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夕刊に、プロレスラー、グレート草津の訃報が出ていた。なつかしい!!!
学生時代、大相撲・プロレスが大好きだった。高校時代は九重部屋の
後援会にはいってい友人のおかげで、秋の大阪の巡業では砂かぶりで
観戦したり、宿舎のお寺へ行って(相撲ギャルのはしり!)一緒にチャンコ
をご馳走になったり、力士と文通をして、ちゃっかり番付表を送って
もらったりした。
びんつけの匂いが大好きになったのも、土俵の側で経験してからだ。
大学生になってからは、プロレスにはまり、大阪府立体育館へ一人で
隠れるように見に行ったこともあった。(ジャイアント馬場の大きかったこと!)
思いがけず、それらが犬養先生と私との大きな接点であったことも不思議な縁だ。
犬養先生も相撲・プロレスが大好きで、犬養ゼミが始まってからお互いが
ファンであることがわかり、犬養先生は必ず私に「金曜の夜は、8時頃電話を
かけてきても出ないからね!」とおっしゃりながら、プロレスが始まると、
その時間に必ず「今、見てる? ブッチャーは、血を流さないとダメだね!」と
先生のほうから、毎回電話がかかってくる。両親は、私たちの様子を呆れて
見ていたようだが、4年生の時、阪大の長期万葉旅行で、コンパで先生に
呼び出され、プロレスごっこをした女子学生は、長い歴史上私ひとりだけで
あろう!写真も残っている。(先生にコブラツイストをかけた!)
コブラツイスト
写真、残っていました。天下の犬養先生になんて事を・・・。
先生!お許しください! でも先生がやろう!とおっしゃいましたもん。(笑)
ちょうどプロレス全盛期で、1週間のうち、月・水・金と3日もプロレス番組
があり、月曜は日本プロレス(アントニオ猪木や坂口征二)、水曜は国際
プロレス(グレート草津やストロング小林)、金曜は全日本プロレスで
ジャイアント馬場や、デストロイヤーやブッチャーなど、今も記憶にあることが
自分でも可笑しい。
阪大の委員中山君とは、何故か大阪ドームの猪木の引退試合を二人で一緒に
見に行ったことがある。親子ほど年も違うのに・・・。何で行ったのかなあ???
犬養先生の最晩年、元気もなく、気力も衰えられて、入退院をされていた頃
中山君の持参するプロレス雑誌だけは、必ず目を通されていたし、私は
先生の慰みに・・・と、UFOキャッチャーでゲットした若乃花ぬいぐるみをプレゼント
したら、枕元に置いておいて遊んでくださっていた。よかった!
「お相撲さん」の奥さんを夢見たこともあったが(笑)、実戦・テレビ観戦・
雑誌研究と結構凝り性で、「試合」そのものが好きだったのだと思う。
ちなみに犬養先生も通なので、相撲では陸奥嵐や清国などがお好きだった、
私は竜虎とか、貴乃花など、やはりイケメン好み???
グレート草津もまだ66歳は若い。元ラグビーの選手だとは知らなかった。
屈託のなかった頃の、私の青春の思い出。
小さな訃報の記事だったが、なつかしさとさみしさを同時に伝えてくれた。
しかし、やっぱりその頃から、私は「変人」だったかも。(汗)
まだまだその手の話はいっぱいあります・・・。

奈良女子大学で、坂本信幸先生に引率して頂いた初めての
万葉旅行。楽しみにしていた。
私は、今は車で脇の県道の169号線を走り、直接車谷の梅を見に行ったり、
通行は頻繁にしているのだが、三輪山の山裾を歩いたのは、2001年以来の
7年ぶり。坂本先生ご準備の詳細なテキストを頂いたが、密かに犬養先生の
「万葉の旅」と「山の辺の歌碑を訪ねて」の2冊も偲ばせ、出発した。
ゼミ旅行と思いきや、一般教養(講読)の2年生が8名と、4年ゼミ生が2人。
院生は私だけと言う、私にとっては意外なメンバー。
日頃、お忙しい坂本先生が時間を割いて終日「万葉現地講義」をされるのだから
ゼミ生や院生が中心だと思っていたし、個人の演習準備や、バイトやクラブで
欠席!と聞いて、理由はあるにせよ、大変失礼だと思った。
私は万葉風土と切り離せない「万葉集の楽しさ」を学び、今日に至って
いるが、私がこのたび奈良女子大学に入学できてうれしかったことは、
万葉に縁の深い、身近な「奈良」で学べる幸せだ。
初めて参加した、2年生の初々しい女子大生とも親しくなり話してみると
「山の辺の道は夢でした。」「もっといろいろ行ってみたいけど、機会が
なくて・・・」と今日の日を楽しみに参加しておられた姿を見て、救われた。
この感動が万葉の歌と連動して万葉人の豊かな感性に魅せられていくのだ。
(もちろん別れ際「また一緒に参加しようね!」と大いに呼びかけた。)
坂本先生は膝を痛めておられたので、気になっていたが、最後まで口にも
出されず、元気に歩いてくださった。いつもながらのダンデイぶりは言うまでも
なく、カッコイイ!可愛い?素敵です!!!(笑)
(これは現役女子大生が言うべき)オバサンが言うとアブナイ!
大神神社の「ささゆり園」では私が大好きな「ささゆり」が見頃だった。
しかし、少し花の色が浅く、「草深百合」の表現のように深い森の緑で
美しいピンクの花を見つけた感動を何回か経験しているは、心の中でみんなに
「笹百合はこんなもんじゃないのよ!もっともっと素敵!」と叫んでいた。
ささゆり
・万葉歌碑の探訪・うぐいすの伸びやかな声、ささゆりの花
・大神神社・つばいちや金屋の集落・初瀬川(国土交通省の表示では
大和川でした!)・三輪山・二上山・龍王山(引き手の山)などなど
山の辺の道は、古代の国道一号線ですから、古代経済流通地域として
注目すべき点の多い万葉故地なのだが、女子大生たちはきっと、通行人も
少ないこの道を歩いて、賑わいの古代がイメージできないギャップを
感じたことだろうと思った。
でも感性とは、それを埋める?想像する?心のひだだと思うので、
そのギャップが、かつての私も同様、万葉への扉の一つになるのだ。
若い感性に期待!万葉ファンが増えることに期待!!
犬養先生の天理の万葉歌碑ももちろん見学した。引き手の山を正面にした、
本当にいい場所だ。歌碑は136基となったが、3番目にできた立派な
文字、立派な石の歌碑。
「犬養先生、今春から坂本門下になり、新たな万葉旅行が始まりました。
私が犬養先生によって万葉集の魅力を受けて、生涯の糧となったように、
来年成人式を迎える彼女たちにとっても、この旅が一つのきっかけと
なりますように・・・」とお願いをして・・・。
歌碑
ちょうどこの日、明日香村で「ほたるの鑑賞会」に呼ばれていたが、
遅くなったのと、何だか疲れて、帰途についた。
きっと今週の演習が気になっていたからかも・・・!?しかしバタンキュー!

3月15日の西宮市フレンテホールの万葉うたがたりコンサート
から、3ヶ月。コンサートのDVDもできました!
久しぶりのコンサートは、近畿高岡高校同窓会総会のお招きでした。
関西在住の富山県立高岡中学・高校の出身の方々の会合です。
(高岡市の橘慶一郎市長も卒業生)
私は、約100名の方々の前で、皆さんを「ふるさと、高岡市」に
誘うお役目です。
うたがたりのプログラムも、「家持爛漫」に始まり、二上山の賦、
立山の賦など、大伴家持の万葉歌をご紹介しましたが、私の
こだわりは愛着の深い「高岡旅情」です。
みなさんの頭の中に懐かしい光景が浮かぶように心をこめて
演奏しました。以心伝心「この歌は、万葉集ですか?」と
お尋ねがあり、私が作詩・作曲した万葉まつりのテーマソングで
あることをお伝えしました。
コンサートのあと、多くの方々が私に声をかけてくださり、
歌の感想やいろんな思い出話なども聞かせて下さいました。
大学1年生のときにやはり犬養先生の木曾藤村旅行に参加した方も
いらっしゃいました。
もはや会話では同郷人となっていた私!(笑)
今年は高岡万葉まつりの前に、福岡町の作りもんまつりで、
コンサートのオファーを頂いています。
久しぶりの高岡でのコンサートは楽しみです。
前日の13日は、CD準備のための録音でした。
毎日の時間に追われて、いまだに生活が落ち着かないのが
現実です。(泣)
全力投球の毎日、すべてが「新たなことへの挑戦」へ向けて
前進あるのみ。しかし、♪365歩のマーチもいいかも。

早いもので、もう9年目のお付き合いです。
私の甲南女子大時代の同級生が、富山売薬の祖「反魂丹」を家伝薬として
20代も続く、医師「万代常閑」の奥様として、旧家へ嫁がれました。
市町村合併の影響や、地場産業の沈滞化などで、若者離れも進み、
「備前」は地域としても孤立化していく中、地元のご婦人たちに向けた
備前女性大学という生涯教育の機会ができました。
女性ならではのお稽古事や、サークル活動も増えていったようですが、
万代さんから「やはり学ぶというカルチャーも必要」と私に「オカモ、
万葉講座をやってみない」とお誘いがあったことがきっかけです。
コンサート活動が中心で長年やってきましたが、講座は犬養先生の
亡くなられた平成10年10月に豊中の庄内公民館で初めて機会を与えて頂き、
以来私の講座活動も11年目を迎えたことになりました。
備前女性大学は、税金(補助金削減)対策もあり、3年で幕を閉じましたが、
受講生の自主的な立ち上がりで、数人の方が世話役を務めてくださり、今日
まで続いていて、世話役の方々には頭が下がりますし、、受講生のご夫人方
とは仲良く、お顔馴染みになりました。1年に2~3回の講座、OR旅行OR
かるた会Oコンサートなどなど、「万葉集を楽しむ」ことを基本に開催して
いますが、1年ぶりの昨日も皆さん笑顔で迎えてくださり、私も張り切って
お話をさせて頂きました。
昨日は、末石さんが「先生、これがアサザですよね!」と備前焼の中に
浮かべられた万葉集で1首だけの絶滅危惧種の「アサザ」をさらっとご持参
くださり、な、な、なんと、私は感嘆の声をあげました。すごい!
万葉のお話をした中でしっかり記憶して、「ひょっとして?・・・」と気付かれる
ことに私は講師冥利を感じました。生活の中の意識にもなっておられる!!!。
ありがたいことです。
講義は紫香楽宮の木簡も出土したので、関連して、「万葉仮名」を交えて
大津皇子の悲劇をお話しました。最後はテープの準備不足で歌は会場のピアノを
借りて、ライブ演奏をさせて頂きました。(そのほうがよかったらしい。)
また来月伺います。今は大学院生として、万葉集を研究する立場になりましたが、
私が「犬養先生のお話から受けた万葉集のあの楽しさ、興奮」の原点にもどって
身近に「万葉集」を届けていきたい・・・と切に思います。
未熟な講師ですが、私が楽しそうに話している姿に皆さんつられて!?楽しく
聞いて下さっているそうです。ハイ、オカモは元気な万葉人です!
備前焼の器に浮かんだアサザの花です。焼き物と黄色の花のコントラストも
素敵!講座が終わったあと見ると、花は閉じてスヤスヤお昼寝なさって
いました。ガビーン!(笑)

王塚古墳 001.jpg
<飯塚市歴史資料館で、嘉摩万葉講座があり、スケジュール的に躊躇
もあったが、東先生の「ますらおぶり」の明快な講話の大ファンなので、
思い切って夜行バスで出かけた。
また今回は、ご専門の「山上憶良」ではなく、「高市黒人」の歌がテーマだった
ことも魅力的だった。
旅の歌人!と思ってきたが、お話を聞くうちに、黒人が「孤愁の人」であり、
歌の中で「現実」を排除するかのごとく、静かな「光景画」の歌を詠んでいる
技巧派の歌人であることをあらためて感じた。
旅は「魂」が浮遊する時なのだ。自分への鎮魂歌なのか。なるほど・・・。
私は扇野聖史さんが作曲された「黒人流離」は、名曲だと敬服しているが、
講座を受けながら、しみじみとしたメロデイが蘇ってきた。
そして3月に除幕されたばかりの桂川町の犬養先生の歌碑を再訪問した。
福北ゆたか線の「桂川」の駅からの道も覚えておきたいと電車移動。
駅からは1キロもない。古墳の裏側に到着。
王塚古墳 003.jpg
王塚装飾古墳館もあり、昭和9年に発見された「古墳」は、周辺が整備され、
敷地は色とりどりの草花に飾られ、公園もある。広大な素晴らしいエリアが
確保されている。歌碑も大きな石だが、違和感はない。恵まれた場所に
建立して頂き、本当にうれしい。
近くにベンチもあり、私も読書したり、お茶を飲んだり、ゆっくりできた。
古墳館で流しておられるビデオを見てびっくり。兄弟分の高松塚を紹介された映像で、
な、なんと犬養先生が、佐藤栄作ご夫妻を明日香村へ案内されているシーンが
映っている。開館時から放映されていたそうなので、「やっぱり犬養先生は
この地にご縁があったのだ!」と得心した。
風も心地よく、緑なす古墳の裾野には、ツバナがそよいでいた。
大宰府万葉の会を指導して来られた山内勇哲先生が亡くなられたと聞いた。
飯塚の「鮭神社」を案内してくださった中島忠雄先生も亡くなられた。
あちらの世界もずいぶんにぎやかになってきたようだ。
王塚古墳の地に居て、多くの人々の魂が「千の風になって」私のもとに
運ばれてきたような、悲しいのではなく、懐かしい気持ちになった。
また来ますね。今度は9月!犬養先生の十年命日祭の翌日だ。
先生の魂は疾風のごとく、全国を駆け巡る???(笑)
王塚古墳 005.jpg

私のブログで、取り急ぎ、ご連絡いたします。
大阪大学万葉旅行のパンフレットは、当初の犬養先生のガリ版刷りから、印刷に
なりました。そして阪大側の阪急石橋にある「誠文館」という印刷屋さんに
ずっとお世話様になりましたが、その主である田村泰秀さんが、5月14日に急逝
されていたことを、昨日の犬養万葉顕彰会役員会の席で聞きました。
あー、なんていうことでしょう。(悲)
田村さんは、印刷屋さんとしてのご縁(スタート)でしたが、現在は
万葉歌碑研究家として、犬養歌碑をはじめ、日本から外国まで「万葉歌碑」を
網羅して探し出し、データ作りと、歌碑状況の発信に務めておられました。
万葉千碑からスタートし、万葉千六百碑、万葉千八百碑、改定しながら
出版もされ、お聞きすると早々に万葉二千碑を出版すべく、アカペンで校正
済みの原稿が残されていたそうです。泣けてきました。
私との思い出話も多々ありますが、これから出かけるのでそれはまたの
機会に追悼させて頂こうと思います。
田村さ~ん、まだまだオカモ特派員も張り切っていたのに・・・残念です!
田村さん.jpg
田村さんに乗せられて、オカモが初めてハイエースの運転をしたことが、
思い出されます!それも釧路の平原、北海道の大地を!

去る18日(日)は、徳島県阿南市那賀川町の万葉バス旅行でした。
昨年は、御影の処女塚・・・など、阪神間の万葉旅行でしたが、
めずらしく雨の一日で、今年はリベンジ成功!
最高の犬養高気圧でした。
昨年の旅行の帰りに、すでに1年後の今回の行き先は決まっており、
犬養先生、清原先生を偲んだ旅、「高円・田原の里」へ。
昨秋、那賀川町で生誕100年祭記念の山内さんの講演会と
万葉うたがたりコンサートを開催してくださいましたが、
その会場となった町民福祉センターにある犬養先生の歌碑が、
「石激る 垂水の上の さわらびの
萌え出る春に なりにけるかも」
の、志貴皇子の御歌ですが、目的の田原の里は、志貴皇子と
光仁天皇親子の陵のある鎮魂の場所でもありますので、那賀川町の
皆様方にとっても「ゆかりの深い」身近なテーマでした。
今回は、平成の生駒山(トンネル)を直越えし、奈良・平城京へ。
若草山から高円山のドライブウエイを通り、頂上から奈良の都を
一望(国見)しました。そして犬養先生が、孤立無援の中、反対運動に
協力し、田原の里を、茶畑の山を守ろうと地元の方々と共に建てられた志貴皇子の
「むささびは 木末求むと あしひきの
山の猟夫に あひにけるかも」
むささび.jpg
の歌碑の建つ、奈良市のヘリポートの脇地に立ち寄り、現実の
状況を悩ましく考えさせられました。
またバスで、田原西陵(志貴皇子のお墓)で昼食の柿の葉寿司を
食べ、全員で「♪いわばしる」を朗唱し、「夏も近づく・・・八十八夜
、トントン♪」をせっせっせしました!楽しい!
古事記の編纂者の太安万侶のお墓でトイレタイム!?
のち、光仁天皇の眠られる田原東陵へ。
高円山を越えたすぐそばに、志貴皇子の魂の留まる隠れ里がある
ことが本当に信じがたいです。
若草.jpg
一路、志貴皇子の邸宅跡と言われる白毫寺へ向かい、そこからは
高畑町を歩き、春日野・飛火野へ・・・奈良公園散策しました。
修学旅行生で賑わう季節でしたが、この日だけは、鹿の数の
方が多かったかも・・・(笑)
若草山
私も講師という「名目」で同行させて頂きましたが、暖かい、
那賀川町の方々とのふれあいや、今もなお犬養先生を敬愛して
くださる方が多い貴重なグループですので、同士感もあるかな。
ご一緒することの幸せです。みなさま、ありがとうございました。
実は、最後のトイレ休憩で、垣間見た携帯電話を現地に忘れて
くるという失態を犯しました!無事手元にもどりましたので、
笑い話ですが、いつもながらにそそっかしい私です。ハイ!
お世話役の阿南の、いや四国の中曽根さんこと、近藤さん、
お大変ですが、来年もよろしくお願い致します!!!
来年も絶対に、旅行致しましょうね!

春の苑 紅匂ふ 桃の花 下照る道に 出で立つオカモ
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大意:長野県千曲市上山田町の住吉公園の、少し盛りを過ぎた桃の花。
天候不良で、下照らない場所で、なぜか佇んでいるオカモよ!
犬養先生の1年間にわたる生誕百年祭の事業を一緒に乗り切ってきた仲間は
犬養万葉顕彰会の役員の方々ですが、この大役をそれぞれに責任感を持って
尽力してくださいました。3月末で、5期の役員としての任期は終わりましたが、
事業の終了後の総括や、会員への報告などまだ残務も多く残っています。
次期役員が決まらないので、前役員の厚意により、秋の犬養先生の十年祭まで
協力をして頂くことになりました。当初からのボランテイアの何物でもなく、
感謝の気持ちで一杯です。
「試練」の賜物もあり、おかげさまで結束も強くなり、一層信頼の増した同士と
なったことは、本当にうれしいことでした。
また、通年百年祭に協賛して頂き、会員に便宜を図ってくださった戸倉上山田温泉の
佐久屋さんに御礼も兼ねて、役員有志で打ち上げ旅行を致しました。
旅館の玄関前の犬養先生の歌碑に出迎えてもらい、女性風呂のためし彫りに
挨拶をし、温泉を楽しみ、楽しい夕餉のひとときを過ごしました。
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千曲川沿いの萬葉公園では、犬養先生揮毫の万葉歌の中洲を背景に建つ歌碑も
見学し、雄大で静かな千曲川と春花爛漫の景色にうっとりしました。
千曲・木曽 011.jpg
そして、もうひとつの目的であった、「木曽藤村」を偲ぶミニ旅行として、
木曽福島の関所、藤村のお姉さんが嫁いだ、高瀬奇応丸の旧家、
妻籠の奥谷脇本陣、馬籠の藤村記念館、島崎家のお墓のある、(藤村も)永昌寺・・・と
犬養先生と訪れた懐かしい場所を巡り、私たちの百年祭卒業旅行を終えることが
できました。和気藹々と楽しい旅でした。私は何十年ぶりで、木曽の光景の
様変わりに仰天しながら、新たな印象を持ち帰ったような気がします。
千曲・木曽 037.jpg
さて、私もバラエテイに富んだ長い休暇を過ごしました。明日からまたがんばるぞ!

長澤まさみちゃんの「タイミング!」の歌声が流れる光フレッツの
CM。私たちにはなつかしい坂本九ちゃんの歌だ。
このところ、私はついている。まさに「タイミング」がよいのだ!
金本選手の2000本安打を目前で見ることができたこともそうだったが、
いろんな場面で、江戸はるみばりに「グー!」と言っている私!(笑)
19日~20日と1泊2日で、「志都の岩屋」万葉旅行に出かけた。
旅程のコースが変更したおかげで、万葉に諸説ある「志都の石屋」
説の3コース(島根県石見大田海岸線・邑南町の志都の岩屋神社・
鳥取県米子の粟嶋神社の洞窟)を経由、見学することができた。
また、宿泊のいこいの村しまねでは、前日の雨の湿気のおかげで、
目覚めた早朝素晴らしい雲海の幽玄な光景に出会うことができた。
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昨年、人麻呂像と依羅娘子の像が建立されたという、人麻呂が袖振る
高角山(島の星山)のふもとの人丸神社に立ち寄ったところ、のぼりや
テントがたち、何やらにぎやかだった。
なんと、偶然にも今年から始めるという江津まつりの初日だったのだ。
地元の行事に私たち旅人が加わり、地元の方が大変喜んでくださった。
私たちも出店でおモチなどを買い求め・・・。
そうそう、見学目的の、人麻呂・依羅娘子の像がまた凝っていて、感心した。
人麻呂は公園の高台に、手を振った姿で立ち、依羅娘子は、なんと回転銅像で、
人麻呂の方向だけでなく、自在に向きが変えられる。
「垂乳根の 母が呼ぶ名は 申さめど 袖振る君を 誰と知りてか?」なあんて・・・(笑)
志都の石屋 038.jpg
そして、昼食地でもある出雲大社へ。なんと60年に一度の式年遷宮の時期を
5年後に控えて、今夕8時に本殿の「御霊」が、仮宮へ移られる儀式があるという
ことで、参拝はもちろん、撮影も禁止と言う、稀な日に私たちは訪れたのだ。
現地ガイドの方は、申し訳なさそうだったが、いえいえ私たちは、貴重な旅の
経験の1つとして、5年後の出雲大社の正遷宮を感慨深く迎えることだろう。
そして、バスでの帰路、バスガイドさんも興奮されるほど、春霞の景色から
一転、富士山のごとく、冠雪してひときわ目立つ大山の全容が現れたのだ。
伯耆富士(因幡富士とも言うそうだ)と言うだけあって、堂々と高くそびえ立って
貫禄がある。車中から角度や表情を変えながら見える山に名残を惜しみながら、
別れを告げた。夢のようだった。
バスは一路東に向かい、右手側には赤く燃えたまん丸の夕陽に酔い、日暮れて左手側には
満月が顔を出した。(こんなことってあるかしらん!!!)
バスも渋滞をぬって時間通りに新大阪着!篠田運転手さん、すごい!
肝心の目的地である、主催者竹内正幸さんのふるさと、志都の岩屋神社では
犬養先生の歌碑との再会ができたこと、また、副碑を書かれた竹内さんの奥様が年末に
逝去され、碑の前で、みなでご冥福を祈った。
そして、15年前に植えられた清原先生の桜は、大きく育っていたが、花は恥らひ、
まだつぼみで、山間の春の訪れの遅いことを実感した。
私自身、浜名湖の下見旅行の直後で、心の準備も十分にできていなかったのだが、
本当に「♪素敵なタイミング」なのか、「おかげ」なのか、満たされた幸運な旅を
経験することができた。もちろん、神様に感謝です。
でも犬養先生に守られ、清原先生にも微笑んで頂き、貴重な旅ができた。
この旅は5年に一度企画される。と言うことは、次はまさに出雲大社の式年遷宮祭の年やん!

感謝状.JPG
11月1日、平成19年度の富山県高岡市の市民功労賞授与式で、
本当に思いがけないことに、市民ではない私にも「特別感謝状」を
授けてくださったのです。
10月27日の高岡市の朝刊に記事が出たようで、現地の方々から早速お祝いの
お電話を頂きました。その時に記事の内容を教えて頂き初めて「感謝状」の
価値や重みを知ったような次第で、思わず武者震いをしました。
高岡市での当日の授賞式に出席し、頂いた感謝状がこれです。
そして、功労者の方々の中で光栄なことに私だけが、橘慶一郎市長に賞状を
読み上げて頂きました!ありがとうございました。
橘市長にご挨拶した時に、「犬養先生の100年祭にあたる今年に、差し上げた
かった・・・」と言って頂き、感激一入でした。
犬養万葉顕彰会の会長として、先頭に立って100年祭事業を行っております時
だけに、犬養先生の遺志を引き継ぐ「代表」として、顕彰会に感謝状を
頂いたような気がしますし、ともすれば、いま孤独になりがちな私に対する
犬養先生からの労いのご褒美のような気がして、「欝」は吹っ飛びました。
とってもとってもうれしいですし、恐縮ですし、信じられません。
高岡は犬養先生に導いて頂き、私が好きになって毎年通い、そして自慢できる
万葉のふるさとです。犬養先生が「僕はもう行けないけど、あなたたちは
行ってごらんなさい。町は万葉、万葉でいっぱいですよ!」とおっしゃる声が
聞こえてきます。それだけの私ですのに、本当にありがとうございました。
★急な旅でしたが、母と二人で出かけました。久しぶりに高岡へ行ってみたい
ということで・・・。どちらも母娘で水入らずで最後の旅になるかもしれないとも
思いながら・・・。
私の作った「高岡旅情」の場面を短時間でしたが二人で訪ねようと、
まわりました。古城の森は色づきて、つままのこずえ
秋風にゆれ、雨晴では、白波のはるけき方に雪の立山、峰連なりぬ!
だったのです。長年あり通ひ、私も初めて雪景色の立山連峰を見ました。
母との旅で、最高の思い出になりました。
折りしも新曲「眉山」を作曲中です。それも映画を意識して母娘をテーマに
製作中でした。今回のできごととタイミングのよさの巡り合わせに
不思議な気がしています。