味真野観光協会が、現地のロマンチックロードとして歴史・文学の散策の道を
整備なさっていますが、3年計画で、その道筋に狭野弟上娘子と中臣宅守のやりとりの
63首すべての歌の歌碑を建立中です。
地元だけではなく、外部の者も公募で建立することが可能と聞き、私も応募しましたが、
既に味真野万葉協会のご厚意で、会長と同じ歌碑に私の名前を刻んでくださったことを
知り、大変恐縮致しました。
昨年の筑波山神社の犬養先生の揮毫歌碑と前後して、私の名前を刻んで頂く機会を得た
ことには、うれしいよりもまず本当に驚きました。
犬養先生や坂本先生の歌碑ができるたび、「万葉歌」はもちろんですが、「字」いや「書」
の素晴らしさも楽しみの一つでしたので、悪筆・丸字の私は、歌碑どころではなく、「書く」
ことすら有り得ない事ですので、自らあり得ないはずの歌碑に名前だけが刻まれることも
思いがけないことでした。
筑波山神社は、畏れ多くも犬養先生の歌碑の裏側に、揮毫書の提供者として、名前を
刻んで頂きましたが、味真野は、れっきとした歌碑の建立者としての扱いです!(感謝)
63基の歌碑の「書」はすべて、玉村高也さんで、豪摂寺の前にありました。
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4月にTSUBAICHIのバス旅行を計画していますが、これは昨年から懸案のコースでした。
歌碑を建てて頂いたので、是非拝見したいと思い、自発的に出かけた味真野行でしたが、
実際に確認できてとってもうれしかった…です。
26日はまだ、雪のちらつく気候でしたが、4月のバス旅行の頃にはきっと春の花が満開
だと思います。でも庭園ではもう水芭蕉が咲いていました!!!
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ふきのとうも…
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3年間の大学院生活が、今日で終了しました。博士前期課程修了です。
病気のロスで、「もう一年!」というチャンスもあったかと思います。
現役の時は神戸市の地元の大学でしたが、これから行くからにはという条件に奈良女子大学が
「奈良の京」にあったことは私にとって大変意義がありました。
また、御顔見知りであった坂本先生が社会人に対して門戸を開いて下さり、導いて下さった
ことにも感謝の気持ちでいっぱいです。
授業は楽しく、週一回(初年は2回)の通学で、限られた範囲でしたが、『万葉集』以外の
科目で、あらためて関心を持ったり、もう少し知りたいと思う書物や、人物にも出会いました。
その一人が藤原定家で、偶然に私のサロンTSUBAICHIで中西さんに百人一首の歌人の
シリーズをして頂いていますが、編者である定家の、日本文学おける貢献のすごさを土佐日記
や源氏物語などでも感じました。
また、本居宣長の国学意識に触れて、江戸期の「国学」運動にも興味が生まれました。
大学院は研究をより深めるところ…と入学時に念を押されましたが、結局肝心な研究事は
時間的限界という致命傷によって、指導の奥村先生にも最後までご迷惑をかけました。
何とか、大学院を終えるにあたってけじめをつけることができたことを感謝しています。
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寒い一日でしたが、無事「学位授与式」が奈良女子大学記念館で行われました。
戦中派の母にとって「奈良女子高等師範学校」は憧れの学校だったようで、私の進学についても
母がとっても喜びましたし、積極的に協力してくれましたので、修了式は一緒に…。
父も来てくれました。現役生の親子に交じってすごい老親子!
でもこれもちょっと親孝行になったかな。
畏れ多い立派な大きな修了証を頂きました。私の「学位」は資格はありません。(笑)
3年間「学んだ」修了証を頂きました。うれし~い!

明日はいよいよ奈良女子大学大学院を巣立ちます。
昨日、坂本ゼミの卒業記念お食事会がありました。(幹事は私!!!)
はじまるまでに、大学の掲示板で確認。3月9日付で、卒業見込み予定者が公示してあり、
発見!!! よっしゃ~!(ようやく安心しました。)
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集会は先生を囲んで8人、博士号をとられる久禮さん、修士修了の私、4年生卒業の洗川さん、
そして、博士過程で在学中だった西出さんの就職決定と、半分が巣立っていきます。
ほかの4年生は残念でしたが、在学中の博士過程の疋田さん、修士課程の高谷さん、杉井さんと
ベストメンバーが集まりました。坂本先生は、昨年奈良女子大学を退任されていますが、
全員在任中にお世話になった者たちで、奈良女子大学の万葉散歩、万葉ゼミ旅行と、楽しい
時間を共有した仲間でもあるので、お忙しい坂本先生に無理をお願いして、会食の機会が
持てました。本当は、ゼミ旅行のように1日万葉故地散策でもしたかったのですが、みんなの
予定もあり、ともかく集合!でも7人が集合でき、良かった・・・。
年齢もキャリアも出身もバラバラですが、「万葉」という共通項のライバルたちでした。
でも昨日は、しみじみ「同士」・「同志」であることを実感でき、坂本先生の門下生としての
自覚や、幸運をみんなが感謝したように思いました。
奈良女子大学は、馬酔木の花がこぼれおちそうなほど満開で、思わずお花に「すごいね!」って。
明日、大学院3年間の修了の式典が行われます。
応援してくださった皆様、ありがとうございました。
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万葉歴史館の春の様子から…。
日陰には残雪もあり、「雪解けの春」の越中にも確実に春の訪れです。
これは高岡市万葉歴史館の庭のかたかご…。
日当たりのよい土手なので、真っ先に咲き始めたようです。
といっても、まだまだ出始めたばかり…。そしてこの写真は、3時頃撮影でしたので、
お昼寝中!? でも大伴家持歌の「かたかご」の開花情報は知りたかったので、うれしい!
(でも古城公園は、まだでした。)
2階庭園で目を引いたのが、クマザサの迫力でした!すごい!
石見シンフォニーでは、ないですが、「深山もさやに さやげども」でした。
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紅白の梅も池を彩り…やっぱりいいなあ。犬養先生の歌碑と語り合いました。
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高岡市を訪れた目的は、小野寛館長の退任の送別会出席でした。
次の場面でご報告を…。
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東北の被災地で雪の降った昨日、阪神間も雪が舞う寒い一日だった。
私は1人で、4月9日のための「神戸を歩くコース」の下見に出かけた。
4月9日はTSUBAICHIの3年目のスタートと言うことで、記念企画にチャーター船での
クルージングを計画しているが、それならば、せっかくの機会を利用して、少し早めに
集合して頂き、神戸の街を散策しながら乗船場まで歩くのもよいかも・・・と講師の山内さん
に相談して、歩くコースを決めた。はやく詳細を決めて、お知らせしないといけないので、
私が代表して下見に行ってきたのである。
でも、思いがけず心の満たされた1日を過すことができた。
というのは、私は震災後トラウマで、「神戸」に行くことをしなくなった?「神戸」に
行くのがつらい?「神戸」を封印?…自分でもきちんと説明ができないのだけれど、
事実、神戸市垂水区で育った神戸っ子の私が、阪神淡路大震災以来、本当に「神戸」へ
行かなくなってしまった。
「下見」という大義名分でのコースも、出発した三宮駅前から、はっと気付いた。
私にとって、「復興した神戸」をはじめて歩く機会なのだ。フラワーロード沿いの歩道も
幅広く、整備されて歩きやすい。周辺の建物も市役所をはじめとして、再び高層ビルが
立ち並んでいる。東遊園地も震災記念日の報道画面でしか見たことなかったが、あらためて
現地に立って見て、私たちの2周年企画のこのコースは、いみじくも東日本大震災で、被害
状況がこれから明らかになっていくであろうこの時に、16年経って復興した町「神戸」を
歩いて頂く偶然は、これから被災地が日常を取り戻すまでの時間の長さをしみじみ痛感する
「追悼ウオーク」であるような気がした。
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(東遊園地で会ったノラ猫)
実際にメリケンパークには、震災のメモリアルパークもあり、中突堤に続く港の様子は、
公園整備ができており、楽しめる広場が広がっている。
震災後の復興のあと?が、まるで今まで何もなかったのように平和に静かに時が流れていた。
三宮から神戸の中突堤まで、5キロほどの距離だが、居留地あとや、南京町も通る。
メインの船で摂津の海を楽しむ企画は、私たちの希望の通りの航路を組んで頂き、ポイント
ごとに山内先生に「万葉講話+神戸+風景」のお話をして頂くが、「神戸の街を歩く」ことの
意義をこのたび深く感心した私は、この4月9日の機会をみなさんにお薦めしたいと思う!
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学びと遊びと感動と…TSUBAICHINの目標としているところである。
できるだけ多くの方々の参加を期待している。

母が80歳の誕生日を迎えた。「傘寿」である。
祖父母が長生きだったこともあり、二人を見送って5年。その時に気がつけば、既に
老境にいる父母に愕然としたことを思い出す。
私自身、仕事や生活や自分のことが中心であるが、幸いにして、弟のお嫁さんである
幸子さん(義妹)が、聡明かつ、よく配慮できる人なので、両親は実の娘以上に安心だった
ことだろう。
母性愛あふれる母の「社会的思考・行動力」はブログでも述べた通りだが、未だに「親」の
意識が強く、「老いては子に従い…」なんて、母の辞書にはないように思う。
実際本人は謙虚な気持ちのようであるが、経済力もあり、男性的な視野でものごとを判断する
母には、私の私生活や仕事や子育て…すべてが気になるようだ。
サロン経営も(どんぶり勘定のO型娘なので)心配しているが(笑)、サロンでの行事には
体調が許す限り、参加したいようである。
昨日の「3月16日」のお誕生日に、月に一度の山口ひとみさんの「みんなで歌おう!懐かし
の歌」のカルチャー日とぴったり重なった。
おかげさまで、みなさんに「happy birthdayの歌」でお祝いして頂き、思いがけず
華々しい傘寿の記念日となった。
今は、両親そろって元気で過ごしているが、子供の時に感じていたような「家族の永遠」
はないことはわかっている。
ただ、両親を中心として、子供たち、孫たちのこの家族バランスができるだけ長く続き
ますように…と願い、祈ってやまない。
3月6日にやっと母と写真が撮れました。吉本愛子さんもご一緒に…。

おかしい、何かがおかしい!
昨日から今日のニュースは、原発の状況の説明が各局でなされ近辺の住民だけではなく、
日本中、世界に恐怖と関心をあおっている。
原発のしくみや、機械のメカ、今の状況、今後の予測と不安、本当に多くの識者の話で
よく理解できた。ちょっとした説明は私にもできる。
皮肉にも、学者・有識者の語彙や、説明力に差が見えて、それだけでも選択の余地がある。
そして、今最新ニュースで2号機の近くで爆発音が聞こえたと割り込み報道中である。
いよいよ最悪のシナリオの方向へ来たのか…。神様お守りください。
5日経っても、大震災の被害状況も判明していないのに、地震→津波→原発→節電→東京…と
テレビの画面の報道は、「混乱」「非常時」の取り上げている対象がずれている。
避難所で、がれきの傍で、家族や知人を探す人々の助けにならないものか。
私たちには、「関西電力につとめる友人から…」とチェーンメールが複数届いた。
文面が微妙に違うが、最終的に今繋がりにくい時に、「電波妨害」の恐れがある、危険な
メールとのこと。内容の節電に関することは大事なことだが、私にチェーンメールを
送って下さった方は、友人でも特に「善人」ばかりだ。切ない。
ともかく、生存者の確保、奇跡の救出を望みたい。劇的再会を望みたい。
そして、被害者が判明しつつあるクライストチャーチの悲劇も忘れてはならないのだ!!!

うららかな日曜日の午後、TSUBAICHIで、予定通り蓄音器のコンサートを開催しました。
東北・関東大震災の直後、テレビのどの局も特別報道番組で、繰り返し、津波警報と現場の
様子を映し出しており、見るにしのびなくても気になって、テレビもつけっぱなしにして
しまう気分でしたが、気持ちが滅入ってしまうことより、つらさや切なさがひとときでも気分
転換できるのならば…と、サロンでは予定通り、めずらしい英国製の大型ホーンのEMGと言う
蓄音機でのSPレコードの鑑賞会を催しました。
京都在住の中村さんのコレクションですが、HPのトップページの写真に載せたように、
直径60センチもある、スイスホルンのような形のホーンからは、やはり迫力ある音が再生されて
TSUBAICHIに響き渡りました。ホーンは自在に動かせるので、角度を変えると音色がまた
違って聞こえます。また明治時代に録音されたクラシック曲などは、演奏者の個性がよく
あらわれていて、レコードの音とともに、録音時の背景や様子がしのばれる面白さがありました。
もっともお客様に反応が大きかったのは、やはり「歌謡曲」です。
李香蘭の「夜来香」や、灰田勝彦の青春ソング、歌謡曲で初めて哀愁を歌った田端義男など、
音楽を聴きながら、みなさんその時代のことや、青春時代の思い出や、「その歌」へのこだわり
などを話して下さり、「歌は世につれ、世は歌につれ」と言う通り、音楽と共にあった
昭和史を実感しました。そして音楽に興味のある私たちは、過去の音楽が歌詞も曲も
工夫されていて、凝った名曲が多いこと…。感心しました。また、私たちのサロンで
「みんなで歌おう、懐かしの歌!」というカルチャーを設けておりますが、毎回実感する
ように、「歌」とともにある人生をかえりみたり、懐かしい思い出を取り戻す貴重な時間
でもあります。SPレコードで名音楽家のクラシック曲を鑑賞することもなかなか「通」の
楽しみでありますが、あらためて歌謡曲の偉大さにも感心させられました。
年配の男性が圧倒的でしたが、なごやかに、めずらしい蓄音機で貴重なレコードを聞かせて
頂くという贅沢な時間を持つことができました。
提供・ご協力してくださった中村さん、また機会を作ってくださいね!

来週、母が80才になる。
「年齢」や「老い」をしみじみ認めながら、いよいよ20年に亘る市民運動から完全に勇退
しようとしているこの時期、世の中の混乱と悲惨な状況に、何とも言えないためいきが
漏れそうになる。
母が、45歳の時に初孫の司が誕生し、その後、弟の子供たちも含め孫が3人の「おばあちゃん」
になった頃から、切実に孫の将来、社会、環境などなどが気にかかるようになったと言う。
「この子たちが、無事に成長して、安全な社会で過ごすことができるかどうか・・・そのため
に私のできることは何だろうか」といても立っても、いられなくなったようだ。
まず大前研一さんの提唱の「平成維新の会」(今は平成維新を実現する会として存続して
いる。)に入会し、会合や勉強会に参加するようになった。
女性が少なかったことから世話役となったり、また近畿地方の同士の女性が集った「明日の風」
の命名者でもある。有力メンバーとして、大前さんの国会議員選挙や、都知事選挙をはじめ、
国政に関する議員の応援をしたり、選挙協力をしたり、社会や政治に関心のある私も母の
影響を受けて、積極的に協力をすることもあった。
その後、母は、地元の活動にシフトを変えて、兵庫県の市民オンブズマンの代表世話人の
一人として、県を相手に税金の無駄遣いを正したり、兵庫県の健全な財政の再建のための
お目付け役として、頑張っていた。世間知らずの専業主婦の母だったが、それだけに正面から
純粋な心で取り組んでいけるので、母の疑問や問いかけは、ごくあたりまえの市民声だったと
思う。
一度、兵庫県へ陳情に行った時に私もついて行ったことがあり、たまたまテレビの報道
ステーションに映ったことがあった。それを見られた故松田一二さんから、君は自治体や
行政の仕事もしているのなら、君の主義思想は自由だけれど、万葉うたがたりをやるなら、
表だっての市民活動は控えなさい・・・と叱られたことを思い出す。
以来、隠れ市民運動家?として、意識は常に母と共有している。
前置きが長くなったが、東日本の大震災で、今は2次災害の原発施設の不安が、高まって
いる。原発については、各県の誘致問題や、安全性など、全国のオンブズマン会議などで
研究会を開いたり、検証したり、問題点をずっと指摘し続けてきたが、結果的に行政を
中心に進められてきた事業である。地震国日本における危険性や、万が一の対処なども
ずっと問われてきたことだ。今テレビで「最悪の事態・状況」に、言葉を濁しながら
専門家たちが、説明したりコメントしているが、残念ながら私たちは「もしもの事態」の
現実を今実感しつつある。
原発における電力の供給や、ダムなどの必要性はあっても、今までの日本の政治の中での
決断は、既得権や、談合や、正当な決め方をされているものは少ない。
被災の爪跡のニュースから新たな恐怖への報道を眺めながら、やりきれない気持ちが残る。
どうぞ、これ以上の人的被害が出ませんように…。
体力も気力も限界と言う母が、20年に亘る市民活動に終止符を打とうとしているが、
母をお手本に、岡本家の家族それぞれが社会を見据え、政治や経済にも興味を持ち、自分の
意見や判断をもって、行動にうつしていく姿勢は、まさに母の影響力であろう。
子供や孫の将来を案じて、参加した市民運動の最後に、このような状況となったことに
感慨も一段と深く、無念も大きいことだろう。
福島原発3号機の炉心溶解のニュースで目覚めた今日、あれこれの思い出がかけめぐった。

国内観測史上最大の地震が起こった。マグニチュード8.8.
昨日、宝塚のコープカルチャーを終え、めずらしくそのまま帰宅したその5時頃、
まず、特別報道のテレビ放映に驚いた矢先、娘からの従兄弟たちの安否を確認する電話が
入り、はじめて事の深刻さを知った。
また大阪も留守番部隊でサロンにいた山寺さんが、経験をしたことのないような長い
横揺れに、船酔い状態になり、気持ちが悪くなって、思わず外に出た…ということを聞き、
関東の地震が大阪でもかなり大きい影響をもたらしていた。
娘からは、「ツイッター」というツールのつぶやきで、従妹の様子を知ったらしく、
その後の詳細を尋ねてきたが、携帯電話も、携帯メールも繋がらず、なかなか情報を
確認できるまで時間がかかり、もどかしい思いだった。
地震・雷・火事・おやじというように、トップに挙げられる「地震」の怖さを再び思い
知らされた。今回は「津波」による甚大な被害に、2日目の朝の今、まだまだ被害状況も
はっきりしていないが、「水」による集落・住居・人命の一挙の神隠しに、ただただ
戸惑い、信じがたい悪夢としか言いようのない悲しさがある。
阪神淡路大震災や、クライストチャーチの地震のように、がれきに埋まる恐怖もある地震
だが、今回の恐怖は、コンビナートなどの大規模火災や、前々から言われていた、日本の
海の傍にある原発施設の二次災害など、まだまだ危険が続く。
余震の続く今、まだ地震がおさまったと言えない状況下で、復旧や救助も目処が立たない
ことだろう。
東京の友人や、万葉故地の知人の方に電話をしてみてももちろん繋がらない。
かつての私たちがそうであったように、無事を祈るのみだ…。
先日、大阪公演中帰宅していた娘と偶然16年前の震災の話になった。
メデイア、中でもテレビの報道について、目を皿のようにして、自分の関係者が映るかも
と心配しながら全国の人が、見ているのだから、たった1つのチャンネルでもいいから
病院も含めて避難の人たちを「映して」、私は生きてます!ということをメッセージ
できる機会を作ることが報道の本当の使命ではないか!と言ったが、本当にその通りだと
実感した。
どの局も「報道」?というより、選挙番組や夕方のワイドショーと錯覚するような同じ
切り口、中身、レポートで、本当に私たちが知りたいことが放送されていないような気が
する。それでも昨夜から24時間つけっぱなしで、状況を見守っている。
ここ西宮では、いつもとかわらぬ朝を迎えた。ベランダで洗濯物を干していると
道行く中学生の笑い声が響く。犬の散歩をするおばさん。ジョギングのおじさん。
いつもの営みが行われている。
いつも娘と話すことは、喉元過ぎて熱さを忘れる私たちが、それでも現実の被災者として
経験をしたことが、「恐怖・悲しさ・教訓・痛み」を分かち合えるのではないかと思える
ことが救いやね…と。
神様の警告でもある、天変地異。これ以上の被害がおきませんように…。