投稿

3年前に発足した「飛鳥を愛する会」。
唯一の女性役員として、坂本先生にご推薦頂きましたが、行事のたびに用事と重なり、
名ばかりの役員でした。
4月20日・21日と、今年初めて、会員総会と翌日の研修旅行にも参加することができ、
会の様子を知ったり、会員の方と一緒に、考古学と万葉の世界から「飛鳥」を味わい、
考えることができました。研修旅行の行先は「巨勢路」
久しぶりに訪問した阿吽寺には、犬養先生の歌碑に文字通りいろんな種類の「椿」が
花を添えて、「春」の訪れを告げていました。

  • 2.jpg
  • 3.jpg
  • 4.jpg
  • 5.jpg
  • 6.jpg
  • 7.jpg

毎月の第2水曜日は、猪名川万葉の会の講座日ですが、4月は11月の秋の万葉旅行に続いて、
2度目のバス旅行で、鳥取市の因幡地方へ出かけました。
日帰り強行軍ですが、3月23日に新たな高速道が開通し、より近く、より早く到着できる
ようになりました。
今回は因幡万葉歴史館や因幡国庁跡など、大伴家持の巻尾の万葉歌1首でふるさと創りを
されてきた、「国府町」を目的に出かけました。「ふるさと」など、唱歌の作曲家、岡野貞一さん
の出身地で、童謡・唱歌の「わらべ館」や、鳥取砂丘など、有名な観光地もありますが、
私たちは「あらたしき 年の初めの 発春の 今日降る雪の いや重け吉事」の歌に
こだわり、天さかる鄙の地に国守として赴任した大伴家持の心を旅に求めました。
私たちが学生の頃から訪れていた万葉歌碑の場所で、まず記念撮影です。
ぶろぐ3.JPG
案内をお願いしていた因幡万葉歴史館の学芸員の鎌沢くんの転勤で、急遽来て下さった
観光ボランテイアさんが、な、なんと、元国府町町長の木村肇さん。
国府町が鳥取市へ市町村合併後、引退されていたが、余生をこのように率先して地元貢献を
しておられるなんて、感激しました。
それにしても、私たちも偶然とはいえ、史上最強のボランティアにお世話様になれたことに
心から感謝しています。
木村さんありがとうございました。
ブログ2.JPG
ブログ.JPG
時間が限られた中で、今回の目玉は「万葉衣装体験」と「朗唱」でした。
猪名川では、講座が始まってちょうど1年ですので、万葉行事やイベント情報なども
ご紹介している最中なので、今回はチャンスだと思い参加者全員で体験してみました。
最初は遠慮がちだったみなさんも、いやはやすっかりその気になってくださり大成功!
男性もよくお似合いでした。犬養先生の歌碑の前で全員で記念写真!壮観です。
ぶろぐ4.JPG
日帰り旅行の限界もあり、国府町の中だけでも、あとは池田家の墓所だけ。
因幡一宮の宇部神社にも行きたかったのですが、遥拝でごめんなさいでした!
私の思いがかない、猪名川万葉の会の方々をお連れできたことで、満足しています。
『万葉集』の巻尾の大伴家持の歌1首を支えに、歴史発信、古代ロマンでふるさと作りを
してこられた国府町というものを、万葉を学ぶ方たちに見て頂きたかったですし、
明日香や大和地方ではない、万葉歌の背景を訪ねる「旅」として、よい経験をして頂けた
ことと思います。
そして、猪名川万葉の会の秋の旅行は「淡路島」に決まりました。

何か大事なこと…と、思い出しました。
4月7日は、山口さんのライブと、明日香村の犬養万葉記念館の若菜祭とが重なってしまったので
私は朝からの記念館神事だけ参加させて頂きました。
犬養先生の記念日には珍しい曇ったような雨のぱらつく朝でした。
明日香村の桜はどうかな…と思いながら、やはりまだちらほら。
1週間ほどしたら満開かなと思わせる感じ。でも記念館の庭の犬養歌碑にある「山吹」が
咲き始めていました。
DSC01693.jpg
DSC01696.jpg
天候が悪かったので、飛鳥弘文さんの司式は屋内に準備された神棚の前で行われました。
DSC01691.jpg
残念だったのは、必ず参加してくださった明日香村村長が、関さんと交替されてからは、
一度も参加してくださっていません。(2回目)
やはり「犬養先生」とのご縁が薄いせいでしょうか、前村長のような思い入れが少ないのは
仕方がないことかもしれません。
でもあえて来て頂くことで、明日香村と犬養先生について意識を深めて頂きたいと切に
願っております。
飛鳥弘文宮司の心尽くしのお説教を頂き、いつもながら感謝です。
今年は犬養先生の15年命日祭の年でもあり、記念館の弥栄を心から祈りました。

DSC01698.jpg
そして、TSUBAICHIサロンへ移動したというわけでした。
大事なこと、書き忘れました。犬養先生ごめんなさい!(汗)

大きな行事が終わり、音楽サロンでは、恒例の「つばいち音楽会」。
季節が偏らないように、9か月に1度の割合で行っている。
毎回ありがたく参加してくださる方に加え、新しい参加者もありうれしいことだ。
サロンでの演奏会が、プロの音楽家だけでなく、音楽を愛するすべての人にサロンで
「音楽を楽しむ」機会を…とこの企画を始めたが、参加者の多彩な音楽を体験させて
頂くだけでも大変楽しいひとときである。
今回はレッスン講師でもある山口ひとみさんや、大岡美佐ちゃんも生徒さんのために
参加してくださいましたので、ありがたいことでした。
P1080708.jpg
次回は9か月後で、1巡して初回と同じ、クリスマスの12月。クリスマスコンサートに期待!
こうして1月は行き、2月は逃げ、3月は去り、4月に突入しました。
4月1日は犬養先生のお誕生日で、毎年甲南女子大学生が犬養先生宅に集まりますが、
今年初めて、オカモサロンでお誕生日記念OB会を開催。4月6日のブログに書いた通りです。

3月25日はさすがにサロンへは行かず、久しぶりに整形外科のリハビリに…。
「よくなったら、てきめん治療には来なくなる!」と言われましたが、そうではなくて、
時間がとれないのが現実です。(痛いときは仕事どころではなかったですから…笑)
3月26日は、朝から大岡美佐(ちゃん)さんの秋のリサイタルの会場の下見と、チラシ、
ポスターの写真撮影もあり、「社長業」の1日。
28日は、山口ひとみさんが、ライブコンサートでお世話になっている心斎橋のアートクラブへ。
紹介者の方とオーナーのコンサートがあり、お礼もかねて表敬訪問に行ってきました。
そこでは、大阪場所を終えたばかりの関取「豪風」がタニマチと一緒にお客さんとして
来店しておられました!
体格の良さで目を引いて、お相撲さん大好きの私は大興奮!ニンマリでした。
意外な話題も楽しいものです。
そして3月29日は準備してきた「堺万葉歌碑の会」の歌碑めぐり万葉バス旅行。
堺万葉歌碑の会では代表の澤田富美子さんが、毎年春に歌碑めぐりを行っておられますが、
思いがけず、6月にご長男のおられる茨城県へ転居されるご決心を伺いびっくりしました。
高齢になられてずっと懸案の事柄だったようですが、堺の居宅も処分して、ご子息がおられると
いいながら、余生を新天地に求められることの勇気と決断に、澤田さんらしさを感じますが、
きっと万葉歌碑をはじめ、与謝野晶子関連の行事や、多くの人脈などに未練や執着もおありの
ことと思います。
サロンでの親しいお付き合いもそうですが、犬養万葉顕彰会で長年ご一緒に役員をやってきた
お仲間でもあり、お別れにあたって「私にできること」として、今春の堺万葉歌碑めぐりを
主催させて頂くことにしました。
できるだけ多くの方に澤田さんと一緒に「堺万葉歌碑」を見ていただくこと、澤田さんの
親しい方々にできるだけ参加して頂き、送別会を行いたいという目的のもと、結果的に
大型バスで56人が集合してくださいました。
そして、大仙公園のレストハウスもず野で、食事・懇親会と送別会の機会を持ち、犬養先生に
こだわられる澤田さんに贈呈した記念品は、今度転居される万葉故地、「筑波山」にちなみ
犬養先生書の高橋虫麻呂歌を彫り込んだ飾り板で、参加者全員の費用から出させて頂きました。
さわだ.jpg
また、澤田さんがお世話になられた恩人をお招きし、はなむけの言葉を頂きました。
もう93歳になられた和歌山大学名誉教授の角山榮先生、与謝野晶子研究家の入江春行先生、
沖縄から、堺市の広報も担当されていた、万葉愛好家の情報冊子「たまづさ」の編集長
岸本千賀子さんなどご参集くださり、私のほうが、感謝でいっぱいでした。
澤田さんも喜んでくださったことと、一抹の躊躇もあった、余計なおせっかいイベントに
少しホッとしました。
全体.jpg
149.jpg
転居されるまで、私たちのサロンイベントにも参加してくださるようですし、ご自身が
大阪でやり残したことを…とまだまだ意欲満々です。
この澤田パワーに圧倒されながら、年を重ねてもなお何事にも取り組んでいかれる「情熱」
は、見習わなければとつくづく思いました。
そして翌日30日は「甲南女子高校23回生の還暦同窓会」当日でした。つづく。

3月の母のお誕生日報告の更新記事から、4月1日の犬養先生のお誕生記念まで、ご報告が
たくさんあります。
個人的なことから、サロンの行事や、いろいろ予定が重なり、元気に乗り切れたことが
何よりでした。
母の誕生日後、3月18日は、2か月に1度の三輪恵比須神社での万葉講座。7回目が終了しました。
うれしいことに参加してくださった桜井市の等彌神社の宮司さんから中秋の観月祭で
万葉うたがたりコンサートを…とオファーを頂戴しました。
万葉のふるさとで歌う、万葉うたがたりの機会ができたことがとてもうれしいです。
3月20日は、世間は春分の日で、お墓参りなどで祝日を過ごされる方が多い中、サロンでは
毎月第3水曜日が山口ひとみさんの指導の「みんなで歌おう、懐かしの歌」の日ですので、
平日の水曜日に来れない方も祭日なら…、と来られることもありますので、毎月と同様
実施致しました。リクエストもあり、3東北大震災の復興ソング「花は咲く」をみんなで
歌っていくことになり、まず第1回目の練習ができました。
夕刻、ヨガ教室の猿渡美穂さんが出演される話題作「サブウエイ」を観劇。
大阪を皮切りに、サブウエイ=地下鉄のある日本の各地で連続公演が決まっておられる。
全国展開と言うのはすごい。美穂ちゃん、頑張ってねとエールを送りました。
3月21日は、弟の計らいで、会計事務所のとりあえずの確定申告が一段落した気分転換に
所員全員で大相撲大阪場所の観戦予定をしていた中に、かつての相撲ギャルの私にも声を
かけてくれましたので、本当に40年ぶりに大阪府立体育館へ大相撲観戦してきました。
相撲茶屋のお弁当の入った「福袋」のようなお土産もうれしかったですが、久しぶりに
大好きな「鬢付け」の匂いにうっとりしました。
もちろん、60歳の相撲ギャルは、勝手知ったる入り待ちで、白鵬、日馬富士、鶴竜、把瑠都、
旭天鵬など、カメラを構えて、場所入りをしっかり見ました。何だか血が騒ぐ…。
白鳳.JPG
時代の変化なのか、女子高生のチアーの応援があったり、女性一人の観客も多く、
是非また来よう!と強く思ったことでした。(笑)
日馬富士.JPG
誘ってくれた弟に感謝!!!!!
さて、翌日3月22日は、奈良女子大学の卒業式。もう私も直接の縁はなくなりましたが、
私が在学中に入学された後輩や、数少ない同輩の大学院生の友人の修了式でもありました
ので、お祝いに久しぶりに奈良女子大学に行ってきました。
旅立ちにふさわしい晴天の春うららかな日で、晴れ着の女子学生が特に輝いて
DSC01567.JPG
見えました。
キャンパスは馬酔木が満開で、思わず笑みがこぼれました。
DSC01542.JPG
3月23日、サロンでは大岡美佐さん指導の「思い出のアルバム」がありましたが、終了後
サロンを飛び出して、京都へ娘の芝居を見に…。
会場は、京都の東福寺のそばの芝居小屋でしたが、桜や紅葉で有名な東福寺だけに、やはり
季節や情景の美しい時に来たい!と思いながらあわただしく行き来しました。
娘は「4人のショショ」という芝居の客演で、役柄がなんと高齢出産を終えたばかりの「娘」
の役。
実際年齢に近い役柄なのですが(笑)、実際に未経験の「出産」について、セリフを
言うのが何とも可笑しくて、「役者」っていろんな「人間」を演じることができて、
バーチャルな人生をいくつもおくれるような、うらやましさも感じました。
娘の急な案内でしたが、見ることができてよかったと思いました。
3月24日は、サロンで中西久幸さんの和歌文学講座。
めずらしい「板かるた」をご紹介くださいました。講座の中だけではもったいないので、
少しの期間、「板かるた」展示をさせて頂きました。
読み札は通常の紙のかるたですが、取り札が肉厚の板かるた。かるた大会は「板」が素材
でもありなかなか野性的な迫力ある競技が行われるそうです。
NHK大河ドラマの「八重の桜」でも使われた板かるたですが、次回は「桜」にこだわった
和歌と歌人のお話をして下さるそうです。楽しみ…。(ここでちょっと休憩)

DSC01636.jpg
明治40年4月1日生まれの犬養先生のお誕生日を記念して、いまだに毎年甲南女子大学
犬養ゼミでは、有志で同窓会を続けています。
あたかも犬養先生がそばにおられるかのように、ケーキを準備。(ショータニのケーキ!)
DSC01637.jpg
いつもは、犬養先生のお住まいだった、西宮の久寿川邸に集まっていましたが、お世話
してくださっていた吉本愛子さんにも気分転換になるかな…と今回は初めてオカモサロンで
開催させて頂きました。
いつも来て下さるメンバー3人と私の同級生恵理ちゃんと、シイチャンの7名。
私のサロンに敬意を表してくださり、お花も頂きました。春らしく華やか!
DSC01634.jpg
サロンも犬養先生の会にふさわしく、「海南歌碑の揮毫書」や「切り絵の犬養先生像」や、
DVDも私たちにはなつかしい震災前の犬養先生の旧宅の映った映像など、演出しましたが、
それもほどほどにみんな話に夢中!(笑)
犬養先生もきっと苦笑いだったでしょう。でもこうした集いを喜んで下さったのも
犬養先生ですから、長く続くこの集いも先生のおかげです。
3月初め、私たちの甲南女子大学犬養先生の会(タテの会)の後輩が、病気で亡くなられ
ました。私よりも4歳も若く、思いがけない訃報でした。
犬養ゼミの卒業生たちのこの会は、犬養先生の生誕100年の機会に解散致しました。
会費の清算をし、会長の私はともかく、まず永い間会計業務をしてくださっていた岡本真弓
さんに会計担当者の役職から解放してあげることができました。永い間ありがとうね。
犬養先生が冗談のように「おかもちゃんは、終身会長だよね。」とおっしゃっていたのですが、
犬養先生が亡くなられるまで、タテの会の会長を致しましたので、「先生、終身ということで
もうこれで私の役目も終わったのですね。」と約束を果たせたと思っていました。
でも後輩の逝去を知り、犬養ゼミの絆で結ばれた仲間を失ったことで、タテの会として
見送ってあげたいと思う私の気持ちに、ふと「終身ということは、私がいなくなるまで
タテの会を最後まで見守れ…という先生の希望であり、メッセージだったのだ」と気づき
ました。本当にそうなのかはわかりませんが…。私には「終身」と言う言葉の意味が
今大きくのしかかっています。
4月1日の会も、もうおしまいにしようと思いながら、甲南女子大生だけで犬養先生を独占
できた唯一の貴重な1日であったことから今日まで続いているのですが、今年犬養先生が亡く
なられて15年祭を迎えるこの時期に、勇気を持って幕引きすることも大事かなと思う毎日です。
でも集まって下さったみなさん、ありがとうございました。
この絆、タテの繋がり「タテの会」を作ってくださった犬養先生には心から感謝をしながら…。

阪神淡路大震災の18年目の今日、亡き人を思う。
同級生のお嬢さんは、娘と同じ年だった。ピアノの生徒さんのおばあちゃんや、
甲南女子大学の犬養ゼミのお仲間のご両親や、身近な「悲しみ」を私も間近で
体験してきた。つくづく私や、家族が幸運にも生かされたことの「重み」と感謝を
思わずにはいられない。
その今日、私が昨年あとから訃報を知り、思いがけないお別れをしてしまったお二人の
ことを記しておきたいと思う。
お1人は、作曲家で、シンセサイザー奏者の東祥高さん。ご本人の意思ですぐに世間には
公開しないとして、新聞の訃報欄では亡くなれて2ヶ月経った12月に公表された。
東さんは、かぎろひの里、大宇陀のご出身で、平成8年の「かぎろひを観る会」でお親しく
なった。それまでも文書やお手紙で『万葉集』についてのお尋ねや、私たちの活動を
聞いてこられたり、やりとりはあったので、存じ上げていた。
私もかつてフォークバンド「5つの赤い風船」のメンバーだった東さんが、脱退・独立
してシンセサイザー音楽をやっておられることを知っていたが、ご縁ができるなんて、
夢にも思っていなかった。
平成8年は、「かぎろひを観る会」に、私たちはゲスト出演させて頂いたおかげで
東さんやスタッフの方々と一緒に食事をしたり、地元のペンションで仮眠するまで
ゆっくり過ごさせて頂いたので、東さんの人となりを知ることができたように思う。
その頃も、ヘビースモーカーで、食事は好き嫌いが激しくて、お酒はとても好きな人
であることはよくわかった(笑)。
そのことが直接のきっかけとなり、東さんが地元の依頼を受けてCD「かぎろひシンフォニー」
を制作される時に、私の「阿騎野寒暁」の歌も挿入したいということで、東さんが編曲され
た。
それを万葉うたがたり会が歌唱するということで伺った、東さんの音楽スタジオが
なんと今のTSUBAICHIの大淀南の町内のマンションだった。
まさかその近くに今私たちがサロンを構えようなんてつゆ知らず…の頃。
東さんは、犬養先生のイベントで大阪城ホールで行われた「一万人の万葉衆」の
オープニングで演奏されたり、私も何度か大きなイベントでもご一緒させて頂いている。
そして、2010年の平城京遷都1300年記念イベントで、「平成の歌垣」という歌垣を
ベースにした音楽劇があり、私も歌博士という役で1週間出演させて頂いたが、
企画からシナリオをおこす前から、シナリオ作家と演出するイベント会社と東さんが私の
サロンに何度か足を運んでくださり、「万葉歌」の選定と、曲想などについての相談に
私も関わらせて頂いた。
そして遷都祭のオープニングイベントとして行われた「平成の歌垣」は、大好評だったが、
音楽担当でもあり、全部の作曲を手がけられた東さんは、何と「意に沿わない」仕事と
公言し、終始私にも不機嫌だったし、特に私の出演に関しては、素人のくせに…と
いやだったようだ。でももがんばりましたよ!
そして昨秋、思いがけなく平城京の天平祭で、2年ぶりに再演された「平成の歌垣」。
私の再出演が決まり、1回目の顔合わせの10月に、1週間前に亡くなられたばかり・・と
東さんの訃報を知った。信じられなかった。
2年後の「平成の歌垣」の再演が決まったことで、私はまた東さんに辛口で皮肉なイヤミを
いっぱい言われるだろうな…と思っていたが、反対に、この時期に再演のこの機会が
めぐってきた事の偶然に本当に驚いた。
結果はブログで記したとおり、当日は、めずらしい大雨で、結局出演者のラインナップ程度の
「中止」状況だった。
残念だったが、東さんの涙雨なのか、全力でイベントを阻止されたのかよくわからない。
しかし、確実に亡くなられたばかりの東さんを偲ぶ大きな機会であった。
東さんは『万葉集』を素材に歌う人が増えていく中で、私を評価してくださっていたようで、
いつも本当に辛口ではあったが、細々と個人で万葉活動をする私を信頼してくださっていた。
本当に思いがけないお別れに、切なさがこみ上げてくる。
12月29日の早朝、大宇陀では41回目のかぎろひを観る会があった。
いつもロングコート姿で、かっこよく参加される東さんの姿はもう見られない。
新春のTSUBAICHIでは、東さんとの思い出の多い、「かぎろひ」の写真を飾った。
DSC01198.jpg
そしてもうお1人のさようなら…は、万葉スケッチ画家の冨田利雄さん。
奥様からの喪中はがきで知った。
油絵の前衛的な画風から一転、万葉故地の繊細なスケッチ画で、冨田さんの万葉故地世界を
作り出された。
私も万葉歌のCD制作で、最初の「恋歌vol1は、冨田さんの「二上山」のスケッチ画で…と
こだわり、冨田さんの個展で購入した「絵」をもとにジャケットに使わせていただいた。
その後も犬養万葉顕彰会で、テレホンカードを作成させて頂いたり、「万葉の仲間」として
長いお付き合いだった。
お目にかかる機会も少なくなり、時々「お元気かな…」と思い出してはいたが…。
DSC01197.jpg
お二人にこれまでのご縁とご厚情に感謝しつつ、サロンで私の追悼をさせて頂いている。
ありがとうございました。またお目にかかるまで…。
私には、CDでお二人の音楽と絵が残りました。永遠に。
DSC01201.jpg

朝、時計がわりにつけているテレビで、「おはよう朝日です」「モーニングバード」の
時間帯に自宅を出る。
私は普段もニュース番組以外はほとんど見ないので、私にとって貴重な視聴番組であるが、
モーニングバードの木曜日の社会や政治を検証する「タマペディア」と生き方の素晴らしい
女性紹介の「Gウーマン」のコーナーが特に好きなので、木曜日は録画準備をして出かける。
すぐに録画を見る時間がないので、雑時間にこま切れで確認するような状況だが、年始の
1月10日のGウーマンは人形アニメーターの真賀里文子さん(76歳)だった。タイトルは
「1コマに賭ける情熱」で、作品にコンタック600のカプセル君だったり、いくつか見かける
CMのキャラクター的なシーンを見て、「みたことある!!!」と思いながらテレビを見て
いるとなんと思いがけない場面が出てきた。
DSC01188.jpg
真賀里さんの15年くらい前の写真???かしらん。TV画面に現れた制作中の人形は、なんと
五島列島福江島の三井楽町に遣唐使ふるさと館開館のために発注された「遣唐使ものがたり」の
人形だった。「お~っ!この人が作ったのだ。」
そして、76歳の今も自慢にされている成功例として、遣唐使船が荒海を航海する様子を
表すのにアニメーションで「波」をいかにつくるかの創意工夫だった。
DSC01189.jpg
今は五島列島の離島で初めてできた「道の駅」として、紹介されている遣唐使ふるさと館だが、
五島市に市町村合併されるまで、福江島でひときわ光を放っていた「三井楽町」。
万葉の故地、最西端の「みみらくの里」として、地元の増田さん(故人)や犬養先生を中心として、
万葉の里づくりの頃から私も存じていて、集大成のような形で遣唐使ふるさと館ができた
時のうれしかったこと。そしてここを中心に、万葉フォーラムも2度開催され、私たち
万葉うたがたりコンサートの機会も数回経験している。
遣唐使ふるさと館の目玉は、この遣唐使ものがたりと共に、『万葉集』の左中に「みみらく」
という地名が出てくる山上憶良の志賀の白水郎(あま)の荒雄の歌、10首をドラマチックに
描かれた「荒雄」のアニメーションで、道の駅となった今もなお、万葉シアターは健在で
(本当によかった!)多くの方に見て頂きたい素晴らしい作品だ。
真賀里さんというご婦人は初めて知ったが、私たちの執着する万葉故地のための作品を
手がけて下さった方の紹介をたまたま見られたことが、大変うれしかった。
三井楽町は平成の大合併で17年に五島市となり、三井楽町の1町の町おこしはその時に
終わりを迎えた。
万葉フォーラムで全国の万葉ファンが集い、会場ともなり、賑わった遣唐使ふるさと館も
当時、地場産業の起業としてはじめられた「地ビール」も評判だった。
東京からシェフを迎え、五島牛のレストランもあり、夢のような賑わいだった。
その後、福江島の港も整備され、立派な商業施設となり、遣唐使ふるさと館にあふれる
名産品や、おみやげものも次第に減って、数年前個人的に訪れた時に、「道の駅」という
ネーミングも少しショックだったが、設置された地ビールのタンクは錆つき、あまりの
変わり果て様に、「平成の大合併」が何が地方分権のための政策の一つなのだ!と矛盾に
腹が立った。合併に同意することで、その時の地方の負債をチャラにするだけの「飴」だった
ことを如実に思い知らされたのだ。
万葉うたがたり会のメンバーは、口をそろえて、演奏をさせて頂いた万葉故地でもっとも
思い出深い、素晴らしい印象の土地だと言う。
奈良女子大学の大学院在学中に、現役生の岐宿町出身の洗川志穂さんに出会い、よく五島の
話をした。その彼女も五島に戻り、市役所に就職をして働いているようだ。
お正月に、仁川教会の水浦神父様が、「今年福江島で献堂100年記念の教会行事があります。
岡本さんもお誘いしましょうね!」と言って下さった。
本当に是非時間を作って何かの機会に五島列島、福江島へ。そして三井楽の町を訪ねたい
と思っている。
白良が浜には犬養先生の揮毫された大きな歌碑があり、三井楽を守っていてくださる
犬養先生にも会いたいもの…。

万葉うたがたり活動を開始して、33年目にはいった。
明日香村の万葉の歌音楽祭などで、一般の人々にも「万葉を歌う」機会が増えてきた。
「音楽」に精通している人は多くても、はじめに言葉ありき…と、初めに『万葉集』が
ありき…で、「万葉歌」を歌える人は残念ながら少ない。
私が重宝して頂けるのは、肝であるそこが突破できる人が少ないからだと思う。
その中で、私が「万葉うたがたり」の後継者が現れたとうれしく思うのは、万葉うたいびと
と称する風香さんの活動を拝見してのことだ。
この度の忍坂街道まつりも風香さんの「万葉コンサート」があるので、いちどゆっくり
拝聴したいと思っていたので、この機会をずっと楽しみにしていた。
折しも、前日の万葉の歌音楽祭では、「泊瀬川」という桜井市を流れる地元の万葉歌の
歌唱で、満票で大賞を受賞されたことは、ブログに書いた通りである。
その翌日のコンサートということで、まさにステージに花が添えられた受賞となられた。
DSCF9223.jpg
風香さんとは、万葉の歌音楽祭を通してお知り合いになったが、「万葉を歌う」という
きっかけが、まず私の万葉うたがたりコンサートを見てくださったことに始まるそうだ。
万葉集を歌われることから「万葉故地」への関心は、万葉の旅につながり、そこで犬養先生
とも出会われることとなった。それは著書であり、歌碑であったり、先生の姿こそないが、
犬養万葉、風土文芸としての万葉を意識して、万葉歌の作曲にも繋がっていかれたことと
思う。そして桜井市忍坂の方々との出会いになられたことだろう。
「忍坂」とかいて「おっさか」と読む。ここには、額田王の姉、鏡王女のお墓があるところで、
ひそやかな奥まった谷間にあり、鏡王女の万葉歌の
秋山の 樹の下隠り 行く水の われこそ益さめ 御思いよりは  巻2-92
の歌がしのばれる静かな場所だ。
犬養先生の歌碑があり、道行く人も見落とすような、目立たない小川の川べりにある。
DSCF9328.jpg
そこを通って、山ふところに鏡王女のお墓がある。
DSCF9310.jpg
DSCF9308.jpg
久しぶりでも静かな変わらぬ光景だったが、きれいに手入れされており、この場所を
大事にしてくださっている様子が伝わってきた。忍坂区で作成してくださった立派な看板で、
この地を訪れた人が、故地を理解できるように努力してくださっていることもありがたいことだ。
11月4日の忍坂の街道まつりには、多くの人が参加されていたが、それでも奥の谷には人影も
まばら…。人知れぬ里であってほしいが、万葉ファンには是非訪れてほしい名所である。
DSCF9260.jpg
風香さんのコンサートは、午後からのメインイベントとしてゆっくり聞かせて頂いたが、
日本書紀に、雄略天皇の歌として「隠り国の 泊瀬の山は 出で立ちの よろしき山
走り出の よろしき山の こもりくの 泊瀬の山は あやにうらぐわし あやにうらぐわし」と
載せられている、そこから忍坂のテーマソングとして作られた「あやにうらぐわし」は、
地元の子供たちも共に歌えるふるさと讃歌だ。
風香さんと子供たちが舞台でも楽しく歌唱された。「♪あやにうらぐわし」

ステージでの風香さんを拝見していて、自分の活動を省みる機会でもあった。
私は日本の各地で、犬養先生の頃からご縁を得て、関わっている故地があるが、風香さんには、
大好きな桜井・忍坂にしっかり軸足を置いて、ふるさと発信のお手伝いをなさっておられる
ことにうれしくなったが、今後も『万葉集』の歌は増えていくだろうが、忍坂のみなさん
との原点を忘れることなく、活動を続けていって頂きたいと思った。
しかし、歌曲の創作はもちろん、詩心もあり、語りも上手で、大変素晴らしいステージだった。
犬養先生へ報告、「舞台では、先生の書かれた文章の朗読もありましたよ。忍坂の
万葉かたりびとの存在をみつけました。風香さんの活躍に期待しましょう!」って。
風香さんの今後に期待!!!