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二上の夕日.jpg
万葉まつり前日の、越の二上山の峰続きの山並みです。
毎年伺っていますが、私は高岡ではめずらしい「夕照」の光景を見ました。
翌日からの万葉まつりの好天気を予感させるシーンに感激しました。
(実は翌日も、2日続きの夕焼け空に恵まれました。)
私は、10月3日初日のオープニングイベントで自作の万葉まつりのテーマソング
「高岡旅情」を婦人会のコーラスの方々と一緒に出演。
そして、招待朗唱に出演しました。
個人的に犬養先生の十年祭を追悼したい気持ちもあり、中大兄皇子の大和三山の
妻争いの長・反歌を「犬養節」で、また額田王の春秋競憐歌をシャンソンで、
ご披露しました。
午後からレンタカーで貴重な自由行動時間です。
真っ先に高岡市歴史博物館へ行き、屋上庭園の犬養先生の歌碑にご挨拶。
そしてこのたびの回廊の特別企画の「家持のうたった花」展を拝見しました。
幸運にも関研究員にご説明をして頂き、家持が単に「花になぞらえて詠った」
ということではなく、踏み込んで、それぞれの「花」をどのように表現し、
何を示したかったのか…ということを、畑谷さんの万葉花写真の世界と共に
味わわせてくださいました。な~るほど、家持の繊細な感情の起伏が見えます。
私には今からすぐに家持の歌がもう「違った形」で見えてくると思いました。
本当に高岡の万葉歴史館はいつも魅力的です。
貴重な路面電車を写しました。万葉線のアイトラム(フランス製?)です。
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夏に乗った時に、車内の達者な案内に感嘆していたら、立川志の輔さんの
アナウンスでした。(新湊出身だそうです。)
勝興寺の犬養歌碑を見て、宿に戻るときに夕焼け空のあと、「三日月」が。
「ヤカモチくんの若月だ!」
何だかルンルンしながら、1日が終わりました。
明日4日に万葉うたがたり会の仲間がやってくることが、本当にうれしくて…。
続く!?

おかげさまで、バラエテイに富んだ毎日ですが、昨日は今年度2回目の
因幡万葉歴史館での「万葉うたがたり講座」に出かけてきました。
こちらへも、来月10月19日の第11回「万葉朗唱の会」に参加致しますが、
講座は、歴史館の行事と私のスケジュールと相談して決めますので、
早くから決まっていましたが、今9月を省みますと、忙しい毎日を過ごしました。
9月になってからは、天候も不安定で、なかなかすっきりとした秋空が
臨めませんが、昨日も台風到来の影響もあり、どんより曇った肌寒い
一日でした。
でも歴史館のお庭は、犬養先生の歌碑を囲んで、コスモス・茗荷の花が満開で、
また、満天星つつじの葉が紅葉?し始めていました。大きなイタチ君がその中を
何度も走り抜けて行ったのがユーモラスでした。(笑)
6月の講座以来の再会でしたが、歴史館の方々、また講座生の方々に温かく迎えて
頂き、単純な私はそれだけでもうれしくなってしまいます。
ちょうどフロアーの入口に因州和紙でつくられた「お花」が展示してあり、
豪華絢爛のカサブランカから、素朴なクローバー、たんぽぽまで…。
10月3日から26日までの特別巡回展の「立体ちぎり絵の世界」のご案内でも
ありました。私は朗唱の会の日に見られますので、とっても楽しみです。
圧巻の「彼岸花畑」も出現するとか・・・。和紙の風合いはお花の優しさを
醸し出してくれるようです。
歴史館のコスモスと和紙のコスモスです。
コスモス.jpg和紙コスモス.jpg
時間の都合もあり、今回は久しぶりにバス」で往復したのですが、
道中の群落の彼岸花の美しいこと。因幡へ向かう季節にこのような光景を
見たのは初めてで、微妙な季節の移り行きやズレで、まったく土地に対する
印象や表情が違うことが驚きでした。そして、帰りは…
今回、万葉講座では季節柄「万葉の月」についてお話をし、「暗闇の夜ほど
月明かりが貴重で待ち遠しいものだ」と力説したのですが、なんと鳥取からの
帰りのバス道は、まだ午後6時半だというのに「ぬばたまの闇」で、ひたすら
走るバス道の不安なこと(汗)。雨も降ってきましたし、なんとなく肌寒く
月を求めると共に、いや~「ぬくもり」を求めてしまいました!(笑)
国府町の万葉歴史館を発信基地として、来年は万葉集の最後の家持の歌が
詠まれてから1250年でもあり(姫路ー鳥取間に道路が開通し、時間短縮して
鳥取へ行けるようにもなりますので)「因幡の祭典」という行事の1つとして
万葉フェステイバルの準備が行われております。
上野誠氏の基調講演や、私たちうたがたり会の出演も決定していますので、
今年の朗唱の会を加速度として、来年に向けて期待されるところです。
高岡も因幡もイベントで「家持くん・家持さん」はモテモテです。
私の敬愛する「額田王」さまのイベントはありませんか???

新幹線を降りて、新大阪でのおぼろ月が、甲子園に着くと皓皓と…。
自宅までの道々「出た出た月が…♪」とか、月の歌の万葉朗唱をしながら
月明かりに導かれながら帰宅した。満たされた気分。
すれ違ったり、追い抜いて行った人は私を「アブナイ人!」だと思ったこと
だろう。(笑)
1年ぶりに福岡県の飯塚市歴史博物館で嘉摩万葉を学ぶ会の万葉講座だった。
3月に桂川町に犬養先生の歌碑が除幕されて以来の筑豊だ。
車中からの風景は秋の実りの田んぼとなり、歴史館の庭は、「萩」の花が
こぼれんばかりにちょうど満開の時期を迎えていた。
こぼれ萩.jpg
前日に稲築町で憶良まつり短歌会もあり、三連休の最中参加者が心配されたが、
たくさん集まってくださり、ありがたいことだった。また、
うれしかったのは、前日の憶良まつり短歌会で、私の作曲した「高岡旅情」と
「別れたくないタンゴ」の2曲で、社交ダンスが披露された…と聞いたこと。
見たかったなあ。作曲者冥利です。
飯塚市は、時の総理候補、麻生太郎さんの地盤で、歴史館の向かいにある
1万坪以上のお屋敷の森ではまだセミの声が聞こえていた。
今の時期、きっと盛り上がって、町はどんな雰囲気かな…と興味深かった
が、地元はそれなりに慎重だ。総理となってもこの不安定な政局の嵐の中を船出
していく「麻生さん」の今後のことも心配なのだろう。ふるさとの思いやりを
感じる。
11日、12日の坂本万葉ゼミ旅行が、「九州」だったので、昨日の1日をおいてまた
九州へ移動したわけだが、こうしてスケジュール通りに動けるのは、まず健康に
恵まれていることだ。明日は高岡から奈良へ2グループが来られるので、お接待役を
仰せつかっている。激動の「あれやこれや」はもう少し続きます。
試供品でもらった「コラーゲンEXエンリッチド」を飲んで、頑張るぞ???

帰途の車を停めて、写真撮影しましたが、「月」はうまく写りません
でした。でも確かに運転席の正面から私に微笑んでくれました。
月はもちろん犬養先生に重なり、涙目になってしまいました。
今日は犬養先生の十年命日祭でした。亡くなられてもう十年?。
本当に信じがたい月日が流れたことになります。
犬養先生のお身内が少なくなってしまわれ、犬養万葉顕彰会で
追悼をさせて頂くことになり、責任ある準備ではありました。
でもこのたびも、犬養先生の天国からの演出がいくつかあり(笑)朝の禊の
大雨が一転、集合時には犬養高気圧が張り出し、快晴の天候に!
ご神事を執り行ってくださった田辺神官が、偶然にも明日香村の方だったこと。
ご命日もきょうの忌日も同じ仲秋の名月の時だったこと…などなど。
偲び草のDVDも、直会の犬養先生のお話の中身も、私が直接かかわらせて頂き、
やはり「こだわり」の部分を発揮させて頂けました。
そしてきょうもいくつか想定外のハプニングがあり、本当に疲れました(汗)。
でも私は、朝から犬養先生のお家へ「御霊さま」をお預かりしに伺いましたが、
たくさん積み込んだ荷物とは違い、大事に助手席に安置して出発しました。
「こうして犬養先生をお乗せすることも最後かな」と思うと、感慨があふれ
出てきて何故か泣けてしまいました。集合前からお化粧も台無し!
参加者のお顔ぶれをみても、語られる思い出を聞いても、私には十年の歳月が
愛しく思える、そんなひとときの一日でした。
犬養先生は万葉集の大家ではいらっしゃいますが、「博士の愛した万葉集」
ですね。私たちには偉大な教育者であり、偉大な父のような「人間」としての
魅力に惹かれたと思います。今日もそれぞれが、大いに人生の影響や生きる力を
与えて頂いた「教え子たち」の集いであったように思います。
きょうもスピーチの「人には誠を持って接する」ことや「常に前を向いて
がんばること」など、犬養ファミリーのみんなの人生訓でありましょう。
あらためて犬養先生の「すごさ」を実感し、私もその「先生」と出会え、大事に
接して頂いたことを心から感謝しています。今は「犬養先生の教え子」として
恥じないような生き方をしたいと思う日々です。
朝から何度も何度も涙腺がゆるみました。年のせい?
きょうは先生に喜んで頂けたでしょうか。私には亡くなられた時から
時間が止まったままでした。10年の月日を受け入れることは残酷ですが、
自分が年を重ねたことで納得もいきます。
そうそうきょうは私の誕生日でもあり…。人生の記念日に恩師の命日祭が
重なったことも私には意味あることだったのかもしれません…。
しかし、疲れました。ふーっ。明日は飯塚で講座です。
「女心と秋の空」のタイトルで、まさに気持の赴くまま???お話を
してきたいと思っています。では、おやすみなさい。

気になっていた犬養先生へのご報告をやっと果たすことができました。
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昨年の100年祭の報告と感謝。多くの方々との再会や、新たな出会い。
犬養万葉顕彰会の役職の全う。私の近況や、語りかけたことはいっぱい。
そして、愚痴や甘えや私の独断と偏見をいろいろ聞いて頂きました。
お墓を管理してくださっている坂本家さんの奥様にも、昨秋の谷中墓前祭
のお礼を申し上げ、三月に逝去された犬養悦子さんをともに偲びました。
谷中でも、また代官山の東京展示でも特に昨年は、お目にかかる機会も
多かっただけに、納骨もすまされ、お墓にも名が刻まれていることが、
信じられなくて、不思議な気がしました。
谷中・時刻表 006.jpg谷中・時刻表 007.jpg
関西なら、お盆の週で日曜日でもあり人出が多いはずですが、東京は
一月早い七月がお盆の行事なので、ほとんど人影もなく、ゆっくり過ごす
ことができました。また晴れ女の私にはめずらしい霧雨のそぼ降る墓参に
なり、寒~い一日。前日の大阪と段違い!なんだこれは!
さすがに名物の谷中のネコの姿も少なく、会いたい!
また、お墓で覚悟していた蝉しぐれもなく、上野公園の森でやっと
雨天決行の蝉の声が聞こえたくらいでした。
アブラゼミカルテット(雨天で小規模)に、ミンミンゼミソロが入ります。
東京のミンミンゼミは、だいたい5回鳴きます。犬養説は正しい!!!(笑)
(私はただいまレポートに追われて冷や汗の、坂本ゼミです! ハイ。)
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来る、9月13日には、犬養先生が亡くなられて10年が経ち、西宮神社会館で
命日祭を行います。早い。もう10年なのですね。本当にあっという間でした。
でも、神様のご配慮もすごいです。犬養先生が亡くなられた通夜の日は、
仲秋の名月で明日香村では観月会が行われていました。10年目の命日祭も
偶然ですが、仲秋の名月の時期にあたり、翌日には明日香村をはじめ、
全国で観月会が催されるのですよね。
お月さまが大好きだった先生。「万葉の月」のお話が懐かしいです。
私も先生と万葉集のおかげで、「お月さま」は生活の一部になっています。
13日の命日祭に集った方々は、きっと犬養先生らしい、印象的な感慨深い
時間を過ごされることでしょう!
私も最後のお手伝いです。(私の記念日でもありますし…)
先生、また来ますね。犬養先生のたましひは、明日香村にあると思い、
でもいつも私の心の中に居てくださっています。
上野・谷中は? やはり犬養先生の原点の地であることが、私を引き寄せる
のだと思います。さあ、明日からがんばれそうです!

広島原爆記念日の8月6日は、我が岡本家のルーツ、祖父岡本丸夫の
命日だった。はや丸2年になる。
石走る垂水の実家には、私が大学生の時に植えたらしい…浜木綿の球根が
成長し、祖父が亡くなるまでの3年間ほど、介護のお手伝いをするのに、
垂水の実家へ通ったが、なんと30年以上、たった1株の浜木綿は毎年咲いていた
のだろう。そして、私が再会した時、葉は百重なし、木綿花が噴水のように
芸術的に咲いている様子に、とても感激した。
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そして、私が楽しみにしていた翌年の浜木綿の夏に祖父は逝った。
祖父の入居していた介護ホームの玄関前の路肩にも浜木綿が咲いていた。
祖父の亡きあと、家の建て替えで、浜木綿の庭が更地となったらしく、
垂水の浜木綿は祖父とともに姿を消した。ショック!さびしい…。
私はなぜか浜木綿に心惹かれる。きっともっとも暑い盛りにエネルギッシュに
咲く力強さと、可憐で清純な白い木綿花の美しさへの憧れがあるのかもしれない。
今夏は浜北万葉公園で、浜木綿の花のやさしい淡い香りも体験した。
自分の浜木綿へのこだわりが、祖父の思い出と重なっている。
祖父の美田?ご褒美?で、今年6枚目のCDを作らせてもらっている。
生涯、先見性があり、時代の挑戦者であり、現役を貫いた祖父が、私の進学を
もっとも喜んでくれたと思う…。
しかし家庭人としては失格、その祖父の悪口を言って、犬養先生にたしなめられた
思い出(笑)。そんな祖父に思いを馳せながら…。
来年の浜木綿と私を思う。

昨年は、犬養先生の生誕百年を記念して、いつもの万葉故地旅行に
犬養先生の原点である「阿蘇の噴煙」を求めて、熊本の地を加え、
赤レンガの建物の残る、旧制第五高等学校や阿蘇山なども訪れました。
今年の三月末で、私が会長を務めていた顕彰会の第五期が終わりました。
ただ、07年間で行った長期旅行の万葉エリアが、1箇所残っていましたので、
旧役員有志で行うことを決め、山内英正さんを顕彰会の代表、そして講師として
今年度も「浜松万葉旅行」を行いました。
厳密に言うと、浜松、浜北、浅羽町の三箇所をコースとしましたが、平成の
大合併により、浜松と浜北が1つの浜松市となり、今回見学の犬養歌碑は
浜松市の行政区だけで7基(浅羽町→袋井市で2基)という、一つの万葉
エリアとなりました。
ここ数日、猛暑日が続いており、この季節の旅行に不安も抱きましたが、
やはり万葉ファンは普段から「万葉熱中症」ですので、免疫があるのか!?
ハードな旅でしたが、一人の体調不良者を出すことなく終えることができた
ことにほっとしています。
しかし犬養高気圧もますますボルテージを上げていましたね(笑)。
おな
浜名湖の湖北の猪鼻湖の西方にある「乎那の峯」の砂洲は、今はホテルが
建っていますが、峰がやがてひじ(砂洲)となるまで、寿命が続いて欲しい・・・と
詠う、祝賀の歌の故地。そこには犬養先生の136基ある歌碑の4番目に建立
された歌碑があり、コースはそこからスタートしました。
次に、引佐細江の澪つくし(模型)を見、吾跡川柳を見て、宿泊の舘山寺温泉へ。
今年はこの時期に花火大会がなく、団体の宿泊が可能となりました。ラッキー!
到着して食べた「いちごのかき氷」が美味しかったこと。
そして、すぐに汗を流したくて、露天風呂に入りましたが、よく晴れた空、
広がる浜名湖を見ていると明るさと暑さで、まるでプールで泳いでいるような気分
になりました。(汗)
もちろん、一品は鰻の蒲焼が入ったお食事に、舌鼓を打ちながら、大宴会。
自己紹介などをしながら楽しくひとときを過ごしました。
各地から、各世代の方々がご参加くださり、また犬養先生や、万葉集との
いろんな関わりなどを知ることができ、有意義な交流会でした。
翌日は、露天風呂で日の出を見た人も多かったようですが、早朝から快晴!
8時に出発し、浜北へ。南陽公民館、浅羽の八幡神社、浅羽図書館、そして、
お昼は浜北万葉の森公園に行き、犬養歌碑の見学を中心に、防人の歌の
ふるさとを偲びました。昼食は今回の旅の目玉とも言うべき、「古代食」を
経験しました。
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地元の「月草の会」のご婦人たちが、資料をもとに再現されたり、
また古代から今もある植物を、食せるように工夫を重ねて、新たな献立を
加えてくださった・・・などご説明も聞きながら、興味深く美味しく頂きました。
「月草(つゆくさ)」の天ぷらは、初めての体験でした。夏の献立で、
鰻の蒲焼(語源はがまの穂)は、武串に上手に形作られて、感心しました。
予約制で(食材の準備が大変!)いつでも食べることができるので、是非
浜北万葉の森公園へ行かれて、種類も充実して、よく手入れされた万葉植物を見て
犬養歌碑や桜井満氏の歌碑を味わい、古代の食事・・・とできるだけ多くの人に
足を運んで頂きたいものです。
植物は夏場で、限られていましたが、浜木綿、蓮、ひおうぎ、そして秋の七草の
女郎花、撫子、桔梗、めずらしいところではピンクではなく紫の山ぢさが
咲いていました。
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少しあわただしかったですが、次の若倭神社、麁玉(あらたま)公民館、
浜北文化センターと、きょう一日で8基の見学を達成しました。それぞれに
個性があり、石の種類や、建立地のこだわり、地域性を感じる建立スタイルや、
歌碑の意義の現状などを確認することができ、本当に密度の濃い旅となりました。
参加者のみなさんとも名残は尽きず、またの再会を願いました。
今日(28日)は、昨日と一転して全国的に天候不順で、近畿は雷雨、洪水警報の
出る大荒れの天候となりました。金澤の浅野川は氾濫、敦賀では竜巻や突風が吹き、
山内情報では、浜北(静岡)も風が吹き荒れたということだそうで、びっくりしました。
やはり私たちの旅は犬養先生に守られていたのですね。
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昨日の浜松は、37.7度と全国で2番目に暑かったそうで、私は先週の岡山も
日本で2番目の暑さと言われましたので、わざわざ選んで行っているのか・・・と
思うくらい!?(笑)。でも家で過ごしている方が、よっぽど暑く感じます。
そうそう、張り切って(いや、ドキドキしながら)出かけた前期試験は、
警報発令のため延期となり、教室の「急告」張り紙を見て、がび~ん!
試験勉強の時間を稼げたと思うべきか、ドサクサで終えたかったという本音か、
微妙なところですが(汗)、自然の変化には逆らえません。
犬養万葉顕彰会での旅は一段落しますが、犬養先生との心の旅は永遠に続きます。
参加者のみなさん、ゆっくり疲れをとってくださいね!!!
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歌碑
いつも夏にプライベート万葉旅行に出かけるが、今回は海の日の連休を
利用して、犬養先生が亡くなられてから建立された、岡山県津山市久米南町の
笛吹川歌碑公園にある額田王の「あかねさす・・・」の歌が揮毫された歌碑を
訪ねてきた。
犬養歌碑は、今春で現在136基となったが、額田王の歌は近江の市神神社の
境内にある歌は残念ながら、有名な蒲生野の歌ではない。
万葉集の中から一人歩きしていると言っても過言ではない、この名歌
「あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」
数ある犬養先生の歌碑で没後に建立されたことが、不思議なくらいだ。
法然上人生誕のゆかりの地「誕生寺」を目印に岡山駅からレンタカーで出発。
たん
立派なお寺で、法然上人の産湯の井戸があり、ご両親の霊廟もある。
今はさびれているが、正面の参道沿いには家屋の名残などもある。
「晴れの国岡山」は、この日日本で2番目に暑い日だったそうだが、快晴の
青空とみどり深い古刹の森でのひとときは、空間を独り占めしているような
気がした。
残念ながら、誕生寺と歌碑公園との関係が薄いのか、寺からは案内板も無く、
遠回りして、歌碑公園を探した。
なんと、持参した資料のイメージとは面変わりしており、歌碑がいっぱい!!!
犬養歌碑はどこだ!
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公園の前の川(片目川→笛吹川)は整備され、ホタルの里の保護地域になっている。
その川を挟んで、個人の「歌碑」が周囲にたくさん建立され、数えてみると
90近くあった。(86基?)あまりに多すぎて正直な感想は「墓地」のようだ。
その中で、犬養歌碑だけ副版も作られていたので、中心部で見つけることが
できたが、地元の方々の「歌碑」は今後、まだまだ増え続けるように思われる。
希少価値の額田王の歌碑であり、私は感慨も一入だったが、余計に「この地に
先生の歌碑のあること」の意味を考えさせられた。
果たして犬養先生の「万葉故地、景観保護、ふるさと活性・・・」の意向にかなって
いるのものであろうか。犬養先生が亡くなられてから・・・の建立は、地元民にも
揮毫者の印象が薄いはずだったであろうし、この奥深い岡山の地の活性化を
図るための手段であれば、誕生寺を含めて、表示・案内・地元協力の形が示されて
もよいと思われる。
そして、地元のための歌碑公園として、今後も規模が大きくなっていくことは、
それはそれで大事であり、公園のアピールを積極的になさるべきだと、エールを
送りたい。
私としては、歌碑は犬養先生の化身のような感覚があり、どの歌碑を訪ねても
犬養先生が、しっかりと「その大地」に魂を根ざし、踏ん張っておられる
姿に見えるのだ。今回は、林立した歌碑群に犬養歌碑も埋もれて、まるで人質に
取られたような気持ちさえして、「オカモちゃん、よく来てくれたね!」と
さびしがっておられた先生をやっとお訪ねできたような気がした。
また、帰る時には、後ろ髪をひかれるような、切ない心残りを感じながら、
「先生、また来ますね!」とお約束をして歌碑を離れた。
誕生寺2
建立してくださった方々には、感謝の気持ちであるが、こんなに
歌碑との対面で思い乱れたことはなかった。
犬養先生が亡くなられて10年。「歌碑」が先生が揮毫されたことの意義を
語り、理解せしめるものとして、単なる名所・旧跡の記念碑となっていくこと
のないように、教え子としてしっかり見守っていきたい・・・。

大学院に通うようになって、今一番のお気に入りは、車窓から見える
平城宮跡の広大な空間である。
今までは、近鉄奈良線に乗車していてもそれほど気に留めることも
なかったが、大学との往復に「古京」をもっとも実感できる場所だから
だろうか。合格発表の日の一面の雪景色も圧巻だったが、今は鮮やかな緑の
絨毯が眩しく、美しい。朝夕の背景も情緒があって、いい感じ。
今は、地道な考証や分析の万葉を学んでいるので、余計に古代の息吹で
深呼吸をしたい気持ちにかられている。
9日には、安堂の大和川沿いにある高橋虫麻呂の長歌の歌碑を見てきた。
河内の大橋の娘子の歌だ。今年初めて、蝉の声を聞き、夏を実感。
週末の12日には、上野城へ行った折に、久しぶりに名張の夏見廃寺跡の
犬養先生の歌碑も訪ねることができた。
今、6枚目のCDを制作中だが、私のこだわりで、「二上エレジー」を
ボーナストラックとして入れる予定で、この曲を最初に録音した。
「先生、やっぱり私の原点はこの歌ですね! 次のCDも悩みながら
作っていますが、応援していて下さいね。」と報告した。
夏見
ここで、平成8年に国有地では私たちが初めてと言う、記念すべき夏見廃寺
コンサートをさせて頂いてから「名張」とはご縁ができた。その後、青山町でも
2回もコンサートをさせて頂き、万葉集の直接の故地でなくても、私たちの
うたがたりと町づくりのテーマさえ合えば、万葉集は引き出しの多い万能選手
として活躍する!
実は、来週の連休を利用して、私、岡山県の笛吹川の犬養歌碑を訪ねる
予定でして・・・。だって、私の憧れ、額田王さまの歌ですもの!!!
七夕よろしく「オオキミ様にあやかれますように・・・」ってお願いしてきま~す!
やっとこさ、ブログ報告が追いついてきました! ほっ。
あれやこれや、忙しい3週間でした!(汗)

先月に引き続き、7月8日は今年2回目の備前の万葉講座。
早朝、めずらしく轟く雷鳴と集中雨で、出鼻が挫かれた・・・?かと
思いきや、出発の9時頃には、晴天となり「晴れ女」の面目躍如!!!
7月なので、うなぎの話?七夕の話?秋の七草の話?とテーマに悩みながら
レジメを準備したが、結局8月に万葉旅行をする「万葉の難波」になった。
でも昨日が七夕だったので、それに触れないことはあり得ない。
山上憶良の七夕歌の「短歌」で作曲した「七夕の歌」をご紹介しつつ
万葉時代は、7月1日から万葉の「秋」の季節になることや、昨日の
機物神社のおみやげ話をしながら、中国の伝説と日本人に受け入れられる
土壌となる「通い婚」や「待つ」ことの共感などを話すこともできた。
ka
前回は「あさざ」の花の感動があったが、今回もまた、サプライズ!
万葉時代の短冊「かじの葉」を講座生の武本さんが、わざわざ、今日の私の
講座のために玉の浦から取り寄せてくださったのだ。感激!
万葉時代の「葉書き」である。古代は棒で書いたと言われている。
実は、かつて備前の講座が始まって後、2000年7月8日に名張市で大伯皇女
1300年遠忌記念うたがたりコンサートを行ったが、前々日くらいに備前で
講座があり、その時はじめて武本さんがご持参くださり、うれしくて
コンサート会場でご披露していおり、そのビデオも残っている。(未だ販売中)
私が犬養先生によって、万葉集の楽しみが机上だけの学問でなくなったが、以来
「自分の目」で古代の歴史や故地や現象や文化や草花や生活を今もなお、見たり
体験することのできる幸せが何よりだと思っている。
そして、万葉を通じて親しくなった方々が、私にタイムリーな情報をもたらして
くださったり、さりげなく現物を見つけてきてくださる。
本当にありがたいことだ。皆さんのおかげで私もまだまだ学ばせて頂いている。
加えてお世話役の平野さんが、粋な計らい!
この「かじの葉」を紙に型とって、講座生全員に配ってくださり、おかも織姫に
「かじの葉短冊」でファンレターを書いて頂いた!中には
「かくばかり 恋つつあらずば 八月の 難波の地にて 待ちにか待たむ」
などあり。やられた!来月の野外万葉の機会を楽しみにしてくださっている。
今回も楽しい1日だった。おみやげになすび、きゅうり、玉ねぎ、ジャガイモ
など重かったけど、主婦ゆえ、講師の謝礼は現物支給も大歓迎でした!(笑)