2008年の万葉うたがたりは、12月21日(日)に堺万葉歌碑の会の代表
澤田冨美子さんの「感謝状受賞記念茶話会」で、歌い納めることができました。
2007年に犬養先生生誕100年祭を記念して、(平成8年に建立された)大仙公園の歌碑
の両脇に2基づつ、磐姫皇后の歌4首すべてを新たに完成させられ、副碑も添えて
景観整備に努力されたことに対する感謝と、また、高石市の個人病院にあった犬養歌碑を
堺市の浜寺公園内に移転させるという、行政の管理下に定めるための尽力をされたこと
などの功績に対し、堺市からの重なる表彰の名誉に与られた澤田さんのお祝い会で、
私たちは祝賀の歌として、もちろん「君待ち草」をご披露させて頂きました。
今年もいろんな場面で「万葉うたがたり」をさせて頂き、本当に充実の1年でした。
来年も更なる成長ができますように・・・がんばります!!!
投稿
137基目の万葉歌碑が除幕されました。
犬養先生が亡くなられて、満10年も経ちますが、いまだに「犬養歌碑」に
こだわってくださる方があることを本当にうれしく思います。
淡海万葉の会が、発足して12年。JR「西大津駅」という駅名を「大津京駅」に
改名の運動を続けてこられて、今春ようやく実現しました。
しかし、藤原、平城の都のように、天智天皇の「近江大津京」については、
条坊制が存在したという記録もなく、「宮跡」の存在も確認されていないので、
果たして「大津京」と言えるのかどうか、議論は引き続いており、改名された
今もなお、意見が様々です。
ただ、地元の会が望まれたのは「近江万葉」の拠点としての象徴の名としたい!
という素朴な思いであったことは、間違いないと思います。
そして、改名を記念して、3月には市民参加型の大抒情万葉オペラを上演
されましたが、引き続き、長年の夢であった「万葉歌碑」の建立をも計画され
一気に10基建立ということで、揮毫者の依頼・資金・石・場所の選定・申請
などなどあまたのハードルをクリアーされて、11月30日に4基、そして、
12月6日に3基が除幕されたのです。
犬養先生の歌碑は、「淡海乃海 夕浪千鳥」の色紙を探し出し、それを起こして
頂きましたが、立派な躍動感のある文字です。
犬養先生、おめでとうございます。また、私たちの心の灯が1つ増えました!
滋賀県では2つ目ですね。わが憧れの額田王も過ごされた近江大津京の昔を
しみじみ偲ぶ人麻呂。私の想像の世界が広がってきます。
犬養先生の歌碑の前に佇み、目前の琵琶湖の静かな風景を味わえる…素敵なスポット
です。しかし、除幕式の間も湖面を吹き抜ける晩秋の風が冷たく、肌に染み入りました。
(除幕式の詳細は、犬養万葉顕彰会の会報「あすか風」に即日レポートしました
ので、12月15日に発送しますので、またご覧ください!)
そして、私にとっては、今や奈良女子大学で坂本信幸先生の門下に入れて頂いて
おりますが、同日、大津京関連の1号の発掘遺跡である、錦織遺跡に、坂本先生の
万葉歌碑も除幕されました。
坂本先生は、達筆でもあり、品良い優しい字を書かれますが、このたびは、人麻呂の
「近江荒都」の長歌を揮毫され、素晴らしい超大作の歌碑でした。
先生もご自身の「書」が、歌碑として、訪れ、見る人たちに歴史や万葉の心を後世に
伝えていく手立てとなることを本当に意気に感じておられることでしょう。
坂本先生、おめでとうございました。

私は、こうして「机上」の万葉ではなく、世の中の人たちに「万葉集」を浸透させて
おられる二人の先生にご指導頂いているということは、私もそうでなくては
ならないという「姿勢」のメッセージも頂いているのかもしれません。
幸せな私ですね。
今日11月30日で、昭和39年にデビューした、0系新幹線車両が引退する。
私が小学校6年生の時のこの画期的なニュースに、私は「夢の超特急」
と言う作文を書いており、今も手元にある。なつかしい。
あれから、44年も経つのだ。
その初代新幹線の車両設計に関わられたのが、犬養万葉顕彰会の役員で
あった、鈴木光雄さんだ。阪大生の頃、犬養先生のお伴をされて、写真班として
活躍され、犬養先生の名著『万葉の旅 全3冊』(社会思想社編)の中巻の表紙の
「浜木綿」の写真は、鈴木さんの作品である。
0系の設計・試行に尽力され、若き鈴木さんは、実現した時には、新婚旅行で是非
妻を乗せたいとおっしゃっていたそうだ。(プロジェクトXの世界ですね!)
いよいよ引退の今日をどのような感慨で迎えておられるのだろうか。
先日、旅先で病に臥され、ショックだったが、現在治療中でおられる。
44年もがんばったことに、愛着も込めて「お疲れ様!」しかないかな。
多くのファンが、最後の姿を見たい、乗りたい、写真に留めたいと、
朝からのニュースでも大賑わいだ。
新幹線そのものの姿ではなく、44年間をともに過ごした自分との「時間」への
名残が感慨になっているようにも思える。
昭和の風物詩が、またひとつ消えていく。
もう44年といえば、東京オリンピックも昭和39年だった。今、東京へ誘致活動を
していることが、一時代を感じさせる。
また、私の「親友」斎藤さんとの出会いも甲南女子中の受験の時が、初対面だった。
それから44年の絆は、ご主人との付き合いなんて、くそくらえだ!(笑)
子どもであった時から思春期を経て、娘から妻となり母となり…長い月日を
いつも鏡を見るように過ごしてきた。会えば、いつでも女子学生のままだ!
これからも、私は「娘子」でい続けることでしょう!!!
ただし、玉手箱を開けないようにしなきゃ~。
昨日、大学院で演習発表した家持の歌の中で表現された語句です。
週末、明日香村で犬養万葉記念館に協力する会の会議があり、久々に
出席しました。私は1年以上ぶりです。
と言うのは、昨年は犬養先生の生誕百年祭の真っ只中で、明日香村には
「通った」と言っても過言ではないほど、行き来しました。
ただ、昨年は犬養万葉顕彰会に専念したかったので、一切の公務!?は
パスしていましたので、今回も敷居の高い出席でありましたが・・・。
昨年の秋は、県立万葉文化館で、1ヶ月に亘る記念展示の時期で、
明日香村の「秋」を日々体感できたことは、思いがけず貴重な経験でした。
その期間中に、展示物の見守りボランテイアとして、偏にお世話様になった
のが、明日香村の山口佳世子さんです。少し前までは、犬養万葉記念館で
受付嬢!?として、協力してくださっていました。
普段から、仕事に加えて、明日香村の行事で「食育活動」や「南無手踊り」
など活躍されておられるのは存じておりましたが、昨年明日香村の文化祭で
「編み物」の作品を出品展示されているのを拝見し、その多彩で器用さに
あらためて感心していたところ、なんとこのたび私に「作品」をプレゼント
してくださったのです。
大好きなピンクに、なんとネコが「二匹」です!!! すごい偶然!
帰宅するなりの試着!ネコ自慢にふんぞり返りすぎてお腹が出てますが(泣)。
本当にうれしいです。お忙しい中、ありがとうございました。
昨年のうちに早々に作り上げてくださっていたそうです。
内緒、内緒のはずでしたが、公開せずにはいられません!お許しを!
毛糸の暖かさに加えて、手作りの温情に私はポカポカです。
こうして明日香村の方々とのふれあいが深まることは、私にとって何よりの
ことです。私たちも大好きな明日香村にますます同化していきたいと願って
います。「明日香村」の魅力にますます惹かれながら・・・。
帰宅後のはな・ひなは、リラックスモード。
だいぶ個性も出てきました。箱入り娘のはな。束縛がきらいなひな。
美しい月の1週間、毎夜見守られながら、忙しく過ごした。
まだ夜の明けない朝の6時ころも残月が西の空から私の目覚めを促す。
いつも安らぎを与えてくれる「月」。大好きだ。
月曜に学内の国語国文学会特別講義として、佐佐木幸綱氏の「歌の力」
という講演会が行われた。やはり歌人の「感性」のあふれる視点や解釈には、
なるほどと思われることがたくさんあり、興味深い。話の冒頭で、
待ちがてに 我がする月は 妹が着る 御笠の山に こもりてありけり
(巻6-987)
の「こもる」について、日本の表現的「こもる」例をいくつか示されたあと
この歌についても「月がよみがえる」ようなニュアンスを説明されたが、
年中「月」を心待ちにする私としては、その状況がすごく共感できた。
くっきり見えては、いざという時に雲に隠れ、角度から山の端に隠れ、
じらされながら、再びの月を待つような…そんな心持ちも感じさせる表現
でもあるようだ。「こもる」の意に情感の奥行を思った。
7日から11日まで行われた娘の芝居「書庫」は、設定が6階の地下室。
時を知らせる鐘だけが、生活の暦。光のない生活の中で夫婦は体も蝕まれていく。
久しぶりに夫が、地上に出て「太陽の明るさ」に適応できず、「光」に
対する哀しい自虐的なセリフの場面があるが、「人間には闇夜を凌ぐだけの
うす明りがあればそれでいいのだ…」という件に胸がつぶれた。
そっか、私は自分で「太陽の子」のような自負はあるが、「月」は、
「闇夜を和らぐやさしい光が、心に染み込む」そんなさりげない温かさが
私に「月」への思いをかきたてていたのかもしれないと気づいた。
私にとって月は神様へ取次いで頂いたり、犬養先生であったりする会話の
できる存在である。次の師走の月も楽しみだ・・・。
ところで、我が家の元気の素です。
658年、11月11日に和歌山県海南市の藤白坂で最期を遂げられた有間皇子。
きょうで、満1350年が経ったわけだ。
さる3月に岩代、紀伊田辺を中心に紀伊ネットワークによる万葉ウオーク
があったが、今年は悲劇のプリンスの「有間皇子」を偲び、藤白神社で
毎年11月に行っておられる「有間皇子まつり」の時期に合わせて、第3回
紀伊万葉ウオークが行われた。
11月8日(土)は、和歌浦を起点に、周辺の古代の玉津島山をめぐった。
玉津島神社には犬養先生の歌碑があり、境内から奠供山に上り和歌の浦を
臨んだ。あいにくの時雨交じりの空だったが、秋にふさわしく静かな
落着きを湛えていた。村瀬先生が紹介してくださった万葉歌
潮満たば いかにせむとか 海神の 神が手渡る 海人娘子ども(7-1216)
片男波の浜を「神の手」のような砂州と例えた万葉人に感動した。
雑賀崎に移動し、天候不順で心配された光景も、晴れてこそいないだけで、
海は澄み渡り、前方は開け、遠く淡路島まで臨むことができる。
さすがに防備見張りの番所にふさわしい。今は番所庭園があり、夏は
浜木綿の花が美しいが、今はつわぶきの花があちことに咲き乱れていた。
宿泊は、この左手島の名のつく双子島荘。右手は男島です。
翌日、海南市へ移動。朝のウオークのあと、藤白神社でいよいよ行われる
有間皇子まつりに行事は移り、私はご神事の後の万葉朗唱の会の司会進行の
大役を仰せつかっていたので、スタンバイ。底冷えのする寒いスタートだった。
境内では、犬養先生の揮毫書が飾られ、お祭りにふさわしく地元の方々の
協力によるおもてなしのコーナーもあり、また七五三で訪れる方もあり、
賑わいの中で、村瀬先生のお話のあと、朗唱の会が始まった。
ロックミュージカル「有間皇子」からのバレエの場面のオープニングが
あり、15組くらいの出場者があったが、それぞれに有間皇子の歌、海南の歌
紀の国の歌と「地元」ならではの選択が多かったことに感心した。
また朗唱だけでなく、コーラスあり、詩吟あり、「有間皇子」の演歌あり…と
楽しい!
私も各地へ行って思うことだが、本当に「歌う側」は、きちんと準備をして
自信を持って歌われる。暗記されている方が多くなったことに驚いている。
犬養先生の朗唱スタイルが、いろんな形で実践され、万葉歌が単なる「机上」
のものでなくなり、それぞれの方にそれぞれの歌が残ることは本当に
素晴らしいことだ。
私たちも万葉うたがたりコンサートをさせて頂き、「歌」を通して1350年遠忌に
奉納させて頂いた。紅葉の始まった藤白の森に漂う有間皇子の御霊に届いた
だろうか。
紀伊万葉ネットワークは、和歌山県のそれぞれの万葉故地の愛好の方々が
地元に留まらず、協力して「紀の国万葉」として全体の発信をしていこうと
立ち上げられた民間のグループだ。県を動かし、素敵なガイドブックもできて
いるが、地元だけでもお忙しい中、本当に前向きに頑張っておられる姿に
敬服する。また村瀬憲夫先生という万葉学者の支えも強力だ。
「海のない」大和の万葉人が深く憧れた「紀の国」。
旅人の道を通して詠われた数々の名歌のふるさとを大事に残し、発信して
いこうと今後もいろんな計画に余念がない。こんな方々を見ると「私も協力
した~い!」と黒潮激つ…じゃなかった、オカモの血も騒ぐのだ(笑)。
今回はお天気だけが、参加者に申し訳なかったですが、これも万葉日和と。
ちなみに今年から、11月11日は、全国的に「介護の日」となったそうで???
美学ではない。現実との直面に自分がどう判断するか。
高橋尚子さんが引退した。残念だと思う反面、マラソン界の世代交代が
現実に進んでいることを誰もが承知しているだけに、「やっぱり!」と
思えることも事実だ。
この「引退」に関して、また過去のスポーツ選手等のマスコミ、インターネットで、
「引退の美学」について論評が盛んである。
余力を残して全盛期に辞めるタイプとボロボロになるまで燃えつくすタイプと
それこそ「個人の問題」であり、引退の形も様々だ。
ただ、スポーツ選手の場合は、第2の人生とも言うべき「今後の人生時間」が長い。
培われたスポーツ魂をいかに人生で活かせるかが、その人の生きざまとして
試されることだろう。高橋さんがんばれ!
ここからが本題。
私は「引退」という言葉の重みと、20年くらい前からずっと直面し続けてきた。
それは、恩師、犬養先生のことであり、1つ違いの祖父のことでもあった。
二人とも老いてもなお、第一線で活躍していたスーパー老人(失礼!)だったからだ。
身近なものは「老い」を認め、それなりに受け止めることができる。しかし、
社会的な場所で活躍しているにもかかわらず、そこで指摘される「老い」ほど
残酷なものはない。
だから、一般的に「ご苦労様でした。」と仕事や役職に定年があり、人間の
一生の中の起承転結の最終章として迎える「節目」として定年があるのだと思う。
しかし、厄介なのは、上記のスポーツ選手のように「自分で判断する」ことの
できないことだ。もう少し言えば、自分で判断できる時に「勇退」できる人
は問題はないのだ。「老い」は、心のコントロールをできなくしてしまう。
自分でわかっていても、もうどうにもならないのだ。
犬養先生は私たちのカリスマであり、亡くなられる最期まで「受け入れたい
人々」が圧倒的だった。でも反面、先生の尊厳を保つためには「もういいでは
ないか」という教え子たちの意見も少なくはなかった。
そのはざまで、犬養先生が現役でお仕事を続けられるならば!私はできるだけ
フォローをしよう…と覚悟しての10年間だった。
また、祖父もしかり、祖父については、「自分」しか信頼できなかったのだと
思うくらい、健康も含めて絶大な自信を持っていた。それゆえ、家族にも
私にも、ヘルパーさんたちにも!?亡くなる直前まで「いかに世の中をしっかり
生きていくか」ということのお説教をしていたくらいだ。
「老い」の余生も、人生を支えた専門知識は最後まで明晰で冴え、私たちには
足元にも及ばない一面は生涯変わらず、それは畏敬に値する。
明治人間の二人、犬養先生は91歳、祖父は97歳で旅立っていった。
二人の「偉大な師、偉大な死」を見送った私は、いよいよ自分の「引き際」が
当面の問題となってきた。
と言っても、会社務めでもなければ、主婦業の卒業もないわけで、「何様だ!」
と言われそうだが、万葉うたがたりとして「人前で活動すること」ことがある。
特にコンサートでは、「夜目・遠目・ライトのうち」と笑い飛ばしてきたが、
麗しく舞台に立つ努力はしているものの本当に現実のものとなってきた。(汗)
女性は「見かけ」も大いに影響する。皆さんに夢や楽しさこそ与えても、幻滅
させてはいけないのだ。それもひとつ。
私の2つ上の友人で「教師一筋」の人生に疑問を感じ、「人生に何かが欠けてるのでは…」
と50歳を転機に「家庭の主婦」に戻り、スポーツや趣味で日常を謳歌されている
人がいる。一緒に音楽バンドをやろう!と私も誘われている。
また、犬養先生の教え子で、まだまだ働き盛りの有能な紳士は、世間が惜しむ声を
背に60歳の定年を機に自由な生活を選ばれた。
私は、毎日時の流れに身を任せているような生活に、怖さを感じている。
私も自分の生活をもう一度見直して自分にとっての「人生の美学」はなにか、
自分できちんと判断できる間に(笑)決断したいものだ。
現実からの逃避ではない。
通帳だけでなく、人生の残高も気になっていますので…。(笑)
個人情報流出お許しを・・・。11回皆勤で参加の奈良県の荒川晴男さんです。
昨年の朗唱の会は、10回と言う節目の会であったことと、犬養先生の生誕100年が
重なり、私たちも協賛行事として、犬養万葉顕彰会も協力させて頂きました。
あれから、もはや1年??? 時の流れは早いですね。
来年2009年が、大伴家持の最後の歌(759年)を詠んでから「1250年」と言う
またまた記念すべき年でもあるので、来年は恒例の朗唱の会の前日に「因幡万葉
フォーラム」という行事を企画しておられます。ですから今年は主催者側も
参加の私たちも加速度をつけたいプレ行事的な思いで臨んだように思います。
開会式は思いがけず鳥取県の平井伸治県知事と鳥取市長の竹内功氏のお二人が
ご臨席くださり、祝辞を述べてくださいました。
いつもに増して会にはくがついたこと!!!本当にありがとうございました。
そして、壇上で来年に向けて惜しみない協力を約束してくださり、私はうれしくて、
すぐに名刺を持って着替え室に!?ご挨拶に走りました。
毎年同じ時期ですが、今年の雲ひとつないskyblueの空、夏のような陽射し、
吹き抜ける風に、因幡万葉歴史館を訪れた人たちは、心も晴れやかに過ごされた
ことと思いました。朗唱について高岡市とまた違って私が感心したことは、出演の
幼稚園児、小学生たちは全員、朗唱歌を暗記していたことでした。意味はわからなくても
この日のために一生懸命練習して覚えている!・・・取り組みの姿勢に感動しました。
またお茶席では、数年前から中学生がお手前もお運びも中心でやっておられますが、
今年は田中君と言う男の子のお手前でお抹茶を頂きました。女子の多いクラブで、
なかなか画期的でした。そうそう、朗唱の司会も今年は、男女の高校生が初めて
務めてくださったのですが、放送部なのかしら?なかなかきちんと進行ができ、
初々しさも加わり、いい試みだと思いました。朗唱の会が、若い人たちの参加・協力
を得て、徐々に世代交代もうまくできれば、いいですね。
私は犬養節の朗唱と、最後にうたがたり会でミニコンサートをさせて頂きました。
伝承館の解放感ある舞台で、のびのびと歌わせて頂き、感謝しております。
目前に広がる青い空、緑の山、万葉歴史館の建物を肌で感じながら「国府町は本当に
素晴らしいところやん・・・」と思いながら歌っておりました。
来年、万葉フォーラムで全国から久々に参集して頂き、新年に祈りを込めて言祝いだ
「いや重け吉事」の万葉歌を通して、大伴家持の憂いや国府での思いを偲び、平成の
「万葉故地」としての発信など、学んだり共感したりできる機会を持てるのだ!と
期待に胸を脹らませながら・・・。
すみません。実は、撮影禁止でしたが・・・。
先月ブログでも予告した「立体ちぎり絵」の特別展示です。
これは一部ですが、圧巻の700本もの彼岸花の群落!の迫力はすごかったです。
その他万葉植物や、季節の草花が、文字通り百花繚乱でした。
「万葉朗唱の会」の国府町の「宴」は終わりました。かたづけとともにいつもの
静寂が戻ってきました。そしてまだ午後6時だというのに田畑に囲まれた歴史館
周辺は「ぬばたまの闇!」。長い一日でした。
歴史館職員の小椋さんと、お母様には本当にお世話様になりました。
お疲れ様でしたね。ありがとうございました。
西宮市の生涯教育の宮水学園という組織がある。
私は文学コースで過去、講師をさせていただいたことがあるが、西宮市の
歴史や文化や地理を学ぶ「ふるさとコース」があることをこのたび初めて知った。
中心となってご指導をされている空野啓佐さんとお目にかかる機会を得て、
30年近い西宮市民でもある私は、かねてから「西宮市」をもっと理解したい思いも
強かったので、きょう、歴史探訪ウオーキングセミナー「苦楽園口から西宮神社へ」
というコースに参加をさせて頂いた。
(目からウロコ)
・何度も、車で通過して「こんなところ」に!…という箇所がいっぱい。
越水城址、旧西国街道、小清水(井戸水)、常盤の一本松地蔵、
・そうだったんだ!と納得
夙川の変遷、名次神社の本殿、角の松原の湾入位置、マンボウ体験などなど。
吾妹子に 猪名野は見せつ 名次山 角の松原 いつか示さむ
ここは、西宮市城山町、下は崖になっていて、古代の湾入箇所らしき???
前方に海が見えます。歌の詠まれた場所かも。
(西田公園案内)
西宮で唯一の万葉関連施設の植物園。犬養先生の揮毫歌碑もある。
今回、ここで「秋の七草」について、山上憶良の歌と、公園植物のお花のご説明を
するのがお約束だったので、犬養節と私のメロデイーも共にご披露した。
残念ながら、七草のゾーンは尾花くらいで、あとは枯れかけた藤袴くらいしか
なく、あまりに殺風景! でも犬養節を久しぶりに聞きました、とか、以前
犬養先生と大和三山を歩きました…と話しかけてくださる方があり、
うれしかったなあ!
(西宮神社)
近くの、傀儡子の碑を最後に見て解散。その後、空野さんと、紹介の労を取って
くださった広瀬さんと3人で、西宮神社へ。
それは、「狛犬」と「六英堂」の説明をして頂くためだったが、なんと本殿で
参拝をしている時、偶然、先月の犬養先生のご命日祭を取り仕切ってくださった
田辺神官が通りかかられ、ご挨拶できた!
橿原神宮→湊川神社→西宮神社(現)と修行!?(転勤?)されているそうだ。
いわゆる神官さんのエリートコースを歩んでおられる!と見た。(笑)
(おまけ)
10月に発売されたばっかりの「えびすせんべい」←地元活性化のための
新製品のお店に立ち寄った。そして、6月にオープンしたばかりの戎館
(戎座人形芝居館」見学も…。やっぱり西宮=えべっさん?
今日の印象では、えべっさんの前で万葉集はインパクト薄いです!
しかし、全然知らなかった西宮の古跡やゆかりに興味津津。
次は自転車でおさらいできそうです。
朝食は、高岡古城公園の「万葉うどん」です。犬養先生も虫麻呂歌を朗唱
されたあとは(巻9が早朝ゆえ)必ずこの朝食メニューでした。(笑)
私も名残を惜しみつつ、お世話になった方々に別れを告げ、京都から高岡へ
やってきた全国万葉協会のバスの「万葉旅行~机島」へシフトチャンジ。
万葉うたがたり会ももちろんCD曲「しただみわらべうた」の島をめざしました。
家持が越中国司の時に公務による巡行の折、採集した地方民謡のひとつが、
能登の海にある「机の島」と呼ばれる無人島の「しただみ貝」の歌です。
犬養先生がかつて病弱の奥様とご一緒に旅行された数少ない思い出の場所。
そのゆかりもあってか、昭和50年秋に歌碑建立の計画が決まりました。
幸運にも私がその夏、犬養先生が揮毫される石の下見に同行させて頂き、
机島も訪れ、「歌碑」になる石も一緒に確認させて頂いたのですが、
除幕式はもちろん、それ以来残念ながら全く機会がありませんでした。
このたび33年ぶりに歌碑となった「石」を見に、机島へ上陸できたというわけです。
犬養先生の長歌の歌碑はこれが最初だと思います。
信じがたい思いで見つめました。富田さんが、お花を供え、献茶をし、
お墓ではないですが、全員で般若心経を唱え、あたかも犬養先生が
そこにおられるような気持がして、なつかしく時を過ごしました。
万葉うたがたりの「しただみわらべうた」もご披露させて頂き、深謝。
33年の年月は、風景が「からに島」や「鹿島」が「机島」と、記憶が混然と
してしまっていますが、「先生、二人だけで来た思い出の机島にやっと来れました。
遅くなってごめんなさい…。」と申し上げるとともに、「先生、オカモはこれで
今春まで先生の揮毫された137基の歌碑すべてをお訪ねすることができました。」
と誇らしくもご報告しました。富田さん、いいチャンスをありがとう!
しただみ貝(コシタカガンガラ)は、海中が澄んでいて生息がよくわかります。
石でつつき破り、よく洗って、塩でもんで、器に入れて…♪
高岡万葉まつりと共に予定していた「私の2つのこだわり」は実現し、無事終える
ことができました。
机の島に行き、万葉歌碑を見ること。
うたがたりの仲間で「古城公園の水上舞台」で万葉歌を歌うこと。
すべて、みなさんのおかげでした。ありがとうございました!!!
