達成に感動し「小さなキセキ・大きなキセキ」に涙しました。そしてオカモも小さなキセキを感じた1日でもありました。

万葉集の代表的な学会の美夫君志会は、全国大会が大体7月の最初の土日にあるため、予定は立てやすいが、私は交野市の七夕行事に関わるようになってから、なかなか参加できなくなっていた。今年も6日が日曜日だったので、イベントの微妙な時期だったが、7日にサロンの行事として、七夕ツアーやコンサートを予定していたので、6日だけ参加した。会場は浅田真央ちゃんの在学している名古屋の中京大学。地下鉄の八事の駅の出口が大学の入り口と言う便利な会場だった。

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エントランスもリゾートホテルのロビーのようだ。敷地内の環境がよく整えられていて、最近の恵まれた学生たちの環境には疑問も感じる。

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私は2日目だけの参加だったので、基調講演を聞くことはできなかったが、2日目は研究発表の機会でもあったので、研究者の視点と内容、またその質疑応答がいつも大変興味深い。

特に中国人の留学生の研究発表については、「万葉仮名」などの漢字、文字についての理解や意識が当然日本人以上であると思われるが、それが「和歌」での用法論や引用などについての内容は、そこで彼女たちにとって「外国文学」に対する理解になるのかな…などと思いながら聞いた。

また、私は昨年大伴家持の感覚の新しい「夢の逢いは 苦しかりけり おどろきて 掻き探れども 手にも触れねば」の歌に作曲をしたのだが、最後の発表者である和歌山大学の菊川恵三教授が、人麻呂歌集歌における「夢」表現の歌を取り上げられ、定説になっている沢瀉久孝説を考証、問題提起をされた。万葉集の「夢」歌を研究されていて、今回の人麻呂の夢歌については、私には思いがけないテーマだった。人麻呂夢歌の傾向と、表記の方法などから、12の2849番歌の特殊性を述べられたが、今後も「夢歌」を研究していかれるという。研究者の視点に感心した内容でもあった。

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こうして、万葉集研究の刺激を頂きながら、帰途、近鉄名古屋駅でばったり明日香村村長と出会い、同じ列車で移動する日常の奇遇に楽しくなりながら帰宅した。

1日だけでも参加してよかった! 翌日は、朝から交野市七夕万葉バスツアー&TSUBAICHIサロン、七夕コンサートのダブルヘッダーでした。

宝塚売布のコープカルチャーで、年2回の「万葉の旅」を実施している。
制約があってバス旅行ができないため、おおよその目安は「大阪9時頃集合、
歩く距離は6キロくらい、現地で4時頃には解散してほしい」とコープからのミッション
で計画を立ててみる。
第1回目はもちろん明日香村をご案内したが、その後は山の辺の道を近鉄朝倉駅から
4回に分けて、近鉄平城駅まで北上した。また大宇陀のかぎろひの里を訪れたこともあり、
その時の旅の思い出を詠んでくださった安原さんの短歌が「柿本人麻呂賞」を獲得され、
私たちにとってもよい思い出となったことはうれしいことだった。

そして今春は、受講者の希望で「大和三山」に行きたい…と三山を登る?ことに
なった。耳成山139m、香具山148m、畝傍山199mというどれも200mに満たない小さな山で
あるが、コープミッションを満たすことができるか、悩みながらではあったが、割愛も
可能なので、当日、ともかくコースの行けるところまで行こうとスタートした。
前日まで天気予報の状況が悪く、「雨」の予報もあったが、おかげさまで何とか降らず
おまけに、曇り空であったため、太陽の照り返しに遭うこともなく歩けたので、結論から
言うと、大和三山もすべて登り、全コース14キロを歩いた。と言うより、私と違い歩き
慣れておられないカルチャーの方々が、よくぞこの距離を歩いてくださったことの感心と
持久力にしみじみ感謝した。

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巻1の2、舒明天皇が国見をされた香具山の万葉歌碑の前で記念撮影。「天の香具山」です。

さて、大宇陀で詠まれた短歌が入賞された安原さんが、先日「先生にだけお見せします。」と
大和三山を歩いた時の歌を私に下さった。
「世界遺産 登録目指すと 老い人は 耳成山口神社清むる」
「咲垂るる 楝の花の 下に立つ 万葉人の 心となりて」
「紅白の 庭石菖を 愛で行けば 藤原京址 揚げ雲雀鳴く」
「いづこよりか 春蝉の 声しみ通る 橿原神宮 神苑深く」
「万葉人の 心を帯びて 汗しつつ 畝傍山頂 目指して行けり」
「畝傍山に のぼり来たれば 晴れやかに 金剛葛城二上連山」
歌の場面の思い出が、よみがえってくる。本当に素敵な歌日記である。
そして、安原さんが一緒に下さった同人誌に「万葉集を学びつつ」というエッセイを
載せておられた。コープカルチャーの講座の様子や講師の私のご紹介を過分にして
下さっており恐縮したが、学んでいく上で生まれる「さまざまな疑問」について触れて
おられ、「万葉人」の感性に賛嘆しつつ、万葉集へのさらなる探究を楽しみにしておられる。
拙い講師で申し訳なく思うとともに、今後もみなさんの万葉集への期待にそうことが
できるよう、私もしっかり勉強しなくては、とかえって励まされた気分でもある。
2009年秋から始まった宝塚コープカルチャーも、もうすぐ満5年を迎える。
今後もアットホームな「万葉家族」でありたいものだ。

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ごく能天気に感謝状を頂いたことが思いがけなくうれしくて、FBにアップしたところ、びっくりするくらいの反応のツリーがつき、やや戸惑っている。
ボランティア活動は本当にさまざまで、東日本大震災に関連したボランティア活動は報道で紹介されながら、継続的に私たちの目にもよく映っている。
今冬の大雪で、都会から若者が雪おろし、雪かきに馳せ参じ、若い力が役立った。
社会的なものから、身近な家族間の生活にまで、いろんな状況でボランティアの必然がある。
このたび、感謝状を頂いた今は「音楽療法もどき」でデイサービスに来ておられる方々を対象に「音楽を通じて」歌ったり、リズムをうったり、手足、体を使って表現したり…と要素を入れながらのカリキュラムであるが、やはり究極の目的は、音楽を通じて、楽しく元気が出るひとときを過ごすことに尽きる。
20名近くの人々は、それぞれに個性も違い私と気持ちが通うのに個人差があるが、それでも無理やり(笑)オカモワールドに引き込み、カリキュラムそっちのけで?自分の家族と過ごすごとく和気藹々と楽しくやっている。
私が帰る時に笑顔で「また来てね」と言われると、また皆さんが喜んで下さる時間を持ちたいと思ってしまうのだ。
その積み重ねが、あっという間の10年だった。
その前の10年は、クリスマスだけのボランティアをしていた。ピアノレッスンの生徒さんに準備していたクリスマスにお菓子と一緒に準備して、後天性重度障害児の西宮市の施設に伺い、子供たちにお菓子を渡して、ひとときを一緒に過ごす…と言う1年に1度のことだったが、この時に、考えさせられることがあった。
この施設を教えてくれたのはそこに勤めていた犬養ゼミの後輩で、健常な子どもがある日から、事故や病気で重度の障害児となった時に子供だけでなく、その親の苦悩などを聞かせてくれた。そして、日々心身ともに大変な介助仕事をしている彼女に対して私なりのささやかな支援のつもりで始めたことだった。
でも私の気持ちと裏腹に「施設」は補助や援助を受けることに慣れてしまっていて、「善意」がどこかあたりまえになってしまっていたように思う。
「私」はいつでも自己満足の奉仕であるから、見返りを求めるものではないけれど、はじめの感謝が、いつのまにかあたりまえとなり、後輩が結婚退職したのちは、次はあてにされて…と変わって行った。
私のささやかなクリスマスプレゼントをこどもたちに…という思いを届ける以前に、施設へ行くことに抵抗が強くなってしまった。ただ、とりあえずは10年は続けようと思ったし、そして終えた。
かつて母も初孫のつかさが生まれた時に、うれしさと感謝の気持ちで、教会から奉仕に行っていた療育院に寄付をしたそうだが、お礼の言葉、電話1本もなく、なしのつぶてだったことに、とてもむなしい思いだったと述懐していた。
お礼を言ってほしいと言うのでもなく、届けた善意が、「志」などについて、「施設」は慣れていて、感謝よりも当たり前になっている傲慢を感じたと言った。
私も同じような疑問を持ち、決して納得できるボランティアでなかったことが1つの教訓となった。
その後、自分の教会活動もままならぬくせに、私にできることはないだろうか…と考えていた頃、偶然、知人で聖ヨハネ学園の児童養護施設に支援をしておられた方に紹介して頂いたのがきっかけだった。そして同じ組織のミスブール記念ホームのデイサービスで「音楽療法」を担当してほしいということで、今に至っている。
そこでは、私が直接ご老人や、障害者の方々に接して、個々に励ましたり、笑顔を提供したり、コミュニケーションをもつことが、私には楽しい。
犬養先生や祖父母のことを思い出したり、また両親も十分に対象年齢なので、一緒にできればいいのに…とも思いながら、私のサービス精神も加わって、
みなさんに感情移入しながら、やっている。
2か月に1度とは言え、仕事仲間の理解もあり、私の時間が作れることもありがたいことだ。
そして、私のこだわりはここでも「万葉」。ワンポイント万葉ということで、必ず毎回、私の万葉歌を聞いて頂きながら、『万葉集』をご紹介し、魅力を伝えている。
オリジナル音楽療法も10年が一区切りと思っていたが、浅田真央ちゃんではないが、1つの目標を達成して、次回4月は約束しているが、私の去就についても次はハーフ・ハーフかな。

つらつら椿株式会社で制作致しております、万葉花カレンダー「猪名川万葉植物園だより」
も今年で4刷目の2014年版ができあがりました。
このカレンダーの制作を思い立ったのは、それまで20余年の長きにわたってお親しく
して頂いていた、山口県下松市の万葉花写真家の岡田憲佳さんが、毎年素晴らしい
「万葉花カレンダー」を制作しておられました。
私もカレンダーに限らず、絵葉書や万葉花を網羅した文庫本や、岡田作品が大好きでした.
「岡本さん、万葉花の撮影は自然光で、朝にだけ撮影するのですよ。」と、自然に咲く
花の美しさや表情を、自然のままに撮り続けることにこだわっておられました。
そして私はいつものように、「岡田さん、今年のカレンダーはいつできあがりますか?」と
お尋ねしたのが3年前です。
お電話の向こうで「岡本さん、もう高齢になってしまって、今年から作るのをやめました。」
とのお返事にはしばし絶句しました。
その後、今年5月にご逝去の報が届き、何とも言えない寂しさがございました。
「万葉カレンダー」がもうないのだというショックと、私も毎年岡田作品を自分の作品の
ように自慢げにご紹介をしていましたので、それを楽しみにしてくださっている方々からの
お問い合わせもありました。
それが「TSUBAICHI猪名川万葉植物園だより」の制作を思い立ったきっかけです。
岡田憲佳さんのカレンダーは、もはや「芸術写真、作品」でしたが、私は恩師犬養孝先生の
ご功績のひとつである『万葉集』を身近に広めることが、万葉カレンダーの魅力、
発信力でもあったと思っておりましたので、なんとかならないものかと思いました。
幸運なことに、大先輩でいらっしゃいますが、同じ犬養先生の門下である、木田隆夫さんが、
定年退職されたのち、自宅の山林に万葉植物を植栽され、今では100種類以上の
万葉植物を愛情を注ぎながら育てておられますが、四季折々楽しめる万葉植物園として、
私たちにも公開してくださっていました。
ひょっとして万葉歌に関わる草木花を猪名川万葉植物園のご協力でご紹介できるのでは・・・と
私が手探りで制作をさせて頂いてからはや4年目となりました。
写真家でもあり、自ら印刷会社を経営しておられた岡田憲佳さんの「カレンダー」には
はるか及ばないものですが、万葉花を愛する私たちの思いを託した、また万葉歌で、
古代人が植物に寄せて詠った心情を少しでも理解して頂けるのではないかとこだわりを
持って作らせて頂いたカレンダーです。
岡田憲佳さんが亡くなられた今、「万葉発信」の遺志を引き継がせて頂いているという
自負を持って、あらためて感謝と追悼の意を申し述べたいと思います。
「岡田さん、ありがとうございました。」
そして一人でも多くの方々に一年を通じて楽しんで頂ける万葉グッズとして
お求め頂ければ、幸いに存じます。
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こだわりの「椿」の表紙は、友人の朝熊純一さんが書いて下さいました。
多くの方々のご協力、愛情のつまった作品ができあがりました。