個人的なことですが…。
高血圧の薬を処方されるようになって、もう10年近くなります。
人がうらやむほどの健康体ですが、遺伝子のせいか(体重系)、体調が悪い時に血圧
にははっきり表れて、上が160くらい、下が110位が続き、とうとう血圧降下剤を
常用するはめになってしまいました。
服用している間も、体調にはっきりと数値が表れることがよくわかりました。
と言うのは、2年前に手術・入院をした時に、担当医師に「高いようなら毎日飲みなさい」と
言われて、準備をしていきましたが、入院中は何と、毎日3度3度計る血圧が、ごく正常で
結局2ヶ月間、1度も薬を飲むことなく過ごすことができたのです。
医師に聞くと、入院中はストレスがまったくなかったことで、上がらなかったのでしょう…と
言われました。
案の定、日常に復帰してからは、また降下剤を飲み続けて、正常値の毎日でした。
大学院や1300年祭や、30周年や、いろんなことが重なり、相変わらずの状態でしたが、
毎月検診をしてくださる医師が、「ここ半年は、大変落ち着いてきているので、薬の量を半分
にしてみましょう」と言ってくださり、驚きました。
血圧の薬だけは、飲み始めると、増えても一生続けなければならない…と、地識的に否定的に
思っていたので、まさか減らすことができるなんて…と半信半疑でした。
先月、処方の降下剤のアテレック錠10ミリが、5ミリになり、1か月経ちました。
1ヶ月後の検診で、135と80ということで、ひとまず合格!!!
もとに戻らないように、おだやかで平和な日々、時間を続けていきたいと思いました。
しかし、ストレスの種は世の中にいっぱい!
ストレス解消もケアのうちと理解して、発散にはまず「女子会」からかな???
オリックスの経営する、全国展開の施設ですが、私たちがご依頼を受けたのは、弁天町にある
グッドリビング、大阪ベイというかっこいい名前の場所です。
下見に伺った時に、施設を見学させて頂いたことと、早くも「なでしこ」が咲いていたことを
先日ブログでご報告したとおりです。
今日は美佐ちゃんと私の二人でした。
認知症の方もあると伺っていたので、どのような理解で、反応があるか、楽しみでしたが、
コンサートの途中からも、皆さんが乗り出してこられたり、うなずいてくださったり、
手ごたえがありましたので、よかったと思いました。
『万葉集』を広げていく中には、こうしてお年を召した方々の中に『万葉集』をきっかけに
かつての記憶を呼び覚まされたり、「和歌」への親しみを持たれている方も多いはずです。
時代とともに、私がこうした新たな場面が与えられたことの感慨を覚えます。
施設の方から、最後に参加者の方々一人づつに握手をしてあげてください…と言われましたが、
それは私のお得意のコミュニケーション!!!(笑)
ありがとうございます・・・とお顔を確かめながら握手、ご挨拶ができ、私も満足でした。
最後に全員で「ふるさと」を合唱し、1時間のコンサートは終了。美佐ちゃんの透きとおった
歌声はみなさんの心にしっかり響いたことでしょう。
私も作曲の冥利につきます。
『万葉集』は日本人の心のふるさとであることをきょうもあらためて確認しました。
目の前にとても悲しい、さびしい現実があるのですが、今回はまた「清々しい気持ち」まで
体験をさせられた訃報でもありました。亡くなられて、1週間後のお便りでした。
三重県名張市の夏見廃寺跡は、大伯皇女の建立した寺、昌福寺だといわれており、薬師寺縁起
には「大来皇女 最初斎宮 以神亀二年 為浄御原天皇 建立昌福寺 字夏見 本在伊賀国
名張郡」と記述されています。大伯皇女が父、天武天皇ために発願したお寺だと言われており
現在は、国の史跡となり、近くの公園に夏見廃寺展示館も建設されています。
その庭には犬養先生揮毫の万葉歌碑もあり、犬養先生の歌碑の建立にももちろん関わられ、
私とは、ひめみこの会のお世話で万葉うたがたりコンサートをさせて頂いた時に出会った、
石原弘子さんとおっしゃる素敵なご婦人が逝去されたのでした。
個人的に時々お便りをしていましたし、12月のコンサートはご主人さまの通院の日にあたり、
断念されたのですが、DVDを待ち兼ねて購入して下さり、過分なその感想も頂いていました。
それから、3ヶ月くらいでしょうか。
ご主人さまからの封書が届き、ご主人名に胸騒ぎを覚えました。
封書の中には、石原弘子さんからのお手紙とご主人のお手紙の2通が入っていました。
「前略、ごめんくださいませ。突然のご報告と御礼を申し上げる失礼をお許し下さい。」
で始まるご本人のお手紙は、自身の亡くなられたことと、これまでの感謝と、葬儀を行わず、
個々にお別れの手紙とされたことが書かれてありました。そして、正装で微笑まれ、
「ありがとう」の文字の入った素敵なお写真が添えられていました。
亡くなられた驚きとともに、見事なまでの遺志を貫かれた人生の幕引きに、石原さんの人生の
美学ともいうべき哲学を見ました。そして、それを理解し、尊重し、希望を叶えられた
ご主人さまやお嬢さまたちの優しさに、よき家族の姿を見ました。
お手紙を手に、ひたすら信じられなく、最近まで、名張の歴史の勉強会を主宰されたり、
記者生活から退かれたあとも、名張の歴史や昔話の掘り起こしや、子供たちに伝えていくために
それでかるた会をなさったり、ひめみこの会も地域の活動の1つでしたし、大変秘めた情熱と
信念を持たれて、頑張ってこられただけにあまりにあっけない事実の残酷さに、呆然とし、
残念でなりませんが、徐々に、「石原さんらしい」と思えるようになりました。
ご自分もしっかりみつめながら逝かれたその最期に、私は喝采を送りたい気持ちです。
ガンであり、死と向かい合われた苦しみもあったでしょう。その上で、覚悟と準備に、
冷静にすすめられた意思の強さにも、心から敬意を表しました。
そして、清々しい気持ちというのは、失礼かもしれませんが、さわやかにお別れできたこと
への私の感想です。
男性以上の能力・活躍でしたが、また、いつもお洒落で、女らしい、やさしい口調の石原さん
を思い出し、これからも本当にすべてを見習いたいと思います。
どうぞ安らかにお眠り下さい。でも、きっと千の風になって、お墓にもいらっしゃらない
かも・・・。千の風になって、大きな空を吹き渡ってください。
素敵な人生に、献杯申し上げます。
昨日終えた「半畳亭」と銘打った初めての落語会は、案内でもご紹介していた通り、うたがたり会
のメンバーの木原三知子さんのケーナの生徒さんでもあることから、桂春若さんとの出会いを
頂きました。私と1つ違いのベテラン落語家です。昨日の出し物は「京の茶漬け」でした。
この写真で見て頂く限り、寄席そのものの雰囲気だと思いますが、私たちも「落語会」の
ための準備にいろいろ工夫をしました。

たとえば、落語家さんの前にある、見台、膝隠し、拍子木…などの小道具。そして落語家さんの
左側に見える「めくり台」などが必要と言われ、かさ高く、費用も…と思案していた時に、
素人で折りたたみのセットを作られる方を紹介して頂き、特注しました。
「折りたたみ」で、コンパクトにかたづけられるなんてびっくりしました。
この素晴らしい「中入」など、めくり用のタイトルは、パソコン勘亭流の文字でともちゃんが
作ってくれました。いい感じです。
そうそう、お座布団は、備前の妙圀寺からお借りした婚礼用のもの。めでたし。
今回、私たちがうれしかったのは、落語会ではありましたが、やはり音楽サロンということで、
木原さんと春若さんのケーナ演奏があったことでした。やはり基本のコンセプトは音楽です。
練習不足?と謙遜されながらも、ケーナ・サンポーニャを師弟共演で聞かせて頂き、余技の
技にも感心致しました。
もっともうれしく、落語会の間際になって、思いがけず胸打ったことがあります。それは、
明日香村森林組合でお仕事に関わっておられる荒川さんの思いやりでした。
サロンは天井も高く、雰囲気的に「畳敷き」の客席よりは、椅子席の会場の方がよいでしょうと
いうことで、高さ1メートルの高座を準備することになりました。
山寺さんもあれこれ頭を悩まして、いろんな方法を提示、私と検討を重ねました。
サロンを設計して下さった建築士の吉田さんにもご相談してみました。
長机の積み重ね、ビール瓶のケースの組み立て、サロンのテーブル使用、平台のレンタルなど
方法はいろいろありましたが、今後サロンで収納できることや条件もあります。
以前サロンの看板について相談をした時に、「サイズさえわかれば、いつでも作ってあげま
す!」と言って下さったことを思い出し、日程も迫ってきていましたが、「こんな形を
作りたいのですが…」と、相談しました。
そこからです。荒川さんの方にも1つの思いが加わったようでした。
そして、用意して頂いたのが、前日ホームページでご紹介した、すばらしい舞台です。
公演終了後、山寺さんの方から、私たちの喜びを知ってほしくて、この高座についての
「いわく・説明」をしてもらいました。
お客様が高座の下にもぐったり、さわったりして感心して見学してくださいました。
昨日は高座でしたが、次回からは平台の舞台として使用できます。
万葉にこだわる私たちに明日香村の入谷の杉の木、岡寺のひのきで作って下さったこの舞台は
古代からの明日香村の魂が宿っているもの。このサロンに、明日香村の息吹を注ぎ込んで
もらいました。万葉うたがたりコンサートもこれからはこの舞台の上で、披露してほしいとも
言ってくださいました。木の香りが漂い、明日香の森が身近に感じられました。
何と言う感激! これ以上の喜びはありません。荒川さん、ありがとうございました。
観客には、山口ひとみさんがお母さんを誘って来てくれました。音響の富岡さんも。
楽しく、賑わいのうちに終えた半畳亭。雨もあがり、客足が途絶えてから…いよいよ舞台の
撤去です。偶然東京から西本君が来てくれて、山寺さんと3人で、またまた悩みながら
解体作業。汗だくになり、パズルを解くかのように考えながらのばらしです。
10時半ごろようやく終了。西本君ありがとうございました。
本当にたくさんの「賜物」にあやかって「落語会」を終えることができたのです。
落語も面白かったけど、やっぱり私は「ついています」ね!!! 感謝。
年2回のこの会も、10年を過ぎました。時の流れは本当に早いです。よく続いたのは
お世話係の方々のご努力の賜物。当初からの方をはじめ、常に新たな参加者も得て、会が
なごやかに続けられる幸せを思います。
列車で片道2時間半かかりますが、車窓から、季節を感じたり、風景の変化を楽しみながら
行くので、時間も距離も私には何ら抵抗はありません。
梅雨時ですが、「この日」はもちろん晴れ!、
きっと備前うたがたりの会の方々の期待の念力のおかげでしょうね。
JR赤穂線の西片上の駅は無人駅ですが、駅舎の入口には素朴な花壇があります。
まあ素敵! 私の大好きな百合の花が、何色にも咲いていました。
集会はお正月以来ですが、4月5日に、備前の方々と「かたかごの旅」を致しました。
「清明」の日にちなみ、例年は、桜や春花が満開の頃なのですが、今年は春が遅く、当日も
桜は花芽もついていない有様で、呆然としましたが、目的の氷上の清住のかたかごの群落は
5分咲きくらいでしたが、イナバウワーのかたかごを実際に見て頂くことができました。
何と、森原さんと紺藤さんのお二人が、エッセイ集にその日のことを書いてくださっており、
玉稿を頂戴しました。ありがとうございます。
優しい視線で、しかし立派な文章で、感心して読ませて頂きました。
企画し、行った甲斐があった!!!とうれしくなりました。
かたかご旅行に参加され、今回から初めて講座に参加してくださった方もあり、10年間の
このグループも限られたお世話役のみなさんのおかげで、細く長く続けて頂いていることに
心から感謝しております。お顔なじみも増え、いまや備前ファミリーの輪があります。
万葉集のお話は、額田王の歌をご紹介しました。それから私の興味ある「ほととぎすは
備前で鳴いたか?」です。海辺の町ですが、やはり小山や島山が迫り、ホトトギスはみなさんの
耳にすでに届いていたようでした。「テッペン、テッペン…」と聞こえるとか。
私も実際に「これだ」と確認してみたいです。
内緒の話!。18日の落語会の桂春若さんのご注文の「大座布団」に頭を悩ませておりましたが、
ピンポーン!
お世話役代表の平野さんは、備前の古刹、日蓮宗の妙圀寺の奥さまですので、ちゃっかり
お願いしてみました。するとお忙しい中、すぐに応じて下さり、本日サロンに「婚礼用」の
素晴らしいピンクのお花柄のお座布団が届いたのです!!! 神に感謝!いや仏様に感謝でした。
年に2回の講座ですが、皆さんの笑顔だけでもありがたいのに、今回もまたプレゼントを
頂いてきてしまいました。
子供の時から、母が「ものをもらうこと」は、いやしさにつながる…と言われたものですが、
今の私は違います。私の為に準備してくださった「心」はすべてもらいたいのです。
何でもありがたいと思います。
折り紙上手な山本さんは、「紫陽花」を折ってくださいました。名人芸!
そして、紺藤さんの93歳のおばあちゃんがせっせと編まれたアクリル毛糸のタワシ。
10枚も・・・。こうして並べるときれいですね。しっかり掃除しろ!のメッセージかも。(笑)
宮田さんからは、素敵なトールペイントのポーチ。ありがとうございます。
とっても女らしくて可愛い宮田さんは、子育ても終えられて、自閉症の子供たちのお世話の
ボランテイアをなさっておられます。前回、お正月の集会のあと、施設に戻られた時に
子供たちから「宮田先生、何かいい事あったね」と心を開いて話しかけて来てくれたそうです。
この備前の会のおかげと感謝してくださいましたが、きっと気分転換になられて
リセットされた宮田先生に戻られたからでしょう。大変なお仕事だと思います。
そんなお忙しい中で、手描きの作品です! これをもって、もらわいでか!・・・です。
肝心の万葉講座は、10年間でどれくらいメッセージできたか不安ですが、「万葉衆」は
確実に定着したようです。本当に楽しい1日をありがとうございました。
昨冬の雪害など、時々大きな天候災害に遭遇する地域なので、何事もなければいいが…と
気になっている。
1週間前の6月4日は、梅雨間であったが、大変恵まれたよいお天気で、堺の除幕式と重ならない
ことで、前日から福岡県の飯塚市へ出かけた。
目的は、尊敬する万葉学者の大久保廣行先生の講演会があることを知り、是非聞きたかったのだ。
大久保先生は、山上憶良のご研究に深いことから、平成17年の嘉摩万葉フォーラムで、多岐に
わたりご指導やご協力を頂いたご恩もあるが、昨年の12月の中之島のコンサートのDVD を
見て下さり、その後ご丁寧なお頼りと共に、私が舞台で紹介した「熊凝」や、大伴旅人の
讃酒歌について大久保先生が書かれた論文をわざわざ同封して下さったり、いつもながら本当
に誠実で、温かいお人柄に、こうしてご縁を頂いていることを恐縮にまた光栄に存じている。
講演会は、「旅人の想い―最期にまつわる花、梅と萩と」という興味深いタイトルで、もちろん
「梅花の宴」の梅、萩を意識しながら亡くなった旅人を思い、どのような内容だろうかと
楽しみに聞いたが、さすが、大久保先生らしい時代背景や、旅人を中心とした人間関係の
紹介や、太宰府や憶良との出会いなど、丁寧に説明があり、その上で、大久保先生が、近年の
テーマの1つとして研究されてきた、旅人・憶良の老境や病・死に対する二人の文学上で
読み取れる生き方、今回は特に旅人の最期について、「萩」は心のふるさと、明日香への回帰
であったことを学び、望郷は奈良ではなく、たましひの安住の地は「明日香村」であったのか!
とあらためて考えさせられた。昨近、90才を過ぎた認知症の大叔母が、名前を問われて
家族みんなが忘れていた、嫁ぐ前の「旧姓」のフルネームで答えるというのを聞いた。
無意識になっても「私」は、なつかしい子供の時の世界に立ち帰るのだろうかと思ったばかり
だったせいもあり、旅人の話に、妙に現実的な臨場感を覚えた。
「恋」もしかり、学生のときには『万葉集』で、犬養先生のお話を頭で理解することはできても
ピンとこなかった「心情」の部分が、今、「老い」についても、自分が年を重ねることで、
新たな理解ができるようになる。『万葉集』は読み手によって違う輝きを放つ、不思議な書物だ。
大久保先生ありがとうございました。時間的に忙しかったけど、行ってよかった!!
気持ちの良い朝、講演会の前に、遠賀川周辺を散歩をした。土手には「ツバナ」がいっぱい
そよいでいた。万葉の「浅茅」「茅花」である。ここは特徴的だ。
国土交通省の河川工事で、整備とともに建立された万葉歌碑2基。芳雄橋をはさんで旅人と
憶良の歌碑が建てられたことから、歌碑の近い方に「憶良口」(上)、「旅人口」(下)と
名づけられていた。
橋から望んだかつてのボタ山も、年数が経ち、緑が定着した普通の「山」になって、新緑が
美しかった。
遠賀川も大規模な河川工事を経て、静かで美しいたたずまいをみせている。
川のほとりにはベンチがあったり、ゆったり流れる時間を感じるスペースになっている。
飯塚市のイラストマップがあった。
これはマンホール。万華鏡の模様のように色がきれい。このモチーフは市の花「コスモス」と
関係ありか???
散歩の最後に寄ったのが、「スーパーASO」。そう、ここは麻生元総理大臣の故郷であり、
「麻生」関連の名のつく事業も多い。病院もあるし、スーパーの買い物ぶくろに明記してあるか
どうかなと、とりあえず買ったのが対馬の藻塩。目的の「袋」にASOの印字が…(笑)
いつもながらに好奇心満々のオカモです。
おまけは、久しぶりの博多駅。九州新幹線の開通後、初めて到着。新幹線の掲示板に見覚えの
ない「さくら」や「つばめ」の表示が…。おー、感動!次回は鹿児島までのってみたいものだ。
大久保先生の講演を拝聴したあと、篠原さんご夫妻のご厚意に甘え、一緒に歌碑散策へ。
飯塚・稲築・桂川町から大宰府の坂本先生の新歌碑探しまで、限られた時間だったが、
おつきあい頂いた。次はそのご報告です。
大浜公園の中にある築山の蘇鉄山の上にあります。
山頂には登録名が大浜公園の一等三角点があり、みなさんが日本一低い山だと認識される
天保山は、標高4.53mでやはり低いですが、二等三角点で最も低い山と言われていて
・・・!?、まあどっちもどっちですが・・・(笑)。小高い場所でした。
フォトギャラリーでご紹介もしていますが、堺市のロータリーの事業として、今回の
万葉歌碑建立でいくつかの希望が託されていました。
遣唐使の母の歌、
旅人の 宿りせむ野に 霜降らば 吾が子羽ぐくめ 天の鶴群 (巻9・1791)
の「言葉」にあるように堺市民を「羽ぐくむ」ことから「育む」意までの思いや、また
大浜公園の石碑文「擁護璽」のある蘇鉄山を選ばれたのは、3月の東日本大震災に遭遇した
ばかりの日本で、今後、南海地震や東海地震などの危険予知のある昨今、かつての堺市民の
教訓から、無事に助かったことが記された碑のあるこの場所に建てる意義などのご紹介も
ありました。そして、私たちは命がけで、国使として役目を帯びた遣唐使たちが出発した
難波の港に、同行するわが子の無事を願い、思いやる母の歌が歌碑に選ばれたことを嬉しく
思いました。山内さんの説明を聞き、臨場感が迫り、胸がよりいっぱいになりました。
犬養先生、おめでとうございます。そして、この地で、また大地に踏ん張って、万葉人の
心を語り続けてくださるのですね。ひょっとして、津波も両手を広げて遮ってくださるので
しょうか。日本のふるさとの守り神です。
ロータリークラブは、犬養万葉ファンがこんなに参加されるとは、夢にも思っておられなかった
ことと思います。このギャラリーの多さ!(笑)。除幕式が晴れがましいものになりました。

除幕の写真撮影のラッシュはすごかったですねえ。竹山修身市長は、公用で遅れて来られた
のですが、この想定外の賑わいに驚き、喜ばれたことと思います。
先日TSUBAICHIでお目にかかった私? 思いだしてくださいましたか。
犬養万葉歌碑でお世話になるのは、故、幡谷市長、前木原市長に続いて3人目ですが、
是非、ご理解頂き、仁徳天皇陵のある古代史にゆかりある磐姫の歌碑があること、高石市から
移転した高師の浜の歌碑も含めて、万葉故地としても認識を深めて頂きたいものです。
除幕式に参列のロータリアンの背広姿と対象的だった竹山市長のアロハ姿! びっくりしました。
なんとスーパークールビズの最先端だそうで、堺市が販売して2日目のアロハシャツを着用。
市の花、ハナショウブ柄に「堺」の文字も入っています。お相撲さんの浴衣みたいな気も…。
いやいや、ごめんなさい。ユニークなグッズでした。
それから、犬養先生の歌碑の除幕式に、私たちTSUBAICHIでバス調達をしましたので、
初めて父も参加しました。
昼食後、大仙公園の磐姫皇后の歌碑、高師の浜の歌碑めぐりもしました。
せっかくなので、わがパパショットです。
高師の浜では、山内さんの傍でしっかり説明を聞いて、よくわかった!と喜んでいました。
私は参加してくれて感謝です。喜びを共有できる時間をもてましたもの。
予定通り、4時までに大阪で解散できました。バス手配から、総世話人代表の山寺さんには
いつもながら、感謝・感謝です。言い出し兵衛の私の思いをいつも実現してもらえることは、
本当にありがたいことです。オカモはすでに、次の列車に乗り込んでいますし…。
山寺さん、またよろしくね(笑)。
万葉のお仲間で、自宅の裏山を万葉植物園になさっている木田さんのご協力を得て、昨年
初めて、TSUBAICHIで万葉花カレンダーを制作しました。
そのこだわりもあって、私が担当している万葉講座では、毎月、掲載したその植物について
の万葉歌をご紹介していますが、5月は「あふち」の花でした。
山上憶良の日本挽歌の反歌の1つに
妹が見し あふちの花は 散りぬべし 我が泣く涙 いまだ干なくに
と言う有名歌がありますが、そこで詠われている「あふち」。漢字では「楝」です。
センダン科の植物ですが、「栴檀は双葉より芳し」の香木のせんだんとは別の種類です。
歌の背景である太宰府などでは大木のあふちを何度も見たことがありました。関西では、
東大寺の戒壇院の庭や「ここ!」と認知してきましたが、先日宝塚のコープカルチャーの
折に、講座生の方から阪急中山駅の構内に大きな「あふち」がある!と聞いたばかりでした。
それが、それが…です(汗)。
わが町、阪神甲子園球場の南東の甲子園筋交差点近くにある市営住宅の一角にあったの
でした!!!!!
それも、昨日台風の影響もある大雨の中、親戚の葬儀を終えて帰る道すがらのことでした。
あまりのひどい雨風の中で、傘が飛ばされないように身をちぢめて、歩道に落ちている
花殻を何気なく見ながらひたすら歩いていた時に、突然気がついたのです。おおっ~!
そして雨風の中、通り過ぎた道をもう一度戻り、見上げて確認したのです。間違いない!
渋滞の車の人たちは、尋常ではない天候の中、通行人オカモの一連の動作を車の中から
見ていて、きっと不可思議に思ったことでしょう。
今朝、早速写真を撮ってきました。間違いなく「あふち」。
こんな住まいの近所に、365日近く行き来するいつもの道に、わが甲子園球場のそばに!!!
あふちがりりしく植わっていたなんて…。ごめんなさいね。
もう一本、ららぽーと入り口南のホカ弁屋の前にあります。(はじめに気がついたのはこれ!)
あふちの木はきっと私がいつ気がつくか、見ていたに違いありません。
甲子園球場へ行かれた時には、是非この木を見て帰ってください。
オカモ見し あふちの花は 散りぬべし 雨風の中 甲子園の道で!?
ホームページのトップでもご紹介しましたが、澤田さんの個展の最終日にも大きな
サプライズ訪問がありました。
たまたま朝日放送の「映画のアナ」の取材で、道向かいの居酒屋「市丸」さんにクルーと
共に来ておられたのです。
沢田さんの妹さんが、朝日放送のリスナーだったことで親しく会話されて、急遽サロンも
のぞいてくださったというわけです。
三代沢さんは、明日香村の棚田オーナーとして、ご家族で稲作にも参加してくださっており、
また、奥様はかつて私が「おはよう朝日です。」に出演した時のアシスタントを務めて
おられた方です。勝手に私たちが親しく感じていた方でしたので、本当にみんな喜びました。
お忙しいにもかかわらず沢田さんのご説明をきちんと聞いて下さり、サロンもしっかり
認識して帰られたことと(期待しています。)三代沢さん、本当にありがとうございました。
「どっきり、はっきり、万葉集! 三代沢康司です!」
5日間に亘った作品展には100人以上の、本当に多くの方々に来て頂きました。
作品を製作された澤田さんはもとより、TSUBAICHIのギャラリーとしても、みなさんにご満足
頂けたかどうか、気になるところです。
でも展示も準備もお接待も私たちなりに楽しく過ごさせて頂きましたので、ありがたく思って
おります。心残りは澤田さんのご主人さまや筑波のご子息のご家族に見て頂けなかったこと
が唯一、残念に思いました。
沢田さんの最新作?「やかたのおおきみ」はうれしいことに私にプレゼントして頂きました。
また宝物が増えました。写真は多くありますが、肖像画は初めてです。
上品にやさしく描いて下さり光栄の砌です。
最終日も終日にぎわい、閉じるのがもったいなく思いました。
早々に片付け、引き取りの車が来るまでのわずかな時間でしたが、簡単な打ち上げをしました。
「澤田さん、おめでとうございました。そしてお疲れ様でした!」


