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萬葉学会の感想を少し…。
10月12日(土)初日は講演があり、「乾 善彦先生の万葉集仮名書歌巻の位置」と
「品田悦一先生の畸形の文法~近代短歌における已然形終止法の生成」を
拝聴した。
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乾先生は『万葉集』の仮名を分析され、表記の個性や木簡資料との差異、部立ごとの特徴など、
字母の細やかなお話から、構成、成立論にまで及ぶ考察に、今更ながら「研究の視点」を学んだ。
品田先生は、近代短歌歌人の一人「斉藤茂吉」研究で、すでに著作もおありだが、講演では、
近代短歌に多く見られる疑似古典語法とも言える「文語」に着目され、万葉の言葉を使いつつも
(お手本のようにしながら)その言葉の既成概念からいかにして遠ざかるかという斉藤茂吉
作歌の手法などを伺ったが、元をただせば『万葉集』で見られる文法の形があって、近代の
短歌表現にどのように享受されているかという興味深いお話だった。
翌日は朝から、研究発表があり8人の方々の発表を伺った。
特に興味があったのは昨年学会に入られたとおっしゃる帝京大学の木下先生で、ご専門は
薬学の方である。昨年の石見の臨地研修旅行でお知り合いになった。
そして、今年早速に発表される題が「日中間で見解の異なる海石榴はツバキ・ザクロの
どちらか」と「海石榴市」にこだわるオカモにとっては大変興味あるものだった。
萬葉学会では初めてパワーポイントが用いられ、資料に加えて花の写真や図などを説明して
くださり、ユニークな発表直後には思わず拍手が起こったほどだ。
私も椿は中国になく、中国へ輸出されて字があてられたというのは聞いたことがあったが、
遣唐使の携えた天皇からの献上品の一つに「椿油」があったことや、中国にはない椿の花に
よく似た「石榴」が、海外から取り入れたものとして「海石榴」という字が当てられた
のでは…とか、また、中国の文献などを参考にしながら、本草学と文学表現から「ツバキ・
ザクロ」の考証を伺い、私も直前にちょうど五島列島へ行き、隠れキリシタンのバラに代る
貴重な花として自生する「ツバキ」の話を聞いたばかりであり、日本古来の貴重な植物で
あったので、花十字として信仰されたことや、三井楽町には遣唐使ふるさと館があるが、
ツバキ油が遣唐使の持参した高級贈答品であったことにひとり感心し、私の中での共通の
話題に驚くばかりであった。木下先生ありがとうございました。
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また、学生さんや万葉学者に交じってUCLAからトークィル・ダシーさんとおっしゃる
米国の研究者が「万葉集巻1・2の歌がほぼ年代別に配列されているか」という、成立論に
ついて発表された。流暢な日本語にも安心したが、歴史とは天皇の言行、言動を中心とした
世界であり、万葉歌の配列がそれによって意図的に編纂されているのでは…と年代順と別の
系譜の論理が働いているのではないか…と発表された。
日本人であってもなかなか理解のむづかしいことを、外国人研究者もこうして日本文学について
研究をされているのだとうれしく思いながら聞き入った。
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その他、宣命の文章が何を参考として作られたかという考察や、人麻呂歌から詠む女性像や
『懐風藻』の序から、編者の知識や教養の出所を中国文献を検索して考察してみる発表や、
古写本の「読み」や歌の配列を検証したり、本当に『万葉集』の切り口というのか、いろんな
角度からの研究対象になり得る引き出しの多い、魅力的な「歌集」なのだと改めて感じた。
私は「万葉愛好家」と自認しているし、客観的に『万葉集』についていろんなことを知りたい
という立場なので、質疑応答で、研究の内容・方法・発表について様々なアドバイスが
なされる様子を見ながら、多様な話題を素朴に聞いて楽しませて頂いた。
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代表の内田賢徳先生のご挨拶にもあったし、私も同世代なので漠然と感じたことだが、
かつての著名な万葉集研究者の引用が少なくなり、それだけ研究も進化したということなのだと
思うが、私も少しさびしく感じた。また、芳賀先生が辛口で今後の研究に対する姿勢として、
文献の扱いや研究の視点をどこにおくか…ということなどを語られたが、個人にではなく、
確かに今の若い人たちには大事なことだと思った。
先人の苦労を思えばコンピューターの普及や資料の豊富さなどで、研究が安易に作業化して
いないか…と実際に思う。
時代を経て、萬葉学会も徐々に変化しつつあるのだろう。
わたしも大いに刺激を受けて帰宅した。やっぱり『万葉集』って楽しい。
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帰宅した翌日、14日の朝、最期の朝顔が咲いて「おかえり」って迎えてくれた。
花の形も変形したいびつなものだったが、とても愛しい。最後までつきあってくれてありがとう!

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4年目となった、中西久幸さんの「和歌世界の散策シリーズ」と銘打った、この文学講座も
毎年世相や、歴史の注目度に呼応して、タイムリーな話題を提供して下っているが、今年は
NHKの大河ドラマが、「八重の桜」という新島八重を取り上げていることもあり、人物について
の学びもあったが、特に「和歌世界のさくら」についてお話をして頂いている。
今回は「桜シリーズ」の3回目で、今回は特に季節も合わないことに中西さんはひたすら
恐縮されたが、私たちは、最終回を楽しみにしている。
資料では1、「春雨と菜種梅雨」2、万葉集の「春雨」3、勅撰和歌集の「春雨」
そして、4、「さくらこ」伝説等、お話をして頂くことになっている。
また、おまけに、先日話題に上った「君が代」についても和歌の見地から解釈をしてくださる
そうで、私は講座後の議論が今から楽しみでもある。
TSUBAICHIの誇る文学カルチャーに、ぜひお越しくださいませ。

毎月の第2水曜日は、猪名川万葉の会の講座日ですが、4月は11月の秋の万葉旅行に続いて、
2度目のバス旅行で、鳥取市の因幡地方へ出かけました。
日帰り強行軍ですが、3月23日に新たな高速道が開通し、より近く、より早く到着できる
ようになりました。
今回は因幡万葉歴史館や因幡国庁跡など、大伴家持の巻尾の万葉歌1首でふるさと創りを
されてきた、「国府町」を目的に出かけました。「ふるさと」など、唱歌の作曲家、岡野貞一さん
の出身地で、童謡・唱歌の「わらべ館」や、鳥取砂丘など、有名な観光地もありますが、
私たちは「あらたしき 年の初めの 発春の 今日降る雪の いや重け吉事」の歌に
こだわり、天さかる鄙の地に国守として赴任した大伴家持の心を旅に求めました。
私たちが学生の頃から訪れていた万葉歌碑の場所で、まず記念撮影です。
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案内をお願いしていた因幡万葉歴史館の学芸員の鎌沢くんの転勤で、急遽来て下さった
観光ボランテイアさんが、な、なんと、元国府町町長の木村肇さん。
国府町が鳥取市へ市町村合併後、引退されていたが、余生をこのように率先して地元貢献を
しておられるなんて、感激しました。
それにしても、私たちも偶然とはいえ、史上最強のボランティアにお世話様になれたことに
心から感謝しています。
木村さんありがとうございました。
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時間が限られた中で、今回の目玉は「万葉衣装体験」と「朗唱」でした。
猪名川では、講座が始まってちょうど1年ですので、万葉行事やイベント情報なども
ご紹介している最中なので、今回はチャンスだと思い参加者全員で体験してみました。
最初は遠慮がちだったみなさんも、いやはやすっかりその気になってくださり大成功!
男性もよくお似合いでした。犬養先生の歌碑の前で全員で記念写真!壮観です。
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日帰り旅行の限界もあり、国府町の中だけでも、あとは池田家の墓所だけ。
因幡一宮の宇部神社にも行きたかったのですが、遥拝でごめんなさいでした!
私の思いがかない、猪名川万葉の会の方々をお連れできたことで、満足しています。
『万葉集』の巻尾の大伴家持の歌1首を支えに、歴史発信、古代ロマンでふるさと作りを
してこられた国府町というものを、万葉を学ぶ方たちに見て頂きたかったですし、
明日香や大和地方ではない、万葉歌の背景を訪ねる「旅」として、よい経験をして頂けた
ことと思います。
そして、猪名川万葉の会の秋の旅行は「淡路島」に決まりました。

阪神淡路大震災の18年目の今日、亡き人を思う。
同級生のお嬢さんは、娘と同じ年だった。ピアノの生徒さんのおばあちゃんや、
甲南女子大学の犬養ゼミのお仲間のご両親や、身近な「悲しみ」を私も間近で
体験してきた。つくづく私や、家族が幸運にも生かされたことの「重み」と感謝を
思わずにはいられない。
その今日、私が昨年あとから訃報を知り、思いがけないお別れをしてしまったお二人の
ことを記しておきたいと思う。
お1人は、作曲家で、シンセサイザー奏者の東祥高さん。ご本人の意思ですぐに世間には
公開しないとして、新聞の訃報欄では亡くなれて2ヶ月経った12月に公表された。
東さんは、かぎろひの里、大宇陀のご出身で、平成8年の「かぎろひを観る会」でお親しく
なった。それまでも文書やお手紙で『万葉集』についてのお尋ねや、私たちの活動を
聞いてこられたり、やりとりはあったので、存じ上げていた。
私もかつてフォークバンド「5つの赤い風船」のメンバーだった東さんが、脱退・独立
してシンセサイザー音楽をやっておられることを知っていたが、ご縁ができるなんて、
夢にも思っていなかった。
平成8年は、「かぎろひを観る会」に、私たちはゲスト出演させて頂いたおかげで
東さんやスタッフの方々と一緒に食事をしたり、地元のペンションで仮眠するまで
ゆっくり過ごさせて頂いたので、東さんの人となりを知ることができたように思う。
その頃も、ヘビースモーカーで、食事は好き嫌いが激しくて、お酒はとても好きな人
であることはよくわかった(笑)。
そのことが直接のきっかけとなり、東さんが地元の依頼を受けてCD「かぎろひシンフォニー」
を制作される時に、私の「阿騎野寒暁」の歌も挿入したいということで、東さんが編曲され
た。
それを万葉うたがたり会が歌唱するということで伺った、東さんの音楽スタジオが
なんと今のTSUBAICHIの大淀南の町内のマンションだった。
まさかその近くに今私たちがサロンを構えようなんてつゆ知らず…の頃。
東さんは、犬養先生のイベントで大阪城ホールで行われた「一万人の万葉衆」の
オープニングで演奏されたり、私も何度か大きなイベントでもご一緒させて頂いている。
そして、2010年の平城京遷都1300年記念イベントで、「平成の歌垣」という歌垣を
ベースにした音楽劇があり、私も歌博士という役で1週間出演させて頂いたが、
企画からシナリオをおこす前から、シナリオ作家と演出するイベント会社と東さんが私の
サロンに何度か足を運んでくださり、「万葉歌」の選定と、曲想などについての相談に
私も関わらせて頂いた。
そして遷都祭のオープニングイベントとして行われた「平成の歌垣」は、大好評だったが、
音楽担当でもあり、全部の作曲を手がけられた東さんは、何と「意に沿わない」仕事と
公言し、終始私にも不機嫌だったし、特に私の出演に関しては、素人のくせに…と
いやだったようだ。でももがんばりましたよ!
そして昨秋、思いがけなく平城京の天平祭で、2年ぶりに再演された「平成の歌垣」。
私の再出演が決まり、1回目の顔合わせの10月に、1週間前に亡くなられたばかり・・と
東さんの訃報を知った。信じられなかった。
2年後の「平成の歌垣」の再演が決まったことで、私はまた東さんに辛口で皮肉なイヤミを
いっぱい言われるだろうな…と思っていたが、反対に、この時期に再演のこの機会が
めぐってきた事の偶然に本当に驚いた。
結果はブログで記したとおり、当日は、めずらしい大雨で、結局出演者のラインナップ程度の
「中止」状況だった。
残念だったが、東さんの涙雨なのか、全力でイベントを阻止されたのかよくわからない。
しかし、確実に亡くなられたばかりの東さんを偲ぶ大きな機会であった。
東さんは『万葉集』を素材に歌う人が増えていく中で、私を評価してくださっていたようで、
いつも本当に辛口ではあったが、細々と個人で万葉活動をする私を信頼してくださっていた。
本当に思いがけないお別れに、切なさがこみ上げてくる。
12月29日の早朝、大宇陀では41回目のかぎろひを観る会があった。
いつもロングコート姿で、かっこよく参加される東さんの姿はもう見られない。
新春のTSUBAICHIでは、東さんとの思い出の多い、「かぎろひ」の写真を飾った。
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そしてもうお1人のさようなら…は、万葉スケッチ画家の冨田利雄さん。
奥様からの喪中はがきで知った。
油絵の前衛的な画風から一転、万葉故地の繊細なスケッチ画で、冨田さんの万葉故地世界を
作り出された。
私も万葉歌のCD制作で、最初の「恋歌vol1は、冨田さんの「二上山」のスケッチ画で…と
こだわり、冨田さんの個展で購入した「絵」をもとにジャケットに使わせていただいた。
その後も犬養万葉顕彰会で、テレホンカードを作成させて頂いたり、「万葉の仲間」として
長いお付き合いだった。
お目にかかる機会も少なくなり、時々「お元気かな…」と思い出してはいたが…。
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お二人にこれまでのご縁とご厚情に感謝しつつ、サロンで私の追悼をさせて頂いている。
ありがとうございました。またお目にかかるまで…。
私には、CDでお二人の音楽と絵が残りました。永遠に。
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朝、時計がわりにつけているテレビで、「おはよう朝日です」「モーニングバード」の
時間帯に自宅を出る。
私は普段もニュース番組以外はほとんど見ないので、私にとって貴重な視聴番組であるが、
モーニングバードの木曜日の社会や政治を検証する「タマペディア」と生き方の素晴らしい
女性紹介の「Gウーマン」のコーナーが特に好きなので、木曜日は録画準備をして出かける。
すぐに録画を見る時間がないので、雑時間にこま切れで確認するような状況だが、年始の
1月10日のGウーマンは人形アニメーターの真賀里文子さん(76歳)だった。タイトルは
「1コマに賭ける情熱」で、作品にコンタック600のカプセル君だったり、いくつか見かける
CMのキャラクター的なシーンを見て、「みたことある!!!」と思いながらテレビを見て
いるとなんと思いがけない場面が出てきた。
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真賀里さんの15年くらい前の写真???かしらん。TV画面に現れた制作中の人形は、なんと
五島列島福江島の三井楽町に遣唐使ふるさと館開館のために発注された「遣唐使ものがたり」の
人形だった。「お~っ!この人が作ったのだ。」
そして、76歳の今も自慢にされている成功例として、遣唐使船が荒海を航海する様子を
表すのにアニメーションで「波」をいかにつくるかの創意工夫だった。
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今は五島列島の離島で初めてできた「道の駅」として、紹介されている遣唐使ふるさと館だが、
五島市に市町村合併されるまで、福江島でひときわ光を放っていた「三井楽町」。
万葉の故地、最西端の「みみらくの里」として、地元の増田さん(故人)や犬養先生を中心として、
万葉の里づくりの頃から私も存じていて、集大成のような形で遣唐使ふるさと館ができた
時のうれしかったこと。そしてここを中心に、万葉フォーラムも2度開催され、私たち
万葉うたがたりコンサートの機会も数回経験している。
遣唐使ふるさと館の目玉は、この遣唐使ものがたりと共に、『万葉集』の左中に「みみらく」
という地名が出てくる山上憶良の志賀の白水郎(あま)の荒雄の歌、10首をドラマチックに
描かれた「荒雄」のアニメーションで、道の駅となった今もなお、万葉シアターは健在で
(本当によかった!)多くの方に見て頂きたい素晴らしい作品だ。
真賀里さんというご婦人は初めて知ったが、私たちの執着する万葉故地のための作品を
手がけて下さった方の紹介をたまたま見られたことが、大変うれしかった。
三井楽町は平成の大合併で17年に五島市となり、三井楽町の1町の町おこしはその時に
終わりを迎えた。
万葉フォーラムで全国の万葉ファンが集い、会場ともなり、賑わった遣唐使ふるさと館も
当時、地場産業の起業としてはじめられた「地ビール」も評判だった。
東京からシェフを迎え、五島牛のレストランもあり、夢のような賑わいだった。
その後、福江島の港も整備され、立派な商業施設となり、遣唐使ふるさと館にあふれる
名産品や、おみやげものも次第に減って、数年前個人的に訪れた時に、「道の駅」という
ネーミングも少しショックだったが、設置された地ビールのタンクは錆つき、あまりの
変わり果て様に、「平成の大合併」が何が地方分権のための政策の一つなのだ!と矛盾に
腹が立った。合併に同意することで、その時の地方の負債をチャラにするだけの「飴」だった
ことを如実に思い知らされたのだ。
万葉うたがたり会のメンバーは、口をそろえて、演奏をさせて頂いた万葉故地でもっとも
思い出深い、素晴らしい印象の土地だと言う。
奈良女子大学の大学院在学中に、現役生の岐宿町出身の洗川志穂さんに出会い、よく五島の
話をした。その彼女も五島に戻り、市役所に就職をして働いているようだ。
お正月に、仁川教会の水浦神父様が、「今年福江島で献堂100年記念の教会行事があります。
岡本さんもお誘いしましょうね!」と言って下さった。
本当に是非時間を作って何かの機会に五島列島、福江島へ。そして三井楽の町を訪ねたい
と思っている。
白良が浜には犬養先生の揮毫された大きな歌碑があり、三井楽を守っていてくださる
犬養先生にも会いたいもの…。

万葉うたがたり活動を開始して、33年目にはいった。
明日香村の万葉の歌音楽祭などで、一般の人々にも「万葉を歌う」機会が増えてきた。
「音楽」に精通している人は多くても、はじめに言葉ありき…と、初めに『万葉集』が
ありき…で、「万葉歌」を歌える人は残念ながら少ない。
私が重宝して頂けるのは、肝であるそこが突破できる人が少ないからだと思う。
その中で、私が「万葉うたがたり」の後継者が現れたとうれしく思うのは、万葉うたいびと
と称する風香さんの活動を拝見してのことだ。
この度の忍坂街道まつりも風香さんの「万葉コンサート」があるので、いちどゆっくり
拝聴したいと思っていたので、この機会をずっと楽しみにしていた。
折しも、前日の万葉の歌音楽祭では、「泊瀬川」という桜井市を流れる地元の万葉歌の
歌唱で、満票で大賞を受賞されたことは、ブログに書いた通りである。
その翌日のコンサートということで、まさにステージに花が添えられた受賞となられた。
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風香さんとは、万葉の歌音楽祭を通してお知り合いになったが、「万葉を歌う」という
きっかけが、まず私の万葉うたがたりコンサートを見てくださったことに始まるそうだ。
万葉集を歌われることから「万葉故地」への関心は、万葉の旅につながり、そこで犬養先生
とも出会われることとなった。それは著書であり、歌碑であったり、先生の姿こそないが、
犬養万葉、風土文芸としての万葉を意識して、万葉歌の作曲にも繋がっていかれたことと
思う。そして桜井市忍坂の方々との出会いになられたことだろう。
「忍坂」とかいて「おっさか」と読む。ここには、額田王の姉、鏡王女のお墓があるところで、
ひそやかな奥まった谷間にあり、鏡王女の万葉歌の
秋山の 樹の下隠り 行く水の われこそ益さめ 御思いよりは  巻2-92
の歌がしのばれる静かな場所だ。
犬養先生の歌碑があり、道行く人も見落とすような、目立たない小川の川べりにある。
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そこを通って、山ふところに鏡王女のお墓がある。
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久しぶりでも静かな変わらぬ光景だったが、きれいに手入れされており、この場所を
大事にしてくださっている様子が伝わってきた。忍坂区で作成してくださった立派な看板で、
この地を訪れた人が、故地を理解できるように努力してくださっていることもありがたいことだ。
11月4日の忍坂の街道まつりには、多くの人が参加されていたが、それでも奥の谷には人影も
まばら…。人知れぬ里であってほしいが、万葉ファンには是非訪れてほしい名所である。
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風香さんのコンサートは、午後からのメインイベントとしてゆっくり聞かせて頂いたが、
日本書紀に、雄略天皇の歌として「隠り国の 泊瀬の山は 出で立ちの よろしき山
走り出の よろしき山の こもりくの 泊瀬の山は あやにうらぐわし あやにうらぐわし」と
載せられている、そこから忍坂のテーマソングとして作られた「あやにうらぐわし」は、
地元の子供たちも共に歌えるふるさと讃歌だ。
風香さんと子供たちが舞台でも楽しく歌唱された。「♪あやにうらぐわし」

ステージでの風香さんを拝見していて、自分の活動を省みる機会でもあった。
私は日本の各地で、犬養先生の頃からご縁を得て、関わっている故地があるが、風香さんには、
大好きな桜井・忍坂にしっかり軸足を置いて、ふるさと発信のお手伝いをなさっておられる
ことにうれしくなったが、今後も『万葉集』の歌は増えていくだろうが、忍坂のみなさん
との原点を忘れることなく、活動を続けていって頂きたいと思った。
しかし、歌曲の創作はもちろん、詩心もあり、語りも上手で、大変素晴らしいステージだった。
犬養先生へ報告、「舞台では、先生の書かれた文章の朗読もありましたよ。忍坂の
万葉かたりびとの存在をみつけました。風香さんの活躍に期待しましょう!」って。
風香さんの今後に期待!!!

今年は古事記撰録1300年ということもあって、奈良では記紀・万葉プロジェクトという
広大なテーマで、日本書紀の1300年記念の2020年まで、関連行事を行っていく事業が
はじまっていますが、奈良のみならず、神話のふるさと出雲国である、島根県もこの
機会に何とかふるさと発信をしようと、島根県の東側では、『古事記』。
そして西側の浜田、江津、益田は柿本人麻呂の石見相聞歌を中心に、『万葉集』で
アピールをしようと、準備をしてこられました。
9月の初めに、全国万葉フォーラムIN島根も行われましたが、今年の萬葉学会がこの地で
行われる予定でしたので、私は大変楽しみにしていました。
サロン業務も忙しいさなかでしたが、この期間だけは行かせてほしいと万障繰り合わせて
予定していました。
学会の会場は浜田市にある島根県立大学でした。高台から日本海の見える広大な敷地に
建てられた、恵まれた環境のキャンパスでした。
しかし、3年前にこの大学の女子学生がバイト帰りに殺人事件に巻き込まれたことを
伺い、まさにその時の報道を思い出しました。
残念ながら未解決で、早く犯人を見つけてほしいと願いますが、都会と違って、大学周辺は
人も住居も少なく、女子学生が暗い道を帰宅するのも、だんだん慣れてきて、事件に遭遇
してしまったのかなあと思いますが。本当に一人歩きは不安な雰囲気でした。
つい最近、新たな手がかりがあったような報道がありましたので、是非解決に繋がって
ほしいと心から思いました。
さて、学会の初日は基調講演です。
前東京大学と前京都大学の双璧の教授の講演で、大変聴きごたえがありました。
内田先生は時間が押して、時間通りにご自身で切り上げられましたので、残念。
最後のところが聞きたかったのに…でした。
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夜は、万葉研究者、学生、一般参加者も混じっての懇親会がありました。
そこでのおもてなしは、もちろん石見と言えば「神楽」で、
ホテルの宴会場でしたが、ヤマタノオロチの名場面を見せて頂きました。
場所的に狭かったので、ヨマタの大蛇(オロチ)でしたが…。
すぐそばで迫力もあるし、オロチの回転や動きが器用で、感心しました。
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でも私は神楽のためのお囃子方にくぎづけ。笛も太鼓もずっと演奏しっぱなしなのです。
その賑わいとリズミカルな鐘や太鼓があるから、臨場感が増します。
地元での歓迎で早速「石見神楽」という老舗の芸能を見せて頂き、会場も盛り上がりました。
翌日は、若手の研究者をはじめとした、研究発表会でした。
昨年萬葉学会の奨励賞をとられた高岡市万葉歴史館の垣見さんも発表されました。
発表される方も、聞く方も真剣勝負です。そして私は「万葉研究」最前線の、また発表の
場に来れたことを本当にうれしく思いました。
2日間の学会の全国大会の後は、臨地研修旅行があります。
今回はこちらのコースが本当に魅力的で、すっかり楽しみました。(つづく)

遅まきに感動の記録を残しておきます。
呉、大和ミュージアムのシンポジウム、コンサートの翌日、オプショナルツアーで、
「古代の瀬戸内海航路」クルージングで、万葉集・平家物語、そして豊かな自然と
環境の海「里海」をたっぷり1日かけて巡りました。
出発は、昨日の会場地、呉市の宿泊地クレイトンベイホテルのプライベート桟橋からです。
(かっこいい!!!)乗船して見た呉の港です。
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心配されたお天気もよし、絶好のコンデション。いやでも気分は高まります。
今は、橋でつながっている江田島と倉橋島をくぐり抜け、船は西へ。
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参加者が多く2隻の船の航行でしたが、私たちの船は甲板に上がれたので、やはり直接
風を受け、波をみて、肌で体感し、航海の行く手も堪能したかったので、私たちは
早々から甲板で過ごしました。(ほぼ終日甲板にいたので、9月に漁師やけとは…)
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一般的には、外海ではないので、穏やかな瀬戸内海でしょうが、このたびは、丸1日
船旅をするという試みでしたので、古代を学ぶ大変貴重な経験ができました。
瀬戸内海の風光明媚な景色の裏腹に、島々を潜り抜けながらの操行。手漕ぎの船で大変
だったことでしょう。時間の経過とともに変化する天候・風、波の様子、潮目など、
刻々と変化していきます。一喜一憂しながら、船旅をする実感を得ました。
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時には、潜水艦と出会いました。おー、やはりひそかに海を偵察しているのだ。
平清盛じゃないけど、海賊もいたことでしょうし、「海の上」という状況は、逃げ場がない
ことが悲壮です。ですから、船泊まりをする時は、心の落ち着きを取り戻すひとときでも
あったことと思います。航海を思い、行く先を思う。それゆえに、故郷を思い、家族を
思う。
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今回、上陸した「祝島」。
上陸は、私は2回目でした。島の火事の経験を踏まえて家屋の類焼を免れるために作られた
「石壁」作りの家並み。今では島を代表する文化財になっています。
しかし、200軒からの家に、半分以上が空き家とか。さびしい限りです。
その残っておられるおじいちゃんおばあちゃんが「将来の孫子のために残す大事なふるさと」
として守るために、体を張って、上関の原発建設の反対運動を行っておられるのです。
テレビでも何回も見ましたが、島のあちらこちらに「意志表示」の姿勢を見ることが
できました。
また、地元民ではない、若者たちが「祝島」のために「人々」のために、「日本」のためにと
協力活動を続けていられる様子も知りました。
島の人たち、協力者の方々、そして共感した私たち、みんながんばれ!です。
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前日からご一緒に参加してくださっていた祝島の橋部さんともお別れ。ありがとうございました。
ご紹介頂いた「神舞」は、是非見たいなあ。4年に一度でしたね。島を後にして再び海へ。
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船では坂本先生のご説明を聞きながら、次の上陸地は二神島。そして大崎下島に…。
この島は「大長みかん」で有名な場所。「檸檬焼酎」もあり、みかんジュースも100円で
飲みましたが、柑橘類が豊かに育ち、また島も明治・昭和の賑わいをしっかり残した賑わいの
島のようでした。観光誘致もしっかりできていました。
天神さんと、島の町並みです。
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大きな島ですので、私たちは御手洗港だけの上陸でしたが、この島までは呉市からバスで
行き来できるそうですので、散策にも楽になったようです。そして、これを陸続きというべき
なのか(笑)。
立派な天神社があり、またレトロな町並みはかつての島の賑わいの面影があり…。
もっと時間をかけて回ってみたい島でした。
帰着は三原港へ。1日をかけて体験したクルージングは、船が好きな人、苦手な人…と
乗った人たちの違いからも共通体験の「受け止め方」や「心境」はことなるはずです。
加えて「命がけの船旅」ですから、「つらつらら…」と心弾む気持ちはほとんどなかった
と思われます。
瀬戸内文化を考える会でしたが、このたびは平清盛ブームも加わって、古代からの瀬戸内
の歴史や風土を顧みる機会でもありました。
大変深い印象に包まれたクルージングでした。

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学生時代に犬養万葉を聞かれてから、「万葉活動」が人生のライフワークになれらた
方は少なくありません。
このたび、『万葉歌みじかものがたり』を出版された中村博さんも、お仕事の第1線を
退かれた後に、心に残る万葉の灯を再び燃やされたおひとり。その延長線上の偉業です。
犬養先生の名著『万葉の旅全3巻』に登場する「万葉故地」309か所をまわられ、先生の
写された写真の場面、故地を追われるうちに『万葉の旅今昔』として全国掲載されたすべての
写真を検証してみようとすべての比較の写真を撮られました。
その達成感と共なる虚脱感から、次に山内英正さんの『犬養孝の万葉歌碑』の本に触発されて、
全国にあるすべての犬養万葉歌碑を訪ねられて、写真に収められました。
その達成感と再びの虚脱感…から、ついに大阪弁で万葉集を訳してみようということに。
それは、『万葉集』の注釈書が万葉歌に忠実なあまり、肝心の「歌心」が伝わらないのでは
…と常々思っておられたことと、若い世代に身近に受け入れられるための手段として、挑戦
されたというのは、万葉の魅力を若い人たちに「音楽」を通して伝えたいという私も同じ、
共通の思いです。
出版社が決まるまでに時間がかかられたようですが、「訳」はできているそうなので、
今回8月に2冊目が出版され、第10巻まで2~3か月に1冊の割合で、出版されて店頭に
並んでいくそうです。すごい!
私たち犬養万葉門下として、是非お祝いを兼ねた記念会をしおようと言うことで、サロンを
会場にすることもあり、私が代表世話人ということで、出版記念会を開催させて頂きました。
一部は、中村さんの「万葉人生」ともいうべき、今日までの道のりなどを講演していただき
ました。
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2部の祝賀会では、中村さんに「生きがい」を与えた『犬養孝の万葉歌碑』の著者、山内
英正さんはじめ、親しい方々のお祝辞など、食事をしながら和気藹々と楽しく集いました。
中村さんが阪大の混声合唱団出身とはつゆ知らず、犬養先生の甘樫丘の1号歌碑建立の時に
中村さんはOBで、山内英正さんは新入生で一緒に黛敏郎さんの「万葉歌碑の歌」を合唱
されたとわかり、中村さん、山内さんを中心に全員で「万葉歌碑の歌」を合唱しました。
いや~、思いがけない混声合唱団の先輩後輩でした。
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おっとりとされた奥様の内助の功、お嬢様の作られたクッキーの引き出物など、中村家の
様子もよくわかり、出版にあたってみなさんの理解があって、中村さんの夢が果たせること
をうらやましく思いました。
10巻まで楽しみです。
中村さんのおだやかなお人柄と、情熱あふれる偉業に心からエールを送りながら、
私も「元気」を頂きました。犬養パワーのせいかもですね。
おめでとうございました!!!
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甲南女子大学の犬養ゼミで出会った私たち。
犬養先生のおかげで、『万葉集』の魅力を教えて頂き、人生訓を学びました。
そして何よりも「人間関係」を大事にしてくださり、大学のゼミなんて、卒業したらそれっきり
になってしまうことが大半である中、同級生のみならず、上下の同窓生までも仲良く
付き合っていけるような絆を作ってくださいました。
私は犬養万葉顕彰会の役員をしたり、通称「タテの会」と言う犬養ゼミの幹事をしていたこともあって
卒業後も犬養先生のお家に行き来する機会が多く、いまだにお世話をされていた吉本ご夫妻に
代が変わった今も、変わらず出入りをさせて頂いているのですが、ゼミの仲間たちは、卒業
してしまうとなかなか「お家」まで伺う機会がないまま、それぞれ無沙汰をしていました。
今年になってから、話が持ち上がり、時間や、参加者の都合を調整して、とうとう「再会」
の時が来ました。
もちろん犬養先生のご葬儀の時には出会ってはいますが、先生のご自宅に…というのは、
卒業以来40年ぶり???という人もいて、また、「西宮・今津」の町もすっかり変貌して、
待ち合わせの場所にも不安があったようでした(笑)。
盛夏の集会ではありましたが、「立秋」を過ぎた途端に「秋風」が吹き始め、なかなか
さわやかな犬養高気圧が私たちの再会を祝してくれました。
久しぶりの出会いは、女性は特に気になるものですが、(私も体重は未だに成長中!)
出会った瞬間から、「女子大生」に戻るから!、すごいものです。
久しぶりに本当によく笑いました。「そうそう、ゼミの時もこんなに楽しかった…」と
屈託のなかった時代が蘇りました。
特に明るくて、無邪気な学年カラーがあり、犬養先生もそんな私たちをよく理解して
みんなを等しく可愛がってくださいました。
それゆえ、全員がそろって仲良く、結束強く、お付き合いが続けられたのだと思います。
ポーズは変えましたが、唯一の記念写真です。お世話様になった「母」吉本愛子さんを囲んで。
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私はクラス会はあまり好きではありません。
この年になると「介護」や、「子供の結婚問題」「孫自慢」「更年期の不定愁訴」など、
久しぶりの集まりに、話題が現実の愚痴や生活がもちこまれることが多いからです。
でも今日は違いました。 仲間を尊重した、配慮がありました。
それぞれの40年について、それぞれが漠然と噂で見聞きしている?ような状況でしたが、
さらりと近況を聞くくらいで、あくまでもゼミ生としての同窓会でした。
そして、変わらぬ明るさと楽しさに満たされた「再会」となりました。
マジが病気で亡くなり一人欠けてしまったことは、本当に残念なことですが、あとは全員
元気にアラカンを迎えます!!!
ハルエ君が、アレンジフラワーの先生ですので、11月にTSUBAICHIで私たちを対象に
「1日体験教室」を開いてくださることになりました。やったあ!
きょうをきっかけに、これからも時々こんな機会が持てたらいいな…と思います。
お世話役の明ちゃん、ドジ、本当にありがとうございました。感謝してます!