奈良県の桜の名所、吉野山で新たな天武天皇の像が作られ、その開眼法要の
奉納に、全国万葉協会の富田さんが企画・演出して、会員で「万葉歌劇」を
行った。私も協力を・・・といことで、「音楽」担当となり、出演に名前を
連ねた。
ただ富田さんと私のタイトなスケジュールと、お互いの打ち合わせの時間が
取れないことで、結局前日に行った確認だけで、見切り発車したことが、
今になると私のとりかえしがつかない悔いとなり、自己嫌悪の朝を迎えた。
由緒の看板にあるように「天武天皇と所縁のある」大峯山護持院であり上に、
住職の巽良仁氏の奥様が、清原和義先生の教え子の由美さんで、(ご本人も
今は仏門に入られ伯秋と号される)いろいろ万葉関係者とのご縁も深いところから、
吉野の旅する仲間たちが、時々お弁当を食べる時や、雨宿りなど、わがままを
許して頂き、立ち寄らせて頂いている。
このたびの行事は、明治の廃仏毀釈で行方のわからなくなった「天武天皇像」の
造立の悲願の達成で、たまたまここを訪れてデッサンされた岡倉天心の「絵」が
残っていたことも1つのきっかけだったかもしれない。
夕陽に輝く本堂に、天武天皇像が安置されている。
ここからは、自己総括と反省。
1 集合時間の間違い。ここから1日のボタンがかけちがって…。
2 脚本や富田さんの構想に、関与できておらず、対応が間に合わなかったこと。
3 リハなし、本番ありきで、楽器?カラオケ?…結果自分なりに考えて準備した
音源再生のフロッピーのエラー。(高坂さんに予備は?)と言われたが、毎回
していることだが、今回に限り予備を作成する時間がなく、強行した失敗。
現実はこんなものかもと思い知らされた。使えなくて何の意味もない。
4 アカペラで勝負!と歌ったが、無心で歌えず途中で「万葉歌」が空白になる
失敗。あとで何度歌っても歌えるのに…なんで。(悲)
5 吉野駅での忘れもの。(朝になって気づいた!)
そもそも遅刻が許されないこと。(集合時間を確認していたのに?自分でも
信じられず)
私は1つずつの行事・イベントには全力投球することが信条ではなかったか。
今回のように自分が責任者でないものに関しての「甘え」が、すべての結果と
なった。
開眼された天武像に対して、本当に「自分が」情けなく恥ずかしい。
改めてもう一度、桜本坊に伺い、天武天皇像に向き合いたいと思う。
近鉄吉野駅の犬養先生の歌碑に泣きごとと反省の弁を述べ帰路についた。
熟睡…。そして忘れ物にも気づき、かさねがさね朝から浮かない気分。
午後からの老人ボランテイアに、私の元気を持っていかなければ…。
今回の1升の枡。これが私なのだ!
投稿
限られた器に入るものは、限りがある…それが現実の実力だ!という
犬養先生の名言がある。
それは、犬養先生のお父様の口癖?だったようで、ほめるべきことにつけ、
けなすべきことにつけ、自身の足元を引き締めるべく、味わいのある言葉だ。
時にはその言葉に反発もし、納得もし、そして己を知る。明治人間の教育の
一端に感心しながら伺った事を、忘れない。
私のマス。一杯です。(泣)
昨日の急な「お別れ」もあり、1日がタイトに過ぎていく。
きょうは、奈良女子大学の記念館で「越中万葉の世界」という、写真展が
あるが、インターミッションで、フルート(木原)と一緒にピアノ演奏を
する。昨日も朝から音合わせをして、ご葬儀に…。
明後日は、吉野山で天武天皇像開眼供養イベントの音楽劇で、音楽を提供
するが、「音づくり」とデータ作成に、昨夜も残業した。
お昼に富田さんと最初で最後の打ち合わせをする。
そして、26日の西宮の1時間のコンサートの準備と練習…。
時間が取れない…。修士論文も気になりながら…。
要するに泣きごと、愚痴です。でもやるからにはすべて「準備」「心構え」
「余裕」をもってやりたいのだ。中途半端なことはやるべきではない。
相手にも失礼だ。
私のマスが「ざる」ではありませんように・・・。
きょうは、幡谷さんの写真展の賑わいになりますように、「音楽の花束」
をプレゼントしたいです。行ってきます!
初夏には、4時半ごろ起床していたのに…。(笑)
しかし、夜中に目が覚めてから、あれこれ考えているうちに、時間を過ごし、
おお、久しぶりに「日めくり万葉集」をオンタイムでみられるぞ!と
5時前からテレビをつけた。
何気なく見ていたが、「うむ!」覚めていた目が、再びパッチリ!
・・・というのは、出演の台湾の地質学者、王源氏は、台北高等学校の
犬養先生の教え子だったのだ。
犬養先生から入学を言祝ぎ、贈られた思い出の額田王の「熟田津」の歌を
紹介されていた。
万葉集の大らかさや、日本人の心を学んだという王さんにとって、
若き日の犬養先生との出会いが、生涯の思い出となっておられるのだ。
やっぱり、犬養先生はすごい!
でもこの偶然も「オカモちゃん、見てね!」と先生の声が、私を
起こしてくれたのかもしれない! ありがとうございました!
額田王の歌とともに、早起きは三文の得!!!
きょうは、いいことありそう。ルンルン。

寒くなったとたん、はなひなは仲良く一緒のおうちに入りました。
行事続きで、ぎりぎりまで迷っていましたが、後期から学生としての
本分にもどりたいこともあって、積極的に太宰府まで行ってきました。
この地へ学会を誘致された坂本信幸先生が、記念講演をされることもあり、
行きたかったということも理由の1つです。
坂本先生の講演ということで、私たち奈良女子大生はもちろん、カルチャーの
生徒さんなども関西から多く聴講に参加しておられ、先生の人気のほどを感じました。
坂本先生にお聞きすると、通常は大学で行われることが多いのですが、
このたびの、学会の主催に太宰府市(自治体)の協力が得られたのは、
実に43年ぶりだそうで、坂本先生が大学生で初めて学会に参加された
静岡大学以来のことらしく(静岡県の協力)、またその機会は、著名な
沢潟久孝先生の完成された万葉集注釈の偉業を祝した記念大会だったそうです。
書店から上梓された最終巻の贈呈があったあと、「田子の浦」の記念講演をなさった
そうでした。ところがその夜、宿泊先で容態が悪くなられ、不帰の人となられたそうで、
坂本先生の学会デビューは、誠にドラマチックな「時」に遭遇されたようでした。
今回は、坂本先生が、大宰府万葉会とのお付き合いの中で、実現した機会
でしたが、会場のみの学会ではなく、九州国立博物館の中のホールでも
ありましたので、地元の万葉写真家榊晃弘氏の写真展や、大宰府館の懇親会で、
重要文化財の神楽、竹の曲の披露があったり、万葉衣装でのおもてなしなども
あり、万葉の故地の特色が生かされた、いつも以上の貴重な会だったようです。
イラツメ衣装の女子学生たち…華やかでした!
私も久しぶりに参加し、若い研究者の方々の発表を興味深く聞かせて
いただきました。客観的に聞いているので、失礼ながらいろんな意味で「個人差」
を感じてしまいましたが、(人のことは言えない劣等性の私ですが)それぞれの
研究者の「こだわり」や追求されている「テーマ」や、レジメの作り方、緊張感
を伴った発表などに、先輩の先生方のきびしい教授を受けて精進される真摯な姿が、
とても新鮮でした。まさにがんばれ~です。
私もいろんなテーマの研究発表を聞きながら、「万葉集」の歌、歌人、時代、
訓詁、題詞、漢籍、私のいろんな分散した知識の経糸と横糸が、頭の中で
「そういえば…」と少しずつ結びついていきます。思わず苦笑いでした。
緻密に万葉集を読めていない証拠です(汗)。
2日間の予定は、余裕のないものでしたが、せっかく大宰府へ来たので、
犬養先生の歌碑にご挨拶をしてきました。学会終了後、夕暮れぎりぎりで、
歌碑には少し雨のしずくも…。「先生、きましたよ!」
そして坂本先生の歌碑にも敬意を表してきました。
また、今年大宰府で萬葉学会が開かれることを知って、参加に執着しながら
昨年亡くなられた、地元で万葉集を指導しておられた山内勇哲先生。
大成功をご報告がてら、大町公園の歌碑にもご挨拶に行ってきました。
家族や山寺さんに、毎週の遠方への外出の疲れで、体調を心配させて
いますが、ハードスケジュールなのか、気分転換なのか、自分でも
戸惑いながら、でも日々有意義な時間を過ごせていることに感謝です。
そしてやっぱり「万葉集」は、奥が深くて魅力的だ!…とあらためて思いました。
私も大いに刺激を頂き…、もっと大学院に時間を割きたいものです!
9月19日にお目にかかって以来、再び高橋正樹新市長に再会させて頂きました。
高岡市の市民は幸せですね。私も思いがけず佐藤・橘・高橋三市長さまとご縁を
持つことになりましたが、みなさんキャリアも名実ともにハイレベルのエリート
政治家でいらっしゃるのは、いうまでもありません。加えてうらやましいのは、
地元出身者でおられることや、若くて、謙虚なお人柄で、常に市民目線であること
などなど…。
まだまだあるでしょうが、市民オンブズマンの母を持ち!?、時々市民派女性議員
さんの応援もしている私としては、48万人の「西宮市」は平成20年に中核都市と
なりましたが、目に見える変化や魅力のない旧態依然の市です…。(ためいき)
多選の山田市長も加齢で、白内障の手術をされてから、隔日勤務と聞き?リーダー
の資格もないですね。
高橋市長は、7月選任されたばかりで、開町400年記念、万葉朗唱の会20回…など、
大きな節目に直面され、その中でともかく日程・行事をこなされることで大変だった
と思います。万葉まつりの前夜祭でも、市長より行事に慣れ親しんだ常連の招待者に
細かいお心配りをされていて、本当に恐縮と頭の下がる思いでした。
「やっぱり!万葉朗唱のネクタイをしておられる!」と思いきや、(高岡市の地場産の
ネクタイはなかなか色柄やデザインも素敵で、かつ高岡市の行事や名所、景物などを
紹介してあるのがミゾ!)、市長は行動に伴って1日に何度もネクタイを取り換えられる
とか…。なんというサービス精神! 私も高岡市がテーマの種類はほとんど購入して、
父・弟・友人らがしっかり締めてくれています! サンクス!(笑)
この高岡万葉まつりの間でも盛りだくさんの行事に、本当にお疲れになったことと
思います。少しずつ慣れられて、今は「チェンジ」の時代! 大事なことの踏襲は
必要でしょうが、新たな時代を創っていかれることをお祈りしています。
古城公園でお別れのご挨拶ができ、リップサービスだと思いますが、私たちの
万葉SONGについて、エレクトーン譜のお尋ねがありました。
「歌いたい」という方がほとんどの中で、「演奏する」ことで、お尋ねがあったのは
初めてでした。高橋市長がエレクトーン奏者であることがわかりましたよ!!!
世代も近く、身近に感じられた瞬間でした。
前市長、橘慶一郎さんは逆風・激戦の中、7月に衆議院議員に転進され、このたびは
来賓として、自らが予算化された事業を確認するかのごとく、積極的に参加されて
いました。いつもながらの行き届いたご挨拶は、お人柄そのものです。
今年も大伴神社で顕彰祭が行われましたが、大伴家持卿顕彰会の会長は続けてくださる
そうで、うれしく思いました。
そして、初めて?顕彰祭に現役市長も参加される中(以前は代理)、「高岡市」につ
いて今年のにぎやかな節目に加え、来年の高岡市万葉歴史館の開館20周年についても言及
されたことには感心しましたが、家持卿のお見守りに感謝し、来年も佳き報告ができる
ことを祈り、誓われました。
また、今人気あるテレビ番組の「日めくり万葉集」の例を挙げられ、今日の高岡市が
あることに、犬養先生を忘れていけない…と、目先だけではない広い視野でのご挨拶で、
さすがに「市民としての」ご配慮ある橘さんのお言葉だと思いました。
私からも御礼を申し上げたいです。ありがとうございました。
そう思うと、今後の「高岡市」(富山県)を支えるにふさわしい国会議員として
これほど心強い人があっただろうかと思われます。よかったですね!
国会議事堂では小泉進一郎氏と並んで座っておられるとか。
これからテレビを意識して見ていま~す!
そして、最終日の10月4日の昼食時に、三の丸の「浪漫亭」というレストランで
佐藤孝志前々市長ご夫妻とばったりお出会いできました。ダンデイなお帽子姿で、
お元気そうでした。市長職を退かれてからも朗唱の会には参加しておられることを
存じておりましたが、お目にかかれて幸いでした。
高岡市市制100年を機に、今日の「万葉のふるさと創り」を行政で取り組み、成果を
あげて来られた功労者です。犬養先生を大事にしてくださり、犬養先生もその期待に
応えられました。一度激務から倒れられたこともありましたが、「私には17万市民の
命を預かっている!」と体調も節制してがんばられる姿に尊敬していました。
今では、客観的にいろんなことをいろんな思いで見ておられるこでしょう。
私たちも多くのご恩や、感謝を忘れることはありません。
また是非、高岡の地でお目にかかりたいです。
ああ、地元西宮でもこのような人間関係が築ければ、市政もスムーズに行くように
思いますね、一事が万事だと思いますもん!!!
高岡市民がうらやまし!?
月人壮士の犬養先生は、ちょっと恥ずかしげに雲間に入ったり、また
出たりと、気まぐれでしたので、見ている私はやきもきさせられました(笑)。
「光さし 走る列車を 導きつ 我に微笑む 窓辺の望月」
先ほど帰宅しました。今頃古城公園の水上舞台では、万葉まつりのフィナーレが
行われていることでしょう。
終始気持ちのやり場のない、やりきれない思いの高岡の旅でした。
20年という朗唱の会も、犬養先生が亡くなられた後、思いがけず「私」独りで、
半分以上の11回も万葉まつりのゲストとして大事にして頂けたことは幸せだったのだ
と思います。
佐藤孝志前々市長のもと、高岡市市制100年記念をきっかけに「万葉のふるさと」作りから
観光都市「高岡」を目指して、犬養先生の誠意・人気・集客力の協力を得て、多くの事業や
試みを重ねて来られ、押しも押されぬ万葉の故地のメッカと言われる名所となりました。
犬養先生の傍で、ずっと経過や発展を見てきた私にとっては、多くの方々のご苦労や
熱意や、深い郷土愛もしっかり理解できましたし、その間犬養先生も私も共に歩んできた
ような実感があります。でも年月は、残酷でもありますね。
手探りで不眠不休で始められた朗唱の会も、20年の間にシステム化し、運営側の市役所も
異動で担当者が交替しても、民間のお手伝いの方々も含め、時間も人間も運営も滞る
ことなくスムーズで、余裕ある運びにここ数年は、感心していました。
外来の私たちはそんな高岡を素晴らしく思い、みんなで高岡に足を運ぶことが犬養先生の
意志でもあり、最大の協力であると信じて今日までいろんな形でご紹介してきました。
個人的な素晴らしい出会いも数え切れないほどで、私自身も感謝の念が尽きません。
長い信頼が、暗黙で相互の関係を深めていったことを誇りに思っています。
その私が、どうしてこんなやりきれない思いをしなければならないのか…、今は
自分を責めたり一生懸命考えています。
今回の一連の行事を通して冷静に感じたことは、20年の間に「市民のための市民のお祭り」
に変わってしまっていたことかなと思いました。
それも「市民の手による」が抜け落ち、今の私は、昨年来都合のよいことだけに利用された
のだ…としか思えなくなりました。そして私だけではなく、共に協力された仲間の中には
高岡に不信感さえ持たれた方もあります。
今回も、お約束した招待朗唱や、また新市長様との懇談も期待しておりましたし、
尊敬する高岡市万葉歴史館のご依頼で、ミニコンサートをさせて頂く光栄もありましたので、
来越しました。
でも、偶然10月3日が犬養先生のご命日でしたので、絶対に古城公園で「観月したい」と
思っていましたので、土曜の夜はちょうど恒例の「故地交流会」が催されている時間ですし、
久しぶりにお目にかかりたい方もありましたが、出席する気持ちがまったくありません
でしたので、公園で月を見ながら、犬養先生に一方的に語りかけていました。
1昨年の犬養先生のご生誕100年祭の時は、朝、谷中の墓前祭をすませ、(佐藤前々市長も
ご参列くださいました。)私は、その足で東京から高岡へ移動して、交流会にぎりぎり
駆けつけ、いつまでも犬養先生や、我々を大事にしてくださる「高岡市」や橘市長に心から
感謝を申し上げたことをなつかしく思い出します。
犬養先生、高岡市の「万葉故地」としての存在感は、今や明日香村だけでなく奈良市も
圧倒されるくらいです。本当によかったと思う反面、時の移り行きも感じずにはおれません。
先生が恒に「初恋を思うべし」と教えて下さっていた「原点」の心から、残念ながら
人なのか、目的なのか、時間なのか、何かがずれてきてしまったみたいです。
先生は、高岡市の発信、発展、経済効果のための「万葉のふるさと創り」に共感されて
協力してこられたのですよね。
いろんな行事も、日本各地から、万葉ファンをはじめとして「高岡市」に足を運んで
もらうための企画でしたね。
今や全国的に当たり前となった「朗唱」も犬養先生の「犬養節」が受け入れられたから
ですよね。
犬養先生の宣伝効果で、「高岡市」が注目されるようになったのですよね。
犬養先生が亡くなられた後、「先生がおられないなら行く必要がなくなった」と言う人も
いました。そうではなくて、「僕はもういけなくなっちゃったけど、これからもみんなで
高岡市を大事にしてね。」とおっしゃる声が、私たちには聞こえるので、仲間たちは、
毎年心して出かけていました。
でもね、先生、犬養先生の記憶が年々薄れていく現実の中で仕方のないことですが、
「おもてなしの心」を自負される高岡の方々は、いまどなたに気配りをされているの
でしょうか。自治体同士の交流なのか、来賓への気配りなのか、自己満足のイベントへ
なのか、よくわかりません。
そして私のこと。
もちろん大したゲストではありませんが、以前は担当者がおられ連絡があったり、
私の動向の把握ぐらいはされていました。でも今回は極め付けで、もはや勝手に来て、
勝手に帰ったらいいだけの存在で、(自由ではありましたが…。)気にも留められない
程度の招待者だったのだ…と鈍い私は、ようやく気付きました。
アホですね。(笑)
先生とご一緒して伺った9年間、そして亡くなられてから11年間、ご招待頂き、
素敵な思い出をたくさん作らせて頂いた幸せを感謝しています。
でもさびしいですが、1つの時代が終わったことも実感しました。
個人的には、通い続けたい故地ですので、これからは気の向いた時や、季節に寄せて
心から楽しく訪ねることにしたいです。大好きな高岡市万葉歴史館で読書もしたいですし…。
これで「高岡」をきらいになってしまいたくありませんから…。
見上げれば 空の高みは 輝けり 我を励ます 十六夜の月 (おそ松くん!)
福岡から、一路羽田空港へ。
長らく気にかかっていたが、無性に行きたくなって、台東区の谷中の
犬養先生の墓参に行ってきました。
ぶつぶつ話しながら、お掃除をしてきれいになりました。 榊をお備えし、
お祈りとも、お願いとも、愚痴とも、よもやま話とも・・・つかない話を
しながら、先生とひととき過ごせて満足でした。
そのかわり、蚊に輸血し過ぎました(汗)。かゆ~い!
その足で、谷中銀座へ。鳩山総理の買い食いされた、ミンチカツ屋さん。
行列ができていました。尊敬するユーミンお薦めの「焼きかりんとう」あった!
ミーハーな私はもちろんゲット!
「谷中」は、下町の風情がちょっとした人気です。ずいぶん賑わっていました。
谷中墓地に野良ネコがたくさんいますが、ネコグッズのお店もあちこちあって…。
「迷っちゃうなあ。」ウインドショッピングだけでも大満足でした!
楽しく過ごせた私のバースデイ。先生、お付き合いくださってありがとう
ございました。そうそう、まだいました。鳩山邦夫氏、白浜の双子のパンダ?
みんな、みんなお誕生おめでとう…でした。(笑)
オブジェのねこでした! 面白い!
ぼーっと見ながら、考えた…。
12日は、嘉麻市で「憶良まつり短歌会」に出席する。
13日をいかに過ごそうかと12日の夕方、福岡空港から小松空港へ行き
高岡へ向かおう!と画策していたが、もうすぐ行われる「下向の旅」の予定・準備に
ついて、いろいろ理由はあるにせよ、お手伝いの私自身がむなしい気持ちが勝ってきて、
開町400年という私にもゆかりある記念日を「自分の目で見たい!」と思っていたが、
気持ちが萎えてしまった。やんぴ。
嘉麻市で、桂川町で、久しぶりに犬養先生の歌碑に会って気分転換をしてこようと
思う。
昨日は、老人ホームのデイサービスのボランテイアに行き、みなさんの様子を
見るにつけ、祖父母のことなどを思い出しながら、元気をもらってきた!
李香蘭(山口淑子)さんとお友達の90歳のおばあちゃまがおられて、お二人の
娘時代の記念写真を見せて頂いた。思いがけない経歴や、環境の方々が集まって
おられるホームは、一見はなかなかわからないけれでもそれぞれの人生の尊厳がつまって
おられるのだなあと思った。
次は11月。インフルエンザに気をつけてね…。また来ま~す。
四国の銘菓が贈られてきた。由良さんありがとう!
「坂の上の雲」なんて、今の時代もそう、私の心情もそう、何よりの
お誕生日プレゼントでした。
独り占めで「いただきます。」

お知り合いになってから何年になるかな…。
吉野の大淀養護学校に勤務されている上田さんから、教師の研修で
二上山に行かれるので、途中の当麻山口神社で、「二上エレジー」を
紹介してもらえないか…と遠慮がちに打診があった。
時期的なことや、体調もあり、心配する山寺さんの視線をそらしつつ、
今日の日を楽しみにしていた。
時折、竹内街道周辺を車では通過するが、二上山の裾野でゆっくり
するのは久しぶり。少し早めに行って、周辺を歩いた。
神社のすぐ横の池が、「万葉うたがたり20周年記念ビデオ」の背景で
撮影してもらった場所だった! なつかしい。
リハーサルと称し、みなさんの到着前に誰もいない神社の広い境内で、
ひとりのびのび歌わせて頂いた。大津皇子さまへ奉納できたかな…と自己満足。。
時間通りに2時半ごろ、先生方20人が到着。
こんなところで、「待ち伏せ?」していた、怪しい私(笑)
ご紹介の後、大津皇子とその挽歌を詠んだ大伯皇女のお話をし、
ラジカセカラオケで私が自ら「二上エレジー」を熱唱!!!!!。
聞かれた方は何の不思議もなかったはずですが、私が歌うことは久しぶり。(笑)
思い入れのある歌だけに力が入りました。
上田さんは、私を呼び出したことを恐縮しておられましたが、みなさんが
熱心に聞いてくださり、また私も久しぶりに二上山の懐で、草いきれや
風、空気の匂いに懐かしさを覚えながら、ツクツクボウシも観客となって
現地で「二上エレジー」を歌えたことに幸せを感じながら…。
大淀養護学校の先生方、ありがとうございました・
気分がよくなり、寄り道をしながら帰ってきました。
もちろん犬養先生に会いたくて…です。
二上の歌碑ー太子町役場歌碑ー三郷町歌碑に行ってきました!!!
お盆の連休の最後は日曜日だったので、私のTSUBAICHIサロンでは、
山内英正先生による、「犬養先生を語る、その3」の講座をお願いし、
残暑の中、多数お集まり頂いた。ありがとうございます。
ちょうど京都では、今日五山の送り火の日で、受講者の西川さんは
京都から来られているので、通りがかりに…とおっしゃって季節の
お菓子をお持ちくださった。
かわいい、思わず笑みの出る俵屋吉富の「お菓子」である。
私たちのサロンは、こうしてみなさんの手土産の欠くことがなく、
本当にありがたいことだ・・・と思っているが、季節に寄せて、蘊蓄に
合わせて、また遊び心で、「お茶タイム」を提供するのも1つの個性に
したいと思っている。
今日の講師の山内さんは大の「甘党!」なので、そのままプレゼント
した。食べるのもまた悩まれるかも…。
さて、京都の夜はどうだったかしらん。
