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『万葉集』では、秋の七草に詠われているなでしこの花。
文字も瞿麦・石竹と万葉仮名の4文字の「な・で・し・こ」以外にむずかしい漢字表記されるが、
ひらがながやさしくて自然だ。
地球温暖化に伴い、もはや秋の花ではなくなった。5月には咲き始めるようになった。
植物誌などを見ても、花期は、6~9月…と微妙な説明。
この写真のなでしこは、ビルの中に作られた庭園で咲いていたものである。
ピンクが華やかで美しく、また緑の葉に映える。「照り映える」という言葉がよくわかる。
この建物は、オリックスが全国展開で経営する高齢者住宅「グッドタイム・リビング大阪ベイ
」で、高齢者がこの中だけですべての社会生活が営める施設である。
ホテルのように明るくきれいで、また施設も行き届いていて、美容院・バーカウンター、
カルチャールーム・医療施設・売店…何もかもが便利にそろっている。
祖父が亡くなる直前にも、こじんまりとしたこのような施設に入いいたので、懐かしくまた
興味深く一通り見学させて頂いた。
さて、なぜ私が…ですが、このホームのカルチャーで『万葉集』の講師を探しておられると
いうことでご紹介頂いたのだ。
要介護の方々もおられるので、また一味ちがった切り口で『万葉集』をご紹介するのに、
むずかしさがあるが、ただ介護をして見送った祖父母のことや晩年の犬養先生を思い出し、
目前の高齢者の方々と重ね合わせて映った。ひょっとして再び対話ができるような楽しみも
あるかな?…とこのような機会を得ることも何かの縁かな・・・と思いながら帰宅した。
そうそう、なんとめずらしく「白いなでしこ」も見つけた。めずらしい???
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この写真は、昨日明日香村飛鳥の「飛鳥寺」の西門の近くで、甘樫丘を背に植樹された
「つきの木」です。
2011年の2月11日に毎日放送の万葉ラジオウオークが30周年という記念の節目を
迎えたことを記念して、この記念植樹が行われました。
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第1回から企画や、準備に携わってこられた太田兼三郎さん(元毎日放送アナウンサー)が、
ご挨拶で、30年間に亘ってずっと関わってこられて、古代や万葉時代のラジオウオークの
コースは奈良県を中心に各所尽きないけれど、何といっても「明日香」の地は特別で、古代の
万博会場と言える魅力的な場所だったのではないかと述べられました。
飛鳥寺をはじめとする寺院などのパビリオン、古代の宮に見られる池、庭。謎の石造物は
水の流れるエンターテーメント、そして中大兄・鎌足の出会ったつきの木広場…と例えられ
太田さんのこだわりの中で、万博ならば「太陽の塔」にかわるシンボルとして、そびえたつ
大きなものが欲しい…、とそれが今回の「つきの木」の植樹となったことを伺いました。
何と楽しく、遊び心満載の洒落た発想だろうと感心しました。
そもそも30年前のラジオウオークが始まる時の会議に私も参加していましたが、クリエイト
大阪社長の松田一二さんが、ソニーのウオークマンを聞きながら「故地を歩く」発想と、
福徳相互銀行重役の扇野聖史さんが自らの足で歩かれて書かれた「万葉の道」と言う本を
売り出す方法として、両者が結び付いて生まれた企画でした。それを毎日放送のラジオ局局長
の郡庸一郎さんがラジオ番組の企画として、「ラジオカルチャー」「ラジオウオーク」という
ジャンル、機会を作ってくださったことが、今日に続いているのです。
そして、われらが犬養孝先生の監修と協力なしにはできないので相談しながらスタートした
イベントでした。30年も続いたのですね。すごい!
犬養先生は、第16回まで参加されました。17回は、気にしておられたのですが、私たちで
体調を思い、無理やり出演を取りやめて頂いたので、犬養先生が気にされて、気にされて
とうとう私が、その後1週間あまり経った、2月19日に二人で明日香村へ行ったのです。
その機会が犬養先生が明日香村へ行かれた最後になりました。(追悼文『明日香風とともに』
に寄稿しています。)
飛鳥寺の西門近くのつきの木広場を再現したい…目的でもあるので、このたびの植樹の儀式は
飛鳥寺の上島副住職の読経の中、行われました。
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昨日の雨以上に、豪雨の中西宮から出てきましたが、何と植樹のセレモニーの間は雨もやみ、
私たちは何と幸運なのでしょうか。青山・猪熊・上野先生ら出演者をはじめ、毎日放送、
毎日新聞社、明日香村村長・教育長など・・・スコップでつきのきに土をかけて…。
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これは、「木」に添えられた副碑です。このたびの「思い」がつづられています。
ラジオウオークでおなじみの柏木宏之アナウンサーが司会・進行で取り仕切ってくださいました。
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上島飛鳥寺副住職の「飛鳥は聖地である。日本の「聖地」である意識が、京として古代から
今の遺跡に至るまで続いているのだ。」と力強く述べられました。
ふむ、「日本の聖地」か!
そして、毎日放送のラジオ局の局長が、1400年の飛鳥の長い歴史に、古代を彷彿とさせる
「つきの木」のあらたな歴史が、新たに加わったことの意義を述べられました。
松田さん、扇野さん、お元気だったらこのような企画はお二人がなさったことでしょう!
良かったですね。我ら万葉衆はいまも健在です。
私も「万葉」の世界を率先して楽しむ一人として、「遊び心」に満ちた楽習を続けますね。
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最後に、私も横に立ち、植樹のつきの木の「大きさ」はこれくらいです。
そうそう万葉時代のつきの木は、今の「けやき」のことです。
ラジオウオーク30回おめでとうございます。31回目のコースはさて、どこだ!

5月に行うコープカルチャーの明日香散策の下見に出かけました。
朝、甲子園出発時は雨模様→明日香村は晴天→帰宅時の甲子園は雨???でした。
要するに恵まれたことに、明日香村では心地よく歩けたわけです。(笑)
空気が澄んでいて、気持ちよく…。まずの甘樫丘で、深呼吸しながら展望台へ。
犬養先生の歌碑の前の「乙女椿」です。途中でユヅリハも見つけました。
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甘樫丘の入り口には、しゃが?の花がいっぱい咲き乱れていました。かわいい。
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飛鳥坐神社の正真正銘の桜です。同枝に紅白の花をつけ…。味真野は桃判定でしたね(笑)。
おっと、境内に春の風物詩が…。
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大伴夫人のお墓へ、すぐ隣には菜の花が広がっていました。
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ちょっと寄り道した奈良県立万葉文化館で、もくれんとかえでの花です。
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カフェでお茶でもと思ったのですが、入り口を覗くと明日香村の関村長と目が合い…。
私は、お忍びで?歩いていたので、あきらめて出ました。
明日香民俗資料館…真神荘の塀きわの美しい芍薬。華やかです。
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遠方からでも目をひく鮮やかさ。石舞台古墳にあるキクモモです。すごい。
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久しぶりに訪れた橘寺。往生院の天井絵の素晴らしいこと。まさに百花繚乱でした。
お庭には、このてがしわの花がもう咲き始めていました。
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そして、スイセンと女王然とした芍薬がここにも!
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でもきょうもっとも私が感激したのは、久しぶりに見たあちこちのれんげの花。
畑に戻ってきました。一時はまったく姿を消していました。
大学生の時、明日香村では必ずピンクの華やかなれんげ畑の中で写真を撮ったものです。
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気がつけば万歩計は12キロ。当日は初心者のため5~6キロコースと言ってあります(汗)。
自然の営みに導かれるままついつい歩かされました。
明日香村はいつ訪れてもやっぱり魅力的ですね。また本番が楽しみです。ルンルン。

昨日は、「越前の春を訪ねて~味真野・一乗谷バスツアー」に出かけました。
天気予報は、曇りのち雨。奇跡を願いながら、出発しました。
集合はみなさんいつも早めに集まってくださるのですが、待ち合わせ場所を間違えた方が
あり、30分遅れで出発。そんな時に限って、平日であるにも関わらず、工事渋滞の高速道路で
スタートから大幅に予定時間が狂ってしまいました。がび~ん!
まずは、「一筆啓上」の簡潔な手紙をお手本として、「日本一短い手紙」の公募で有名に
なった丸岡町へ。(現在は、坂井市)桜の名所100選でもある丸岡城は、平山城で、天守閣が
残されていますが、国内現存天守閣12基のうちで、最古のものだそうでした。
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日本の桜の名所100選で有名な丸岡城のしだれ桜がちょうど満開でした。
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そして、400年以上埋もれていた一乗谷の朝倉氏の遺跡へ。戦国大名・朝倉孝景から5代
103年にわたり越前を支配した朝倉氏。5代目当主の義景は浅井氏と同盟を組み織田・徳川
軍と激突して、刀根坂の戦いで大敗後、義景は自害。朝倉家繁栄もこれで幕を閉じましたが、
国の特別史跡として指定された広大な敷地と復元された町並から当時の繁栄を偲ぶことが
できます。それ以上に「一乗谷」と呼ばれる山間の地は、先日の青山政吉さんの水彩画を
思わせるような風景で、美しさと静けさはさながら静止画のようでした。
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素晴らしい自然に心惹かれ、いつまでもここにいたいような気分になりました。
薄墨桜と椿のコントラストも素敵でしょ!
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そして、旅行のメイン故地でもある味真野へ。観光協会の会長・前会長・万葉菊花園の館長
がそろってお出迎えして下さり、何と雨模様の中、万葉衣装のご婦人がたも…。
大歓迎して下さり、ありがとうございました。限られた時間でしたが、犬養先生の揮毫歌碑
のある味真野苑の比翼の丘へ。もちろん全員で朗唱をしました。
越前の春を訪ねて…と今頃は、この庭園の木々の花々が各種満開のはずが、まだまだ
咲き揃わず、日野山のふもとの桜はまだ咲いていないとか。この天候異変はなんだ!
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でもめずらしい「思いのまま」と言うこの木。地元の方は桜と言われたのですが、目が利く
万葉植物にも詳しい方々は「桃」と判定! さてどっちなのでしょう?
でも1つの木で紅白が咲くなんてとっても不思議。自然って神秘的です。
やっと全員で記念写真がとれました。継体大王と照日の前の銅像の前でです。味真野の
もう一つの象徴でもありました。
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中臣宅守と狭野弟上娘子の万葉歌63基すべてを歌碑にして、散策のロマンチックロード
として作られた味真野苑からの道を毫摂寺あたりまで歩き、私の名前の刻んで頂いている碑
もみなさんに恐縮ながら確認して頂きました。時間はすっかり予定からほど遠く過ぎて
しまいましたが、最後に紫式部公園に寄り、帰途へ。
和気藹々と楽しく過ごした一日もあっと言う間に過ぎました。
心配された雨も、私たちが歩くときにはほとんど気にならない程度の小雨で、やっぱり
ついていました。
大幅に帰宅予定が遅れてしまい、本当に申し訳ありませんでした。次回からは欲張らない
ように気をつけます。(汗)
でも全員元気に笑顔でお別れできましたので、主催者としてはホッとしています。
しかし、「春」遠からじ…の今年、本当にどうなっているのでしょうか。
でも今年最後の「桜」を、大好きな桜を満喫できたことを幸せに思いました.

フォトギャラリーでもご紹介していますが、地元でこんなに素敵な空間があることを
あらためて知ることができ、万葉うたがたりコンサートができたことを大変幸せに思って
おります。
犬養先生とも交流があったことから、青山政吉さんの今回の絵画展が決まった時に、私たち
を思い出してくださり、コンサート企画をしてくださった、理事で副館長である森田さんに
感謝でいっぱいです。ありがとうございました。
せっかくのチャンスでしたので、前もって絵画を鑑賞して、当日のプログラム(選曲)を
考えました。日本全国を描いておられて、まさに「万葉の旅」がテーマとなりました。
講堂のホールの100人以上のお客様で、なつかしいお顔にも出会えてとてもうれしい
機会でもありました。
美術館を意識して、今回のうたがたりも「絵になるステージ」をめざしました。
それで、グランドピアノにバイオリンというクラシック楽器で演奏しました。
私も普段は山寺さんにピアノはまかせているので、久しぶりの演奏は極度の緊張!
弾き損じも多々あり、かっこ悪かったですが、「自分の音楽」でもあり…。(汗)
与えられた時間はあっと言う間に終わり、無事終えられてほっとしました。
1週間前にもコンサートがあり、また今週は地元でもあることでちがった緊張がありました。
終わってから素敵なお庭で記念撮影。本当は立ち入り禁止区域でした。
館員の方にご無理を申しまして・・・、ありがとうございました。
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きょうのベストメンバーで撮影です。(マネージャーに徹してくれた山寺さん、ごめんね!)
ゆっくり打ち上げでもしたかったのですが、スタッフの都合で、全員サロンへ片づけに
戻りました。みなさんお疲れ様でした。でも楽しかったね。ありがとうございました。
万葉うたがたり会は確実に31年目のスタートを切って走り出しました。

きょう、4月1日は、犬養先生のお誕生日である。
恒例のごとく、甲南女子大生が犬養邸に自由に集える日でもあり、今は吉本邸と
なったが、犬養先生と共に過ごされたその吉本さんご夫妻にお目にかかり、楽しく
思い出話をしたり、元女子大生は、あれこれ多彩な話題に花を咲かせながら、よく食べ、
よく食べ、よく食べ…!!!
犬養先生の神棚に近いお部屋で、先生の御魂様にもしっかり聞こえていたことと思う。
こうして今でも伺わせて頂けることに心から感謝。
愛子さん、ごちそうさまでした。
きょう、4月1日は金曜日だったが、たまたま仁川教会の教会オルガニストのシフトも変更し、
これからは私が「初金」という、月一度、第1金曜日の朝にたてられるミサのオルガン当番を
担当することになった。また最初の担当が「4月1日」だったことは、私にとってとても
記念になるよいスタートだったように思う。
ちょうど今、教会暦では四旬節と言う、復活祭を迎えるを準備する期間で、復活祭の前日
までの日曜日を除く40日間のことを四旬節と言う。私たち信者は、キリストの受難を
記念して断食・精進(潔斎)を行う期間で、「心・体の我慢、節制」をしながら、回心を
したり、祈る大事な時期である。水浦神父はお説教の中で、3月9日からその時期に入って
すぐ起きた大地震が、何か神様がメッセージしておられるのではないか…と言われた。
私たちは、この回心の時期に、祈り、自らを律し、断食をして神様が私たちに何を望んで
おられるかをしっかり考えることを説かれた。
被災救援に対して私はどうしたらいいのだろうかと自問自答していたが、少し解決した
ような気がした。信者としてともかくは祈ることからだ…。
新年度を迎え、教会奉仕を通じて、気持ちもあらたまった。そして犬養先生の行事も
滞りなく終えることができ、節目よく、私の新たなスタートがはじまった。
犬養先生のお宅の床の間に飾られていた、大伴坂上郎女の歌碑の拓本の軸です。
奈良ホテルの道路を隔てた、東側の住宅街にある、瑜伽(ゆうが)神社の歌碑でした。
犬養先生が撰ばれた古写本の類聚古集に依って、本文を録したそうだ。

味真野観光協会が、現地のロマンチックロードとして歴史・文学の散策の道を
整備なさっていますが、3年計画で、その道筋に狭野弟上娘子と中臣宅守のやりとりの
63首すべての歌の歌碑を建立中です。
地元だけではなく、外部の者も公募で建立することが可能と聞き、私も応募しましたが、
既に味真野万葉協会のご厚意で、会長と同じ歌碑に私の名前を刻んでくださったことを
知り、大変恐縮致しました。
昨年の筑波山神社の犬養先生の揮毫歌碑と前後して、私の名前を刻んで頂く機会を得た
ことには、うれしいよりもまず本当に驚きました。
犬養先生や坂本先生の歌碑ができるたび、「万葉歌」はもちろんですが、「字」いや「書」
の素晴らしさも楽しみの一つでしたので、悪筆・丸字の私は、歌碑どころではなく、「書く」
ことすら有り得ない事ですので、自らあり得ないはずの歌碑に名前だけが刻まれることも
思いがけないことでした。
筑波山神社は、畏れ多くも犬養先生の歌碑の裏側に、揮毫書の提供者として、名前を
刻んで頂きましたが、味真野は、れっきとした歌碑の建立者としての扱いです!(感謝)
63基の歌碑の「書」はすべて、玉村高也さんで、豪摂寺の前にありました。
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4月にTSUBAICHIのバス旅行を計画していますが、これは昨年から懸案のコースでした。
歌碑を建てて頂いたので、是非拝見したいと思い、自発的に出かけた味真野行でしたが、
実際に確認できてとってもうれしかった…です。
26日はまだ、雪のちらつく気候でしたが、4月のバス旅行の頃にはきっと春の花が満開
だと思います。でも庭園ではもう水芭蕉が咲いていました!!!
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ふきのとうも…
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万葉歴史館の春の様子から…。
日陰には残雪もあり、「雪解けの春」の越中にも確実に春の訪れです。
これは高岡市万葉歴史館の庭のかたかご…。
日当たりのよい土手なので、真っ先に咲き始めたようです。
といっても、まだまだ出始めたばかり…。そしてこの写真は、3時頃撮影でしたので、
お昼寝中!? でも大伴家持歌の「かたかご」の開花情報は知りたかったので、うれしい!
(でも古城公園は、まだでした。)
2階庭園で目を引いたのが、クマザサの迫力でした!すごい!
石見シンフォニーでは、ないですが、「深山もさやに さやげども」でした。
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紅白の梅も池を彩り…やっぱりいいなあ。犬養先生の歌碑と語り合いました。
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高岡市を訪れた目的は、小野寛館長の退任の送別会出席でした。
次の場面でご報告を…。
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娘の所属する劇団、遊劇体の第51回公演は、精華演劇祭にエントリーした作品であるが、
また、会場である、元精華小学校(精華小劇場)が、2007年に10年以内に売却予定という、
大阪市の方針によりこの3月で閉館が決まってしまったことを受けて、キタモトマサヤ氏が
関西小劇場の父と言われる中島陸郎氏の未上演戯曲の上演に取り組まれた最後の演劇祭。
中島陸郎氏は、関西の前衛演劇の草分け的な存在である「月光会」で活動されたのち、
演劇プロデューサーとして阪急ファイブのオレンジルームをはじめ、関西の演劇環境の整備に
尽力された方で、亡くなられて十年余、小劇団が使ってきた劇場が次々となくなっていく今、
作品の内容も、劇中の「零の会」と言う劇団が崩壊していく様子が描かれたものである。
演出のキタモトマサヤ氏は、「理想を求めて、その追求の為に人々は集まったとしても
それは、遅かれ早かれ瓦解の道を歩むということを知っていて、その現実の残酷さは
悲しいものなのだ」と述べておられるが、その作品「蘇りて歌はん」を精華小劇場閉館の
レクイエムとしても捧げられた。
劇中の中島陸郎氏の心酔していた師、上村道義こと劇団主宰者は、俳優の(故)内田朝雄で
あるらしい。内田朝雄さんは、悪役でテレビ界のスターであったが、劇団崩壊は、その進出
以前のノンフィクションであったのだろうか。犬養先生の出演された関西テレビ制作の
「万葉の旅」で甲南女子大のゼミ生と唐津や松浦川を訪ねられた時のゲストだった。
それを想い出したので、自身の舞台人の理念を捨て、劇団員を捨てた以後の内田さんの
姿だったのかな・・・なんて今になって思ったりもした。
劇団の崩壊劇と言えど、人間世界の、それぞれの人の生き方や、目的や、人間関係は、
私たちが常に経験するありきたりの状況でもあった。劇中の上村の語る言葉は、素晴らしい
「正論」で、観劇中も「その言葉」に納得もし、感心もした。しかし「現実」という局面で
人は試され、正体を表していくのだと思う。長田武(中島陸郎氏)の語りで、「人間は1度
しか生きられないところを、役者は、いろんな人生を何度も経験することができるのだ」と
語った言葉が耳に残っている。いろんな人間を演じることによって、いろんな人間の立場や
思想や生き様を得て、役者は「人間として」育っていくのだろう。素晴らしい仕事だ。
3時間の超大作だったが、精華小劇場の環境を生かして、キタモトマジックによる舞台は、
面白い、泉鏡花の「山吹」の時も感動したが、劇場のドアの向こうにもう一つのドラマが
あった。むづかしいながらも、集中して「聞いた」作品だった。
大阪市初の公立劇場として、2004年に開場した精華小劇場が今月で閉館する。
大阪の劇場の未来をを期待されながら、大阪市や府は財政事情を盾に、文化・芸術の発信
基地を次々に閉ざしていく。音楽・演劇などの大衆文化は、社会を反映したり、いろんな人の
心をケアしたり、感動を与えたり、人間の情緒に訴える右脳は、人間のバランス感覚に必要な
ものだ。税金の無駄遣いをまっさきに「心」「感性」「表現」を天秤にかけるビジョンも
ない、行政の無神経さに哀しさが募る。
精華小劇場の「精神」よ、永遠に! 解散のエネルギーを挑戦の力に変えて精華演劇祭
は最後まで走り続けるというメッセージに…大きくエールをおくる!!!!!
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昨年、平城京遷都1300年祭記念事業として、民間協力をされた佐保山サロンで、
私たちも10月に万葉うたがたりコンサートをさせて頂いたが、佐保山サロンの活動も
奈良時代=万葉時代と言うことで、今年からもう一段踏み込んだ内容として「万葉・歴史
講座」を起ちあげられることになり、まず第1回目は、坂本信幸先生の講演で幕明けされた。
私もようやく、大学院が一段落したことと、なかなか坂本先生にお目にかかる機会もなく、
久しぶりのこの講演会を楽しみにしていた。
暖かでうららかな「春のひととき」。
ぎりぎりになってしまい、まずお玄関先の小野寛先生の歌碑にご挨拶!
久しぶり訪れた佐保山サロンもいつも満員で、大盛会!
主の岡本さんのご挨拶が既に始まっており、遅れて失礼したが、「万葉・歴史」講座の
趣旨を話されたことだろう。そして坂本先生のご紹介があった。
今回のテーマは「万葉の雪」。
万葉集に、光明皇后の作として、
「我が背子と 二人見ませば いくばくか この降る雪の 嬉しからまし(巻8・1658)
という雪の歌が残されている。この歌の生まれてきた由縁を、151首ある「万葉の雪の歌」の
また、万葉集に「雪」の詠まれた歌の順を追いながら、お話してくださった。
自分の師事する先生のお話を聞く…というのは、あたりまえのようであるが、奈良女子大生は
あまり、姿を見ない。
犬養先生は授業でも機会は多くあったが、それ以外の講演会や、カルチャーなどで話される
機会は、また客観的に『万葉集』の話を聞き、自分自身の知識や視野が広がるいいチャンス
だったことを思い出す。ゼミの学生は当然のこと、誘い合ってできるだけの機会に参加し、
何度でも同じ話でも一生懸命に聞いた。
奈良女子大学の万葉ゼミの授業レベルはもちろん高度なものだが、そこから踏み出した
楽しさを感じる機会がないのだ。何をもって彼女らは『万葉集』を学んでいるのだろうと
何度か疑問に思ったものだ。
たかだか大学生の『万葉集』の知識は限られたものである。
いかに4516首をすべて読み、理解できなくても、総体を把握するだけでも時間は要する。
大学の演習や、たまたま出会う万葉歌は本当に数少なく、私が万葉を作曲していったのも
まず知っている「万葉歌」からであったことは、12月のコンサートでも述べた通りだ。
坂本先生は特に、大学以外の場所でのご活躍も多く、講演にしても万葉旅行にしても、
参加しようと思えばいくらでも機会はあるので、もっともっと先生から恩恵を受けたら
いいのに…。先生の話を大学以外にも、身近に聴けるほど幸運なことはないと思う。
学生は金銭的に気の毒…とよく言われるが、それは今も昔も同じ…。
「何に」お金をさくのかということだ。本を買うため、クラブのため、学会や外の機会に
参加するため、コンパのため…いろいろあるだろう。
でも、学生のための配慮、サービスも多分になされている。楽しく『万葉集』を学ぶことが、
私のように長く惹かれ、続いていくのだ。
きょうも佐保山サロンでお話を聞きながら、しみじみ「もったいないなあ」と思っていた。
お話の中の、吉野の雪の歌から、明日香古京の雪の歌を始め、藤原氏をめぐる人間関係の
延長線上で、再び光明皇后の雪の歌が登場することの「ドラマ」を本当に彷彿と想像する
ことができた。点と点が線になる面白さであった。
坂本先生の横には「朱雀」の幡が、そして、背景の庭園には玄武の幟が演出されて、いい感じ。
楽しく学んだひととき、先生、サロンのみなさま、ありがとうございました!