投稿

昨年の12月から、三輪山のふもとに住まれる方々を対象として、2か月に1度の万葉講座が
始まりました。7月なのにもう境内には「萩の花」が…。
P1070926.jpg
大和の一の宮の大神神社は、桜井市、あるいは山の辺の道などで、歴史的にも特別に有名な
神社ですが、近くにある、昔は摂社であったといわれる「三輪恵比須神社」は時代とともに
経済的にも地元の活力が落ちたり、高齢化が進むとともに、氏子を中心としたコミュニテイが
揺いでいき、この地域社会を何とかしたいという方々の熱意を汲んで、「住んでおられる
その場所の重要さや、結束を取り戻す手立ての一つとして、『万葉集』に詠まれた故地である
ことから学びましょう…」と言うことで、講師を引き受けたのがそもそもでした。
2か月に1度の機会ももう4回目となり、うれしいことに少しずつ受講生も定着してきました。
436.jpg
寺子屋ならぬ宮小屋ですね。
畳の和室なので、足の悪い方は苦痛かもしれませんが、神社の60畳ほどの集会所で、
楽しく『万葉集』をお話させて頂いています。
鏡女王の万葉歌碑のある桜井市の忍坂からも来てくださっており、近所からだけではなく
わざわざ来てくださる方も増えてきました。
この講義風景の写真を写してくださったのは、明日香村森林組合で活躍中の荒川さん。
前回の講座のあと、三輪恵比須神社の憩いのスペースが必要…とお願いし、すぐに作って
寄付してくださったベンチ。わたしも設置されてから、初めて見ました。
近所の老人が腰かけたり、昼食を食べていく人もあるとか…。よかったあ。
P1070924.jpg
そして、宮司の竹内さんと話すうちに、えびす神は「商売の神様」。そしてここ山の辺の道の
三輪恵比須神社は、古代「海石榴市」の商売繁盛の神様???ということで、
ピーン!!!ときた私たちは、大阪福島のTSUBAICHIを地元でTSUBAICHI市を開催する
許可を頂き、ただ今、内容の検討中です。しかし時は9月1日(土)もうすぐです!
でも考えるうちにまた、だんだん楽しくなってきて、当日何が起こるか「つらつらら…」♪
気分が良くなり、遠回りして、帰りは明日香村経由で帰宅しました。
稲淵からの棚田風景は、100選に入る通り、「美しい!」
P1070933.jpg
遠方まで、半日仕事にはなりますが、やはり万葉故地に訪れる楽しさや、気分転換とともに
自然の風景から、季節の風物詩から、パワーや元気を持ち帰れるので、私には大事な機会です。
講座が出発点ですが、「遊び心」を加えて、地元の賑わいを少しでも取り戻すお手伝いが
できたら何よりだと思っています。

観光都市「西宮市」としての発信を、遅まきながら、ようやく行政の主事業として
取り上げた西宮市。
昨年はプレイベントとして行われた「西宮まちたび博」は、発信の前にまず西宮市民に
知識や、理解を求めて、市民への内なるイベントでしたが、今年は本番行事ということで、
昨年の経験を踏まえて、ただ今は今年のまちたび博のコース設定や、プログラムの決定に
余念のない時期です。
昨年以上に、今年こそは西宮市の内外に、より多くの西宮の魅力を発信してほしいと、
西宮市民である私も願っております。
そして、私も昨年同様「万葉のふるさと、西宮」をアピールしたいということで、ご協力を
させて頂くことになりました。
10首の万葉歌に歌われた「万葉故地」や、西田町の万葉植物園と銘打った名所を除くと、
明日香村のようにそんなに多くのポイント地点があるわけではないので、みなさんを
どのようにご案内すべきか、私としては悩ましいところです。
西宮市観光振興課…と部署も改まった担当者の菅梅さんから「今年のコース」についての
お尋ねもあり、3連休中の15日に、わが家から近い場所ですが、貴重な西宮の万葉歌碑の
ある鳴尾浜へ行ってきました。
120715_1613~01.jpg
久しぶりに歩いたこの地は、平成7年の阪神淡路大震災の後、犬養先生が一時的に避難して
おられた武庫川団地の周辺で、私も何度も行き来した場所でしたが、一時はあふれんばかり
だったこの新興団地のにぎわいも、今は時が過ぎ、人も減り、3つあった小学校も統合
されてとうとう1つになっていました。
歌碑は、高須東小学校前にあったのですが、その目印となる「小学校がない!」
なんと平成20年に統合、閉鎖され、建物だけが敷地にあり、私は標示を頼りに探していたので、
この碑に久しぶり…の対面を果たしました。(汗)
近くにもう一つ
120715_1615~02.jpg
西宮の「武庫」を詠んだ遣新羅使人の歌2首の歌碑です。
歌が刻んであるだけの石柱で、誰が作ったとも、いつできたとも何も表示がありません。
久しぶりに暑い日中を歩き、変化のある土地の様子を思い遣りながら、
うーん、この中途半端なこの存在を何とかしてやりたい…。そんな気持ちで帰宅しました。
2つの歌碑は遠くからだとこんな感じです。住人にどれだけ意識があるでしょうか。
120715_1615~01.jpg120715_1614~01.jpg

私が講座をさせて頂いている宝塚コープカルチャーで、春と秋に万葉の散策を
行っています。
第1回はもちろん明日香村。そして2度目に昨秋に山の辺の道(桜井編)を訪れ
ました。その後にアンケートをとり次回の希望地を訪ねたところ、山の辺の道の続き
と同じくらいの人気が「宇陀の阿騎野」でした。
季節も考慮して、宝塚からの時間的距離は遠いですが、拠点の故地めぐりと言うことで、
いよいよ5月23日に宇陀の里を訪ねました。
私たちが犬養先生の万葉旅行で体験させて頂いたのは、近鉄朝倉駅から出発し、狛峠を越えて
山越えをしながら「かぎろひの丘」へ到達する古代の「道」です。阿騎野が夕方の最終地点
でしたので、阿騎野と言っても阿紀神社とかぎろひの丘と、後の発掘の中ノ庄遺跡くらい
しか行ったことのない私でしたが、今回は「万葉の故地」と秋山氏が開いた「松山」よいう
町並みの歴史散策の二本立てが目的となりました。
下見は3月でしたので、殺風景な寒々とした光景でしたが、一転、季節の草花だけではなく、
青々と雑草の緑も美しく、初夏を思わせるような1日でした。
この花が、宇陀市の花、かざぐるまです。はじめて見ました。
P1010005.JPG
近鉄榛原駅から、奈良交通バスで大宇陀へ。大宇陀のバス停留所が道の駅でもあるので、
ここが終点でもあり、発着の起点でもあります。
009.jpg
午前中は、大宇陀で発掘された行宮跡の中ノ庄遺跡へ。今は人麻呂公園と名付けられて
遺跡の上に、宮柱の再現や、古代の竪穴式復元住宅や、馬上の人麻呂の石像がシンボル
となって、画期的な歴史的事実の紹介がなされています。
001.jpg
そこから、阿紀神社へ。万葉歌碑がありました。そして、かぎろひの丘へ登り、
全員で東の方を臨みました。
DSCF5059.jpg
もう40回と言う「かぎろひを観る会」の時にはにぎわうこの場所も、平日は誰にも出会う
ことのない、もったいないような静謐の丘です。
中ノ庄遺跡が発掘されるまでは、この丘で野宿をしていたのかも…と考えられていた
この場所には、書き下された佐佐木信綱さんの万葉歌碑が建立されています。
ゆっくり過ごした後、丘のふもとの今は大宇陀地域事務所となった(合併前は大宇陀町役場)
建物の隣にある中央公民館へ。ここには、中山画伯の「阿騎野の朝」という大壁画があり、
見学させて頂きました。
(その時に、山崎直子さんの朝顔の種まきの話を聞きました。)HP
そして、昼食は道の駅へ戻り、レストラン甘羅(かむら)で、人麻呂膳を賞味しました。
ネーミングのこだわりが感じられないフツーのお食事でした。(笑)
食後に地元名産のブルーベリーのソフトクリームを食べ、午後の散策に出発。
午後は、宇陀の里として今熱心に取り組んでおられる松山の街並み見学でした。
宇陀松山地区は商家町として、2006年の7月に重要伝統的建造物群保存地区に選定
され、奈良県で今井町・五条町の3つだけしか選ばれていません。
家、屋敷など建物の特徴の面白さや、もともと薬の町として賑わったことから、森野薬草園を
はじめとして、有名なお薬屋さんの発祥の場所として有名だそうでした。
森野薬草園は、吉野葛の加工・販売で有名ですが、また江戸時代からの広大な薬草園を
公開しておられるので、全員で1時間以上かけて、ゆっくり楽しみました。
来春は是非かたかごの群落もみてみたいな…。
時折、車が通る街道筋を散策して、かつて城下町の出入り口にできた黒門まで…。
全員で記念写真を写しました。
P1010014.jpg
お天気にも恵まれ、予定の時間通りみなさんきちんと過ごしてくださり、私も気持ち良い
1日を過ごさせて頂きました。
現地で万葉の歌を味わい、歴史に思いを馳せ、その実体験をしているかのような臨場感は
万葉の旅の醍醐味です。
またの機会を約束しながら、春の万葉講座は無事終了いたしました。

いい笑顔ですねえ。

  • DSCF5521.jpg
  • DSCF5550.jpg
  • DSCF5559.jpg

2日目の4月8日は、ゲストシンガー「加藤ヒロユキ」さんのライブコンサートでした。
サロンのご近所に住んでおられるので、午前のリハーサル後も、開始直前まで自宅で
スタンバイ!!!(ありえへん!)笑
昨年、明日香村主催の「万葉の歌音楽祭」でゲスト出演をお願いしました。
古代のたましひの宿る石舞台公園で、私たちも素晴らしい歌を聞かせて頂き、もっと聞きたいと
その後、大阪のビルボードライブのステージも拝見させて頂きました。
そして、サロンでもぜひ一度歌って頂きたい!という願いが、サロン3周年の記念イベント
にゲスト出演して頂くという形で実現したのです。本当にうれしかったです。
今回はピアノの弾き語りライブということで、曲目も当日のお楽しみと伺っていました。
なるほど、自らピアノを弾きながらの「自由な世界」は、テンポ感や、伴奏のタイミングや、
「楽しんで歌っておられる」様子がとても印象的でした。
ご本人も、「ピアノの前に楽譜を立てて歌う機会には、新しい歌なども披露できる」と
おっしゃったとおり、CDやステージでは聞けないナンバーもあり、甘く胸に響く歌声に
観客も私も酔いしれました。ブラボー!
昨日出演してくださったピアニストの宮川真由美さんが、たまたま加藤さんとは名コンビで
お仕事をされていらっしゃいますが、当日、お昼の仕事の合間に「観客」としてかけつけて
くださいました。宮川さんの姿に、早々から気が付かれた加藤さん。アンコールの場面で、
宮川さんを呼び出されて、ピアノ演奏をまかせて喜納昌吉の「花」を熱唱してくださいました。
いきなりのセッションでもやはり阿吽の呼吸というのか、宮川さんの伴奏も古謡の「さくら」
を織り交ぜた素敵な即興演奏で、まさに加藤さんのステージにも「花」を添えてくださいました。
一流のアーチストの演奏が響くこのサロンの主であることを本当に幸せに、誇りに思える
瞬間でもありました。
自宅の一室のような身近な空間ではありますが、やはり一流の「音楽」を経験して頂きたい
のが願いです。これからもみなさんに最高の機会を提供する場所としてありたいと思います。
今回2日間の出演者、山口ひとみさん、宮川真由美さん、加藤ヒロユキさんが偶然全員揃い
ましたので、私と山寺も一緒に記念写真を撮らせて頂きました。
ご来場のみなさま、ありがとうございました。
また、出演者の皆様、お疲れ様でした。
さて、3周年記念イベントの最後を飾ったのは、カルチャー教室を代表して、「ヨガ」の
特別講座を開催しました。続く。

さくら・さくら・さくら。

  • 057.jpg
  • GP1040646.jpg
  • 097.jpg

4月5日は、清明の日。昨年も一昨年も「氷上のかたかご」を見に行った日です。
奇しくも同じ日のバス旅行は、1月にご縁を頂いたパナソニック松愛会(OB会)で、クラブ
活動の一つである「見て歩こう会」が主催されたバスツアーに参加させて頂きました。
…と言うのは、交野支部では、念願であった松下幸之助さんの生誕地を訪れて、そこにある
お墓にお参りをするという企画の旅行だったからです。
新年会の総会で、私は「松下幸之助と万葉集」というお話をさせて頂きましたが、その時に
門真市にパナソニック・ミュージアムがあり、私が古都明日香記念財団からお借りして、
当日持参した「高松塚に天皇陛下をご案内されている写真」が、そこにあることや、また
西宮市の名次町に松下家のお邸があるけれども、幸之助さんが住んでおられた建屋は、枚方市に
移築されていることや、私が希望すればどちらもいつでもご案内をしてくださる旨、
お声をかけて頂きました。
そして、加えて4月5日の計画を教えてくださり、お誘いを頂きました。
一瞬、4/3の備前の旅、4/7・8のサロン3周年行事の準備!!!が頭をよぎりましたが、
めったにないチャンス。犬養先生の言葉通り「今しかやれないことをやりなさい!」…と、
山寺さんと二人で参加表明をしました。
結果、素晴らしい紀伊の国の桜の見ごろの日とも重なり、「行ってよかった!」と
思いました。犬養先生、背中を押していただき、ありがとうございました。
目的はまず、松下幸之助さんの生誕地を訪ねること。和歌山県の市内に近い和佐村にあり、
「松下幸之助」生誕の地という標柱やプレートもありましたが、そこには松下公園という
「松下」と名のついた公園もあり、全員で記念写真を写しました。

さくら、さくら、さくら。
そこには、松下幸之助さん(松下家)の墓所もあり、参加者全員でお線香をあげてお参り
させて頂いたのですが、実は思いがけない感動がありました。
それは、能天気な私が心の準備もなく、参加したせいもありますが、山寺さんは予感が
あったそうです。
その松下家のお墓には、3年前に亡くなった松下正幸さん(孫)の夫人、昌子さんが
眠っていたのです。
昌子さんは私と甲南女子校で10年間過ごした同級生でした。
50代で、またご長女の結婚式を数日後に控えての訃報だっただけに、私たち同級生は
本当に悲しいご葬儀だったことを思い出します。
「オカモ、声をかけて!」と言われて、霊柩車が出発する時に「よし子ちゃん、さようなら」
と私が叫びました。
その墓所が和歌山県のこの地にあるとは夢にも思いませんでしたし、偶然参加したこの旅で
幸之助さんとともに、昌子さんのご霊前に向かえたことを本当にうれしく思いました。
山寺さんが「よかったね。御霊には、お墓の石を撫でてあげるといいっていうよ。」と教わり、
恐る恐る墓石を撫でました。それを見ておられた方があったようで、「松下さんの墓石に
触れていたのは、あなただけでしたね。」と言われました。
友人たちもここまでお墓詣りに来ることはきっとないでしょうから、本当に友人代表で
墓参ができたことは、くすしき巡り合わせでした。
その後の旅の目的地は、和歌山城と紀三井寺でしたが、紀三井寺の副住職がおっしゃるに
気象庁の開花標準計のある紀三井寺に前日「満開宣言」が出たそうで、1年365日ある中で
桜の最も美しい「選ばれた1日」にやってきた私たちの幸運をほめてくださいました。
万葉の「和歌の浦」を背景に紀三井寺で写して頂いた写真です。
さくら、さくら、さくら。
そしてオカモの写した「芸術写真」。紀三井寺の塔と桜です。青空に映えて美しい光景でした。
ベストショットといったところです。いかが???
最後に、「めっけもん広場」というJAの経営している激安市で、お野菜やミカンやなど、
「主婦」のお買い物をおみやげに買い込み、帰途につきました。
バスも時間通りに快適に走行し、予定通りに帰着。
ただし交野住民の行事ですので、私と山寺さんは行きも帰りも「河内磐船」駅集合ということで、
朝は早く、夜は遅くなりましたが、本当に楽しくて、貴重な思い出の残る1日となりました。
9月には、私が松愛会の方々を明日香村へご案内することになりましたが、個人的にはまず
パナソニックミュージアムへ伺わせて頂きたいと思います。
縁が深くなり、なんだか私も「松愛会」の一員になったような気がしてきました(汗)。
♪「明るいナショナル! 明るいナショナル!!!」♪

  • あざさ.jpg

写真は、『万葉集』の1首にしか見られない、水草の植物「あざさ」の鮮やかに美しく
咲いた様子です。花の季節は、7月頃から9月頃までの「夏」の花です。
奈良県磯城郡三宅町は、いわゆる大和国中(くんなか)といわれる、大和の中央部の平野
ですので、「大和のへそ?!」とも言われているような…。
このあたりへは、犬養先生とともに学生のころから万葉旅行で歩いたことがありましたが、
竹田の庄や、三宅の原、百済寺など、周辺に犬養先生の歌碑が建立されてからは、たびたび
一人でも訪れていました。
このたび訪れた三宅町は、巻13の問答歌の中に「うちひさつ 三宅の原ゆ…」と
明確に「地名」が詠われていることから、地元でもこの万葉歌が意識されていたようです。
平成8年に犬養先生の揮毫により建立された歌碑は、当初杵築神社の境内に設置されたのですが、
わかりにくせいか、翌年神社から、道路沿いの場所に移設されました。
最近では犬養万葉顕彰会で行った記憶がありましたが、それでも数年以上前になるかと
思います。
寒い日でしたが、早くに到着したので、少し散策してみました。
なんと、歌碑の周辺は、すっかり整備されていて、「あさざ」の池がいくつもあったり、
三宅町の案内・説明板ができていて、歌碑とともに象徴的空間になっていました。
また、すぐ近くの三宅町役場にも「あさざ」の池や、あさざマスコットキャラクターの
みやっぴい!など、石材でできたシンボルゾーンなどもできており、「お~っ!」
おもわず歓声をあげるくらい、「あざさ」の存在が目につきました。
そして、歩いていくうちに、いくつもの民家の前に立て札をして、あざさのフラワーポットが
置かれており、まさに町を挙げて「あざさ」を大事に植栽しておられる様子を見ることができ、
驚き以上に感心しました。
「三宅の原」の歌ですが、その歌の中に歌われた万葉の貴重な花「あざさ」(今はアサザと
呼びます。)に注目して、今や三宅町の町の花として大事にされていることを確認し、
犬養先生の歌碑が建立されて以来、より活気ある町となっていることをうれしく思いました。
そして、土地の鎮守の神様「杵築神社」に敬意を表した後、犬養先生の歌碑にご挨拶してから、
講演会場「三宅町歴史講座」に行きました。場所もやはり!「あざさ苑」という名のついた
多目的福祉会館でした。
「歴史講座…」と、私には大層な名目ですが、この万葉歌を私は20年以上前に作曲をして
おりましたので、「夏野の恋歌」として、機会があるたびにみなさんに既にご紹介をしてきました。
偶然地元の方が、「すでに曲となって歌われてる」という情報を明日香村の
伝統芸能保存会の前会長の勝川さんから聞かれたそうで、私に音曲の問い合わせがあったり、
楽譜の購入があったり…とその後やり取りがありました。
そのご縁で、今回私に「夏野の恋歌」の万葉歌を説明してほしいとお声がかかったような
次第です。
しかし、私が話を始める前に、「歌と踊り」があることを聞いていましたが、なんとなんと
わざわざCDと同じように「夏野の恋歌」の伴奏をコピーされ、私たちが歌っている通りに、
美しいドレス姿の婦人コーラスの方々が歌ってくださいました。そして、その中を華やかな
万葉衣装を着られた男女の方々が、その「夏野の恋歌」に合わせて踊ってくださったのです。
私は感激、感動の何物でもありませんでした。拍手喝采しました。
踊りは1年かかりで振付をされたとか??? みなさまご準備を本当にありがとうございました。
こんな風に私の歌が、万葉故地でそこのみなさんに愛唱されるほど幸せないことはありません。
そしてオープニングでこのような歓迎を受け、私は作曲・活動冥利に尽きる思い…を
しみじみ味わわせて頂きました。本当にありがとうございました。
その後の私の話など、なくてもよかったかも…(笑)。
思いがけなくよい機会を頂戴し、ありがたく存じました。
三宅町は奈良県下でもっとも小さい町とか。それだけに「結束」や「まとまり」もよいのでしょうか。
コーラスや踊りの方々もみんな「あざさ」の飾りをつけておられましたが、町中に「あざさ」
の花や言葉があふれ、黄色の大変鮮やかですが、可愛い花が三宅町の「うらぐはし児」を
ひきたてているようです。
私がもう一つ感心したのは、兵庫県稲美町では、天満大池をはじめため池で、あざさを
積極的に植栽されており、その貴重な絶滅危惧種の「あざさ」を地元で守り、アピールする
べく、私も協力してコンサートで万葉の歌やあざさをご紹介したり、積極的にあさざの
お話をしてきた経緯がありますが、ご紹介してもあざさが稀少植物なので、さすがに
知らない方も多い花です。それが、三宅町では町民で誰一人知らない人はいないような
「取り組み」とアピールの状況について、ぜひ稲美町の方々に三宅町の現状報告をしたいと
思いました。
「あざさ」の髪飾りは、私たちも万葉うたがたり会で制作し、時々頭に着けています。
三宅町でまたコンサートでもさせて頂く機会があれば、ぜひご披露したいと思います。
私たちのあさざは「大きすぎて」びっくりされると思いますが…(汗)。
犬養先生の歌碑とも会えたし、万葉故地が生き生きとしている様子を拝見して、久しぶりに
ほっとしたというか、ほのぼのとした喜びに満たされた1日でした。
そして、三宅町のみなさんには、これからも「夏野の恋歌」をいるまでも愛唱していって
頂きたいな…と心から願いました。

長年続いた「飛鳥古京を守る会」が1つの時代の役目を終えて、解散されたことは記憶に新しい。
犬養万葉顕彰会が解散した時と似たような会員状況が起因していることも否めない。
しかし、飛鳥古京を守る会に入っておられた方々の意を受けて、また、引き継ぎ「明日香村」を
多くの人たちが、愛し、守り、支えていくために「何か」「誰か」中心で導いていく「核」が
必要となる。
昨年春、坂本先生からご連絡を頂き、新たに「飛鳥を愛する会」を起ち上げ、考古学と
万葉集の先生方を中心に、再び「飛鳥ファン」のための組織が生まれた。
その組織運営の中に、私にも参加・協力の要請があり、発起会早々から欠席していたにも
かかわらず、会の役員に名を連ねてくださっており、大変恐縮した。
ただ、「私」は」1民間人であり、熱い思いを明日香に対してアプローチする時に、やはり
「会員」であることの意義は大きいと思うし、私も運営する側のメンバーに入れて頂けた
ことを心から感謝している。
それから約9か月…。総会・秋の旅行、何も参加できないままで気になっていたが、
ようやく初めて全体会議に参加することができ、会長の木下正史先生や、関大の橿考研の
先生方などともお目にかかることができ、よい機会となった。
また私が今回楽しみにしていたのは、秋に関村長が勇退された後、明日香村村長となられた
森川村長とお目にかかることだった。
冒頭、自己紹介もかねて丁寧にご挨拶されたが、雰囲気はロマンスグレイで、しかし
お若くて都会的な雰囲気の村長さんとお見受けした。
村長は、今明日香村のいろんな組織に馴染んでいかれることが先決で、きっと「飛鳥を
愛する会」もどのような会なのか、興味深く参加されていたと思う。
内外ともに明日香村が注目を浴び、明日香村の活気を増していくために、森川さんも
いろいろな構想を持っておられるだろうし、いろんな団体をどのように有効利用して
いけばよいか、思案中でいらっしゃるだろう。
村としての規模は小さくても、国家レベルの特別保存法で守られた地域でもあり、
いろんな懸案事項がある中、関村長以上に、新しい時代の明日香村を作るために頑張って
頂きたいと心から願っている。やっと名刺交換ができてほっとした。
そして、犬養先生のことを知って頂くために、私たちの30周年記念コンサートのビデオを
お渡しし、第2部の「万葉人生」の犬養先生を見てください!としっかりアピール。
見てくださっているかなあ。
首長の交代で、明日香村も新たなスタートを切られたことを実感した。
私もあらためて飛鳥を愛する会で何かお役にたてれば…としみじみ思う。
そうそう、事務局長の北村憲彦さんは、私と同じ年。また犬養先生と親しかった明日香村の
文化財課出身の方で、犬養先生のことをしっかり覚えてくださっている方がこの組織に
おられたことも幸いだった。
神に感謝!!!

2月8日に久しぶりの「観劇」。
娘の芝居など、時々見に行きますが、「芝居」という表現で納得しています。このたびは
「観劇」という言葉にふさわしい、商業演劇というか、大衆劇というか、楽しみに出かけました。
今月は、少し時間に余裕がある分、お誘いやご案内の行事に外出することが多くなり、
このたびの「太鼓歌劇」という新しい舞台を見に行くことができました。
OSKの舞台も久しぶりですが、実は15年くらい前に「明日香村で月を観る会」の
アトラクションで、私たち万葉うたがたり会とOSKが共演をしたことがあります。
私の万葉曲「恋歌」に合わせてOSKのスター4人が古代衣装を着て踊られたのですが、
その時の振付師が、打打打団天鼓で太鼓の指導をしておられる伊瑳谷門取先生でした。
またその時ご一緒におられたのが、「ブラインド」の脚本・演出をされた北林佐和子さんで、
その時のご縁から、「昼下がり通信」を送ったり、打打打団の舞台のたびにご案内を頂いて
いました。
この公演の「チラシ」ももちろん頂いていましたが、偶然関係者から、チケットを頂いた
こともあって、急遽見ることができた・・・というわけです。
芝居については、翌日観劇した大岡美佐ちゃんがブログでご紹介してくれていました。

会場はFM大阪のあるなんばハッチで、昔の近鉄小劇場の雰囲気がありました。
今回、OSKと太鼓集団の初めてのコラボレーションという試みだったそうですが、OSKの
歌って踊っての華やかな舞台の背景に太鼓のバックがありましたが、BGMでもあり、リズム
セクションでもあり、まったく違和感のない舞台でした。また作品も「ブラインド」は、
小泉八雲の「耳なし芳一」を題材にして、しかし芳一は現代人の設定で、平家物語の壇ノ浦
合戦の亡霊とのやりとりのように描かれていました。
折しも「平清盛」年間がはじまったこともあり、見ておられた方は、きっと平家物語をより
身近に感じられたのではないでしょうか。
始まる前に、入口でバッタリ伊瑳谷先生と北林さんにお目にかかれ、久々のご挨拶ができました。
お二人とも恐縮してくださいましたが、私もいつも気になっていた方々でもあり、その舞台を
拝見できてとてもうれしかったですし、やはりっとても楽しかったです。
OSKは、宝塚歌劇と双璧の老舗ですし、やはりそれなりの追っかけのおば様方が来られて
いました。艶やかで華やかな舞台は目を惹きます!!!
打打打団天鼓の迫力は、やはり素晴らしいです! 太鼓の響きは日本人の「魂」を揺さぶると
言いますが、メンバーの二人の女性がいい。太鼓も叩ければ、横笛の音色も切なく、オール
マイテイの活躍に感心しました。やはりこの時代の活躍は「なでしこ???」
久しぶりに「楽しかった~!」と思える舞台でした。
やはり、エンターテーメントの真髄はお客様を楽しませること、元気を与えることだと
実感しました。次回のコラボ公演が楽しみです。

  • DSCF4535.jpg
  • DSCF4678.jpg
  • DSCF4731.jpg

12月に三輪恵比須神社で私の万葉講座を開いて頂き、その様子はブログでご紹介させて
頂いた通りです。
そして、いよいよ1年に1度のえびすまつり(えべっさん)が開催されました。
2月5日(宵宮)・6日(大祭)・7日(のこり福)の3が日行われましたが、私たちの都合も
あり、メインイベントとも言われる宵宮の「鯛引き」行事の日に出かけました。
写真は、行事が始まる前に境内にスタンバイしていた、シンボルの「鯛」、鮮魚の鯛、
俵の3種の神事物です。(ホームページトップで、私が引いている写真は紹介済み)
三輪山というと大神神社が有名すぎて、JR三輪駅すぐのこの三輪恵比須神社は、万葉時代から
三輪山の南麓に海石榴市が開かれたゆかりから、古代最古の商売の神様、守護神として
由緒ある神社と言われてきました。しかし、観光客はおろか、世代交代などで地元の方々の
意識も年々薄れ、一部の方々が、神社の威光を地元の原点、誇りとして、内外ともにもっと
発信させたいと願われ、私たちも何か協力をさせて頂きたいと思うようになりました。
私もまず現状をしっかり確認したいと思い、今回のえびす祭りを楽しみにしていました。
宵宮は「鯛引き」という行列が象徴的で、有名だそうです。そこで、今年は特に行列用に、
大人・子供の衣装を作られて、一体感を出されました。衣装制作アドバイザーは、運よく
明日香村の劇団「時空」で衣装を担当しておられる本塚さんでしたので、100人力でした!
お祓いを受けて、出発した「鯛引き」行列は、町内を40分くらいかけて1周されます。
その間に本殿では「初相場奉告祭」という、この場で2012年の「三輪そうめん」の値段が
決定するという、地元ならではのご神事が行われました。
境内にいた私たちは、背広姿の男性を見かけましたが、その関係者だということはあとで
わかりました。そんなめずらしい「値段決定」の儀礼的行事などは、マイクなどで境内に
いても様子がわかるようになさればいいのに…と残念に思いました。
境内の人や私たちは、次のプログラムがいつ始まるのか…と、寒い中、様子がわからないまま
立ち過ごしていましたが、アトラクションに出演される方々のスタンバイも長~く大変だったと
思います。写真の2つめは、アトラクションの三輪の方々による「そうめん踊り」です。
小道具の、ざるとそうめんに見立てた「糸」をうまく操った踊りで、楽しみました。
伝統の踊り、地元の踊りのあと、最後は「河内おとこ節」に盛り上がり!? やや、
盆踊り状態!(笑)。
でも踊られる方はもちろん、見ておられる方々も、隣の私にいろいろ個人情報などを説明
してくださりながら、楽しく見ておられました。私も「生の声」を聞き、地域の連帯感や、
「村」の仲間意識を垣間見たような気がしました。
私たちは今回、初めてお祭りを拝見し、想像以上に盛り上がりを実感しましたが、今年は
例年になくにぎわったいたようで、隣のおばちゃんが、「今年はいつもとちょっとちゃうな!」
という声も聞かれました。それならよかった! 意識してマスコミ取材を受けられたり、
衣装を作られたり、宮司が新たに着任されたことも加えて、「変化」の兆しが参加者にも
伝わっていたようです。
仲良くなったおばあちゃんが、「明日はお店が出てにぎやかやし、明後日はごくまきと
言って90キロのお餅をまくから、午後4時においでや。」と声をかけてくださいました。
おらがふるさとの祭り…は健在だと思いました。
ただ、どこも人が減ったり高齢化して、ふるさと行事の協力者がない!という現状が
由々しきことです。そうは言っても「続ける」ことが最低条件でもありますし…。
「続ける」だけのことでも、「若い者やよそもの?は手は出しても口は出すな」という
タテ社会や、村意識も変えていかなければ、本当に次世代に何事でも引き継いでいけなく
なってしまうような気がします。
今回の三輪恵比須のお祭りを通しても、いろいろ感じることがありました。
私はこのブログ報告などで現地を知って頂き、訪れて頂くことを願っていますし、また、
3月には2回目の万葉講座が決まりましたので、地元の方々の意識を喚起して「万葉のふるさと」
という誇りと認識をみなさまにより高めて頂きたいと願っています。
このたびは、西宮えびす神社からも吉井宮司様が来てくださったとか。超にぎわいのある
西宮えびすとの交流ができて、お互いに情報提供ができたり、恵比須交流ができることも
今後楽しみです。
私たちの拠点TSUBAICHIも名前からしてももっと早く、三輪恵比須に敬意を表するべきでした(笑)。今、サロンのショーケースには、三輪恵比須の「福笹」が飾られています。

交野市は、織姫の里「かたの」として行政もともに七夕浪漫でふるさと作りをしておられますが、
また、地元近くに本社のある松下電器産業に従事された方々も多く住んでおられます。
縁は異なもの、逢合橋の七夕まつりや歌碑建立の時の関係者の中にも、パナソニックの関係者
がたくさんおられ、年に一度、年初の交野市在住の「松愛会」というOBの新年会に私に何か
話をしてほしいということで、ご依頼を受けました。
「松下」さんは、3代目の正幸さんの奥様が、ブログでも書いたように、3年前に逝去され
ましたが、甲南女子校で、中・高・大と10年間の友人でしたし、幸之助さんは明日香村の
名誉村民ですよ!と申し上げたことから、「ぜひ、松下幸之助に関わることでお話を…」と
テーマも「松下幸之助と万葉集」に決まりました。
松下さんは、明日香村の古都保存財団を起ち上げられて、初代の理事長でもあり、
私自身が今まで聞いて知っていることと、今回の機会を得て、あいまいなことは確認して
おこうと思い、先日の「雪の日の明日香村行」になったわけです。
1月29日、風は冷たくても、青空の広がる素晴らしい朝、
交野市ゆうゆうホールで、10時半から30分間でしたが、170余名の参加者が熱心に聞いて
くださいました。今回は「万葉」を語るのではなく、また男性がほとんどで反応は如何に…と
心配でしたが、あとの懇親会では、次々と「創業者のお話を久しぶりになつかしく聞きました。」
とか、「あの時、私は本社から財団の事務局に配備されて仕事をしていました。」とか、
「若いOBによく松下さんのことを話してくれた…。」とか、様々な感想を頂きました。
私のほうが、みなさんの思い出話を通して、反対にあらためて幸之助さんのお人柄を知り、
松下さんの晩年のご様子と、それに対応された社員のご様子などをお聞きして、晩年の
犬養先生に対する私たちと同じ、敬愛と純粋な奉仕の精神を強く共感しました。
また私の話をきっかけに話が盛り上がり、4月5日には、松愛会のバス旅行に私も参加し、
和歌山県にある、松下さんの生家を見学したり、お墓参りのツアーに参加させて頂くことに
なりました(笑)。
その他、枚方には幸之助さんが住んでおられた家屋が西宮から移築されて保存されている
そうで、(松下一族は、西宮市名次町に住んでおられます。)それも見学させて頂けそうです。
縁あって「松下電器産業グループ」に就職された方々が、こぞって幸之助さんを尊敬し、
誇りに思い、いまだに語り継がれるご様子に、まさに松愛会の名の通り、会社を愛し、
幸之助さんのDNAがしっかり社員に受け継がれた素晴らしい「会」でした。
おりしもNHKでは昨秋放映された「神様の女房」が再放送されています。
私も講話の機会を得たことで、松下幸之助さんの偉大さをあらためて学びました。
今もなお、PHP出版、松下政経塾など、いろんな形で人を育て、人を作り、世の中に送り
出され、日本の人材発見、人材教育、社会貢献に大きな影響を与えている松下イズムに
喝采の1日でした。(平野大臣は、HPトップに載せた通りです。)
私こそ、参加させて頂きましたことを心より御礼申し上げます。