1年に一度、百舌鳥野と浜寺の犬養万葉歌碑を訪ねる日がやってきた。
今年は4月12日。
大仙公園の満開の桜を期待した日の設定だったが、あいにくの朝からの春雨で、
少し参加者が少なかった。平成8年に建立された仁徳天皇の皇后、磐姫の「万葉歌」
(巻2の85~89の5首)と、平成19年に藤井寺の個人病院から浜寺に移設された、
置始東人の万葉歌碑2つを、現在しっかり守っておられる澤田さんを中心とした堺万葉
歌碑の会の方々と歩いた。
椿の花で飾られた万葉歌碑。ロマンチックでした。
御陵さんからバスで、宿院へ。阪堺電車(チンチン電車)に乗って浜寺下車(終点)。
駅前の「お団子屋」さんで、花見団子や、すはま団子や、春の味覚を調達。
それだけでも幸せ気分!!!
人気のない松林だったが、りりしく存在する万葉歌碑は、絵になっている。
先生、また来ますね! と久しぶりの見学を楽しみ、帰路についた。
投稿
ホームページのトップに「トピックス」で掲げましたが、
3月19日(金)に、念願の「現地講座」を開催いたしました。
今年は平城京遷都1300年を記念して、「奈良の都」がどうしても
クローズアップされてしまいますが、万葉集を学ぶ私たちの原点は
やはり明日香村から…ということで、車2台、9人で出かけました。
スタートはHPに書いたとおりです。
明日香村の旅も、初めての方もいらっしゃるので、テーマは明日香村の
雰囲気、風、空気、景色、自然、そして季節を体感して頂くことでした。
そして年配の方が多いので、ゆるやかな旅を目指し大阪スタートは10時です。
玉列神社→石舞台古墳(昼食)→稲渕(棚田・飛鳥川)→栢森→伝板蓋宮跡
→甘樫丘→犬養万葉記念館→夢市のコースでした。
私は何度来ても懐かしい思いで、ほっとしますが、初めての皆さんの「目」には
どのように映ったでしょうか。
石舞台の桜は、もうちょっと。でもつぼみが今にも開きそうでした。
夢市茶屋での昼食は古代米御膳。次は一度「飛鳥鍋」を賞味してほしいです。
棚田は菜の花が満開で、黄色の絨毯でした。平日にもかかわらず、カメラマンが
いっぱい。写真スポットの人気ぶりを垣間見ました。
明日香村には五穀豊穣の実りを願う、「おんだ祭り」と言う男女の儀礼がありますが、
飛鳥川にも男女をシンボル化した注連縄がかけられており、新年の1月に架け
替えられたばかりなので、真新しい風変わりな注連縄にみなさん感心されたようでした!
そして、飛鳥川の「飛び石」に行き、石橋を通りましたが、水量が多かったのか、
石が平板になっていたのか、ちょっと躊躇しましたが、濡れながら渡りました。
ただ、ひなびたマニアックなスポットだったのが、田んぼの畝も小道に整備され、
(歩きやすいのですが…)私はちょっと興ざめの気分になりました。
犬養先生の歌碑が目立たないことが残念だったのかなあ。(我が意を分析中です。)
栢森まで足を伸ばし、飛鳥川の上流をご案内したのですが、「ふむ?」
飛鳥川の川幅を広げる工事中で、「何で???」とびっくりしました。
赤米・黒米などの田が潰されて、造成中の河川の様子はまさに環境破壊じゃないか!
次は「宮」ということで、舒明天皇の頃から天武天皇まで何度か同じところに作られた
板蓋宮跡に立ちました。昨年3月に建てられた平山郁夫氏の万葉歌碑の拓本を
とっておられる古老がおられたり、横浜からという私語もしないで熱心に見学する
「賢そうな」小学生の修学旅行の団体に出会ったり、私の予想以上の「飛鳥」らしい
光景に出会えてうれしかったです。
そして「国見」の甘樫丘へ…。工事中で通行止めでしたが、強行突破!
ゆるやかな坂道を「みんなで歩けば怖くない!」で、登りました。弁解しておきますが、
年配で足の悪い方もおられ、この坂道があるあらこそ登れるのです。なのに、
工事中とは言え、この行楽シーズンに「通行止め」とは、配慮がないと思いました。
「来た限りには登るぞ!」。360度の光景は、「明日香村へ来た!」と実感する
瞬間です。春霞もなく、生駒・二上・葛城・金剛の山々もよく見えました。
明日香村の村並を取り囲む緑の木々が明るめの「春の色」になっていました。
ここの展望台の「桜」が満開の時にあた来たいな…と思います。
さて、帰りも同じ道をと思いましたが、うれしいことに全員「犬養歌碑」見たいと
言ってくださり、階段の道を下り歌碑前に…。
椿の花と馬酔木が咲き、犬養先生の歌碑は私たちを優しく迎えてくださいました。
「采女の 風吹き返す 明日香風 京を遠み いたづらに吹く」を全員で朗唱し、
皆さんをお連れできたことは自己満足ですが、感慨深いです。
最後は、犬養万葉記念館でお茶タイム…と入館したところ「4時で喫茶は終了しました」
と素っ気無い返事。まだ1時間開館してるのに…。商売気もないし、お役所仕事?
私たちだったら、コーヒー代×人数で、今日あと○円収入が可能なのに…と思ってしまい
ますが、これは品格がないですか???
結局近所でペットのジュースを買い、コップは借りて「お茶」しました。
これで予定は終了したのですが、おまけコースが「夢市」。
近鉄飛鳥駅、駅前の「夢市」は、明日香村のお米・野菜・果物などが、多種、新鮮で
お安く購入でき、私のお勧め「主婦スポット」です。
ここも4時59分に着き、ほぼ店が閉じられていたのですが、大阪のオバチャンパワー
で開けてもらいました。ありがとうございました。
あすかルビーや、采女とうふ、小芋などを買ってきました。
行く場所ごとにゆっくり過ごしすぎて、帰りは予定より遅れましたが、
第1回のオカモゼミ野外編はまず成功かな!と思います。
うぐいす、菜の花、れんげ、こぶし、雪柳、馬酔木、椿などなど、春はもう
来ていました。
暖かで晴天の一日は犬養高気圧に守られたからでしょうね。先生に感謝。
そして参加してくださった講座生に感謝!、そしてサポートの山寺さんに感謝!!
雨の一日、犬養万葉記念館主催の「万葉歌碑めぐり」に参加した。
講師が、私たちの敬愛する山内英正先生であり、2010年になって、
一度明日香村を「歩いて」みたくて、盟友の山寺さんも一緒に…。
晴女の私が、雨天決行の行事は久しぶりだったが、覚悟の上…。
なぜなら山内さんは「悪天候男!」で有名だからだ。
雨はもちろん、雷・台風・雪・おまけに停電など、過去の実績が
すべてを物語っている。(笑)
畝傍御陵前からスタートし、明日香村の犬養記念館までの6キロ
くらい。そろそろ飛散の花粉も雨でラッキー!
雨でけぶった景色が、かえって濃淡で美しく山並みが見える。
晴れた日を期待する学生たちに、犬養先生は「雨の日も万葉日和
なんだよ。」とおっしゃっていたことを思い出す。
山寺さんは、明日香村に来るのは「万葉うたがたりコンサート」の演奏で
来ているので、「歩く」ことはめずらしい体験だったと思う。
頭の中の知識と現地が少し結びついたことだろう。
私はもっと深呼吸のできるような気分を味わってほしかったけど…。
甘樫丘の犬養先生の歌碑と2ショット
帰りは飛鳥駅前の夢市で、主婦の買い物。大根やブロッコリーやあすかルビーを
リュックにつめてっと! ホンマに帰りは買い出し部隊の様相でした。
明日香村の春にまた来ま~す! (下は山寺さんと「私」です!!!)
~咲く花の天平の演出者たち~ というタイトルのようです。
今年の「平城京遷都1300年」を記念したラジオウオークに期待も多く、お問い合わせが
たびたびあります。
毎日新聞に掲載されるのは、2月に入ってからですので皆様に全容をお伝えするのは、
間際ですが、コース確認や、会報誌でいつも特集号として側面から協力しておられる
「たまづさ」編集長の岸本さんから情報を頂きましたので、やっとお知らせすることが
できるようになり、感謝しています。
2010年 2月11日(木・祝)
集合:佐保川小学校 午前9時~10時30分(ゴール地点も…)
毎日放送ラジオでは、10時半から16時まで(5時間半)
佐保川小学校→法華寺→東院庭園→平城宮跡・朱雀門→大極殿→第二次大極殿跡
ここでイベントが行われます。おそらく私たちもそこで演奏でしょうか?)
→称徳天皇陵→日葉酢媛命陵→成務天皇陵→瓢箪山古墳→水上池→磐乃媛命陵
→コナベ古墳→ウワナベ古墳→不退寺→狭岡神社→興福院→佐保小学校→佐保川小学校
の12、2キロのコースだそうです。
平城宮跡が集合・解散の拠点となるのかと思っていましたが、まだ大極殿周辺が
工事中ですので、3万人近くの人たちが集まるには危険ということで、許可が
おりなかったとか。しかし新年から1300年遷都記念行事は始まっているのに
行政側の準備の不手際???ではないでしょうかねえ。
私も意外でした。
私たちもON AIRは限られていますので、先日「新春の万葉うたがたりコンサート」で
ご披露した今年のイベントのテーマでもある新曲「平城の京」を演奏したいと思って
おります。でも今年早々に平城宮跡で演奏させて頂けることは「万葉」を歌ってきた
私にとっては、光栄ですし冥利に尽きます。
春からは、私の活動の30年目を迎える節目の時でもあり、今年は感慨深い年と
なりそうです。がんばるぞ!!!
朱雀門の傍の「あおによし」の万葉歌碑です。高田好胤さんの特徴ある「丸字」の
揮毫歌碑です。
ちなみにこの万葉歌の犬養歌碑は、小野老が詠んだ太宰府の地に建てられています。
万葉かるたがそのまま歌碑になってま~す。
ブログの話題はありすぎるのに、なかなか紹介できず…。
まずは、昨日の「味真野観光協会設立30周年記念祝賀会」から…。
思いがけず、記念講演を…という依頼を受けた時に、「万葉うたがたり」
ではない講演依頼に驚いたが、「犬養先生がお元気ならば、きっとこれは
犬養先生に講演をして頂きたいと思っておられたのだ!」と思うと、
先生になりかわって心からお祝いと感謝の気持ちを述べさせて頂きたい
とも思うようになり、初めての「講演」に緊張の面持ちで出かけた。
平成9年から3回、味真野万葉まつりで出演させて頂いたり、私自身の
関わりもできでいるので、参加者のなつかしいお顔触れにうれしかった。
比翼の丘に相対して建立された、狭野弟上娘子と中臣宅守の歌碑の
ある庭園「味真野苑」は、昭和47年から54年度まで、8年がかりで県と
市の協力を得て造成され、この時期に早くも地域活性のための大型公共
施設が作られた英断が、以後、犬養先生などによる万葉旅行などで、
各地から訪問される方々から認知される、有数の「万葉故地」となって
今日があることをみなさんにもう一度意識して頂きたいと思った。
でも伺ったことで、その万葉故地の「看板」をもとに、観光協会が
いろいろ努力し、活動を続けておられることもよくわかった。
「万葉の道」(2キロ)に娘子・宅守の歌63首すべてを歌碑にし、散策
ロードとして、事業をすすめておられる最中で、既に23基できていた。
また、福井県の一乗谷の朝倉氏遺跡の歴史・刀剣・甲冑などをはじめ
として、やはり観光誘致しておられる方々との連携・協力をしながら
それぞれの行事でお互いに発信をなさっている様子も、今回の私の講演
演題の「ふるさとの誇り」そのもので、みなさんに大変心強く感じた。
帰りに味真野苑に立ち寄り、画期的な万葉事業の庭園の比翼の丘に
建てられた犬養先生の万葉歌碑の前に佇んだ。
いい文字だ。そして、時を重ねて歌碑に風格と味わいが増している。
まるで時が止まったかのような静かな空気の流れるこの故地は
娘子と宅守の相思の世界がまだしっかりとどまっている。
漫才をやめられて、今は「太陽」と言う雅号で画家として活動されておられる
大西幸仁さん。昨秋「東久邇宮文化褒章」を受賞され、「1月7日の大安日」の
受賞記念パーテイーに私も出席させて頂きました。
「中途半端やなあ!」で一世を風靡された、ちゃらんぽらんの大西さんは
美大出身でもあり、絵画もずっと大西さんの体の一部のように、書いてこられました。
昨年5月、人生の転換を図られたわけですが、私は震災の時、武庫川を越えて、塚口の
大西さんの実家でもある、お風呂屋さんに行ったこともありました。また、
きっかけは忘れましたが、その頃から大西さんの自宅で開かれる有志の会に
私も参加させて頂くようになり、その日の講師で、ねこの墨絵画家の中浜稔さんや、
市民運動家、尼崎の市会議員など、大西さんが日頃尊敬されたり、関心を抱かれる方々
を中心に、喧々諤々と車座集会をしたことがなつかしいです。
1月17日の震災記念日が、大西さんのお誕生日でもあり、集会もその後
1月には西宮の越木岩神社の境内で、「森の美術展」として、絵画教室の子供たちの
展覧会を中心に、震災の鎮魂展であったり、故若井こづえさんの追悼展もありました。
その頃から描かれる「絵」が、大西さん曰く「見えざる力」による筆であることを
話しておられましたが、本業の漫才が「中途半端」で、大ブレイクされ、非常に忙しく
なられたこともあり、私も大西さんとお目にかかる機会がなくなってしまい、久しく
なっていました。
新聞で、画家としての道を選択されたことを知り、一度会いたいなと思っていたところ、
タイミングよく年末に大西さん自筆の宛名の受賞パーテイのご案内を頂きました。
パーテイに参集された方々は、おおむね画家として活動の折に出会われた方々が
多かったようで、今後は、私も大西さんの絵のオーナーにならないとアカンかも(汗)!
と少し不安になりました。でも久しぶりに大西さんのお話を聞いていて、変わらぬ
純粋な心や、謙虚さや、神仏に対する敬虔な姿勢、出会いや感謝の日々を送られて
いることがとてもうれしいことでした。そして、日本を愛し、憂い、誇る想いを
語られましたが、日本がどんな逆境に陥ろうが、心配することはなく、その日本人の
心を育て支えるものの最高峰に「芸術がある!」と述べられた、信念に満ちたご挨拶に
感激しました。今は画家としての道を歩まれることになりましたが、これも「神様」の
計画であり、神様が大西さんの「絵」を通して、私たちの身近で力や光を与えられる、
その僕(しもべ)役としての使命を感じておられるようでした。
でも、早々に東久邇宮褒章という希少で貴重なご褒美をいただかれ、よかったですね!!!
おめでとうございました!
※右側は、拉致家族の有本恵子さんのお父さんでした。
私も収穫がありました。今日の大西さんの会での人脈ネットワーク(絵のオーナー)で、
家島の旅館「おかべ」のご主人には家島神社の犬養万葉歌碑のことを、また、大神神社の
参道の近くにある喫茶店「あしたば」のママには、私が万葉ウオークの常連であることなど、
アピールでき、個人的にもまた訪問させて頂く由、お約束しました。
また、隣には以前JCの「話し方クラブ」でお世話になった木村谷さん(大西さんの
学生時代からの親友)で、8年ぶり?にお目にかかりました。また、同テーブルには、
実家の近所が地盤=垂水の民主党県会議員の黒田一美さんと知り、「政権奪取」をお願い
しました???。そして、背広姿で見違えた西宮神社の宮司吉井さんが親子で出席して
おられ、犬養先生の命日祭にお世話さまになったことを感謝しました。
大西さんと久しぶりの再会で、うまく会話ができませんでしたが、大西さんが以前と
まったく変わっておられなかったことにほっと安心しました。
おみやげに頂いた「色紙」です。「夢」。
大西さんの「夢」は、ひょっとして希望ではない、眠っている間に広がる「無量の光」
のことのような気がします。どうぞご活躍を!
2008年の万葉うたがたりは、12月21日(日)に堺万葉歌碑の会の代表
澤田冨美子さんの「感謝状受賞記念茶話会」で、歌い納めることができました。
2007年に犬養先生生誕100年祭を記念して、(平成8年に建立された)大仙公園の歌碑
の両脇に2基づつ、磐姫皇后の歌4首すべてを新たに完成させられ、副碑も添えて
景観整備に努力されたことに対する感謝と、また、高石市の個人病院にあった犬養歌碑を
堺市の浜寺公園内に移転させるという、行政の管理下に定めるための尽力をされたこと
などの功績に対し、堺市からの重なる表彰の名誉に与られた澤田さんのお祝い会で、
私たちは祝賀の歌として、もちろん「君待ち草」をご披露させて頂きました。
今年もいろんな場面で「万葉うたがたり」をさせて頂き、本当に充実の1年でした。
来年も更なる成長ができますように・・・がんばります!!!
137基目の万葉歌碑が除幕されました。
犬養先生が亡くなられて、満10年も経ちますが、いまだに「犬養歌碑」に
こだわってくださる方があることを本当にうれしく思います。
淡海万葉の会が、発足して12年。JR「西大津駅」という駅名を「大津京駅」に
改名の運動を続けてこられて、今春ようやく実現しました。
しかし、藤原、平城の都のように、天智天皇の「近江大津京」については、
条坊制が存在したという記録もなく、「宮跡」の存在も確認されていないので、
果たして「大津京」と言えるのかどうか、議論は引き続いており、改名された
今もなお、意見が様々です。
ただ、地元の会が望まれたのは「近江万葉」の拠点としての象徴の名としたい!
という素朴な思いであったことは、間違いないと思います。
そして、改名を記念して、3月には市民参加型の大抒情万葉オペラを上演
されましたが、引き続き、長年の夢であった「万葉歌碑」の建立をも計画され
一気に10基建立ということで、揮毫者の依頼・資金・石・場所の選定・申請
などなどあまたのハードルをクリアーされて、11月30日に4基、そして、
12月6日に3基が除幕されたのです。
犬養先生の歌碑は、「淡海乃海 夕浪千鳥」の色紙を探し出し、それを起こして
頂きましたが、立派な躍動感のある文字です。
犬養先生、おめでとうございます。また、私たちの心の灯が1つ増えました!
滋賀県では2つ目ですね。わが憧れの額田王も過ごされた近江大津京の昔を
しみじみ偲ぶ人麻呂。私の想像の世界が広がってきます。
犬養先生の歌碑の前に佇み、目前の琵琶湖の静かな風景を味わえる…素敵なスポット
です。しかし、除幕式の間も湖面を吹き抜ける晩秋の風が冷たく、肌に染み入りました。
(除幕式の詳細は、犬養万葉顕彰会の会報「あすか風」に即日レポートしました
ので、12月15日に発送しますので、またご覧ください!)
そして、私にとっては、今や奈良女子大学で坂本信幸先生の門下に入れて頂いて
おりますが、同日、大津京関連の1号の発掘遺跡である、錦織遺跡に、坂本先生の
万葉歌碑も除幕されました。
坂本先生は、達筆でもあり、品良い優しい字を書かれますが、このたびは、人麻呂の
「近江荒都」の長歌を揮毫され、素晴らしい超大作の歌碑でした。
先生もご自身の「書」が、歌碑として、訪れ、見る人たちに歴史や万葉の心を後世に
伝えていく手立てとなることを本当に意気に感じておられることでしょう。
坂本先生、おめでとうございました。

私は、こうして「机上」の万葉ではなく、世の中の人たちに「万葉集」を浸透させて
おられる二人の先生にご指導頂いているということは、私もそうでなくては
ならないという「姿勢」のメッセージも頂いているのかもしれません。
幸せな私ですね。
朝食は、高岡古城公園の「万葉うどん」です。犬養先生も虫麻呂歌を朗唱
されたあとは(巻9が早朝ゆえ)必ずこの朝食メニューでした。(笑)
私も名残を惜しみつつ、お世話になった方々に別れを告げ、京都から高岡へ
やってきた全国万葉協会のバスの「万葉旅行~机島」へシフトチャンジ。
万葉うたがたり会ももちろんCD曲「しただみわらべうた」の島をめざしました。
家持が越中国司の時に公務による巡行の折、採集した地方民謡のひとつが、
能登の海にある「机の島」と呼ばれる無人島の「しただみ貝」の歌です。
犬養先生がかつて病弱の奥様とご一緒に旅行された数少ない思い出の場所。
そのゆかりもあってか、昭和50年秋に歌碑建立の計画が決まりました。
幸運にも私がその夏、犬養先生が揮毫される石の下見に同行させて頂き、
机島も訪れ、「歌碑」になる石も一緒に確認させて頂いたのですが、
除幕式はもちろん、それ以来残念ながら全く機会がありませんでした。
このたび33年ぶりに歌碑となった「石」を見に、机島へ上陸できたというわけです。
犬養先生の長歌の歌碑はこれが最初だと思います。
信じがたい思いで見つめました。富田さんが、お花を供え、献茶をし、
お墓ではないですが、全員で般若心経を唱え、あたかも犬養先生が
そこにおられるような気持がして、なつかしく時を過ごしました。
万葉うたがたりの「しただみわらべうた」もご披露させて頂き、深謝。
33年の年月は、風景が「からに島」や「鹿島」が「机島」と、記憶が混然と
してしまっていますが、「先生、二人だけで来た思い出の机島にやっと来れました。
遅くなってごめんなさい…。」と申し上げるとともに、「先生、オカモはこれで
今春まで先生の揮毫された137基の歌碑すべてをお訪ねすることができました。」
と誇らしくもご報告しました。富田さん、いいチャンスをありがとう!
しただみ貝(コシタカガンガラ)は、海中が澄んでいて生息がよくわかります。
石でつつき破り、よく洗って、塩でもんで、器に入れて…♪
高岡万葉まつりと共に予定していた「私の2つのこだわり」は実現し、無事終える
ことができました。
机の島に行き、万葉歌碑を見ること。
うたがたりの仲間で「古城公園の水上舞台」で万葉歌を歌うこと。
すべて、みなさんのおかげでした。ありがとうございました!!!
昨年11月1日に、高岡市民でない私に高岡市より「市民特別感謝状」を頂き、
思いがけなくて、本当にうれしいご褒美を頂きました。
犬養先生の生誕100年祭ということもあり、急遽今年3月に記念の高岡バージョンの
CDを制作しました。「越中三賦」と弦楽四重奏でリニューアルした「高岡旅情」
などを収録しています。
万葉うたがたり会も、以前は高岡万葉まつりのラジオウオークで何回か
コンサートをしたり、出演の機会もあったのですが、予算の軽減で亡くなって
からは、その後長らく「私」一人が「万葉歌手???」という肩書で、出演
させて頂いていました。今もです。私は万葉作曲家ですよね!(笑)
CDをリリースしたこともあり、また、現地で臨場感豊かに歌ってみたいと
思うようになり、このたび4人で水上舞台での参加を無理やりお願いしました。
そして「サプライズ」という形で、古城の森で歌わせて頂いたのです。
もちろん「高岡旅情」「二上山の賦」「立山の賦」です。
出演のあとは、4人で「万葉の旅」を楽しみました。青空に映えた海の雨晴海岸の
光景は圧巻。つままの木、碑、高岡市万葉歴史館、勝興寺、犬養歌碑。
駆け足でしたが、うたがたりも「現地に立って」「時代を元に戻し」
「歌う」ことが大事なことは万葉集そのものと同じです。
仲間と一緒に共感する機会を得られたことが、最高にうれしいことでした。
美味しい「お魚」も昼夜ともしっかり食べましたし、みんな大満足!
明朝の5日は、万葉まつりの1日を残しますが、私たちは高岡を出発し、能登の机島へ
行きます。私は、犬養万葉歌碑137基見学制覇の偉大なる記録を達成するのだ!
