高岡駅の一つ手前JR福岡駅です。
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昨年、私がビップ待遇で(ありがとうございました!)副市長さんにご案内
頂きましたが、高岡の万葉に加えて、町には万葉歌碑が一基だけあります。
その時は、町の中で誰一人合わなかったほどの静まり返った「まち」でした。
ところが、ところが…。
1万3千人の人口で、23日の賑わいは半端じゃない!
JR福岡駅からの正面通りがメインとなり、テキ屋の屋台が立ち並び、
その通りをソーランの連の社中が次々出演。合間を縫ってチンドン屋
さんがクラリネットや、太鼓のなつかしい響きを残しながら徘徊。
老いも若きも観光客も、見る人、出る人、食べる人・・・と大混乱状態でした。
なんと、公称十万人の人出とか!ウッソー! 信じられない!
またその合間にある、「つくりもん」の作品を鑑賞するのは大変でした。
私は初めてのことで、驚いていたところ、地元の方のお話を伺って、
また納得しました。
昔は、「夜」のまつりで、「五穀豊穣」の感謝に、自分たちの育てた野菜で
素朴な飾り物を作り、まつりのあとは、その野菜を感謝して食す…と言う
静かなお祭りだったようです。
だんだん華やかになって、私の訪問した今日は今まででもっとも賑わいが
あるようにおっしゃっておられました。
今は、農家が減ったこともあり、野菜を外から調達するようになったとか。
また、つくりもんは素材の形・角度・色などを生かすことが大事で、昔は
素朴な作品ばかりだったが、今は彫ったり、切ったり…と細工は減点です、と
審査の時にお聞きしました。
感心したのは、福岡町の隅々まで「つくりもん」作品の会場が点在していて、
(意図的?)、つくりもんを全部見ようと思うと必然的に町中を散策することに
なります。午後に会場へ到着した私は、担当者の角田さんに「ひととおり
ご覧になってきてください。」と言われるまま、会場図を片手に歩き始めました。
審査員ということで、スーツに5センチのパンプスで来たことが失敗でした。
歩き廻る中、暑さで上着は脱ぎ、足は痛いし…。やむを得ず、担当者に「つっかけ」
でも借りよう(泣)と思った矢先、フリーマーケットで1000円の靴を見っけ!!!
午後4時から、きちんと5人の審査員同士の紹介があり、審査基準を聞いた上で、
もう一度あらためて、町を一周の作品見学へ…。本当によく歩きました!(汗)
でも途中の辻でばったり、橘市長に出会ったのは偶然とはいえ、びっくりでした。
ただ、2回目に回った時は、もう薄暮時になっており、昼の喧騒と入れ違いに
町中が鈴虫の声に満たされて、いや覆われて、スケールの大きなBGMの中、
歩きますと、お昼とは違い、屋台の照明や、祭りの灯篭が映え、また違った趣で
ゆっくり味わうことができました。
つくりもんも、住宅地の中に会場もあるので、それぞれのお住まいも毎年の、
人の目を意識してか、家並みも立派だし、お庭も個性的に草花を手入れなさって
家も、町もみんな奇麗なのです。岸渡川(がんどがわ)の家並みは「お宅拝見!」
のような、お洒落な家が立ち並んでいました。
こうして、私のように初めて訪れた者も「つくりもんまつり」を通して「福岡町」を
ほとんどめぐる…よ言うことにもなるので、すごい町の観光・紹介になっています。
これだけの賑わいですから、宣伝しなくても人が集まる!そうですが、やはり
口コミ宣伝は半径が限られますね。もっと外部にも知らせてほしいなと思いました。
教会でも御言葉のつくりもんが…。献金がわりにぬいぐるみを購入。「ふくちゃん」
と命名致しました。当日発売と聞いた「つくりもん囃子」のCDも記念に購入。
とっても楽しかったし、「ふくおかまち」の魅力にも浸ることができ、来月(来週?)
万葉まつりで高岡の予定を控えての「高岡行き」でしたが、いい機会を与えて頂き
感謝しております。
では、ふくちゃんとCDと私をフォローしてくれた現地調達の靴です!
投稿
7月7日のロマンチックな天上ロマン・・・。
今年の七夕の夜空は曇っていたが、雲のベールの向こうにうっすらと
三日月だけが見えていた。牽牛の嬬迎へ舟が漕ぎ出らし!ねっ。
「七夕」は日本の風物詩としても、子供たちが、短冊に願い事を書いて
笹に結び、飾付け、楽しむ年間行事に定着しているが、大人にとっても
「七夕の逢瀬」は、心を浮き立たせる天上ロマンとして、人気がある。
交野市倉治の機物神社は、1月に私も万葉歌碑の除幕式に参列したが、
ご祭神がたなばたつめでいらっしゃるので、まさに神社のお祭りが
「七夕祭」! 一度拝見してみたくて、楽しみにしていた。
残念ながら私の都合で、午前中しか時間がなく、雰囲気だけでも
味わいたくて、ともかく出かけた。
JR東西線の津田駅下車。神社まで徒歩15分くらい。
途中で大相撲を思い起こさせる「幟」を見て、うれしくなった。
10時過ぎだったので、境内の多くの露店は準備前。でも
近隣?のご老人たちや、祭り準備の方々で人出は多かった。
私も2枚100円の短冊を購入し、「交野が原の七夕伝説が広く語られ
町の発展と誇りとなりますように・・・」と書いて笹に結び付けてきた。
境内いっぱいに立てかけられた笹は、素朴ではあるが、とても華やかで
女性の祭神に相応しいお祀りの捧げものとして、多くの人たちの思いや
祈り、願いがいっぱいにつまっていて、神様も対応されるのが
大変だろうが!?、一体感や賑わいを十分に想像できた。
夜のご神事、イベント・・・は、参加できなかったが、また次回に期待
することにしよう。
私が少し残念に思ったのは、駅からわずか15分の距離でありながら、
機物神社の近くへ行かないと「七夕まつり」の雰囲気や案内がないこと。
また、インターネットでも予定がわかりにくいこと。
水辺プラザ・星田妙見宮など広域に連携された「七夕行事」として、
ポスターや、案内板や、紹介の手段は外部の者には余計に必要だ。
地元の誇る七夕による「町づくり」を謳っておられる事もあり、内輪の
お祭りで終わらせないためにも、来年はしっかり宣伝してくださいね。
♪ささのは さらさら 境内に揺れる お星さまきらきら 金銀砂子♪
奈良女子大学で、坂本信幸先生に引率して頂いた初めての
万葉旅行。楽しみにしていた。
私は、今は車で脇の県道の169号線を走り、直接車谷の梅を見に行ったり、
通行は頻繁にしているのだが、三輪山の山裾を歩いたのは、2001年以来の
7年ぶり。坂本先生ご準備の詳細なテキストを頂いたが、密かに犬養先生の
「万葉の旅」と「山の辺の歌碑を訪ねて」の2冊も偲ばせ、出発した。
ゼミ旅行と思いきや、一般教養(講読)の2年生が8名と、4年ゼミ生が2人。
院生は私だけと言う、私にとっては意外なメンバー。
日頃、お忙しい坂本先生が時間を割いて終日「万葉現地講義」をされるのだから
ゼミ生や院生が中心だと思っていたし、個人の演習準備や、バイトやクラブで
欠席!と聞いて、理由はあるにせよ、大変失礼だと思った。
私は万葉風土と切り離せない「万葉集の楽しさ」を学び、今日に至って
いるが、私がこのたび奈良女子大学に入学できてうれしかったことは、
万葉に縁の深い、身近な「奈良」で学べる幸せだ。
初めて参加した、2年生の初々しい女子大生とも親しくなり話してみると
「山の辺の道は夢でした。」「もっといろいろ行ってみたいけど、機会が
なくて・・・」と今日の日を楽しみに参加しておられた姿を見て、救われた。
この感動が万葉の歌と連動して万葉人の豊かな感性に魅せられていくのだ。
(もちろん別れ際「また一緒に参加しようね!」と大いに呼びかけた。)
坂本先生は膝を痛めておられたので、気になっていたが、最後まで口にも
出されず、元気に歩いてくださった。いつもながらのダンデイぶりは言うまでも
なく、カッコイイ!可愛い?素敵です!!!(笑)
(これは現役女子大生が言うべき)オバサンが言うとアブナイ!
大神神社の「ささゆり園」では私が大好きな「ささゆり」が見頃だった。
しかし、少し花の色が浅く、「草深百合」の表現のように深い森の緑で
美しいピンクの花を見つけた感動を何回か経験しているは、心の中でみんなに
「笹百合はこんなもんじゃないのよ!もっともっと素敵!」と叫んでいた。
・万葉歌碑の探訪・うぐいすの伸びやかな声、ささゆりの花
・大神神社・つばいちや金屋の集落・初瀬川(国土交通省の表示では
大和川でした!)・三輪山・二上山・龍王山(引き手の山)などなど
山の辺の道は、古代の国道一号線ですから、古代経済流通地域として
注目すべき点の多い万葉故地なのだが、女子大生たちはきっと、通行人も
少ないこの道を歩いて、賑わいの古代がイメージできないギャップを
感じたことだろうと思った。
でも感性とは、それを埋める?想像する?心のひだだと思うので、
そのギャップが、かつての私も同様、万葉への扉の一つになるのだ。
若い感性に期待!万葉ファンが増えることに期待!!
犬養先生の天理の万葉歌碑ももちろん見学した。引き手の山を正面にした、
本当にいい場所だ。歌碑は136基となったが、3番目にできた立派な
文字、立派な石の歌碑。
「犬養先生、今春から坂本門下になり、新たな万葉旅行が始まりました。
私が犬養先生によって万葉集の魅力を受けて、生涯の糧となったように、
来年成人式を迎える彼女たちにとっても、この旅が一つのきっかけと
なりますように・・・」とお願いをして・・・。
ちょうどこの日、明日香村で「ほたるの鑑賞会」に呼ばれていたが、
遅くなったのと、何だか疲れて、帰途についた。
きっと今週の演習が気になっていたからかも・・・!?しかしバタンキュー!
平成20年の新年度を迎えて、私の活動も始動しはじめました。
大学院生と言う新たな環境も増えましたが、あくまでも私の「万葉集」に
対する姿勢の一環ですし、犬養万葉顕彰会の会長も任期も終えましたので、
より自由によりプライベートに「作曲」や充電時間を捻出したいと望んでおります。
4月・5月は旅行の同行があり、私は万葉旅行の案内ができるほど、「地名」や
「コース」に精通していませんので、引率とは言えず、同行と申し上げていますが、
犬養万葉歌碑の場所についてのみ、やや自信はあり(笑)、勝手なものです。
そして、水無月の初日は昨年から因幡万葉歴史館で始まりました万葉講座が
再開し(年間2回)、きょうは1回目。主催者側の意向で「明日香村へ行こう!」
と言うタイトルで、お話をさせて頂きました。
普段はムクチ!?(六口)な私ですが、講座になると話はとりとめもなくなり、
♪♪♪どうにもとまらない!!!
ご来場の皆様、ご清聴誠にありがとうございました。
思いがけず、「犬養万葉今昔」の偉業を達成された、堺市の中村博さん
ご家族が講座に来て下さっており、うれしい応援団でした。
また、国府町の万葉ファン代表の小椋つる枝さんには、自然の恵みを私にと
地元で摘んでこられた山蕗を佃煮にしてくださり、破竹の煮物と共に
私に持たせてくださいました。里帰りして、母から持たせてもらったような
あったかい気分です。ありがとうございました。
また、元新聞記者で、今やキャリアウーマンとして忙しい、川下浩美さんと
久しぶりの再会もでき、意義ある素敵な一日を送ることができました。
幸せ・・・。
実は、今週の水曜にもここへ訪れ、2009年開催予定の因幡万葉フォーラムの
会議に参加させて頂いており、1週間のうちに2度もこちらへ伺ったことになります。
でもそのたびに、犬養歌碑に出会い、因幡の国庁の地の自然を味わい、
古代の風に吹かれ、気持ちが安らぎます。毎日でも来たいくらい!
ただ、28日は、天候もすぐれず、懸念することもあり、ちょっとテンションが
低めの1日でしたが、きょうは気分も晴天!
そうそう、学芸員の鎌澤さんが来週結婚されます。ジューンブライド
おめでとう!やはり、歴史館の伝承館で万葉衣装のパフォーマンス披露宴
をやってほしいなあ!なにはともあれ、お幸せにね!
私のブログで、取り急ぎ、ご連絡いたします。
大阪大学万葉旅行のパンフレットは、当初の犬養先生のガリ版刷りから、印刷に
なりました。そして阪大側の阪急石橋にある「誠文館」という印刷屋さんに
ずっとお世話様になりましたが、その主である田村泰秀さんが、5月14日に急逝
されていたことを、昨日の犬養万葉顕彰会役員会の席で聞きました。
あー、なんていうことでしょう。(悲)
田村さんは、印刷屋さんとしてのご縁(スタート)でしたが、現在は
万葉歌碑研究家として、犬養歌碑をはじめ、日本から外国まで「万葉歌碑」を
網羅して探し出し、データ作りと、歌碑状況の発信に務めておられました。
万葉千碑からスタートし、万葉千六百碑、万葉千八百碑、改定しながら
出版もされ、お聞きすると早々に万葉二千碑を出版すべく、アカペンで校正
済みの原稿が残されていたそうです。泣けてきました。
私との思い出話も多々ありますが、これから出かけるのでそれはまたの
機会に追悼させて頂こうと思います。
田村さ~ん、まだまだオカモ特派員も張り切っていたのに・・・残念です!
田村さんに乗せられて、オカモが初めてハイエースの運転をしたことが、
思い出されます!それも釧路の平原、北海道の大地を!
平成13年、小学校の100周年の記念に建てられた万葉歌碑は、作者未詳の巻11の
「物に寄せて思いを陳べたる歌」の中の1首です。
庶民の生活の中の恋愛歌ですが、子供たちに向けて「赤土の粗末な小屋に
雨が降って、床が濡れてしまった。私の身に寄り添いなさい・・・と恋人を
気遣う男の歌」と万葉人の思いやりをメッセージされています。
「彼方」(おちかた)と言う、富田林では珍しい地名が、万葉集にも詠まれて
いたのは、偶然だったと思いますが、この地にとってはゆかりの歌となったことは
私たち万葉ファンにとってもうれしいことです。
人名でもなく、大阪の地名であって欲しいと、この万葉歌に着目し、考証を
続けられた、彼方小学校の小学校長も務められた北村久夫さんは3月末に
帰天されましたが、その思いは万葉歌碑と共に、彼方の地に留まられることでしょう。
彼方小学校の校門を入ってすぐのところに万葉歌碑があります。
日曜にも関わらず、校庭では野球少年たちの声が響き、活気がありました。
この子供たちは歌碑のごとく、きっと思いやりのある優しい人に育ってくれることでしょう。
校庭で、花の咲いたコノテガシワを見つけました。
帰りに「彼方」を守ってくださる??春日神社に表敬訪問をし、雨上がりの午後、
ちょっとセンチメンタルな気分に浸りながらの散策ができました。
「石川」を越えましたが、北村さんのことを考えながら歩いていたので、
直の逢いは 逢ひかつましじ 石川に 雲立ち渡れ 見つつ偲ばむ (巻2ー225)
の挽歌が思い出されました。そうだ、北村さんのアドレスは確かhitomaroでした!(笑)
「便りがないのは、元気な証拠!」というのは、あてにならないことを
わかっていながら・・・。一昨日、訃報を2件知り、大ショックを受けている。
北村久夫さん。河内狭山万葉楽習会をたちあげられ、病に倒れられるまで、
代表として地道に万葉の種を蒔いてこられた。
と言っても万葉専門家ではなく、「1万葉ファン」としての軌跡がある。
私との出会いは、阪神みどり会の万葉旅行。犬養先生のお供の私と犬養ファンの
奥様と一緒に参加されていた恰幅のよい、寡黙な紳士の印象が思い出される。
お二人とも小学校の先生のご夫妻で、北村さんが校長を勇退されて、平成8年に
まとめられた「愛しき日々」という冊子を頂き、「教師」として子供に親に
どんなメッセージを残してこられたかを拝見し、北村さんのお人柄を知った。
そして、最後に務められたのが富田林市立彼方小学校であったことから、
万葉集の「彼方」が地名か人名か、また大宰府の梅花の宴に壱岐守村氏彼方も
出てくることから、急速に万葉集への探究心が高まられて、奥様以上に熱心に
取り組まれるようになった。私も多くの研究資料を頂いている。
再生不良性貧血の病に冒され、急激に弱られたので、10年近く、ご自身の意欲と
裏腹に歯痒い時間を過ごされたことと思うが、地元で万葉グループを立ち上げられた
こと、彼方小学校に万葉歌碑建立(平成13年)の悲願を実現されたことは
北村さんの魂が息づいている証となった。
「彼方の 赤土の小屋に 小雨降り 床さへ濡れぬ 身に添へ我妹」巻11-2683
私には、もちろんうたがたり活動の応援をしてくださっていたが、北村さんの
弟さんが先に亡くなられたときに、「万葉集に兄が弟を偲ぶ歌がありますか?」
とお尋ねがあり、大伴家持が書持の逝去に対して詠んだ挽歌をご紹介したこと。
河内狭山楽習会で講師に呼んで頂き、お話をした時に、「二上山の見える場所」
に家を建てられたことを伺い、機会があるたびに、万葉に対する思いを感じさせて
頂いていた。
またクリスチャンだったことも知っていたが、入院されてからは、特に何度も
牧師さんに足を運んで頂き、話をすることを望まれ、安らかになっておられたと
奥様から伺い、切ない気持ちになった。このたびの私のコンサートに今回はご連絡が
ないな・・・と気になりながら、3月30日に帰天されたと聞き、1昨日まで知らなかった
事が悲しかった。
長年の闘病に付き添い、いつも明るく支えておられた奥様の存在も大きかった。
きっと奥様に心から感謝しておられることだろう。
おだやかであるが、きちっとご自分の意見を持っておられる姿勢は大好きだった。
5月18日が50日祭と伺ったが、万葉旅行の日なので行けない!!!。
私は近いうちに彼方小学校へ出向き、「万葉歌碑」の北村さんにご冥福をお祈り
してきたいと思っている。
ありがとうございました。また会う日まで・・・。
黒田基さん。扇野万葉の門下生であるが、「万葉旅行」でお知り合いになった。
「オカモのファン」と公表して、参加してくださり、最新カメラで、よくお写真を
撮って頂いた。海外旅行がご趣味で、ご夫妻で行かれるたびに「オカモのために」
お土産を探すのが楽しみと公言しておられ、恐縮だった。
おかげさまで、いろんな思い出の品々が私の手元にある(汗)。装飾品であったり、
飲食物であったり、様々に頂戴したが、黒田さんの思いやりは、私がネコが好き
ということで、必ずお土産にネコに関するラベルや、図柄や、ネコグッズであって、
私の好みに対する配慮も忘れずのお心遣いを頂いてきた。
1月7日、肝硬変で急逝されたと聞いた。黒田さんもコンサートに来て下さらなかった
けど、海外旅行中かなあ・・・などと漠然と想像していた。
忙しさにかまけて、大事な方々ときちんとお別れができなかったことが、悔しい。
ありがとうございました。また会う日まで・・・。
阪神タイガースもこの対「中日」三連戦の最終日はどうにか
勝てましたが、まさに365歩のマーチ状態です。(汗)
♪3歩進んで2歩下がる?????♪
しかし、マジック6なのだ。ルンルン。
さて、昨日福岡県飯塚市で初めての「万葉歌碑」の除幕式が
行われました。これは、11月19日の全国万葉フォーラムin飯塚の
開催に先駆けて、9月3日の「山上憶良歌文集」に次ぐ関連事業の
1つで、これこそまさに飯塚市が「万葉の里」として、全国に
名乗りを上げ、後世まで発信し続けるシンボルとも言えるものです。
士やも 空しくあるべき 万代に 語り続ぐべき 名は立てずして
巻6-978 山上憶良
の万葉歌が揮毫されました。
★嘉摩万葉を学ぶ会が建立(一般の寄付もある!)
☆会の当初母体であった嘉穂高校11期生の仲間が揮毫された。
★万葉学者で憶良研究家の大久保廣行教授の協力を得られた。
☆地元の石を用い、本碑・副碑と合わせて2基が建立
★飯塚市資料館という、地元の歴史発信地の庭に建つ。
という、非常に恵まれた環境下で建立されたことは本当に
うれしいことでした。
夜の祝賀会で、私からのささやかなお祝いとしてこの万葉歌を
歌唱させて頂きました。あまりにヘタだったのか???
フォーラムでもまた歌われますか?と聞かれたので「もちろん、
今度は多くの方々にしっかり聞いて頂きます!」と胸を張って・・・!
石の大きさといい、憶良の辞世の歌であるが、自らを顧み、
それをふまえた、若い未来ある青年らへの応援歌として、
スケールの大きい、新たな息吹を感じる歌碑が出現しました。
おめでとうございました!!!
カトリーナと比較される台風14号に追われるように、福岡県
嘉穂郡稲築町で行われた第34回憶良まつり短歌会と、翌日の飯塚市
資料館での万葉植物講座の参加を終えて、昨夜帰宅しました。
私は憶良まつり短歌会の表彰式のあと、万葉講話を・・・ということで、
お招き頂きましたが、私の役目はいかに「万葉集」を特化して魅力を
お伝えするか・・・ということだったと思うのですが、うまくお話できた
か心配です・・・。私自身は楽しいひとときでした。
さて、当日短歌会開会に先駆けて、新刊本のお披露目がありました。
それは、11月の全国万葉フォーラムIN飯塚の協賛事業として、憶良まつり
短歌会の方々が企画・準備・制作されたもので、短歌会当日に完成が
間に合ったのです。万葉学者で憶良研究家の大久保廣行先生が監修され、
山上憶良の全作歌78首を網羅した、憶良本の定本とも言えるものが
でき上がりました。とても豪華な装丁で、品のある格調の高い
素晴らしい本です。是非多くの方々に見て頂きたいと思います。
特に稲築町は憶良が立ち寄ったであろう、嘉摩の郡役所跡などを
考証したり、犬養先生揮毫の万葉歌碑も建立されており、早くから
万葉故地としての発信をして来られました。そして「憶良まつり短歌会」
という参加型の行事を34回も続けてこられ、「憶良のオバチャン」と
揶揄されながらも熱心に自治体とも渉り合った、ご婦人方の地道な努力
と熱意が、今日結実したのです。心から敬意を表します。そして、
憶良のおばちゃん、バンザーイ!
全国万葉フォーラムの打ち上げ花火の第2弾は、飯塚市に初めて
建立される万葉歌碑です。乞う期待!
上の速報!!でもお知らせしておりますように、うたがたり会が初めて、北海道で演奏させて頂きます。
残念ながら北海道には万葉歌が残っておらず、万葉の故地ではありませんが、釧路には天然記念物の「丹頂鶴」の生息地でもあり、かつて鶴の保護運動に故犬養孝先生が協力されたことがあり、犬養先生揮毫の万葉歌碑はあります。
また、岩見沢万葉を朗唱する会は、結成されて数年のように伺っておりますが、道産子万葉ファンが多く集われ、全国への万葉旅行や、地元でたびたびのフォーラム開催など活発に活動されておられます。
昨秋には事務局のある岩見沢神社に万葉歌碑も建立され、北海道の万葉基地として着実に成果を上げておられます。
このたび、万葉うたがたり会では、岡本と園田が出演させて頂きますが、このチャンスに深川市円山の5万本のかたかご大群落の見学と、美唄市宮島沼の6万羽の帰雁の群れを見るフォーラムのオプションツアーがあり、昨年来かたかごに執着している私にとりましては、願っても無い出演依頼でございました。
皆様方にもご案内申し上げます。
