8月1日を迎えました。いよいよ告知を開始することにしました!
予定よりは1年近く遅れてしまいましたが、久しぶりに万葉うたがたり活動の作品CDをリリースいたします。
途中、「高岡旅情完成版」や「明日香ピックアップバージョン版」や、時に応じた制作もいたしましたが、フルスタイルのCDは、2009年の富士山ジャケットの「万葉のこころを歌う」以来、なんと9年ぶりになります。1年近く遅れた結果、収録曲も二転三転し、録音してくれたメンバーも戸惑ったことと思いますが、今の私の「テーマ」優先としました。「メッセージ」というタイトルをつけた通り、「万葉歌を通して、訴えたかった思い」です。没後20年を迎える犬養先生のみずみずしい万葉歌の魅力。東北大震災の津波で壊滅的な打撃を受けられた多賀城を訪れ、多賀城万葉の会のかたに、来年こそはこの地でともに「桜」を見ましょうと応援歌として歌わせていただいた「櫻花」。万葉の母、尾竹睦子さんへの思い出と追悼にささげた歌。「始めに言葉ありき・・・」とヨハネの福音書にもあるように、言葉の持つ力、霊力、言霊(ことだま)への信頼により、よきことを願う、幸はふ国へと歌うのは、まさに現代を生きる私たちが日本の未来に対して心から願うことでもあります。交野市の逢合橋で私が万葉歌を書かせていただいた歌碑ができましたが、今後も地元のシンボルとして発信し続けたい万葉歌碑であり、もちろんテーマソングも作りました。などなど・・・。
制作が遅れたのは、雑用により集中した時間がとれなかったことが原因ですが、このたび収録できなかったものもあり、また、私自身が万葉うたがたりの歩みを確認したかったこともあり、作品の「音源化」は今後も引き続きすすめていく予定です。
『万葉集』って楽しい♪・・・気持ちになってくだされば幸いです。
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毎月の定期講座に加えて、「文化の秋」「イベントシーズン」ということで、新たに講座の機会などを頂きます。12日(土)には、明日香村の祝戸荘で「あすか塾」の講師として、準備をしております。月1回のこの講座も何と、私が268回目ということですから、長く続けられた貴重な機会なのだとわかりました。講師の方々も考古学をはじめ、塾の名にふさわしい「明日香」をテーマに専門的なお話をなさっていますので、私の登場は躊躇するものでありますが、今は犬養万葉記念館館長として、明日香村の施設で頑張っていますので、明日香村に従事する一員ということで顔見世興行ということでしょうか。笑。「万葉うたがたり」では明日香の歌をまとめたCDも制作していますので、それらの歌などを聴いていただきながらお話ししようと思います。
この講座の特徴は「ランチ」を挟んで前後講義があること。そのランチも祝戸荘名物「古代食ランチ」ですので、受講の皆さんと親睦をしながらお食事もするなんて、初めての経験です。
そして、翌日13日は、奈良県三郷町で万葉歌碑の除幕式があり、うたがたり会も出演をさせて頂きます。鞆の浦に引き続き、「歌碑」の歌を新曲としてご披露します。機会があって「曲作りをする」ことは、継続的で自発的な創作活動ではないので本意ではありませんが、雑用に追われてなかなか落ち着いて本来のライフワークに取り組めていない私にとっては、グッドタイミングなのでしょう。
出来栄えはわかりませんが、うたがたり会で楽しく練習しました。「桜」3部作となったことに私は気に入っております。
14日は三輪恵比須の講座の日。実は明日はコープカルチャーの定期講座日で、4日続けての「万葉世界」。資料を作るのは時間もいりますが、楽しくもあり・・・。頑張りま~す!
2016年9月16日の日記。
4月から始まった交野万葉学級も半年(前期)の一区切りに、地元の万葉歌碑を訪ねました。9月の半ばということで、暑さや熱中症の体調、また台風などの天候など不安要素もありましたが、おかげさまで当日は恵まれた快適な1日となりました。講座に参加されて慣れない上に、すぐに現地ウオーク・・・と未知との遭遇体験の方もあったと思われますが、みなさん和気藹々と親睦も含めて楽しい機会でした。現地については講座主催者の毛利さんが詳しくて、ウオークコースの設定や歌碑の建立の経緯やいきさつについてもご説明をしてくださり、私も実は講師でありながら、お役目を果たすより楽しく参加することが、皆さんと個々に親しくなれてうれしかったです。ウオークも地元ということで、1DAYパスでバス移動をしながらの体験は初めてのことでした。昼食も選択自由(お店)ということで、それぞれが気に入ったお店で摂るというユニークスタイル。なんだか自由で、交通費も最低限の出費・・・とみなさん「得した気分」になられたのではないでしょうか。
さて、10月21日から、後期の講座が再開しました。私の歌碑の佇むオカモのたましひのふるさととなった「交野」で、がんばって万葉の情熱を傾けたいと思っています。
あらためてご報告と思いながら、時間が経ってしまいました。
尾竹さんとの写真を見ながら、ふと思い出したブログ。今は閉鎖した楽天ブログの1節です。
最高の思い出が作れた日でした。その半年後、ガンの発見、手術となりました・・・。
2013年4月
4月23日、24日と、久しぶりに高岡へ行きました。
昨秋の万葉まつりでは、バス旅行の経過地になってしまい、ゆっくりできなかったので、
高岡の「母」と呼ぶ尾竹さんに会いたかったことと、3月にTSUBAICHIでも開催した
入江泰吉展が巡回し、ちょうど高岡で行われていたこともあり、スケジュールの合間を縫って
出かけました。
車で出かけたのですが、なな、なんと、行く手にくっきり見えるは立山連峰!!!
こんな機会はめったになく、興奮と感動で、予定そっちのけで「立山」の見える場所を
探し、ともかくたくさん写真を撮りました(笑)。
幾度となく訪れてもめったに見ることのできない光景でした!ラッキー!
雨晴海岸では、尾竹さんと一緒に。ここは毎回訪れる最高のスポットです。
尾竹さんを車に残し、久しぶりに越中の「二上山」を登山。
頂上で証拠写真です。ふたなみ273メートルがいつの間にか1メートル高くなったらしい?
うれしかったのは、4月の終わりにもかかわらず、町の桜は終わっていましたが、二上山の
桜はこれからでした。めずらしい黄色の桜!!!
そして、勝興寺の万葉歌碑のところにも、二上山の大伴家持像のところにも、古城公園の
中にもまだ「 」が咲いていたことは思いがけない喜びでした。
私のために、待っていてくれたのね!
高岡市万葉歴史館での入江展は、さすがに赴きと落ち着きがあり、作品もより格調高く
展示されていました。私がうらやましかったのはこのコーナー。
やはり入江さんの「仏像写真」は魅力的です。
是非、TSUBAICHIでも今度は「大和路の仏像展」をさせて頂きたいとあらためて思いました。
尾竹さんともゆっくり過ごし、大好きな高岡市万葉歴史館でもゆっくり過ごし、この機会に
「立山」の光景を満喫できたことに心から感謝です。
やっぱり個人的な旅が自由でもっともリフレッシュできるひとときです。
私は万葉講座の機会を頂くようになって、定期的に伺うところと、単発的にお引き受けすることもあるが、枚方の歴史を学ぶ会は、1月に講師としてお話をさせて頂き、平成27年度に新年度にあらたまってから機会を頂き、2度目の講座を持たせて頂いた。
枚方市と言うのは、私が七夕万葉歌碑でご縁を得た交野市のお隣で、「七夕伝説」に関わる行事では、交野が原の先駆けとして、町をあげていろんなイベントを行っておられる。
犬養先生はかつての万葉カルチャー講座の先鞭をつけられた方だが、枚方市もその1つに、市民会館で始められた「白バラ?万葉教室」は、婦人会の方々を対象として長く続いた、懐かしの場所と聞いていた。
「枚方市」で話をしても、ここでも犬養先生の思い出を語ってくださる方がある。
犬養先生の撒かれた種が育っている様子に、あらためて今後の自分の責任の重さを痛感する時。
「万葉時代の楽しさ・素朴さ・優しさ」をただ伝えたいだけなのです・・・。
立ちて思ひ 居てもそ念ふ くれなゐの 赤裳裾引き 去にし姿を
(巻11の2550/作者未詳)

除幕式は予定どおり現地で行われることを確認された山内英正さんが、地震でご自宅が全壊し、放心状態でいらっしゃった犬養先生のもとに背広姿で現れた。ちょうど先生の安否を確認に来ていた私と出くわし、反対する私と家人を押し切って、しぶる犬養先生を連れ出し、除幕式に出かけられたが、除幕式は終わったあとだった。あとの祝賀会には間に合われて、無事を祝し大歓迎を受けられたが、あとで先生に伺うと、当日のことは全く記憶に残っておられなかった。
高松塚の壁画ではないが、女人像を思わせる赤い裳裾姿の娘子への思いを詠ったこの万葉歌。タイミングよく、つい先日「万葉のあかり」で地元の活性化に尽力しておられる岡大字の方から、犬養万葉記念館に提供して頂いた立派な万葉灯篭に書かれていた歌が偶然この歌だった。灯篭を見ながら、20年前のあの日のことを思い出さずにはいられない。
倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭し麗し
(古事記歌謡 30)

歌碑の建立者は茨城県の万葉東歌研究会の大木昇さんで、春日大社の花山院宮司と親しかったことで、古事記編纂1300年の直前の平成23年12月に建立が実現した。地元茨城県産の白御影糠目石の碑で、現地から運び込まれ、奉納された。
当日現地に行ってみると、「歌碑」がすでにお目見えしていて、ご招待を受けた私たちは、本殿で奉告祭に与り、その後歌碑の前に移動して、除幕式ならぬ、紙ふぶき?をまく清祓式のみで、通常の除幕式ではなかったことが、とても印象に残っている。記紀万葉プロジェクトの続く奈良にあって、タイムリーなことに、犬養先生の揮毫書による「古事記碑」ができたことに、私は犬養先生の強運を再び思い知らされたようだった。先生すごい!
旅人の 宿りせむ野に 霜降らば 我が子羽ぐくめ 天の鶴群
(巻9-1791)
この歌碑は、平成23年6月に大阪府堺市堺区大浜公園に建てられた、遣唐使の一行の男子の母が、子の無事を願う思いやりのあふれた秀歌であるが、犬養先生の 歌碑としては、1号歌碑(甘樫岡)が昭和42年に建立されてから、45年以上の月日を経た今日、なんと141番目として建立された犬養先生の最新の万葉歌碑である。 万葉ファンの想いは篤く、犬養先生が亡くなられてから後も20基ほどの歌碑が建てられた。まさに万葉故地を愛された犬養先生の魂が留まるシンボルとしての意味もあるだろうが、いついつまでも犬養先生に見守っていてほしいという願いも込められているように思う。
建立地がユニークで、日本一低い山と言われる大浜公園内の蘇鉄山(6.96m)の頂に建立された。山麓には南海地震の記念碑「擁護璽」がある。大阪にゆかりある歌として、難波津から出航した遣唐使の歌が選ばれたが、犬養先生の揮毫の歌碑にこだわられた堺万葉歌碑の会の沢田冨美子さんが奔走され、文字は色紙から起こされた。私はサロンTSUBAICHIからバスを準備し、仲間を募って除幕式に参加して頂き、にぎわいの中で新碑の誕生を祝った。 これで、堺には大山公園と、浜寺公園と、大浜公園と歌碑が3基になった。




采女の 袖吹き返す 明日香風 都を遠み いたづらに吹く
巻1-51(志貴皇子)

甘樫丘万葉歌碑
犬養孝先生揮毫による万葉歌碑は、最新では2011年6月5日の堺市堺区大浜公園の蘇鉄山の頂に建立除幕され、1967年11月12日に第1基目の歌碑が建立されてから、のべ141基となった。記念すべき第1号歌碑は、「文学博士犬養孝先生の還暦を祝し永く先生の万葉への情熱をたたへ、併せて先生ご指導の大阪大学万葉旅行100回を記念し、全国の教え子ら相寄りてここ万葉のふるさとにこれを建つ」と裏面に刻まれているこの歌碑だ。私が犬養万葉顕彰会の会長時の2007年、犬養先生の生誕100年の記念事業として、懸案であった歌碑の解説版(副碑)を設置し、その時の記念絵葉書がこれである。
都が飛鳥から藤原京に遷って後の、古都飛鳥の廃墟を吹きぬける風の音に、志貴皇子は旧都にたたずみ、美しい采女の幻想を抱きながら古京を追想した。「明日香風」とは明日香の里を吹き抜ける風のこと。歌碑建立を固辞し続けた犬養先生にとってこの歌碑は、明日香村周辺にも開発の波が押し寄せ、乱開発の防波堤になるならばと決心され、教え子の熱意と共に、明日香村の甘樫丘中腹に建てられた。明日香をこよなく愛された犬養先生が最初に選び、書かれた歌であることに私たちは犬養先生の心情を思い遣る。この日のために横浜一中での教え子、黛敏郎氏が「犬養先生還暦記念のために捧げる萬葉歌碑のうた」を作られ、学生たちによって披露された。今では明日香村万葉朗唱の会の方々によって歌い継がれている。もちろん私も「明日香風」という題で作曲し、CDにも収録しているが、まさに明日香を象徴するかのような「曲」となった。

















