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令和6年10月13日(日)和歌の浦アート・キューブ(和歌山市)において「和歌の聖地・和歌の浦誕生千三百年記念 万葉音楽祭in和歌の浦」が開催され、岡本三千代と万葉うたがたり会が出演します。入場無料定員200名で予約が必要です。ご予約は電話・Faxで、073-455-1203木綿さんまで申込ください。

会場 和歌の浦アート・キューブ(和歌山市和歌浦南3-10-1)https://wakanouraartcube.web.fc2.com/
開場 13:00 開演 13:30 終了予定 16:00

主催 紀伊万葉ネットワーク(問合せは、073-499-4356 堀畑さんまで)

アクセス
■ 阪和自動車道「和歌山 IC」よりお車で 約20分・約10km
■ 南海電鉄「和歌山市駅」よりバス 約25分 (「本町二丁目経由新和歌浦」行き、「不老橋」バス停下車)
■ JR「和歌山駅」よりバス 約25分 (「公園前経由新和歌浦」行き、「不老橋」バス停下車)

会場に駐車場はありません。万葉館(片男波)駐車場をご利用ください。

令和3年の唯一の万葉うたがたりは、今月27日に越の国へ伺います。万葉のお仲間がおられたこと、高岡市万葉歴史館の後押しがあったことなど、うたがたり会はじめての新潟県コンサートが実現することとなりました。『万葉集』では弥彦山の歌が2首あるだけの新潟県ですが、会場は五泉市の完成したばかりのラポルテ五泉です。令和に完成した市民の施設は、「生涯学習エリア(生涯学習と芸術文化の振興)」「産業振興エリア(観光と連動した産業振興)」「共用エリア(子どもの遊び場などの休憩施設)」の3つの機能を併せ持つ複合施設で、カフェもあり、市民が集う中心的な拠点のようです。

たまたま、地元で『万葉集』の指導をしておられる梅田希未さんとは長い知人で、ご遠方から私たちの万葉旅行に参加してくださったり、そこでの出会いがきっかけですが、高岡市万葉歴史館での私たちのコンサートには来て下さったり、隣県富山は近いのかもしれません。私たちに出演の打診があったのもありがたいことですが、私たちの方から新たな土地、地方へ出かけることも望外の喜びです。とは言え、遠方ゆえ往復に時間がかかり、現地ではあまりゆっくり過ごせないかもしれませんが、機会ができたことで、これからのご縁に期待をしております。

坂本信幸先生も記念講演をなさいますし、『万葉集』の歌をどのように受け止めてくださるか、ドキドキですが、昨秋の40周年記念コンサート以来のステージに、心地よい緊張です。

人生が長くなると、ありがたいことにいろんなことを経験する機会に恵まれる。兵庫県では「全中学生」を対象に、トライアルウイークと称して、阪神淡路大震災、酒鬼薔薇事件をきっかけに、兵庫県教育委員会が「生きる力」と「心の教育」を重視した取り組みの長期体験学習が行われてきた。私の知る限りでは、郵便局や放送局、医院や社会的組織の一員として、また施設などのボランティアや、手芸や手先の作業のグループに参加したりと多岐にわたった場面で、学校から飛び出したユニークな社会体験の機会と理解していた。

今年の初夏の頃、我が家からほど近い浜甲子園中学校の先生からご連絡を頂き、中学2年生で地元の偉人「犬養孝」さんを学ぶことになり、秋には講演してほしいというご依頼だった。私自身はうたがたり活動のみならず、万葉講座もいつのまにか定着し、時々講演のご依頼もあるが「犬養先生について話をしてほしい」という恩師を語る機会は初めてのことで、大変光栄でもあり、意気に感じた。そして昨日浜甲子園中学校の体育館で2年生80余名を前に、地元の偉人としての犬養先生の人生や足跡や、関係の万葉歌も紹介しながらあっという間の1時間が過ぎた。

ご縁を作ってくださった学年担任の山中先生が、「数ある卒業生や、浜甲子園中学校の長い歴史の中で、今年2年生となったこの子たちは、コロナ禍という特別の時期に入学し、入学式も運動場で行うという非常にイレギュラーな学生生活を強いられて、普通に行われていたトライアルウイークも行えないという状況の中、そこを逆手にとってこの子たちしかできない学習ができないかと思案した。」と言われ、その結果「犬養先生」にたどりつかれた経過も伺った。犬養先生、縁の深い明日香村、『万葉集』、西宮の万葉歌と子どもたちの事前の学びも多彩だったと思うが、私も恩師を語り始めるとあれこれ言いたいことだらけで、きっと子供たちには空回りして、あっけにとられたかもしれない。(笑) しかし、犬養先生は「運」を持っておられる。令和決定の時もそう、以後も昨年は明日香特措法40周年で回顧されたり、今年は新聞記事が出たり、今回、地元西宮で子供たちが偉人として学んでくれたり…と、本当に誇らしいことだ。当日の写真が届けば、あらためて掲載しようと思う。

山中先生、松永先生、そして浜甲子園中学校2年生の皆さん、光栄な機会をありがとうございました。

昨年の米寿の誕生日が最期の母のお祝い日となったが、子供、孫たちの生活リズムが合わないことを口実にみんなが集合して母との食事会すらできなかったことを申し訳なく思っていた。「米寿」という節目でもあったのに・・・。昨年は3月16日が月曜日だったので、たまたま土日を連泊した私に「私の誕生日だから2日も続けて泊まってくれたのね」と嬉しそうに母が言った一言がずっと心に刺さっていた。明日香と実家と行き来の生活で、老々介護の両親に頼られてからは律儀に3日に一度、1泊ずつの間隔で過ごしてきた。偶然の連泊がそんなにうれしかったのかと思うと、確かに実家へ帰ってきたときは夕食をして翌日の夜にまた帰る間の時間は、一緒に病院へ診察に行ったり、買い物に行ったり、美容院へ行ったり、目的があって、そのために帰宅していたようなものだった。母と自由に会話したりショッピングをしたり、二人で過ごす時間の余裕が全くなかったことが悔やまれてならない。そして私は2年前から両親には約束通り犬養万葉記念館とは縁が切れたと嘘をついていたのだ。ただ元号「令和」『万葉集』の注目で、やむなく忙しくなったのであろうと、両親ともに私を頼ることについてのあきらめの思いも少しあったように思う。そして、1年前から母のラストステージが始まっていたことを今になって気づくなんて。

今日、いろんなことを考えるうちに、落ち着かず、久しぶりに母の書斎机を整理した。「はなひな日誌」ファイルを見つけ、毎年の予防注射の接種証明書がきちんとファイリングされていた最後に、またまた母のメッセージを見つけた。「お父さんと猫をよろしくね」とは常々言われていたが、それに加えて、最後の3行に涙した。「二匹を最期までお願いします。お骨は少しだけ甲山墓地に埋め、残りはのんちゃんと一緒に家の祭壇に置いてください。」・・・と。そして、なんと母が2009年に産経新聞に投稿していた記事が残されていた。それで、はなひなが2008年夏生まれであることが再確認できた。おー、12歳半じゃん!(かなりの熟年猫になってました)

母と猫の絆は前回、湿布薬の反応で驚いたが、私にはずっとなつかなかった猫たちが「毎日顔を合わせ、食べ物を準備し、トイレをきれいにしてくれる」ことを理解したのかどうか・・・はわからないが、もう私を引っかいたり、噛んだりすることはなくなったので、ようやく「家族の仲間だ」ということに気づいたのだろうか。仲良く毎日を過ごせるようになったように思う。

はなひなを見ながら、この子たちもいつかどちらかが先に逝き、1匹になった時の不憫はあまりにつらいものがある。でも寿命も私といい勝負かもしれないな。母の亡き後、今の私のいやしは「はなひな」であり、また母を偲ぶ切ない存在でもある。

昨年はどさくさで予防接種には行けなかった。爪も切ってやらなきゃな。猫を飼いたかった母の願いに「飼いたければ飼ったらいいやん」といった手前、約束通りはなひなは任せてね!お母さん。

 

奈良には「奈良まほろばソムリエの会」という任意団体があります。奈良検定の上位合格者の方々から発展して、観光ボランティアガイドをなさったり、蘊蓄や学びを出版されたり、最強の強者ぞろいの会です。そしてこのたび、10周年を記念して出された4冊目の本は「奈良万葉の旅百首」という、私たちにはうれしい「万葉歌」の詠まれたふるさとを学び歩くためのガイドブックです。思いがけず畏れ多くも「推薦文」というか、この本にエールを送らせていただく機会を得ました。私には長年万葉の旅に欠かせない、犬養先生の『万葉の旅』というバイブルがありますが、平成16年に出版社もあらたに再版したときに、地名の変更や地図の修正もしましたが、写真は犬養先生が昭和30年代に写された今や「原風景」として貴重な写真となり、時代と共に歩くための参考書としては、経験者以外はあまり現実的ではないものになってしまいました。ですから、この本は出版にあたって60名で精鋭の会員が1ページずつ担当され、個性あふれる内容となっていることが素晴らしいと思います。そして読みやすく、わかりやすい! 何よりの本が生まれました。やはり大和、奈良の万葉故地には犬養先生の歌碑も多く、記事にも犬養先生の名が時々見られることから、きっと犬養先生に敬意を表してくださり、私に「この本」のご挨拶のご配慮をくださったのだと思います。ありがとうございました。恐縮でした。

残念ながら西宮の書店にはまだ届いておらず、私が注文中に今日奈良ソムリエの会から「謹呈本」が届きました。犬養先生がお元気でしたら「いい本ができたね!」とお喜びくださったと思います。

4月には10周年の記念祝賀会が行われますが、私も出席させて頂き、みなさんへの感謝と賛辞を表したいと思っております。

富山県高岡市は『万葉集』で越中歌壇と呼ばれる万葉故地の1つです。犬養孝先生が全国の万葉故地を歩かれ、執筆や万葉旅行によって多くの万葉ファンが「万葉の高岡」を知るところとなりました。
また、時の高岡市長の佐藤孝志氏(故人)が、犬養先生の協力を仰ぎ、自治体として平成元年より「万葉のふるさとづくり」に着手され、朝日新聞社の第1回「ふるさと大賞」も受賞されました。その間、万葉まつりも規模が大きくなり、三日三晩と言う『万葉集全20巻朗唱の会』という、とてつもないイベントが始まったり、日本で初めての『万葉集』に特化した研究博物館「高岡市万葉歴史館」が完成し、犬養先生のそばで私も当初から拝見したり、関わってきました。そして令和でにぎわった昨年は万葉朗唱の会の30回目、そして今年は高岡市万葉歴史館ができてから30年という節目の年となりました。昨年来の「令和」という万葉ブームの再来?や、次代への期待が高まる中、早々から思いがけなく「コロナ禍」に巻き込まれ、日本中、いや世界中の歯車が狂ってしまうという大変な年となりました。
万葉うたがたりの私個人も、また犬養万葉記念館と言う公共施設も日常を余儀なくされていますが、そのなかで、8月に高岡市万葉歴史館で「30周年記念展~犬養先生の思い出」として、初代名誉館長犬養先生を顕彰して特別展を開催してくださいました。私は行くことができなかったのですが、講座やSNSでご案内をしたところ、「行ってきました」とご婦人が写真をくださいました。おー、うれしい。

また、30年以上続いた「万葉朗唱の会」はいよいよ31回目と言う3巡目のスタートに、新たなスタイルで朗唱の会を実施されることになりました。「動画でつなぐ万葉朗唱」です。企画を聞いた時から現地に行くことができない残念さはありましたが、ポジティブな私は「チャンス!」と思いました。私たち万葉うたがたり会はもちろん、犬養万葉ネットワークで広がった全国の万葉故地の方々や、万葉愛好家の方々をお誘いし、「現地に行けなくても、出演時間にこだわらず、好きな時間、好きな歌の朗唱ができることの身近さ」や「私たちの自慢の万葉パフォーマンスができる機会です!」とお声をかけました。それぞれ時間的に追われて、また暑い時期に衣装を着ることも大変でしたが、いよいよ配信、放映される本番の10月2日が近づくにつれ「朗唱数珠つなぎ!?」への興味は高まり、とても楽しみです。そして、きっとこのスタイルはこれからも残るのではないかと思います。だって、このあわただしさの中で撮られた動画を経験して「次回は!」と反省や新たな意慾から、やる気になられた方々も多いと思います。時間的に余裕のなかった私たち万葉うたがたり会がそうですもん・・・。1発どりだった私たちこそ、反省しきりです。(笑)

平成芭蕉の旅語録、平成芭蕉こと黒田尚嗣さんのエッセイです。

3年ぶりに「昼下がり通信」を出した。思えば、「万葉うたがたり」って何? オカモは忙しそうだけど、何をしているの?と私の「多忙」の謎と、活動を発信していくことの使命を自覚してから、「昼下がり通信」を発行し始めた。第1号は平成9年(1997年)の9月1日発行であるので、今回の令和2年(2020年)5月15日発行の27号まで、約24年間続けてきたことになる。新たに受け取られた方はプライベートな紙面に戸惑われる方もおられるが、当初からのコンセプトは変わらず、➀1年に1度は発行する。➁今日までの私、家族、娘を支えてきてくださったコミュニティへの近況報告(教会であったり、友人であったり、家族であったり…)➂万葉うたがたり活動を通して、万葉歌、故地、行事の紹介など、柱は変わっていない。それで改めて私の一面を知って頂ければ幸いである。ただ、「昼下がり通信」に限らず、年々時間的な余裕と、体力・気力の衰えもあって、用事を先送りしてしまうことが多くなり、気になりながらも今回の通信は3年ぶりとなった。この時期の3年のブランクは残酷で、投函した便りの中に戻ってきたものもあり、亡くなられたことを知ったり、知らずに転居されていて音信が途切れたり、自らの不沙汰を後悔している。
そもそも私は「文章を書くこと」はそんなに嫌いではない。小学生の頃から作文をたびたび先生に披露して頂いたり、文集にも載せて頂いたり、思い返せば「書くこと」の経験は長い。我が家は、父はあまり文学的ではないが、母は読書家で高齢となった今も「読書」が最大の趣味である。お抱えの本屋さんから「新刊書」が出ると電話案内が届く御贔屓さんだ。母は書くことも達者で、私、弟(なかなか文章がうまい)、娘(機会があればきちんと自分の言葉で表現できる)が文章を「書く」ことの抵抗が少ないのは、母のDNAなのだろうと思っている。ほぼ娘の子育てをしてくれた母の「孫、つかさ」に対する文章をまとめた最初の冊子は、今から31年前に作った。娘が生まれた時刻が8月のお昼であったことから「真夏の昼下がり」というタイトルとなった。私の「昼下がり通信」のネーミングもそれから拝借した。
その後も60歳から10年間続けた兵庫県の市民オンブズマン活動をまとめた「夕映えの時」、そして趣味の短歌をまとめた「思い出のアルバム」。そして母がこれが最後と私に手渡した原稿は、3年前「結婚66周年を迎えて~老いの徒然に」という自分史だった。私にパソコンの打ち込みと冊子の制作を頼まれていたが、忙しさに紛れてまさに先送りしていた。ところが昨年の2月に盲腸癌になり手術をした。高齢でもあるので、それを機に私のギアが入り、結局少し時間はかかってしまったが昨年ようやく完成した。母に手渡した時はタイトルは66周年から68周年に変わっていた。(笑) 父も黙って読んでいた。この自分史の巻頭に掲げた母のポエム「待ち合わせ」がいつも切ない。幸い今は両親ともに元気でいてくれているが、日々の「老い」を止めることができないことが悔しい。この写真は3年前西宮の名次神社の前で撮ったが、今は母は車椅子、父は押し車がないと歩けない。

それぞれに別れの日を覚悟しながら一緒にいる両親の今を大事にしないといけないと思いつつ、悶々とする私がいる。昨年写真に使ったマンションのカサブランカが今、満開である。母が大好きなカサブランカを今年も見ることができた。再び冊子を手にしながら、両親の純愛を見届けていきたい・・・。

マンションの夏椿、「沙羅」が咲き始めました。足元にはくちなしも・・・。令和2年ももう半分が過ぎようとしています。
昨年の6月は娘の東京での「二人芝居」公演があり、応援方々観に行きました。初めての単独東京公演だという時期に、娘が体調を崩していたこともあり、気になっていたことも事実です。何事もなく無事に終えられて本当にうれしかったです。また、犬養万葉記念館では、犬養先生を支えて後継者とも目されておられた清原和義先生の命日月である6月を選んで23回忌の記念同窓会を開催させて頂き、武庫川女子大学の卒業生の方々とも交流を深められる機会ともなりました。そして、月末には壱岐島へ行くきっかけとなったクラブツーリズムのお誘いで、テレビ東京の「旅するお疲れさま」と言う旅番組の案内人にも加えて頂き、「足柄峠」へ行きました。
令和元年の6月・・・。まさに新たな時代の始動が感じられる毎日だったように思います。容赦ない時の流れを目の当たりにしながら、この「6月」からはきっと新たな展開があることでしょう。「新しい生活スタイル」というよな表現が多いですが、私は時を取り戻せたステイホームには感謝しています。スローライフは私たちが忘れかけていた?無理やり避けていた「家族」などの人間関係を見直してくれました。日々の生活の「不要不急」を精査してくれました。「日常のあたりまえのありがたさ」をより強く感じさせてくれました。原点に返ったところから、加速度を付けてダッシュですね。まさに「初恋を思うべし」
コロナウイルスを克服して前進あるのみだ!!!

犬養万葉記念館も6月1日から通常開館となりました。犬養孝特別展示へのいざない、またあざさをはじめ、ささやかな館庭の初夏の風情を求めてご来館を楽しみにしています。ただ、まだ県外移動は自粛中ですので、今は奈良県内の方々中心のご案内となりますが・・・。若菜祭で断念した令和記念講演会をぜひ実現させたく、再度猪熊兼勝先生にお願いをいたしました。6月20日(土)に開催いたします。ただ、記念館は三密を避けるには会場が小さく集客が限られますので、記念館の定員と同じ40名収容の会場として、明日香村の社会福祉センター内(太子の湯と同所)のかんなびホールを使用させていただきます。ご理解頂いた教育委員会には感謝です。参加希望の方は、(感染経路確保のため)必ずお申し込みをお願いします。
おかも個人も6月からは講座が再開します。各グループの世話役の方々が、会場確保や、会場使用の試行錯誤に追われておられ、本当にありがたく、また再開の期待への責任も感じるところです。肝心の私はステイホーム中、自宅にどっぷり缶詰で過ごしたというより、コロナ以前も以後も変わらぬ実家と明日香村との行き来と、昼下がり通信の作業でそれなりに時間に追われましたので、そこからいよいよ「日常に向けて」の生活に、私自身のモチベーションを高めなければと焦り始めているところです。公私ともにブランクを経ましたが、それが新たなステップになることは間違いなく、(コロナ感染をいかに克服しながらということが最も大事ですが)O型おかも!いつもながら「前進あるのみ!」の能天気で日常へと突破していきたいと思います。